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2024.06.03

「生類憐みの令」は本当に悪法か? 保護されたのは犬だけじゃなかった

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今回は5代将軍・徳川綱吉の時代に発布された「生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)」についてご紹介します。犬ばかり保護して民衆を苦しめた「悪法」と言われていますが、実は守られたのは犬だけではありませんでした。

生類憐みの令とは?

「生類憐みの令」とは、5代将軍・徳川綱吉の時代に発布された法令です。文字通り「生き物を大切にせよ」という内容のお触れで、中でもとりわけ犬を大切にしたことから、綱吉は「犬公方」と呼ばれることも。

なぜこのような法令が発布されたかというと、「将軍様(綱吉)が世継ぎに恵まれないのは前世で殺生をした報いである。将軍様は戌年なので、特に犬を大切にせよ」と僧侶に進言されたためと言われています。しかし、この説にはあまり信憑性がないとされています。

子どもも老人も守られた

極端な犬愛護ばかりクローズアップされてしまう「生類憐みの令」。しかしその内容をみると、捨て子や捨て老人も禁止されているのです。

その背景には、綱吉が熱心に学んでいた「儒学」があります。儒学には人を生類の一位に置くという思想があるため、綱吉は決して人をないがしろにしていたわけではありません。生き物を大切にしつつも、生活のために殺生はやむを得ない漁師や猟師の仕事は公認されていました。

エスカレートする内容

「生類憐みの令」はひとつの法令ではなく、生き物に関する複数の関連法の総称のことです。最初に発布されたのは1685(貞享2)年。以降24年間で100回以上お触れが出て、その内容は次第にエスカレートとていきました。

例えば鶏を射殺した家来を死罪・子犬を捨てた者を市中引き回しの上獄門……など、「生類憐みの令」によって庶民は大変苦しめられました。もとは人への慈愛に満ち溢れていた法令も、徐々に悪法へと姿を変えてしまったのです。

受け継がれる綱吉の願い

綱吉は「生類憐みの令」を、自分の死後も継続してほしいと願っていました。しかし、綱吉の死後ただちに法令は撤回。ただし、捨て子や捨て馬の禁止など、人や動物を守る法令のいくつかはその後も受け継がれていきました。

極端な動物愛護で人の命を奪うのは言語道断です。しかし、どんな小さな生き物にも命があり、子どもお年寄りなど弱い者を守ることは、いつの時代も大切なことではないでしょうか。

アイキャッチ画像:礒田湖龍斎 The Art Institute of Chicago

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書いた人

大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。