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大人だけが知っている!「静寂の京都」

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Travel
2020.07.20

いや、桃鉄の都市はみんな実在してるよ!君は「新宮」を知っているか?いざ途中下車の旅!

この記事を書いた人

ここは面白い街に違いない。
取材で初めての街を訪れた時にそう感じるのは、初めの一歩を踏み出した瞬間である。
そこそこの規模の街だと、駅前に観光案内所があるから、そこで一人目と話をした瞬間である。

和歌山県は新宮市を訪れた時は、まさにそうだった。
東京からは新幹線や特急を乗り継いでも、九州よりも遠いいわば最果ての地。でも、この街の名前は結構知られている。

『桃鉄』では必ず立ち寄る有名な都市

「新宮にいったんですよ」

そういうと10人のうち半数くらいはこう答える。

「ああ、いったことはないけど知ってる」

そう、桃鉄……『桃太郎電鉄』をやったことがあるから。スーパーファミコンからプレイステーションへとゲーム機の進化に合わせながら何作品もが発売されてきたシリーズ。双六形式でサイコロを振って目的地を目指しながら、全国の物件を買い占めて勝利を競っていくゲーム。学生の時はもちろん、社会人になっても夜を徹して楽しめるゲーム。

その特徴は全国のあちこちで買える物件が、その土地の名物にちなんだシャレのきいたものになっていることだ。シリーズを通して新宮の定番は、めはり寿司屋にさんま寿司屋。そして、ヨシノスギ林である。しかも、せっかく買った物件は夏を過ぎるとやってくる台風によってけっこうな被害を受けるものだから、阿鼻叫喚である。

東京や大阪など大都市からは離れているが街の規模は大きい

でも、そんなに知られている街なのに、なぜかいったことはない。これはどうしても、どんな街か見ておきたい。そう思って新宮を訪れたのは2012年の秋だった。ちょうど、三重県で取材があったボクは、このまま引き返すよりもいいだろうと東京とは正反対の方向へ向かう電車に飛び乗った。

まず観光案内所の人が面白い

飛び乗ったはずなのだが、ほかにも色々と寄りたいところもあって到着したのは夕方近くだった。さほど滞在する時間はないが、なんとなく見てみたかったのは作家・中上健次の生家跡である。中上の作品はさほど読んだことあるわけではないが、中上があちこちを歩き、そこで出会った人々を描いた『紀州 木の国・根の国物語』はルポルタージュの傑作だと思っている。だから、生家跡を訪ねてみることで霊的ななにかにあやかろうと思ったのだ。

しかし、ネットで新宮駅の近くであることはわかっていたけれども、なにぶんにも土地勘はない。そう、この時はボク自身も『桃鉄』程度の知識しか持ち得ていなかったのだ。

特急停車駅でもあるし地域の中心駅として規模はそこそこ大きい新宮駅。周囲は南国ムード

だから、駅舎の中にある観光案内所を訪ねた。今は、ロータリーの向かいにある新築されたバス乗り場に移動して立派になった観光案内所だが、その頃は駅にへばりついたオマケのような建物だった。

「駅の近くに中上健次の生家の碑があるそうですが、どこなのでしょう」
そう尋ねると、出てきた女性は嬉しそうに地図を取り出してきた。
「あまりたいしたものではないのですが……」
少し申し訳なさそうにいいつつ、地図で場所を示してくれた女性は、また嬉しそうに言葉を続けた。
「近くに、大石誠之助の碑もありますから、こっちも見たほうがいいですよ!」
その一言で、ここが魅力的な街だと気づいた。

大逆事件で新宮からは大石をはじめ4人が無実の罪で捕らえられた

大石誠之助は、1867(慶応3)年に新宮で生まれた。同志社英学校などを経て渡米し、コックなどで学資を稼いで医学を身につけた。1896(明治29)年に帰国し新宮で開業医となった。世界各地を巡っている最中に社会主義に興味を持った大石は帰国後、社会主義雑誌に投稿をはじめ、新宮には多くの社会主義者やアナキストが立ち寄り交流を深めた。そのことが禍して1910(明治43)年に大逆事件に連座して逮捕された大石は、翌1911(明治44)年に「嘘から出た真」という言葉を遺して刑場の露と消えた。

大石は、幸徳秋水ら社会主義者と交流していたに過ぎず、大逆事件の容疑である明治天皇暗殺の謀議になどまったく関与していない冤罪だった。とはいえ、時の国家権力に危険な反逆者であるとして抹殺された人物ではある。それを、一見の観光客に過ぎないボクに薦めて来るあたりに、この街の底知れぬ魅力があるように思えたのだ。

通りがかりの人がめちゃくちゃ親切な街

街に一歩出ると、また新たな魅力に出くわした。まずは中上健次の生家跡を見ようと、教えられた方角に歩いてみた。どういうわけか見つからず、先に大石誠之助の碑……正確には、大逆事件の犠牲者顕彰碑に行き着いた。それから、またしばらく彷徨ってみたのだが、どうにも中上健次の生家跡が見つからなかった。どうしようかと思っていると、ちょうど犬を散歩している女性がやってきた。

尋ねて見ると、ちょっと考えてから少し先の建物を指さしていうのだ。

「お母さんは、あそこに住んでたんだけどねえ」

親切な女性は近くの知人の店に入っていきどこだか聞いて来て案内してくれた(目立たないので通り過ぎていただけだった)。

このちょっとしたやりとりで、この街にはただならぬ面白さが眠っていることに気づいた。以来、取材にかこつけて何度か街を探索している。

碑だと思ったら案内板。でも、これだけでも来たかいがあったと感じるから不思議

いま、東京や大阪の大都市圏から新宮に向かうのは一苦労だ。気軽な手段は、名古屋から特急南紀。あるいは、大阪から特急くろしおである。もちろん、時間さえ気にしなければ、鈍行でもたどり着くことができる。と、思って一度は春に鈍行を乗り継ぎ深夜に新宮駅にたどり着いて野宿した。春の南紀は存外に暖かくて蚊に食われまくったので万人には、オススメしない……。

街はモダン。でも観光客は通り過ぎ気味

大都市圏からは遠い新宮だが、もっとも知られた街のイメージは観光地だ。2004年に熊野三山が世界遺産に登録され、2016年には市内の阿須賀神社も追加登録された。でも、コロナ禍以前、和歌山県がインバウンドで栄華を極めていた頃から恩恵に預かっているとは言い難かった。街をめぐっても神社などではちらほらと観光客がいるものの、街が観光で賑わっているという雰囲気はない。観光のメインである熊野三山には観光客がいる。市内にある三山のひとつである速玉大社には観光客が多いのにも拘わらずである。

新宮名物浮島の森。ちなみに底なし沼もあるので勝手に入ると危ない

その理由はわかっている。新宮が観光地の中では通過型になっていることだ。周囲に紀伊勝浦のような温泉地があるので、たいていの観光客はそうしたところで宿泊する。だから、新宮はちょっと見て通り過ぎるだけのところになってしまっている。

あまりにもレトロなバスターミナルだったが、今は改築されてしまった

でも、これは非常に勿体ないことだ。もともと、熊野川の上流から切り出された材木の集積地として栄えた新宮はやたらとモダンな街である。今でこそ大都会から遠く離れた土地のように見られているが、太平洋に面した街は古来より交易で栄えて来た(なお、熊野灘は波が荒いので遊泳禁止)。

その繁栄の時代に培われた文化レベルの高さが街を面白くしているのである。前述のエピソードのように、ぶらりと街を訪れて面白さに触れることができる。そんな街は全国を探してもそうそうない。

山で食べるご飯は美味しい、美味しいけど辛い

とりわけ観光案内所なんて地域によっては、本当に通り一遍のことしか教えないものだ。それが新宮の場合は土地の人までも「余計なくらいに親切」という。何度目に訪ねた時だったか、お昼どきだったので観光案内所で「めはり寿司はどこで買うといいですかねえ」と訪ねた。そうすると、美味しい店を教えてくれるのはもちろん、こう付け加えるのだ。

この石段。毎年2月の祭りでは男性達が駆け下りるというからすごい

「神倉神社に登って食べるといいですよ」
神倉神社とは街を見下ろす山にある、残酷なほどに急な石段が名物の神社だ。ちょっと迷ったものの、確かに眺めのいいところで食べるめはり寿司は格段だった。

新宮の街を一望できるスポット。上りも下りも辛いが途中であったおじいさんは「毎日登ってる」といっていた

そう、別の時に神倉神社を参拝したら、運良く休日だったためガイドの男性がいた。そのガイドがご神体である巨大な磐座を「こっちから見なさい」というのだ。

とても存在感のあるご神体。なるほど、確かに御利益を感じる形だ

なんだろうと思って見てみると、それまでずっと丸い石だと思っていたご神体が陽根に見えた。
『桃鉄』をやっているだけだと、単に台風のよく来るところ。でも「ヨシノスギ林ってなんだよ」と思うなら、一度訪ねてみるのがいいだろう。ここは、噛めば噛むほど味が出る街だ。

書いた人

編集プロダクションで修業を積み十余年。ルポルタージュやノンフィクションを書いたり、うんちく系記事もちょこちょこ。気になる話題があったらとりあえず現地に行く。昔は馬賊になりたいなんて夢があったけど、ルポライターにはなれたのでまだまだ倒れるまで夢を追いかけたいと思う、今日この頃。