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Culture
2020.08.28

尻丸出し姿に外国人仰天。徳川家康、細川忠興らも愛用した「ふんどし」の歴史

この記事を書いた人

最近、「ふんどしパンツ」にハマっている私。かなり快適で、昔の人たちの知恵に感動する日々。これまで気にしたこともなかった「ふんどし」に興味津々♪ ってことで、本家「ふんどし」について調べてみました。まずは、歴史をひもといていきましょう~!

「ふんどし」から生まれた神様がいる?

さて、いきなりですがクイズです。「ふんどし」(のようなもの)っていつごろから使われていたと思いますか?

1. 古墳時代
2. 平安時代
3. 室町時代

答えは、なんと「1. 古墳時代」! 遺跡から出土した埴輪(男子)は、ズボンのような「ふんどし」をはいていたそうです。昔からあるとは思っていたけど、そんなに古くから使われていたなんてちょっとビックリしませんか?

さらに、日本書紀には、「ふんどし」から生まれたとされる開囓神 (あきぐいのかみ)が登場するんです。※古事記では、道俣神(ちまたのかみ)。道に関する神様だそうですが、袴(=「ふんどし」と考えられる)と神様ってなかなか結び付かない…日本書紀は、別の機会に深掘りしてみたいなぁ。

続いて、平安時代。この時代にも、『万葉集』や『信貴山縁起絵巻』に「ふんどし」が登場しています。ただし、日常生活で使われていたのか、どんな素材だったのかなどはっきりとしたことは分かっていません。

時代は進んで、鎌倉~室町時代には「ふんどし」は「手綱(たづな)」と呼ばれていたようです。布が高級品だったこの時代、身につけられたのは身分の高い一握りの階級だけだったようで、こちらも特別な記録は見つけられませんでした。

あれれ、「ふんどし」に関するエピソードってあんまり残っていないのか不安になってきました。
そういえば、下着ですもんね。歴史の表舞台に出てきても困っちゃうもんね。
ただし、心配ご無用! 戦国~江戸時代は、そんな「ふんどし」にスポットライトが当たります!

戦国時代は「ふんどし」が身分証明書替わり!?

室町時代と同じく、布がまだ貴重だった戦国時代。「ふんどし」を身につけられたのは身分が高い人だけ。戦死した人の身分は、「ふんどし」の有無で判断されていたと伝わります。
常に死と隣り合わせだった戦国武将や武士たちは、戦の際には常に勝負下着として「ふんどし」を身につけていたんでしょうか。そもそもふんどしの漢字は、「褌」=「衣+軍」。戦闘服に由来するという説もあり、戦国時代に一番しっくりくるような気もします。
いまとなっては知る由もありませんが、当時は、縁起のいい「ふんどし」の締め方や色なんてものがあって、ゲン担ぎをしていたのかも、とか、「死んでもカッコよく見えるふんどしとは」みたいな教えが各家毎に伝わっていたりしたのかな、なんていろいろ想像をかきたてられるなぁ。そのうち、『○×家のふんどし秘伝書』みたいなものがどこかから発見されないかなぁ。

越中ふんどしを作ったのは、細川忠興説

ところで、みなさん、ふんどしには主に三種類に分けられることをご存知ですか?
オールウエイズお尻丸出しではないんですよ。

(1)六尺ふんどし: お尻丸丸出しTバック状のアレです。長さ約180cm~300cm程度。六尺の長さ(約228cm)があったことからこう呼ばれているとか。浮世絵などにも描かれており、いまでもお祭りなどで見られます。
(2)越中(えっちゅう)ふんどし:お尻をやさしく包んだタイプ。六尺より着心地がゆるやかで長さは約100cm程度(三尺ほど)。
(3)もっこふんどし:現在のパンツに一番近いタイプ。紐パンツのようなイメージ。歌舞伎役者の女形が着用している。長さは約70cm程度。

このうち、越中ふんどしは戦国武将・細川忠興(=「麒麟がくる」で話題の明智光秀の娘 玉・ガラシャの夫)が考案したという説があります。(※他にも富山の置き薬の景品だった、など諸説あります)

当時のふんどしは六尺(約228cm)と長く、ぐるぐる巻きにするのが面倒だったそうです。そりゃそうだ。そこで、忠興は、当時の女性の生理用下着を参考にして、ひもに布を垂らした越中ふんどしを考案したと言われています。

脱ぎ着も楽になり、お尻丸出しじゃなくなった越中ふんどしは、画期的な発明として、さぞ、喜ばれたことでしょう。

忠興は千利休の影響を強く受けており、他にも、合理的で美しい甲冑や奥様の着物のデザインなども行っていたようです。いまでいうアートディレクターのような立ち位置でしょうか。武術にも文化にも秀でた逸材だったもよう。生きていたらいろいろインタビューをしてみたいものです。現場からは以上です!

旗印となった足軽・ふんどしヒーロー「鳥居強右衛門」

さて、他にも「戦国時代」「ふんどし」のキーワードで外せないのが、「鳥居強右衛門(とりいすねえもん)」。
天正3年(1575年)の長篠の戦い(織田・徳川連合軍 vs. 武田勝頼の闘い)で仲間を救ったヒーローとして、その名が伝わっています。

強右衛門が仕えていた「奥平信昌」という武将。織田信長・徳川家康の連合軍の一員として長篠城を守っていました。しかし、武田軍の攻撃が激しくなり、大ピンチ! 徳川家康に援軍を要請するために、使いを出すことを決意します。

この時点で城のまわりには敵がうじゃうじゃ。一歩外へ出るだけでも命の危険にさらされる状態だったのです。そんな中、家康の援軍要請のお使い役を買って出たのが強右衛門でした。
無事、城を脱出した彼は、翌日には家康のいる岡崎城に到着。援軍が来ることを確かめ、すぐに帰路につくのですが、途中で敵の武田軍に捕らえられてしまいます。

武田軍からは、命を助けるかわりに長篠城前で「援軍は来ない」と伝えろと言われた強右衛門。
しかし、お城で、彼は仲間に向かってこう叫んだのです。
「あと数日で援軍が来る! それまでがんばれ!」
この言葉を聞いた長篠城内の士気はめちゃくちゃ上がったそうですが、結果、武田側の怒りを買った強右衛門は処刑されることになりました。

「熱い! 無事の鏡! かっこよすぎて惚れてしまうやろ~!」と思ってしまう彼の行動は、敵将・武田家の家臣の心をも動かしました。強右衛門の行動に感動した「落合佐平」は、強右衛門が磔にされた姿を武者絵にして、戦いの際に旗として使ったそう。ふんどし一丁姿の足軽が描かれた旗は、かなりのインパクトです。
こういった美しき男前エピソードは、時代を超えて人の心を打ちますね。

今回は、簡単にまとめちゃいましたが、人間味あふれる彼の物語を詳しく知りたい方はぜひ、こちらの記事を読んでみてください。
▼ 詳しいエピソードはこちら
長篠合戦のゆくえを変えた?人間味あふれる鳥居強右衛門・命がけの決断とは?
https://intojapanwaraku.com/culture/107138/

美術館に家康公のふんどしが残るって本当?

江戸幕府を開き、後世、神様となった徳川家康公もふんどしの愛用者だったようです。
家康公と言えば、「汚れても長く使える薄黄色のふんどしがおススメ!」と家臣にも使用を薦めていたケチエピソードが広く知られていますが、薄黄色のふんどしを使っていた証拠が今も残っているんです。

平成27(2015)年8月1日~9月13日まで徳川美術館で開催された「徳川美術館・蓬左文庫開館80周年記念夏季特別展没後400年 徳川家康-天下人の遺産-」で、なんと家康公の「ふんどし」用の麻布が公開されていたんです!
「白麻地下帯※1 (しろあさじしたおび)」の名の展示物でした。
※1「ふんどし」と呼ばれるようになったのは江戸時代後期からという説が有力。それまでは下帯と呼ばれていました。

たしかに、薄黄色のふんどし布! 「逸話は、本当だったんだ~」となんだか家康公を身近に感じられました。

江戸時代、ふんどしは、レンタルショップNO.1の大人気商品だった!?

江戸時代になると、絹・麻だけではなく木綿を使用した「ふんどし」が流通しはじめ、一般庶民にも広く普及していきます。

【諸國瀧廻リ 相州大山ろうべんの瀧】 葛飾北斎画/江戸時代(出展元:The Metropolitan Museum of Art )

とはいえ、木綿もまだまだ庶民にとっては高嶺の花。六尺ふんどしを新品で購入すると、250文(約5,000円)だったとか。この値段だとなかなか手が出ませんね。
お祭りや吉原の遊郭での勝負下着には、「レンタルふんどし」を使うのが常識だったそうです。
今の感覚だとパンツのシェアは「ちょっとムリー」という感じなのですが、当時のレンタルショップ(損料屋)の主力商品は「ふんどし」だったそうな。
今でいう「ロレックスの時計してます」的なステイタスだったのかな。男のたしなみだったんでしょうか。
ふんどしを見せるのが粋みたいな文化もあったようですし。
ちなみにレンタル料は60文(1,200円)と言われており、決して安くはない金額です。
では、なぜ、レンタルふんどしが繁盛していたのか?

一説によると、独身男性(武士)が自分でふんどしを洗濯することが屈辱的だったから、らしいです。

江戸時代の人口比率は、男性100:女性55で独身男性の比率が高い=独身だと洗濯もしゃなきゃいけない。でもね、当時の洗濯は共同井戸で行っていて女性に交じっての洗濯は屈辱的だったんだそうです。

【洗濯と張り物】 鳥居清長画/江戸時代(出展元:The Art Institute of Chicago )

専門家によると、そもそも、損料屋があったのかどうかも論争が分かれるらしいのですが。
「文久年間(幕末の1861年~1864年)、江戸に暮らした老人が248文でふんどしを購入、使って汚れたら60文支払うと新しいふんどしを渡してくれる店があった」との記録(大正時代の資料)が残っているそうで、金額などはこの逸話がベースになっているのではないかと言われています。

浮世絵にも描かれたふんどし

江戸時代は、公衆浴場が多く混浴だったらしいのですが、男性は入浴用ふんどし、女性は湯文字(ゆもじ):腰にまく布のような下着をまとっていました。

【風俗東之錦 爪切】鳥居清長画/ 江戸時代(出展元:The Art Institute of Chicago )

この時代まで、基本はノーパンだった女性に下着の概念が生まれた時代と言えるかもしません。

【東海道五十三次之内 亀山】歌川広重画/ 1842年ごろ(出展元:The Metropolitan Museum of Art )

【通俗水滸伝豪傑百八人之一個 浪子燕青】 歌川国芳画 /江戸時代(出展元: The Art Institute of Chicago)

ふんどし、浮世絵にも数多く描かれていますね。
こう見ると、みなさん見事なお尻を披露していますね。当時の男性はお尻のケアをしていたとかしていなかったとか。とにかく、お尻丸出しでも恥ずかしいなんて意識はなかったようです。なんだか開放的でいいなと感じてしまうのは私だけ!?

ふんどしよ、さようなら、ではなく

時代が急激に変化した幕末~明治時代。数多く訪れるようになった外国人がお尻丸出しの姿をみて仰天! 文化の差にとまどっていたようで、近代国家として西洋の仲間入りをしたかった明治政府は、ふんどしの使用を法律で禁じ、表舞台から消えてしまうのです。
なんだか悲しい。

しかし、現在もお祭りや相撲でふんどしは使われていますし、「健康に良い」と言われ何度かブームも起きていて、「ふんどしスピリット」は脈々とうけつがれているわけです。

【東都三ツ股の図】 歌川国芳画/江戸時代(出展元:The Metropolitan Museum of Art )

エコバックなどリサイクルが推奨され、「江戸暮らし」がまた脚光を浴び始めた今日このごろ、みなさんも「ふんどし」に思いを馳せてみませんか?

そういえば日本では、男女とも、明治ごろまで一般庶民は下着をつける習慣がなく、フリーダムだった時代が長かったようで。冒頭の漫画で描いた「パンツに不満を持った」ってのも日本人のDNAから生まれた感情だったのかしら?

たった一枚の布、ふんどしでここまで話が広がるなんで正直考えてもいませんでした。
ふんどし、奥深し、おそるべし。

【参考文献】
泉 秀樹著(PHP研究所)/ 歴史人物・とっておきのウラ話/ Kindle 版
brilliant出版著/法律、歴史、語源の雑学550種類: 『専門家も知らない知識の宝庫』Kindle版
【参考リンク】
日本ふんどし協会 http://www.japan-fundoshi.com/
江戸時代、吉原遊郭での勝負下着に男たちはレンタルふんどしを使っていた!?(Japaaan)https://mag.japaaan.com/archives/66729

書いた人

身長144cmの小さなデザイナー。すだち、阿波踊りが外せない徳島県出身。祭り、神社仏閣、歌舞伎、旅にお酒好き。新橋の立ち飲み居酒屋で、呑み友達とくだらない話をしながらお酒を飲んでいると笑いの神が降臨。お酒の失敗談で本が出せます。