「FUNK FUJIYAMA」という米米CLUBの曲をご存知でしょうか。
今からちょうど約30年前となる1989年に、彼らの9枚目のシングルとして発表された曲なのですが、おおよそバブル期のニューミュージックでは聞き慣れない曲調に、SUSHI、GEISHA、FUJIYAMA、SAMURAI・・・等々、日本文化に対するステレオタイプ的なキーワードをぶちこみまくったお気楽なパーティーチューンです。
中学生になって歌番組を見始めたばかりだった当時のウブな少年にとって、この一種異様なテンションの歌詞は鮮烈でした。未だにカラオケでしっかり歌えるほどです。(年なのでもう歌わないけど)。
あれから30年後、実は2020年になった今も、外国人が日本文化に対して抱いているイメージは、「SUSHI」であり「GEISHA」「FUJIYAMA」なのですよね。
こうした、一種ステレオタイプ的ともいえる日本文化に対するイメージを外国人に強烈に根付かせたのは、いったい何だったのでしょうか?
そう、それは「浮世絵」の存在です。明治時代、数多くの画商やコレクターによって日本から凄い勢いで西欧諸国へ拡散した浮世絵は、欧米で「ジャポニズム」ブームの火付け役になるとともに、FUJIYAMAやGEISHA、SUMOやSUSHIといった日本文化を紹介する強力なメディアでもあったのです。
太田記念美術館で今回開催される「ニッポンの浮世絵」展は、こうした浮世絵に描かれた日本のイメージを、描かれた主題やモチーフ別にじっくり見ていこう、という意欲的な展覧会です。
そこで、展示概要から、浮世絵の様々なモチーフを見ていくときの鑑賞ポイントを、本展を企画・監修した同館の主席学芸員・日野原健司(ひのはらけんじ)さんにお聞きする形でご紹介していきます。たっぷりの広報用画像も特別にお借りすることができましたので、最後までごゆっくりお付き合い下さいませm(_ _)m
「ニッポンの浮世絵」展とは?
実はこの展覧会、当初は東京オリンピックの開催期間中に実施される予定でした。ターゲットは、来日した外国人観光客です。彼らに、浮世絵を通して日本文化を紹介したい!という思いで企画・制作が進んでいたのですね。
しかし、ご存知の通り年初からのコロナ禍によって、オリンピックは1年延期に。太田記念美術館でも6月末まで全館休館を余儀なくされ、本展の実施可否や企画コンセプトを再検討する必要に迫られました。
結果的に、本展は当初スケジュールよりも約4ヶ月遅れとなる11月14日(土)から、無事開催されることになりました。
でも、企画内容はそのままということではありません。少しだけ微調整されているんです。
具体的には、展覧会名と同一コンセプトで制作された小学館の単行本「ニッポンの浮世絵」(2020年9月発売)に完全連動する形へと変更されました。展覧会へ出品される70点全てが同書掲載作品から選ばれることになったのです。
本書は、もともと展覧会とは独立した関連書籍という位置付けで企画された浮世絵入門書で、本書掲載作品と展示作品は重複する予定ではなかったそうです。しかし、それが完全連動へ。ほぼ「公式図録」に近い形へと格上げされたわけです(※会期中、展覧会場でも販売される予定)。
「見たいけど、このご時世なのでどうしても遠方から来ることが難しい」という方もこれで安心。「ニッポンの浮世絵」を買えば、展覧会に行った気分を確実に味わえるのです。
そう、これが企画変更の狙いだったのですね。太田記念美術館の粋な計らい、さすがです!
日野原学芸員にぶつけてみた!ニッポンの浮世絵をめぐる素朴な疑問点とは?!
江戸時代の庶民の「衣食住」や「娯楽」など、生活文化の全てが描かれていると言っても過言ではない浮世絵。本展では、そんな日本文化のルーツを感じられる様々な浮世絵が、代表的なモチーフ別に整理して展示されます。
ここで、1つ1つ王道的にモチーフを日野原学芸員に解説して頂いてもよかったのですが、そこは浮世絵に力を入れている和樂web。過去記事を検索すると、いくらでもモチーフを掘り下げて解説した優良記事が出てくるんですよね。
それであれば、ここは少し変化球的な感じでいってみようかな・・・ということで。
今回は、
・当たり前過ぎて美術ライターが聞かないような初歩的な疑問
・入門書に掲載されていない素朴な疑問
に絞り込み、「7つの疑問点」という形で日野原学芸員にお聞きしてみました。
日野原学芸員の的確な解説を読み進めることで、きっと展覧会の全体像がつかめるはずです。
それでは、ここからインタビュー形式でしばらくお楽しみ下さい!
疑問点①:浮世絵には富士山の絵がなんでこんなに多いの?!
- まず最初の質問では、日本文化の象徴「富士山」についてお聞きしたいと思います。江戸時代の浮世絵でも、「GREAT WAVE」として知られる葛飾北斎「神奈川沖浪裏」をはじめ、富士山を描いた有名作品が数多く知られていますよね。それにしても、浮世絵ではどうしてこんなに富士山の絵が多いのでしょうか?
日野原:厳密にいうと、富士山をメインテーマとして描いた浮世絵というのはそれほど多くはないんですよ。
- えっ、そうなんですか?!それは意外でした。
日野原:富士山を題名に入れた有名な錦絵の揃物としては、
多いのは江戸の名所を描いた作品ですね。江戸で「名所」となると、必然的に富士山がよく見える場所は人気スポット化していくわけです。日本橋や御茶ノ水、駿河町といった富士山が見えるスポットを描く時、絵師はその場所を象徴するモチーフとして富士山を描かないわけにはいきませんからね。
- つまり、最初から富士山を描こうとしたのではなく、人気スポットを描いたら、富士山は欠かせないモチーフだった、ということなんですね。なるほど・・・。でも、どの作品を見ても、実際のサイズよりも絶対大きく描かれていますよね?!
日野原:それはもう完全に誇張ですよね(笑)。ですが、日本の絵画の歴史を振り返ると、狩野派の屛風絵や掛け軸でも富士山は必要以上に大きく描かれる存在でした。日本絵画では、モチーフが実際にどう見えるかよりも、描き手と対象の間の心理的な距離が優先されるため、主要なものを大きく描くというのが伝統的なんです。浮世絵も、基本的にはその考え方を踏襲していると言えますね。
- この日本橋の作品などは、絶対大きいですよね?!(※しつこく食い下がりました)
日野原:角度的にも少し見える方向が調整されているようですし、現代人の感覚から見ると大きすぎますよね。ですが、逆にいえば、実際の人間の目で見た大きさで対象を描くということは、西洋のものの見方に過ぎないんです。江戸時代の庶民の感覚とは違う。彼らが感じていた富士山に対する心理的な距離を考えると、浮世絵の中に出現する大きな富士山は、ある意味適切に描写されているともいえるわけです。きっと当時の人にはごくごく普通に受け入れられていた表現なんだと思います。
疑問点②:江戸時代のお花見を描いた作品はなぜこんなに人だらけなの?!
- つづいては、「桜」にまつわる質問です。浮世絵の中には、桜の季節にお花見を描いた作品がたくさん残っていますよね。でも、今私たちがSNSで「ばえ」そうな写真を撮るなら、できるだけ人が入らないようにして花だけを写そうとするのに、当時のお花見系の浮世絵って、やたら人だらけですよね?
日野原:確かに、「桜」をテーマに描かれた作品は、花を見ながら宴会をしている人々の様子だったり、人々の生活風景を描写した一部として描かれていたりするものが多いですね。当時の人々には、暮らしの日常風景に花がある、いわば「花のあるくらし」を楽しみたいという感覚が強かったのだと思います。また、浮世絵師の感覚も今のSNSで「いいね」を狙う私たちとはちょっと感覚が違っていたはずです。
-えっ?それはどういうことなんでしょうか?
日野原:彼らは、花そのものの美しさを描くというよりも、桜の名所での宴会シーンや、吉原遊郭の中で満開になった桜の様子など、暮らしの中の一場面としての桜を描きたかったのです。アマチュアの写真好きの方が桜のきれいな写真を撮るぞ、というような感性ではなく、テレビ局の人たちが花の賑わいを報道するような、どちらかというとそんな感覚に近かったわけです。
- なるほど!すると私達が鑑賞するときも、Instagramで花を愛でる感覚とは少し変わってきますよね。
日野原:そうですね。花を愛でる、というよりも、絵を見ながら自分がその浮世絵に描かれた場面にいるところを想像しながら見ると良いと思います。浮世絵の中には、様々な形でお花見が描かれています。自分の好きな絵を見つけて、その中に入り込むことで、江戸時代に花見を楽しんでいた人達の心とは私たちは、案外近いところにいるのだな、というところを感じてもらいたいですね。
疑問点③:天ぷらを豪快に食べる女の謎とは?!
- さて、それではそろそろ「食」についての質問に移ります。本展では、浮世絵の中に描かれた江戸の食文化も紹介されていますよね。中でも、「みどころ」として特にHPでもクローズアップされている月岡芳年「風俗三十二相 むまさう 嘉永年間女郎之風俗」は食事シーンを描いた浮世絵では定番の人気作品ですよね。でもこの女性、見れば見るほど非常にミステリアスな感じがします。この女性はどんな人で、どんなシチュエーションを描いているのでしょうか?
日野原:タイトルに「女郎」と入っているので、まず遊女を描いているとみていいでしょう。江戸時代末期(嘉永年間)の風俗で、かつ、きちんと簪(かんざし)や櫛(くし)も挿さず、プライベートっぽいラフな感じで描かれていることから、吉原遊廓の花魁(おいらん)というより、品川あたりの岡場所にいる遊女かなという感じがします。
- これは、なぜ品川(高輪)の海辺の料亭だとわかるのですか?
日野原:そうですね、美しく月が映えていて、女性の欄干の背後が水色っぽくなっていますよね。これは明らかに何か水のような感じになっていますので、海辺の近くなのかなと。江戸時代、海辺の近くで遊女が多くいた場所といえば品川宿が有名でしたので、月見が映える食事処というと、場所は品川あたりの料亭なのではないかと推理できますね。
-凄い!たったこれだけの手がかりで場所が特定できてしまうものなのですね!
日野原:吉原遊廓の中だと、多分こんなラフな格好で月を見て天ぷらというのはちょっと違うかなという感じがしますしね。
-ちなみに、天ぷらは江戸時代には屋台などで気軽に食べられるファストフード的な存在だったと聞きますが、そうするとこれは屋台で購入して持ち帰った天ぷらなのでしょうか?
日野原:天ぷらのルーツでいえばそうです。最初は屋台で売られていたファストフード的な位置付けでした。でも、幕末頃になってくると蕎麦や寿司と同じく、実際に店舗を構えたお店の中で食べる型式も増えてきているんです。ただこの絵の場合だと、天ぷらを専門に出す料亭で天ぷらを食べているというよりは、料亭の座敷のようなところで、出ている食事として天ぷらを食べているのかな、というイメージですね。
疑問点④:浮世絵の「食」のシーンには水場がセットで描かれることが多いのか?!
-ところで、さきほどの天ぷらの作品もそうですが、浮世絵で食事の場面が描かれている絵には、こういった水場とセットになっているシーンが多いなというイメージがあります。
日野原:神田川沿いには屋形船、屋根船が停泊していて、そこに芸者などが乗り込んで乗客と客に提供する料理も一緒に運んで川遊びを楽しんでいたはずです。ですから江戸時代は川辺に沿って高級料亭がいくつもあって、この絵のように船着き場と連結した裏口から舟へと食事を運んだり、というケースがありました。少なくとも、江戸庶民の生活では舟を利用した水上交通網がより現代よりも遥かに身近なものとしてあったのではないかと思いますね。
逆に、浮世絵には美人が何かを食べていたり、美人が料理を作っていたりというシーンはよくありますが、料理そのものにフォーカスした作品ってあんまりないんです。
-えっ、それはなぜなのですか?
日野原:普通の食事シーンや何の変哲もない大衆居酒屋や一膳飯屋を描いた場面が描かれづらいのは、浮世絵では、大勢の人が集まってくる場所だったり、華やかな高級料亭や遊郭であったりと、特徴となるべきハレの場におけるモチーフとして「食」の場面が描かれるからなんです。つまり浮世絵というのは、江戸時代の人々の日常の生活のありかたを、なんでもありのままに描いているわけではないんです。あくまで非日常感のあるハレの場が描かれることが多いのですね。
-なるほど・・・言われてみれば吉原も歌舞伎座も花見も寺社仏閣も、全て非日常感あふれる特別な場所ばかりですね!
日野原:そうですね。ですから、人が群がり華やかな高級料亭や屋台などは、必然的に水上交通の要所である海沿い、川沿い、水路近辺に必然的に集まってくるわけです。そして、人が賑わう非日常的なハレの場のほうが浮世絵のテーマになりやすいから、必然的に食事が描かれる作品は、海辺や川、水路といった水場のあるシーンと結びつきやすいのかな、と思いますね。
疑問点⑤:風景画に描かれた風変わりな人物はだれなのか?!国芳の残した謎とは?
- 続いては、出品作の中でも特にインパクトのあるこの作品についてお聞きします。この達磨大師(だるまたいし)みたいな人物が蕎麦をたくさん食べている絵には、どんな意味がこめられているんですか?見た目は凄いのですが、一体何を意味しているのか全然わからなくて・・・。
日野原:これは、歌川国芳の「木曽街道六十九次」というシリーズの一枚です。広重の「東海道五十三次」と同じように、江戸から京都へと向かう、中山道に69箇所ある宿場町の一つである「守山宿」の様子を描いています。
このシリーズは、なんとなくダジャレや語呂合わせみたいなものが多いんですよね。まず、「守山(もりやま)」という言葉自体から、山のような「もりそば」ということで、蕎麦が山盛りになっている様子が描かれているのだろうなと。
-ええっ、子供でもわかるようなストレートな語呂合わせなのですね?!
日野原:でもそれだけじゃないんです。他にも言われているのが、達磨大師のエピソードに掛けたダジャレです。達磨大師といえば、壁に向かって9年間も座禅して修行を重ねてきたことにちなんで「面壁九年」(めんへきくねん)という言葉があります。この「面壁」から「麺へぎ」、要するに麺とへぎ盆を連想される洒落が含まれているという説もあります。
-それは結構高度ですね(笑)。それにしてもこの絵、見るからにおかしいですよね。
日野原:そうでしょうね。ひげだらけのお腹の出たおじさんが、半裸で山盛りのそばを食べている、という国芳のユーモアに対する表現力は、鑑賞のポイントだと思います。現代人の感覚でも十分面白さを感じてもらえる作品です。
疑問点⑥:なぜ浮世絵の美人はみんな顔が同じなの?
-ぶっちゃけたことをいいますと、浮世絵の美人画ってみんな同じ顔ですよね。例えば、この鳥居清長の作品。ほぼ全員、表情だけでなく、燈籠鬢(とうろうびん)に簪の挿し方など、髪型まで同じに見えますよね。同じ顔で統一された美人顔は、浮世絵のイメージを幅広く定着させる一方で、「浮世絵は難しい」と思われがちな要因の一つでもあると思います。でも、そもそもなぜ浮世絵の美人ってみんな同じ顔なんですか?
日野原:そうですね。歌舞伎役者を似顔絵のように描く役者絵では、各絵師はかなり描き分けようと意識していますが、女性が描かれる美人画では、浮世絵師はあんまり顔の描き分けはしていないですよね。これに関して、一言で言える明確な理由はないのですが、いくつか挙げてみましょう。
まず、江戸時代は年齢や身分に相応して服装が慣習的に決まっていましたので、人間を見極める重要なファクターが「顔つき」よりも「ファッション」にあったことが考えられますね。例えば若い女性だと島田髷(しまだまげ)を結って、結婚すると丸髷(まるまげ)にして眉毛を剃る、といった外見的特徴のほうが、どうしても力を入れて描写するポイントになったのでしょう。
- なるほど!他にはありますか?!
日野原:そもそも女性の似顔絵を描くニーズがなかったこともありますね。固定ファンがついているような有名な歌舞伎役者と違い、身近な町娘をモデルにする美人画の場合は、似せる必要がなかった。写真もない時代ですからなおさらですね。
また、モラル的にも幕府からたびたび厳しい規制を受けました。花魁や芸者も含め、一般の女性を絵にして描くということは、風紀が乱れるから良くないとされた時代もありました。女性の似顔絵を描くことが幕府から問題視されるのであれば、積極的に描こう、という流れにはなりづらいですよね。
-歴史の教科書でも有名な「寛政の改革」「天保の改革」が行われた時期は、浮世絵に対する規制が特に厳しかったといいますよね。
日野原:さらにもう一つ挙げてみるならば、江戸時代の女性の「美」の基準も浮世絵師の作風に影響している可能性があります。
-えっ?それってどういう意味なんですか?!
日野原:はつらつとした笑顔が喜ばれる現代と違って、江戸時代の女性の美意識では、歯を出して笑わない、人前ではすました表情をキープする、といった具合に、感情を表に出さないようにすることが重要でした。ですから、浮世絵で美しい女性を理想化して描く時、笑顔よりもすました無表情の顔つきのほうが大事にされていたとも考えられます。そうすると、結果的には似たような顔つきにならざるをえないですよね。
- それはわかりやすいですね。やはり、初心者の方が美人画を見る時は、顔にこだわるのではなくてファッションや髪型といった部分に注目したほうが楽しめる、ということでしょうか?
日野原:そうですね。現代の私達ですと、特に女性の美しさを見る時に、心の内面や人間性を顔の表情や感情から読み解きたくなるところだと思います。ですが、浮世絵の場合は必ずしも感情が絵の前面に出ているわけではありません。
ですから、人物への共感というよりも、ファッションや髪型も含めて、人物が絵の中に置かれたシチュエーション全体を読み取ってみると、見えてくるものがあると思います。この女性はどういう状況で、今何をしているのかな、と。美人画の場合はそのほうが鑑賞がはかどりやすいと思いますね。
疑問点⑦:浮世絵に描かれた美人画の見どころって?ファッションはどう見たらいいの?
-それでは、美人画でファッションに注目するなら、どこを見ればより楽しめるでしょうか?鑑賞のポイントを教えて下さい。
日野原:浮世絵に描かれた女性の着物は、時代によってもかなりの変遷がありますし、着物の構造に詳しい人がみると、紐の結び方や縫い目レベルで細かく探求できるといいます。特に歌川国貞はディテールにこだわって描くことで有名ですね。
ですが、着物に詳しい人ということでなければ、もう少しわかりやすい部分から入っていくのがいいでしょう。まずは、女性が着ている着物のデザインや、色、形を観察して見て下さい。案外、隠れた模様なども見つけられたりします。
-たとえば、どんな?
日野原:たとえば先日Twitterで教えていただいたのですが、この歌川国貞の作品を見て下さい。
光と影の対比と言えば、最近は葛飾応為が注目されますが、歌川国貞も負けていません。国貞は月の光が生み出す影で勝負。満月を眺める女性の右半身を薄暗くし、欄干や簾、煙草盆の影をしっかりと描写。現在展示していませんが、『ニッポンの浮世絵』(小学館)に掲載。https://t.co/W4h4MPUThP pic.twitter.com/xrEeEYZQwH
— 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art (@ukiyoeota) October 7, 2020
日野原:月の光に照らされた美人がポーズを付けている作品ですが、ここでは彼女の着物の帯に注目してみて下さい。
- 茶色の帯ですね。
日野原:その茶色の帯をじっくり見て下さい。帯にゾウの模様が描かれているのが見えますか?
こちらの女性の帯の模様、たしかにかわいらしい象柄になっていますね。指摘されるまで気が付きませんでした。ご指摘いただいたshizu takeyamaさん(@delfloria55)、ありがとうございます。 pic.twitter.com/ysb38ZcLYM
— 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art (@ukiyoeota) October 7, 2020
日野原:江戸時代には、日本にはゾウはいないはずですよね。ということは、おそらく長崎経由で伝わってきた海外製の布を使っているのかなとは思います。普段から毎日浮世絵を見てきた私たちでも気づかなかったような、こんな面白い模様が隠れているわけです。
-凄い!!
日野原:美人画に描かれたファッションを見る時、パッとみたところではまず「色」などが目に入ってくると思います。ですが、もうちょっと目を凝らして、詳細な柄などもじっくり見てみると意外なものが見つかるので面白いですよ。
日野原学芸員がオススメする「ニッポンの浮世絵」展で絶対見たい3つの浮世絵作品
ここまで、展示作品を見ながら「ニッポンの浮世絵」についての素朴な疑問を日野原学芸員にお聞きしてきました。ここからは、本展に出展される全作品の中から、日野原学芸員に「和樂web読者に特にオススメ」なベスト3作品を選んでいただきました。
太田記念美術館に所蔵される10,000点以上の作品を知り尽くし、浮世絵のことならどんな質問でもズバズバ即答で答えてくださる日野原さんが、約2分と異例の長考に沈み、そして満を持して挙げて頂いた3作品です。ぜひ、会場でじっくり御覧ください!
日野原学芸員激推し作品1:歌川広重「東都名所高輪廿六夜待遊興之図」
現代ではもう廃れてしまった月見の風習に、旧暦7月23日の夜中に登ってくる月を楽しんだ「二十六夜(にじゅうろくや)待ち」があります。本作は、当時二十六夜待ちの名所とされた品川・高輪海岸付近の夜の賑わいを描いた有名な作品。日野原さんは、ここではぜひ「屋台」に注目してほしいといいます。
日野原:海岸沿いに並ぶ屋台には、団子屋、天ぷら屋、寿司屋など色々並んでいますよね。江戸の屋台文化を伝える賑やかな作品なので、是非屋台の一つ一つをくまなく、じっくりとチェックしてほしいですね。昔の屋台ってこんな感じだったんだろうなと。ちなみに、画面左下に見える、かぶりものを着た「タコ人間」は毎年当館のTwitterでもハロウィンの時期に紹介していますが、いつも大人気です(笑)。
10月31日(土)はハロウィン。江戸時代にもこんなタコのコスプレ?をした人がいました。周りに三味線や鼓を持ったり、漁師のような腰蓑をつけたりした仲間たちがいるので、これからタコ踊りの出し物をするのでしょうか。来月11/14から原宿の太田記念美術館で開催の「ニッポンの浮世絵」展に展示します。 pic.twitter.com/Ny3k73C7o0
— 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art (@ukiyoeota) October 28, 2020
- えっ、どれどれ、・・・確かにいますね。ちなみにこれは広重の創作だったのでしょうか。
日野原:実はそうともいい切れなくて。実際にタコのきぐるみを着ている男が写った戦前の古写真が残っているので、江戸時代のお祭りではこういったタコの踊りが楽しまれていた可能性は十分ありますよ。
- なるほど!江戸時代のタコのコスプレをする男、これはぜひ生で楽しんでみたいですね!
日野原学芸員激推し作品2:歌川国郷「両国大相撲繁栄之図」
現代でも日本の国技として幅広く楽しまれている「相撲」の発祥は江戸時代。両国で興行が定期的に開催されるようになってから、両国近辺の相撲興行の賑わいを描いた浮世絵も数多く作られています。
しかし本作は賑やかですよね。会場となった回向院の境内にはとんでもない数の人々が・・・!2020年のコロナ禍の現状では考えられないほどの人口密度ですよね。超大入り満員です。江戸時代の相撲人気の凄さが伝わってきます。日野原さんは、この作品から江戸時代と今を比べて「今でも変わらない点、昔と全く違う点」を見つける楽しみを味わってほしいといいます。
日野原:櫓(やぐら)や幟(のぼり)があって、土俵を取り囲むように観客席があるのは今も変わらないですよね。江戸時代は両国国技館ではなく、回向院(えこういん)の境内に御簾や壁を作って、入場客から木戸銭を取って、囲いの中で興行が行われていました。雰囲気は結構今と似ているので、確実に今の相撲のルーツをこの絵の中に感じることができますよね。
日野原:ですが、よく見ると、現代と違う点も多々見つかるので面白いですよ。たとえば、今は相撲中継の邪魔にならないように、土俵の屋根は神社によく見られるような神明造(しんめいづくり)の吊り屋根になっていますが、当時は土俵の四方に柱があって、その上には三角形の切妻屋根が載っています。また、当時の興行日程は年2回、晴天10日間でした。今よりもかなり短かったわけです。ぜひ、すみずみまでじっくりご覧頂きたい作品です。
日野原学芸員激推し作品3:鈴木春信「雪中鷺」
最後に日野原学芸員が挙げてくださった作品は、雪の中に白いサギが2羽止まっているだけの非常にシンプルな作品。にぎやかな画面が目立つ他の作品と比べると、一見非常に地味に見えますが、この作品のどこにそれほどの魅力があるのでしょうか?
日野原:本作品で是非見ていただきたいのは、「きめ出し」という、紙に凹凸をつける木版画ならではのテクニックです。鳥の羽根や積もった雪、舟のかたちなど、立体感を出すために紙に盛り上がりをつけています。
これはおそらくスマホやモニター越しの画像上ではわかりづらい点なので、ぜひ展示室で生の作品を見て頂きたいですね。江戸時代の浮世絵を手掛けた彫師さんや摺師さんのテクニックがこうしたこだわりの中に隠されているのだな、というところを是非見てもらいたいです。
現代人から見ると、浮世絵の中の世界はまるで異国文化?!新鮮な気持ちで楽しめる展覧会!
最後に、どんな方に展覧会を見てもらいたいか、日野原学芸員に締めくくって頂きました。
「最近、『和』のライフスタイルが見直されていることもあって、江戸時代の暮らしに興味を持つ人が増えていると思います。でも、昨今は世代間の交流や時代劇のTV放送なども減りましたし、どこを入り口にしていいのかわからない、という世代の方は意外に多いのではないでしょうか。そういった中で、『和』の暮らしの最初の入り口として、本展の浮世絵を気軽に楽しんでもらいたいですね。」
もともとは、来日観光客を意識して企画された「ニッポンの浮世絵」展。でも、よく考えたら、私たち現代人から見れば、江戸時代の暮らしはすでに一種の異世界(?)に近いところがあるのも確か。そういう意味では外国人観光客と同じような新鮮な視点で見られるのかもしれません。
浮世絵に描かれた約200年前の日本と、2020年の日本。今も変わらないものもあれば、今とは全く違っているもの、それぞれ浮世絵の中にたっぷりと発見できることでしょう。ぜひ、浮世絵の中の「ニッポン」を気軽に楽しんでみて下さい!
展覧会基本情報
展覧会名:ニッポンの浮世絵 ―浮世絵に描かれた「日本のイメージ」
会期:2020年11月14日(土)~12月13日(日)
休館日:11月16、24、30、12月7日
会場:太田記念美術館〒150-0001 東京都渋谷区神宮前1-10-10
公式HP:http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/