書家・石川九楊先生に聞くそもそも「書」とは?
「書」とは何かと問われれば、ひと言で言うならば、文字通りに書くことであり、書かれたものであると言えるでしょう。「書」は動詞の「書く」と、名詞である「書かれたもの」という、その双方にまたがるものなのです。
では、書を楽しむにはどうしたらいいか。これは「書の見方」ということになりますが、書は美術品のように形や色をいろいろと分析するのではなくて、書かれた過程を再現するように書きぶりを見て行くこと、それが書を楽しむ唯一の方法となります。
再現して見て行くには、一点一画を順になぞってみるとよいでしょう。とくに始まり(起筆)と途中(送筆)と終わり(終筆)に目をとめて、その書きぶりを触角的に感じとっていくことです。そこから書き手の筆の先端と紙との間でくり広げられている力(深度、速度、角度)の劇がよみがえり、その書を書いた人間が、どのようにしてその書を書いたかが手にとるようにわかります。
「書こそ最高の芸術だ」とか、あるいは「書は奥が深い」ということをよく言いますが、それはなぜかと言うことを考えることも、「書とは何か」の答えにたどり着くひとつの道筋になると思います。
書は奥が深いとか、書は最高の芸術だと言われるのはなぜか。それは、人類にとって書くこと、あるいは書かれたものが何を意味しているかを考えてみれば自ずとその答えは見えてくるでしょう。
我々人類は書くこと、書かれたものによって言葉を豊かにし、心を耕やし、それに応じて文明を発展させて来たということです。つまり、「書」というものによって、現在のあらゆる文明や歴史が成り立っているというわけです。そこに書は奥が深く、最高の芸術だと言われる由縁があるのです。
石川九楊『二〇一一年三月十一日雪――お台場原発爆発事件』 60.0×94.0㎝ 2011年3月11日に発生した東日本大震災と、それに端を発する福島第一原発の事故。その事実をモチーフにして、書家・石川九楊さんが文をつくり揮毫した作。現代書家の最高峰と呼ばれる石川さんの日本の現在に対する思いがここに詰まっている。
人類史を紐解けば、人間が二足歩行をはじめ、道具と火と言葉を使うようになって200万年経つと言われますが、私たちの祖先が書くことに出合ったのは、東アジアではたかだか3300年ほど前のことです。その原初が何かと言えば、3300年前ごろに登場した甲骨文(こうこつぶん)と呼ばれる占いの文。東アジアで初めて文字を書くことになったのは、亀の甲羅や骨に刻み付けた占い、つまり天に対しての問いかけでした。天の神に対して「恵みはあるか」「雨は降るか」という短い占いの文章を刻み付けたことに始まり、それがやがて王の行状記(ぎょうじょうき)になり、王を誉め称える長い文になり、それが詩になり歌になり、さまざまな文へと発展することで、人類は言葉を増やし表現力を豊かにして来たのです。
甲骨文というスタイルによって書くという行為が開始されましたが、それは人類史においてわずか0.016%ほどの時間でしかありません。たった0.1%にも満たないまばたきのような時間の中で、私たちは書くことを知り、文字を知り、書くことによって言葉の数を増やし、言葉を豊かにすることで、今日に至るまでの文明を築いてきたのです。
その奇跡のような時間と出来事が東アジアにおける書の歴史であり、「書とは何か」の答えだと言えるでしょう。
石川九楊(いしかわきゅうよう)
1945年、福井県生まれ。京都大学法学部卒業。「書は筆蝕の芸術である」ことを解き明かし、書家にして当代屈指の論客として知られる。東京、京都、名古屋で書塾を主宰。京都精華大学の教授も務める。1990年、『書の終焉——近代書史論』(同朋舎)によりサントリー学芸賞、『日本書史』(名古屋大学出版会)で毎日出版文化賞、『近代書史』(名古屋大学出版会)で大佛次郎賞を受賞。主な著書に『書とはどういう芸術か』(中央公論社)、『書に通ず』(新潮選書)、『縦に書け!』(祥伝社)など多数。最新刊は『書のスタイル 文のスタイル』(筑摩書房)。
石川九楊展が上野の森美術館で開催!
2017年7月5日(水)から、制作作品1,000点到達記念展『書だ!石川九楊』が開催されます。会場は上野駅から徒歩約3分の上野の森美術館。「書は筆蝕の芸術である」ということを解き明かし、書家として活躍を続ける石川九楊。その不思議な書の世界を堪能できる展覧会になっています。その気になる展示内容は、石川九楊の青年期の実験的作品から歎異抄、源氏物語書巻五十五帖等の日本古典文学、さらにはドストエフスキー、9.11、3.11をめぐる作品から、最新の書にいたるまでを一挙に公開!本展覧会に足を運んでから古美術店に行けば、「書」を自宅に飾りたくなること間違いなし。
公式サイト 書だ!石川九楊展