みなさまにご報告です! このたびフェリシモミュージアム部と和樂webがタッグを組んで「江戸を塗りつぶせ!」というスローガンのもと、「HOKUSAI色えんぴつ」を発売することになりました!
江戸時代の絵師・葛飾北斎の絵画シリーズ『冨嶽三十六景』の中でも傑作と名高い『神奈川沖浪裏』『山下白雨』『凱風快晴』の鮮やかな色彩を、HOKUSAI BLUEを中心とした全20色の色鉛筆に。「今すぐ欲しい!」となっちゃいますが、ちょっと待って! まずは、葛飾北斎のロックな人物像や、三大傑作の魅力と謎を紐解いていきましょう。
※クイズの答えは記事中に!
生き方がロックすぎる!北斎ってこんな人
葛飾北斎(1760~1849年)は、江戸時代後期に約70年にわたって活躍した絵師です。その人生はまさに波乱万丈! ロックなエピソードをいくつかご紹介します。
生涯に93回もお引っ越し!
90年の生涯で、北斎は93回も引っ越したと言われています。なんと1日に3回引っ越したこともあったのだとか……。その理由は、絵を描くことに追われて掃除をする暇がなかったから。家が荒れたら引っ越す、ということを繰り返していたようです。
ペンネームは「卍」!?画号を30回も変えちゃった
北斎は「画号」という、絵師のペンネームのようなものを生涯に30回改めたと言われます。一説には、画号を売って生計をたてていたのでは、とも。そんな北斎の画号には「卍(まんじ)」や「画狂人」など、最高にロックなものもあるんです! 「まじ卍~!!」って感じですね(もうこの言葉、古い?)。
世界中のあらゆる芸術に影響を与えた!
北斎は日本のみならず、世界中に大きな影響を与えました。それは絵画だけでなく、音楽や工芸、ファッションにも。特に有名なのは『ひまわり』などで有名な画家、ゴッホ。他にもドビュッシーやガレも北斎に大きな影響を受けたほか、クリスチャン・ディオールの2007年春夏オートクチュール・コレクションでは、北斎の大波をあしらったコートが発表されました。世界中のあらゆるジャンルにインパクトを与えた北斎、まじ卍~!!
『冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)』って?
『冨嶽三十六景』とは、富士山を描いた46図の連作のこと。もとは36図だったので“三十六景”となっていますが、後から10図が加えられました。
誰もが一度は見たことがある『冨嶽三十六景』ですが、実はこれ北斎が72歳のときに手掛けたもの。「もう年だから~」なんて言っているそこのあなた(私も!!)、北斎は70歳を超えてなお、むしろ年を重ねるごとに新しいことに挑戦し、世界にインパクトを与え続けたのです!
北斎が『冨嶽三十六景』のメインテーマ、富士山と出会ったのは、50代のはじめごろ。『冨嶽三十六景』は、数々のスケッチをもとに珍しい構図や画面効果を考え抜いて構成されています。そのため、山梨側や静岡側など、どこから見た富士山なのかはわからない絵となっています。
三大名作の謎に迫る!!
『冨嶽三十六景』の中でも特に傑作と名高い3作品の謎に迫ります!
藍を愛するGreat Wave『神奈川沖浪裏』
北斎と言えばこれ! 海外ではGreat Waveと呼ばれている「神奈川沖浪裏」。目の覚めるような鮮やかなブルーが特徴的です。
濃淡も美しく表現した青色には「ベロ藍」と呼ばれる、ベルリンで発見された人工顔料プルシャンブルーが使われています。ベロ藍が浮世絵に初めて使われたのは天保元(1830)年のこと。「神奈川沖浪裏」が描かれたのは天保元~4(1830~1833)年ごろと推測されていることから、北斎が当時の最新カラーを用いたことがわかります。
本作に限らず『冨嶽三十六景』一連の作品にはベロ藍が多用されていますが、中でも際立った鮮やかさを見せているのがこのGreat Wave!! ブルーを中心としたシンプルな色使いにより、大波のダイナミックさ、そしてどっしり構える富士山の雄大さが際立ちます。
白い雨をどう描くっていうのだ!?『山下白雨』
山頂は青き快晴。対して山裾には黒雲が湧き、雷光が光る。全く対照的な天候をひとつの画面に描いた、コントラストの際立つ作品です。
「白雨」とはにわか雨のこと。「山下白雨」に雨は描かれていませんが、下界を暗く表現し稲妻を描くことで、見る人に「白い雨」を想起させます。描いていないのに見えてくる……その表現力に脱帽です。
夜明けに、富士は赤く染まる『凱風快晴』
「赤富士」と呼ばれ親しまれている作品。赤富士とは、夏から秋の早朝に、朝日を浴びた富士山が赤く染まる現象のことを言います。また「凱風」とは、南から吹く夏のそよ風のこと。
朝焼けに染まった真っ赤な山肌、空いっぱいに鱗雲の広がる青い空、青々と草木がしげる下界。そして山頂はまだ薄暗がり。夜が明けていく一瞬の美が凝縮された、傑作です。
北斎の富士山への執念はすさまじいもので『冨嶽三十六景』の46図では飽き足らず、天保5(1834)年には、102図もの富士山を描いた『富嶽百景』を発表しました。その中には「凱風快晴」と同じテーマで描いた『快晴の不二』がおさめられています。
で、何で色鉛筆をつくったの?
この3作品をもとに20色の色鉛筆をつくったきっかけ。それは和樂web編集長、セバスチャン高木のTwitterでのつぶやきでした。
北斎の色の秘密がわかった!どなたか一緒に北斎色鉛筆とか若冲色鉛筆とかつくりませんか?水墨画色鉛筆でもいいけど。 https://t.co/kBv0aqy5lf
— 和樂web編集長セバスチャン高木(和樂web公式) (@warakuweb) May 18, 2020
これにすぐさま反応してくれたのが、フェリシモミュージアム部のみなさま!
フェリシモの「色えんぴつ」は500色あるので、若冲・北斎の色もあるかもしれません!いっしょに探しませんか?https://t.co/MZN6NrXeFE https://t.co/vzF4SSeFFg
— フェリシモミュージアム部 (@f_museumbu) May 18, 2020
このやりとりをきっかけに、色鉛筆づくりがスタートしました! 次回以降の記事で、色選びやネーミングなどの開発秘話を、ドドンとご紹介しちゃいます! どうぞお楽しみに!