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2022.06.22

いまさら聞けない、トーハクの名品「踊る埴輪&見返り美人」のヒミツ。修理プロジェクトの前にまるごと教えて!

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ユーモラスな表情で左手をあげ、楽しく踊っているような……。埴輪といえば多くの人が真っ先に思い浮かべるのが「踊る埴輪」(正式名:『埴輪 踊る人々』)でしょう。そして、浮世絵といえば、紅い着物をまとった女性が振り返る、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の『見返り美人図』を挙げる人も多いかもしれません。いずれも東京国立博物館を代表する作品です。

けれど、あまりに有名すぎて作品のことはよく知らない、というのが正直なところでは? 文化財活用センターと東京国立博物館では、2022年度、この2作品の修理にかかわる費用の寄附を募るファンドレイジング事業「踊る埴輪&見返り美人修理プロジェクト」を進めています。大切な文化財を未来へとつなぐ事業に参加できる機会に、作品の見どころ、ヒミツ、今なぜ修理が必要なのかを教えてもらいました。

古墳時代の元祖ゆるキャラ。『埴輪 踊る人々』

東京国立博物館(トーハク)は2022年の今年、150周年を迎えました。日本でもっとも長い歴史をもつ博物館には、約12万件もの作品が所蔵されています。そのなかで『埴輪 踊る人々』と『見返り美人図』は断トツの人気と知名度を誇る作品です。同館の広報活動に日々いそしむ公式キャラクター、トーハクくんは『埴輪 踊る人々』の小さなほうがモチーフ。10年前にコンペを勝ち抜き選ばれたのですが、その時の最大のライバルが「見返り美人」でした。

愛らしい顔をしながら、したたかなヤツなのか? 東京国立博物館 主任研究員の河野正訓さんに詳しく話を聞きました。

『埴輪 踊る人々』埼玉県熊谷市 野原古墳出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館蔵

――『埴輪 踊る人々』(以下、「踊る埴輪」)はどこの出身ですか?

河野さん(以下、河野):東京国立博物館で収蔵する埴輪の多くが、明治から昭和初期に出土したものです。教科書でおなじみの「踊る埴輪」は、1930(昭和5)年に埼玉県熊谷市で山林を開墾中に偶然発見されました。

――なんと! 見つけた人はさぞ驚かれたでしょうね。埼玉県熊谷市はその昔、どんな場所だったのですか?

河野:農耕社会が成立した弥生時代(~3世紀頃)と律令国家が成立した奈良時代(8世紀)に挟まれた古墳時代は、日本列島における古代国家の形成期に当たります。このころ、列島各地に有力な首長(豪族)がいました。熊谷市の近辺では、行田市の埼玉(さきたま)古墳群が有力な古墳で、大変力を持っていた首長がいたと考えられています。「踊る埴輪」が出土した野原古墳のある場所は、埼玉古墳群から離れており、古墳も小ぶりのものが多いので、埼玉古墳群ほどの有力な首長がいたとは考えられてはいません。

――そもそも埴輪って、いつごろ、何の目的でつくられた?

河野:埴輪は3世紀後半から6世紀に、粘土でつくられた土製の焼き物です。当時は窖窯(あながま)といって傾斜地の地面に穴を掘抜いて構築した窯で焼かれました。人物や動物など複数の種類をセットにして、首長に関わる何かしらの場面を表現したと考えられています。しかし、野原古墳の埴輪が実際どのような目的、場面を表現していたのかまではわかりません。1930年の古い出土品のため、どのようなかたちで出土したか詳細が不明なためです。「踊る埴輪」は、6世紀後半につくられており、埴輪の中でも最終形態に近いものです。それゆえに当初のつくられた意味合いが薄れ、表現の退化も進んだものと思われます。

――時代が下るにつれ進化ではなく、退化するんですか?

河野:「踊る人々」が長年愛され続けられてきた魅力として、そのデフォルメされた造形が一因としてあると私は思っています。目や口を丸くあけ、手の指もみられず、一見すると服を着ていないかのような表現は、退化の極致にあります。リアルではないものの、丸みを帯びた表現の退化は、あたかもゆるキャラのような、赤ちゃんを見ているかのような可愛らしさがあって、温かみのある表現になっています。

『埴輪 踊る人々』は、2022年7月3日(日)まで本館2階1室で展示中です

――1000年以上も前の、元祖ゆるキャラ! 色は付いていたのでしょうか?

河野:彩色のある埴輪は東日本を中心に多くあります。なかには白馬を表現した事例もあり、複数の色を塗り分けた人物埴輪もあります。しかし、「踊る人々」には彩色が残っていません。実際色を付けていなかったのか、色を付けていたものの風雨でとれてしまったかまではわかりません。

――踊る男女とも呼ばれて、小さなほうが男性なんですって?

河野:小さな埴輪の頭には、美豆良(みずら)と呼ばれる男性特有の髪型が見られます。とりわけ「踊る人々」のように耳のような形をした美豆良は、上げ美豆良(あげみずら)といい、身分のやや低い人がする髪型で、労働に適した髪型だといわれています。一方、大きなほうの埴輪にはその特徴が見られず、男女のどちらかよくわかっていません。

――「踊る人々」は、実は踊っていない。そんなウワサも耳にしたのですが。

河野:日本書紀などの記述から古墳時代には、殯(もがり)といって、死者を仮に長期間安置し、死者の復活を願う儀式のなかで、歌舞飲食が行われていたと推定されています。その歌舞の様子を示したのが、「踊る人々」であったとまずは考えられました。片手をあげる行為は踊る仕草、丸い口があたかも歌っている表現だと捉えられたのです。しかしながら、ここ30年ほどの発掘調査の進展で、片手をあげる人物埴輪が馬形埴輪と一緒に出土する事例が増えました。片手をあげる人物は馬の正面で出土するので、馬を曳く人(馬子)であると指摘されています。野原古墳からは馬形埴輪も出土していることもあり、「踊る人々」も近年、積極的に馬子説が言われるようになりました。実際のところ、馬子と踊る人という両者の説は並列していて、まだ決着はついていません。

――馬子となったら、名前も変わり大変ですね。ところで、「踊る人々」は東博のキャラ、トーハクくんのモデルです。身に着けているものは同じですか? 

河野:トーハクくんは、埼玉県熊谷市野原古墳が出身地。特技はダンス、好きなものは「はにわクッキー」だそうです。本名は東博(あずまひろし)といいます。腰につけたポシェットにはクッキーを常備。実際、「踊る人々」には、ねじった紐のような表現はありますが、袋はもっていません。トーハクくんは「はにわクッキー」が好きなゆえに、袋を常備しているのでしょう。

館のシンボルツリーである本館前のユリノキの花がモチーフのユリノキちゃんとともに2016年、広報大使に就任したトーハクくん(左)。ノリの良さではだれにも負けません!

江戸時代、最先端ルックは浮世絵でチェック。最新ファッションを着こなす粋な美人

今年も5月最初の月曜日、ニューヨークの美術館で開催される世界最大規模のファッションの祭典に全世界のメディアの熱い視線を送られました。名だたるセレブが1年の中で最も気合いを入れた装いでレッドカーペットに現れる通称メットガラです。

いや、ちょっと待って! 今から約400年前のニッポンのお江戸では、すでに浮世絵美人の装いが巷の話題になっていました。東京国立博物館 研究員の大橋美織さんに教えてもらいましょう。

『見返り美人図』 菱川師宣筆 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵/帯は当時人気の女形、初代上村吉弥(かみむらきちや)が考案した「吉弥結び」。戦後間もない1948(昭和23)年の「切手趣味週間」のシリーズで取り上げられて、現在の高い知名度を誇るように。東京国立博物館の創立150年を記念する、秋の特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」で展示される予定(2022年10月18日(火)から11月13日(日)まで)

――作者の菱川師宣は浮世絵の祖、として知られています。具体的にはどんな革命を起こしたのですか?

大橋さん(以下、大橋):文章が主体だった版本(※)に、挿絵が主役となる版本を制作したこと、加えて、版本の挿図から一枚摺の版画を独立して制作したことです。安くて大量生産が可能な浮世絵版画を制作したことで、一部の権力者や富裕層だけでなく、大衆にまで絵画を楽しむ層を広げる原動力となりました。版画を商品として成立させ、浮世絵版画の基礎をつくったといえます。また、絵筆で一点一点描く肉筆画でも、掛軸、画巻、屏風とさまざまな形態に浮世絵を描き、版画の一枚絵だけでなく、肉筆画においても浮世絵の枠組みをつくりました。

※板に彫った版木[はんぎ]を用いて印刷した書物

――『見返り美人図』が肉筆画の一例ですね。この女性にモデルはいますか?

大橋:師宣にとっては誰かいたのかもしれませんが、詳しいことはわかりません。

――不自然にも見える立ち姿。どうして、こんなポーズをしている?

大橋:江戸時代初期の風俗画、例えば国宝『風俗図(彦根屏風)』(彦根城博物館)には、後ろを振り返った姿が時々描かれます。『湯女図(ゆなず)』(MOA美術館)は、振り返った姿を背中側から描いたものですが、女性の肉感や髪の美しさなど女性美が際立っています。『見返り美人図』は、髪型や帯も当時の最新の流行を反映しており、この姿は、それを描き出すにも適したポーズだと思います。

――当時の流行を反映した女性の衣装は、縫箔師(ぬいはくし)の家に生まれた師宣ならでは、と聞いています。彼女の髪形や身に着けている着物の特徴を教えてください。

大橋:ヘアスタイルは下げた髪の先端を輪に結んだ「玉結び」。そこに鼈甲(べっこう)製と思われる櫛と簪(かんざし)を挿しています。振袖は綸子(りんず)地に小花模様の地紋が織り出され、菊と桜の花丸模様が鹿子絞りと刺しゅうで施されています。帯は幅15センチメートルほどの破れ七宝模様です。

――絵の上部が空白なのはなぜですか?

大橋:空白がなぜなのかはわかりませんが、背景を描いていないのは、先行して描かれていた『寛文美人図』(寛文期[1661~73]に制作された、無背景に遊女とみられる女性が一人立姿で描かれる美人図)の構図に倣ったのだと思います。

貴重な文化財を未来の世代へつなぐ、修理プロジェクト

人気の高い2作品は、それぞれに傷みや劣化が見られ、修理を必要としています。『埴輪 踊る人々』の胴や腕の部分には横向きの亀裂が複数あり、また、過去の修理による石膏が経年劣化し、一部に剥離が生じている状態。一方の『見返り美人図』は、パッと見は綺麗に見えるものの、細かく画面を見てみると、折れや浮き、繊細な模様の絵具にも剥落がみられます。「これ以上作品の状態が悪くなる前に、現在の姿を保つことが重要なのです」(大橋さん)

胴に横向きの亀裂が入る。修理では解体・クリーニングし、昔の修理の石膏を除去。除去した部分には劣化しにくい補填材を使用。亀裂の部分は強化して、接合などが行われる予定。修理完了は2024年を予定

『見返り美人図』の折れに対しては、細く帯状に切った和紙で裏面から部分的に補強する、「折れ伏せ」といわれる技法で修理。これは、表から見える部分ではないものの、長く作品を引き継いでいくうえでとても大切な処置だそう。また擦れて欠損した部分は、そのかたちに合わせて調整した本紙に似た材料を用いて補うほか、経年による汚れを落としたり、古い裏打ち紙を除去して新たな裏打ちが行われます。

桜の花の描かれた箇所が剥落している。この部分には膠(にかわ)水溶液など天然の接着剤による剥落止めを行い、これ以上傷みが進まないよう保護していく

「踊る埴輪&見返り美人 修理プロジェクト」では館内募金箱やウェブサイトから寄附を受け付けています。応援コース(返礼なし)と、お楽しみコース(返礼あり)があって、1万円以上の寄附を申し込んだ人には2作品にちなんだオリジナルデザインの記念品のプレゼントも。「大変ありがたいことに、プロジェクト開始直後から多くの方のご支援をいただいています。引き続きご協力をお願いいたします」(文化財活用センター 古山珠美さん)

1万円の寄附の記念品は【踊る埴輪&見返り美人デザイン】てぬぐい。日常で2作品を身近に感じて

プロジェクト概要

東京国立博物館創立 150 年記念 踊る埴輪&見返り美人 修理プロジェクト
目標金額:1000万円
寄附募集期間:2022年4月1日~ 2023年3月31日
寄附方法:ウェブサイト(クレジットカード、銀行振込)、館内募金箱などから寄付ができます。オンラインでの寄付はプロジェクト詳細サイトから

東京国立博物館公式サイト

文化財活用センター公式サイト

書いた人

日本美術や伝統芸能(特に沖縄の歌や祭り)、建築、デザイン、ライフスタイルホテルからブラック・ミュージックまで!? クロス・ジャンルで世の中を楽しむ取材を続ける。相棒は、オリンパスOM-D E-M5 Mark III。独学で三線を練習するも、道はケワシイ。島唄の名人と言われた、神=登川誠仁師と生前、お目にかかれたことが心の支え。