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2022.06.02

「犬王」とは何者か?アニメ監修を担当した研究者と能楽師に聞いてみた

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犬王(いぬおう)をご存じだろうか。足利義満の時代にめちゃくちゃ人気があった能楽師だ。世阿弥が美少年だったころ、義満にかわいがられたエピソードをご存じの方は多いだろう。しかし世阿弥が大人になったころ、むしろ義満は犬王のほうを推していたとか。

当時の大衆人気もすさまじく、犬王が出るステージはいつも満員。一目でも犬王を見ようと、近くの屋根にのぼって見る客もいたというからすごい。しかし今、犬王の記録はほとんど残ってないという。そんな謎に包まれた犬王が主人公として歌い踊るアニメが2022年5月28日(土)から全国の映画館で公開されている。

▲©2021 “INU-OH” Film Partners

監督はアニメ『映像研には手を出すな!』の湯浅政明、脚本は『アンナチュラル』野木亜紀子、キャラクター原案は松本大洋、音楽は『あまちゃん』大友良英、と、人気者たちが名を連ねる。さらに声優は、アヴちゃん(女王蜂)や森山未來と豪華ラインナップだ。そして原作は、古川日出男の小説『平家物語 犬王の巻』。『平家物語』に連なる物語としてれた描かれた。古川氏は謎が多い犬王を敢えて主人公におき室町時代、当時の最新の芸能を想像し豊かな物語を作っている。

ちなみにアニメ『犬王』はミュージカル。ギターやドラム、現代語の歌が鳴り響く音楽シーンが満載。しかも研究者による時代考証や、現役・能楽師による監修も行われている。監修を担当した二名に、実在した犬王はどんな人物だったのか聞いてみた。

尚、聞き手はオフィスの給湯室で抹茶をたてる「給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)」。「給湯流」と表記させていただく。

犬王は、どんな役もうまく演じたスーパースターだった!

まず話を聞くのは、アニメ『犬王』の能楽監修を務めた宮本圭造さん。法政大学能楽研究所で教授を務めている。

給湯流(以下、「給」) 犬王はとても人気があったのに、なぜ今は歴史の教科書にあまり出てこないんでしょうか?「能は、観阿弥・世阿弥が大成した」で、歴史の授業は済まされている気がします。

宮本さん(以下、「宮」) 今も、台本も書くし演技もする役者もいれば、演技だけに専念する役者もいますよね。犬王はおそらく後者のタイプだったと思います。世阿弥はたくさんの台本と『風姿花伝』のような本を書いたので後世に残ったのですが、犬王が書いたとされる書物がない。それで歴史上から忘れ去られてしまったんです。

 それは無念!

 原作である古川日出男さんの小説の冒頭に、犬王は「数々の名曲を書いたらしいが、作品はいっさい現存していない」と書かれています。正確には「犬王が名曲を書いたかどうかもわからない!」というのが研究者の見解です。

 えええ! 犬王の記録は何もないんですか?

 当時、犬王の能を見た観客の記録は残っていますよ。

 いわば、犬王ファンのブログしか残っていない状況ですね(笑)

 ライヴァルだった世阿弥も、犬王の能の感想について、いくつか記録を残しています。その感想から推測すると、犬王は非常に芸域の広い役者だったと思います。天女の役から、鬼女の役まで見事にこなし、また親子の人情劇での写実的な演技にも長けていたと。

▲犬王が舞うシーン©2021 “INU-OH” Film Partners

 それはすごい!

 犬王の舞台はいつも素晴らしく、何を演じさせてもまったく外れがない、とも絶賛しています。

犬王は、観阿弥・世阿弥とは芸風が異なった

 観阿弥・世阿弥と犬王で、芸風に違いはあったのですか?

 そもそも観阿弥・世阿弥は「大和猿楽(やまとさるがく)」、犬王は「近江猿楽(おうみさるがく)」と異なるグループに属していました。観阿弥のグループは、文句に合わせて写実的な所作を見せる、芝居がかった内容の作品が多かったようです。たとえば昔の物語の内容を地謡(じうたい・ナレーションのようなもの)が謡い、役者がその場面を仕草で実際に再現する、といった形ですね。

 そうなんですね。一方、犬王は?

 犬王は舞(まい)の要素なんかも取り込んで、情感豊かな、雰囲気を大事にする舞台をつくったと考えられています。細かい所作を盛り込んで写実的に演じる観阿弥のスタイルとは大きく違う。

 なるほど。犬王はリアルな演技というよりは、ダンスに近い表現だったといえるのでしょうか。

 そうですね。

世阿弥も絶賛! 犬王の優美すぎるダンス「天女の舞(てんにょのまい)」

 芸風が違ったということで、世阿弥・観阿弥と、犬王は仲が悪かったんですか? 今だと、ちがう芸能事務所のアイドル同士は共演NGとかありますけど……。

▲美少年時代の藤若(世阿弥)が、足利義満の前で舞うシーン©2021 “INU-OH” Film Partners

 いえ、そんなことはありません。むしろ犬王は観阿弥を尊敬していたんですよ。彼ら3人は年齢が離れていて、観阿弥と世阿弥の間の世代に犬王がいた。観阿弥が亡くなると、犬王は毎月供養をしたという記録もあります。

 世阿弥は、観阿弥が30才くらいのときの子ども。犬王は観阿弥より15才くらい若い。そんな3世代ですね。

 じつは観阿弥が登場する前は、他の芸能のほうが人気があったんです。田楽(でんがく)というのですが、鎌倉時代に北条高時が田楽の猛烈なファンだったり、足利尊氏も田楽を好んだりしていました。しかし観阿弥が足利義満に気に入られ猿楽(さるがく)の地位が上がった。観阿弥のおかげで犬王も義満の寵愛をうけることになったんです。だから犬王は観阿弥への感謝の気持ちをもって毎月供養していたんでしょう。

 田楽というのは、今も残っていますか?

 民俗芸能としては残っていますが、田楽のプロの役者というのは今はいません。

 うひゃー! 簡単に伝統芸能って言っちゃいますけど、当時人気があった芸能も生き残るのは本当に大変なんですね。600年以上サバイブしてきた世阿弥の作品はすごい! 

 今残る世阿弥の作品も、世阿弥一人で作ったわけではありません。世阿弥は犬王の「天女の舞(てんにょのまい)」なんかも取り入れて能の作品を作ってきたんです。犬王は女神や菩薩が天から下ってきて舞う「天女の舞」を得意にしたんですが、世阿弥はこれに憧れて、自分の能に取り込みました。その姿をスケッチしたものも残しています。

 世阿弥が作った曲のなかにも、犬王のダンスのエッセンスが残っていると。「振付・犬王」みたいなクレジットは残っていなくても、私たちは犬王の舞を今も見ているのかもしれないんですね。熱い! ちなみに、宮本先生が今回のアニメを監修して、特に意見が反映された部分はありますか?

▲金閣寺の敷地内を自由に舞い踊る犬王!©2021 “INU-OH” Film Partners

 今、能といえば能楽堂やホールで公演されることが多いです。しかし昔はもっと自由に、河原や町中の広場に舞台を仮設して公演が行われていた。水上の舞台や芝生で演じられたこともあります。そんな史実を伝えて、アニメの中に描かれたシーンもあるんです。当時は観客も熱狂していたはず。今の能に慣れているお客さんがアニメを見ると、度肝を抜かれるような迫力あるシーンもあると思います。

 それは楽しみです! 詳しいお話、ありがとうございました。

▼世阿弥や「天女の舞」にまつわる記事
アイドルオタクが能楽師と世阿弥『風姿花伝』を読んだら楽しかった、意外な理由

世阿弥は、犬王に憧れていた!?

次に話を聞くのは、アニメ『犬王』能楽実演監修を担当した能楽師・亀井広忠(かめいひろただ)さん。亀井さんは、大鼓(おおつづみ)を演奏する。3歳から大鼓を打ち、葛野流大鼓方(かどのりゅうおおつづみかた)の十五世家元を継承している。

▲亀井広忠 能楽囃子葛野流大鼓方十五世家元。1974生まれ。父ならびに故・八世観世銕之亟に師事。6歳のとき「羽衣」で初舞台。以降、囃子だけでなく子方などでも数々の舞台をつとめる。新作能や復曲能を多数作調。2004(平成16)年ビクター伝統文化振興財団賞奨励賞、2007(平成19)年第14回日本伝統文化奨励賞を受賞。2016(平成28)年1月葛野流十五世家元を継承。「三響會」「広忠の会」「佳名会」主宰。

この素晴らしいプロフィールをみると、日本文化初心者の方(筆者も同様……)には遠い存在に見えるかもしれない。しかし亀井さんの演奏は、予備知識なく鑑賞してもかっこいい。ジャズやロック、ヒップホップ、J-POP……現代の音楽が好きな人も引き込まれるリズム感。さらに亀井さんは「能 狂言『鬼滅の刃』」に作調(音楽制作)で参加するなど、幅広い層へ能を伝えていく活動もしている。さっそく話を聞いてみよう。

 亀井さんのなかで、犬王とはどんな存在なのでしょうか?

亀井さん(以下、「亀」) 世阿弥は犬王に憧れていたのではないかと考えています。でも世阿弥や禅竹(ぜんちく/世阿弥の娘婿)、元雅(もとまさ/世阿弥の息子)のように本人が書いたとされる台本が、犬王には残っていないんです。どんな能役者だったのかわからないことだらけ。犬王は謎多き人物ですね。 

 亀井さんが演奏されているとき、犬王のエッセンスをふと感じることはありますか?

 「ああ、これはいかにも世阿弥の作品だな、禅竹ぽいな」と思うことはありますけど、犬王はわからない。ですが、世阿弥は犬王の舞を取り入れたと言われますから、知らぬ間に自分も犬王の要素を感じ取っているのかもしれません。謎が多い犬王だからこそ、原作の古川日出男さんがイマジネーションをふくらませて物語をお書きになった。アニメ『犬王』に出てくる全てのシーンが、必ずしも実際起こったことではないのでしょうけど。

室町時代の能は、ロックフェスだった

 完成したアニメ『犬王』をご覧になって逆に、「室町時代の能は本当にこうだっただろう」と思われたところはありましたか?

 室町時代の能はロックフェスだったのではないかと、改めて思いました。当時は自由に歌い踊って表現していた。今の能は、もっと演劇の要素が加わり、舞や体の動き、演奏が複雑ですからロックという感じは薄れているでしょうね。

 アニメの中で、屋外で歌い踊る犬王と観客がコールアンドレスポンスをするシーンが出てきました。まさにロックフェスですね! 今のように、能楽堂で椅子に座り静か~に鑑賞する能とは雰囲気が違います。

▲犬王のパフォーマンスに大騒ぎする観客。まるでロックフェスだ!©2021 “INU-OH” Film Partners

 今と室町という話ではなくそもそも、室町時代にできた能と江戸時代以降の能が全く別物だと個人的に考えているんですよ。

 法政大学の宮本先生も、江戸時代中期から能のテンポが遅くなったとおっしゃっていました。室町時代は今の能の、2倍速、3倍速で演じられていたのではないかと。室町時代の能はテンポよく歌ったり、演奏したり、激しいビートでロックって感じもあったのか。あー! 当時の犬王のステージを見たかったです。ノリノリで盛り上がったんだろうなあ。

 音楽形式の話だけではありません。室町時代の能は、精神的な自由があったと思います。しかし江戸時代になると、能は武士のおかかえとなり、「武家好み」といわれるようになる。武士の精神性を強く求められてしまいました。江戸時代の能楽師は、演劇や音楽の演出で窮屈な思いをしたかもしれません。

▲まだ子どもの藤若(世阿弥)が足利義満にていねいに挨拶をする場面。アニメ『犬王』は、権力者との芸能の闘争も1つのテーマになっている。©2021 “INU-OH” Film Partners

 能は世界最古の舞台芸術といわれ600年以上つづいていますが、長い歴史の中でいろいろな変遷があったんですね……。

作品を通じて自らの生き方を問う、それが舞台人

 アニメ『犬王』を見ると、舞や謡(うたい)を通して犬王が自分自身を表現しています。私だったら、能という戯曲で大鼓を通して自分の生き方をさらけ出す。これが舞台人の生き様だと思います。

撮影/前島吉弘

 うわあ。心に染み入ります……泣きそうです!

 謎が多い能役者「犬王」によくぞ焦点をあてていただいたなと思います。記録が少ないからこそ、イマジネーションを働かせて当時の「ロックフェス」を描くことができた。だからおもしろい。

 アニメ『犬王』の企画が発表されたとき「なんで観阿弥や世阿弥が主役じゃなくて犬王なの?」と驚きましたが、犬王が主人公だからこそおもしろいんですね! 貴重なお話、ありがとうございました。

アニメ『犬王』

『犬王』公式サイト
2022年5月28日より全国ロードショー

亀井広忠

三響會・公式サイト

梅若会・公演情報サイト
能「俊寛」2022年7月17日 
アニメ『犬王』にも出演している川口晃平さんがシテをつとめる能。亀井さんは大鼓で出演。


「能狂言 『鬼滅の刃』」2022年7月に東京で、同年12月に大阪にて公演。亀井さんは「作調」で参加。

▼原作小説はこちら
平家物語 犬王の巻

書いた人

きゅうとうりゅう・さどう。信長や秀吉が戦場で茶会をした歴史を再現!現代の戦場、オフィス給湯室で抹茶をたてる団体、2010年発足。道後温泉ストリップ劇場、ロンドンの弁護士事務所、廃線になる駅前で茶会をしたことも。サラリーマン視点で日本文化を再構築。現在は雅楽、狂言、詩吟などの公演も行っている。ぜひ遊びにきてください!