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2023.03.22

能面に込められた意味とは。女性能面師・黒蕨安孝さんに特徴を聞く

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暗闇に浮かび上がる一見無表情の能面から、わずかな感情の揺れが伝わり始めると、心の奥底から魂の叫びが聞こえてくるようです。能楽の道具の一つであり、不思議な感覚で私たちを惹きつける能面の魅力。けれど、この能面の作り手の名が表舞台に出ることは、ほとんどありません。そんな能面師の姿を「名古屋能楽堂に制作した76面の能面寄贈」という新聞の記事で知りました。さらに私を驚かせたのは、その能面師が、古典芸能の世界では珍しい女性だったことです。男女平等が当たり前となった現代においても、歌舞伎や文楽同様、能楽でも女性が仕事をすることはまだまだ少ないのが実情です。黒蕨安孝(本名:孝子)という男性とも思われる名で、能面師として活躍する女性とはどんな人なのだろう。期待と羨望の入り混じった気持ちを抱えながら、彼女の工房を訪ねました。

名古屋能楽堂に寄贈された黒蕨安孝さんの能面
確かに伝統芸能・伝統工芸の職人は今も女性の比率はあまり高くない業界が多いですよね。どんな方なんだろう?

能面の幽玄美に魅せられ、40代で能面師に弟子入り

古民家を改修した工房の引き戸を開けると、現れたのは小柄で優しい微笑をたたえる女性。それが黒蕨安孝(くろわらびやすたか)さんでした。男ばかりの古典芸能の世界に身を置いているとは思えないほど、物腰も表情も柔らかく、一瞬で私の緊張をほどいてくれたのです。そしてその横には、同じように穏やかな微笑を浮かべる夫で、彫刻家の黒蕨壮(くろわらびそう)さん。二人の温かな雰囲気に包まれ、目の前に並べられた能面に圧倒されながら、お二人にお話を伺いました。

わらび工房にて、黒蕨壮さん(左)と黒蕨安孝さん(右)

能面師の仕事の話を聞く上で、まず、驚かされたのは安孝さんが、いわゆる伝統芸能の世界に多い世襲ではなく、40代半ばにして、突如、能面師を目指したということでした。そしてその驚きは、さらに不思議な能との縁へと繋がっていきます。

「出会いは本当に突然で、あるカレンダーに能面の写真が使われていたのを見た時に、何とも言えない儚い世界、幽玄の美しさに惹き込まれてしまいました。ちょうどその時、毎日グラフで能の特集をしていたので、それをすぐに購入。眺めているうちにどうしてもこの能面を作ってみたいという気持ちにかられ、文化センターの教室に通うことにしたんです」と軽やかに笑う安孝さん。文化センターの教室が能面師への入り口だったという話を聞いて、近寄りがたいと思っていた能の世界が一気に身近になりました。

一番好きだという若い女性を演じる時に使用される小面(こおもて)
40代半ばで!高い習熟度が必要とされるものは若い頃から始めないと、と言われることが多いですが、勇気をもらえます!

彫刻家の夫の影響もあり、ものづくりに打ち込む日々が能面師の仕事へと繋がった

「もともと私は呉服屋に育ち、和物に触れる機会は多かったのですが、能を見たことがなかったんです。短大を卒業してから、洋画を習い始め、そこで夫と出会い、結婚しました。彫刻家であった夫が身近にいたこともあり、ものづくりには関心があったんです。その後、日本画、彫金、版画と習っていきましたが、能面と出会ったことで、一気にのめりこむことになりました」。そして、そんな突然の変化を間近で見ていた夫の壮さんは、当時のことをこう振り返ります。

「同じ木を彫るといえど、能面師と私のやっている木彫は全く違うものでした。私は自分の中から沸き起こるもの、今までにないものを作り上げていきますが、能面師は、室町時代から受け継がれてきた約束事をきちんと守りながら、自分の技をそこに近づけていく。地道でコツコツとした作業を繰り返す、日々の努力が大切なんです。彼女はそういうことが出来ることに加え、色の作り方、つけ方がうまかったので、良い作品を作っていけると思いました。絶対音感ならぬ、絶対色感があるなと思ったんです」。

地道な作業を日々繰り返す、ってなかなか難しいし、精神も削られていきますよね。これができるのが既に才能かも。

壮さんは、安孝さんにとって、木を扱ってものを生み出す先輩であり、良きアドバイザーでもあったといいます。教室に通ううちに作品が溜まっていくのをみて、ギャラリーで個展を開いたらと提案してくれたのも壮さんでした。

1ミリの違いで顔の表情が変わってしまうので、神経を使った細やかな作業が続く

能面に対する真摯な思いが大きな縁を引き寄せた

「普通はギャラリーで個展を開くなんて、何から始めていいのかわかりませんから、私はラッキーでした。そして、その個展に、知人の紹介で観世流能楽師である故・泉嘉夫(いずみよしお)先生が観に来てくださったんです。それが私の運命を変えてくれた一つ目の出会いでした。先生が私の能面を見て、『これは仮面ですね。もし本気で能面をやりたいなら、先生を紹介しますよ』とおっしゃっていただいて。その時は、その違いがよくわかっていなかったんですが、能面に向き合う中で、その意味もわかるようになりました」。

能面と仮面の違い、って何だろう? 分かるようで分からないようで。

一見すると、運が良かった、境遇に恵まれていたと、思われるかもしれません。しかし、真摯に根気強くたゆまない努力を続けたことが、大きなチャンスに繋がったのです。安孝さんの控え目な言葉とは裏腹に、美しい能面を作りたいという思いも人一倍強かったのではないでしょうか。安孝さんの作る能面からは、そんな芯の強さが伝わってくるのです。

平成14(2002)年に名古屋能楽堂で上演され、泉嘉夫師が演じられた柏崎(深井)の写真と共に。撮影:杉浦賢次

能面師・堀安右衞門との出会いが運命を開く

能楽は、日本古来の芸能「猿楽」などを元に室町時代、観阿弥・世阿弥親子によって確立された600年以上の歴史を持つ日本独自の舞台芸術です。安土桃山時代には、織田信長や豊臣秀吉ら多くの戦国大名たちに愛されてきました。江戸時代に入ると、徳川幕府の命によって、式楽として定められ、格式の高い伝統芸能として受け継がれていきます。

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シテを演じる能楽師にしても、太鼓や笛、鼓を扱う囃子方も、裏方である能面師も江戸時代まで世襲によってその「技」は磨かれてきました。そんな世界に40代で、全くの素人から能面師になるにはそれ相当の覚悟が必要だったはずです。

「自分なりに自信のあった能面を2つ3つ持って、京都の故・堀安右衞門(ほりやすえもん)師のところを訪ねたんです。堀先生は、能面の写しや制作だけでなく、観世流、宝生流、金春流、金剛流、喜多流などの『能楽五流派』と呼ばれる流派の古来から受け継がれた能面の修復もやっておられました。そんな堀先生に見ていただけるだけで嬉しかったのですが、先生からは『これでは、いつまでたっても国宝にはなりませんね』とおっしゃられて。とても穏やかで優しい方だったのですが、私の本気度を測っていたのでしょう。はっぱをかけていただきました。厳しい条件もいろいろありましたが、名古屋から京都に通って、先生にご指導いただくことを決意しました。とにかく一から学ぶのに必死で、ご飯の支度や家族の世話以外は、一日中、能面に向き合って、毎日10時過ぎまで彫っていたんです。それが46歳の時でした」。

上手下手ではなく、「国宝にはなりませんね」という言葉は、大きな期待の裏返しのようにも思えます。

自作した能面が晴れやかな能舞台に! 能面師としての一歩を踏み出す

それから4年、安孝さんがどれほどの努力をしたかは、泉先生が舞台で安孝さんの制作した能面をかけてくれたことが証明してくれています。演目は「殺生石(せっしょうせき)」。その時のことを安孝さんはこう振り返ります。

「堀先生からは、繊細な表情を出すには、頬をもう少し削った方がいいとか、目の下のしわはもっと自然な方がいいとか、細かな指導をしていただきました。そうやって修正を何度も行いながら、だんだん舞台に立たれる能楽師の方をイメージし、制作するようになったんです。ですから、泉先生の舞台で面(おもて)をかけていただけることになった時は、本当に光栄で、感動しました」。

仮面であって仮面ではない。能面に宿る表情には、演者の念が乗り移るかのようです。憂いを含んだ表情や悲しみに沈む表情、静かに微笑む表情など、その微妙な変化を能面は映し出してくれます。

「能面は、人間の顔と同じで、左右対称には作られていないんです。目の高さも違う。そこをうまく彫らないと人形の顔になってしまう。上を向くことを『テル』と呼び、下を向くと『クモル』と呼びますが、そういう微妙な表情を出せるのが能面の魅力なんだと思います」。

え、能面ってアシンメトリーだったんだ! 感情を乗り移らせるものだからこそ「仮面」ではいけないのですね。

同じ木を扱う彫刻家の壮さんも自分との作品の違いをこう語ってくれます。

「室町時代から、本面を写し、受け継いできた技なんですよね。写真だとその奥深さが伝わらない。さらに能面は表面だけでなく、裏面も重要で、能楽師が使いやすい面を作らないといけないから、すごく細やかに彫ります。良い能面というのは、能楽師と一体化し、目立ちすぎず、すっと空気のように馴染んでいくもののような気がしています」。

能面の表情を作り上げる繊細で細やかな技の集大成

実際に、能面の表情の違いを見せていただきました。

テル

クモル

左横顔

右横顔

うーん、これから「能面のような表情」って言えなくなりそうです。

能面の種類には、特別な時に使われる翁(おきな)、年老いた男などを演じる時にかける尉(じょう)、女面、男面、鬼面、怨霊の6つに分けられ、さらに60種類の基本型があります。現代では新しく創作された面が加えられ、200種類以上にも及ぶ面があるのだとか。

「堀先生は130種以上の型紙を持っていらして、私自身は110種ぐらい作りました。先生から型紙を借り、3カ月ぐらいで彫り上げていきます。面が出来たら、写真を見ながら色付けしていきます。白い胡粉で下塗りをしたのち、水干絵具を合わせて肌色を作り、それを塗って、乾かしての作業を最低でも10回以上は繰り返すんです。それをだいたい3カ月ぐらいで行うので、完成するまでに半年はかかっています。そうやって一つずつ自分の作品を増やしていきました」。

神聖な檜で作られる能面に宿る神秘

能面の材料は、天然木の檜。それも樹齢300年以上の官材から切り出されたものを使用するのだそうです。これらは神社や仏閣、神棚や高級和室などに用いられています。中でも木曽の檜は20年ごとに行われる伊勢神宮の遷宮において使われるなど、それだけ神聖なもの。能面に使用するのは、その端材といえど、貴重である木と向き合うのが能面師の仕事でもあるのです。

「能楽師が面をかけるのは、すべのて装束を身に付けた後、鏡の間で精神統一してからです。その役になり切って舞台に能楽師が立つと、すーッと風が吹いて、その場の空気が変わります。これが能楽師の技量であり、面にピタッと自分を合わせて一体化していくのです。演能中は目の穴からは柱しか見えず、鼻の穴の部分から見るので、足元しか見えません。下を向いてしまうと、面がクモってしまってだめなので、顔は動かさず、目だけで下を見るんです。だから舞台上では、何歩でどの位置にいるかを身体で覚えていく。そうやってあの所作をするのですから、本当にすごいと思います」。

平成14(2002)年に名古屋能楽堂で上演され、泉嘉夫師が演じられた恋重荷(鼻瘤悪尉) 撮影:杉浦賢次

能楽師の息吹によって育っていく能面。美しく儚い表情が作れるよう日々精進

「面は能楽師がかけることで、息吹を与えて育っていきます。念仏を唱えるから、どんどんよくなる仏像と同じで、人の念が入るから、さらに生きた表情になっていくんです」。

最後に、安孝さんに能面師の仕事の面白さを伺うと、

「堀先生の面を見た時、奥深い隠れた表情の多彩さに驚きました。それを今、曲がりなりにも自分の手で作れるのが嬉しくもあり、面白いところです。作った能面はすべて子どものようであり、自分の分身のようでもあります。一番好きなのは、小面で『能面は小面に始まり、小面に終わる』と言われているんですが、堀先生のような美しく儚い表情を作っていくのが目標です。私自身もそういう面が作れるように、今も日々精進しています」。

能面の奥深さを垣間見ることができた気がします!

《取材を終えて》

「能面のような」というたとえは表情のない顔を指しますが、本来、日本人は自分の怒りや悲しみをぐっとこらえ、深いところに落とし、それを昇華させる術を得ていたのではないでしょうか。その繊細な表情を能面は写し取っているのではとも思いました。人間の顔にどこまでも近づけた面であるからこそ、仮面ではないという教えは、日本人の精神の豊かさを表しているようにも思います。謙虚な姿勢で能面と向き合う黒蕨安孝さんにそのことを教えていただきました。

黒蕨安孝 能面師

昭和21(1946)年 愛知県名古屋市に生まれる。平成4(1992)年 堀安右衞門氏に師事。平成8(1996)年 大槻能楽堂「殺生石」の舞台で、泉嘉夫師が増女で使用。その後も数多くの舞台で使用される。名古屋能楽堂やギャラリーで個展を開催。令和5(2023)年名古屋能楽堂に制作した能面76面を寄贈。

黒蕨壮 彫刻家

昭和26(1951)年、鹿児島県阿久根市生まれる。愛知県在住。 昭和59(1984)年より、彫刻家の堀内正和に師事。昭和64(1988)年、第1回現代日本木刻フェスティバル、平成8(1996)年、木の造形旭川大賞展で大賞。 平成27(2015)年に日本を代表する彫刻賞である平櫛田中賞を受賞。 個展・グループ展での発表多数。

寄贈能面展
「黒蕨安孝の能面世界」

場所: 名古屋能楽堂
住所:名古屋市中区三の丸一丁目1番1号(名古屋城正門前)
期日:令和5年3月1日(水)~26日(日)
開館:9:00~17:00
料金:無料

書いた人

旅行業から編集プロダクションへ転職。その後フリーランスとなり、旅、カルチャー、食などをフィールドに。最近では家庭菜園と城巡りにはまっている。寅さんのように旅をしながら生きられたら最高だと思う、根っからの自由人。

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人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。