歌舞伎界最高峰の大名跡がついに復活!
市川海老蔵改め十三代目市川團十郎白猿襲名披露
2020年の延期より2年6か月の時を経て、2022年11月「歌舞伎座」にて、ようやく実現した市川團十郎白猿襲名披露(いちかわだんじゅうろうはくえんしゅうめいひろう)、市川新之助(しんのすけ)初舞台。襲名披露公演はさらに、2023年9月「博多座」、10~11月「地方巡業」、12月「南座」、そして2024年2月「御園座」、9月「地方巡業」、10月「大阪松竹座」と日本各地で開催されます。
襲名公演の演目が発表になったばかりの2022年8月末日、十三代目市川團十郎白猿の胸中をうかがいました。
「実は、2020年の襲名を前に、2019年末ごろ 〝私は襲名はやらないような気がする〞と言っていたんです」
そうしたら、実際コロナ禍で延期になったのでした。しかし今は、率直に團十郎を襲名する感じがしているのだといいます。
「團十郎を襲名することに対して、不思議と冷静です。私が子供のころは、團十郎襲名は自分にはできることじゃない、海老蔵襲名で精一杯というイメージでした。でも、今いざここに立ってみると、意外と平静な自分がいます」
時代は繰り返される。今回の襲名を機に、経済的にも文化的にも、明るい突破口になってほしいと願っています。
実は團十郎襲名は代々、歌舞伎界なり日本なりが比較的元気のない時期に遭遇するという状況が多いのだそうです。たとえば十一代目團十郎襲名のときも歌舞伎界が元気がなかった時期でした。しかし『勧進帳』『助六』などお家芸の継承に努める襲名興行を披露して「一億円の襲名」といわれるほど、低迷気味だった歌舞伎人気に再度火をつける役目を果たしました。
團十郎襲名を節目に風向きが変わるのだというジンクス……。
「私が2020年で襲名するとなったときに、意外とスムーズに襲名するんだな、ジンクスどおりじゃないのかと勝手に客観視していたら、コロナでまさかまさかのそれ以上にひどい状況に陥ってしまいました。時代は繰り返されるのでしょうか。ですから逆に、今回の襲名を機に経済的にも文化的にも明るい突破口になってほしいと願っています」
おそらく時代の変わり目にいて、柔軟に対応をして変えていく團十郎になっていくんだと思います。
歌舞伎は出雲阿国(いずものおくに)から始まり、初代市川團十郎が今の歌舞伎の原型となる荒事をつくりました。
「初代團十郎がつくったものを二代目團十郎がアップデートしながら代々継承してゆき、團十郎家がつながってきた。ある意味、江戸歌舞伎と團十郎家の時間軸は一緒なのです。その中で明治の九代目團十郎が活歴(かつれき 史実に即した時代狂言)をやったり、新しいことに挑戦した時代があり、そして襲名前には戦争が始まりました」
この戦争により急激に伝統を守ろうという意識が高まり、戦後70年余りは保守的になりました。
「私が子供のころは、歌舞伎以外のことはしてはいけないと言われてきました。15歳ぐらいのときにCMのお話を頂いたときは、CMなんかやってはいけないという話もありましたが、やがて新しいことに挑戦する先輩方が現れたことで、われわれ世代は比較的新しいことに挑戦できる環境ができたと思います。
ただ新しいことをやって、お客様に喜んでいただくことができれば100点中70~80点でしょうか。本当はそれがまた伝統として繰り返されていくことが理想ですが、実はそれがなかなか難しくあまりできてない」
さて、今回の十三代目市川團十郎白猿襲名披露公演は成田屋の家の芸である歌舞伎十八番を中心にした演目で、配役も濃厚。実に魅力的で見応えのある番組となっています。
2020年だとできなかったことが、今回、実現した。それはコロナ禍によって得た光であると思っています。
今後、どのような團十郎像を描いているのでしょうか……。
「やはり『新歌舞伎十八番』をやっていくことですね。そして、市川團十郎家に伝わってきた家の芸は続けてやっていかなければいけないと思っています。仮に新作をするにしても目的をしっかりもってやるということを意識してやっていきたいですね。
今、本当に時代の分岐点だと思います。團十郎の十三代という数字も輪廻(りんね)の原点という意味がある。おそらく時代の変わり目にいて、柔軟に対応をして変えていく團十郎になっていくんだと思います」
十三代目市川團十郎白猿
じゅうさんだいめいちかわだんじゅうろうはくえん
1977年、十二代目市川團十郎の長男として東京に生まれる。歌舞伎俳優、屋号は成田屋(なりたや)。定紋は三升(みます)。替紋は杏葉牡丹(ぎょうようぼたん)。
’83年『源氏物語』春宮(とうぐう)で初お目見得。’85年『外郎売(ういろううり)』貴甘坊(きかんぼう)で七代目市川新之助を襲名。
2004年『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』助六や『暫(しばらく)』鎌倉権五郎(かまくらごんごろう)などで十一代目市川海老蔵を襲名。
白猿とは、五代目市川團十郎が、自分はまだ先人たちに及ばぬところもあるという認識で、先人に追いつけるよう、またそのような気持ちを忘れないようにという思いで、名前に白猿と付けた。
協力/3Top、松竹株式会社 撮影/三浦憲治 構成/新居典子 ※本記事は雑誌『和樂(2022年12月・2023年1月号)』の転載です。