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日本美術ブームは「若冲」展から始まった
日本美術が注目されるようになったのは、若冲のおかげと言っても過言ではありません。その若冲が注目されるようになったきっかけは平成12(2000)年、京都国立博物館の「若冲」展でした。当初はすいていたものの、口コミでそのすごさが伝わり、後半には異常な盛り上がりを見せました。その後、平成18(2006)年に東京国立博物館で開かれた「プライス・コレクション 若冲と江戸絵画」は2か月弱で約32万人を集め、江戸時代の絵師・若冲は日本美術のニュースターとして人気と知名度を上げていきました。
そして、平成28(2016)年に東京都美術館で開催された「生誕300年記念 若冲展」は31日間に約45万人もが来場! 空前のブームは今もまだ続いています。
奇想に次ぐ奇想! 花鳥画の概念を一変
若冲の『動植綵絵』は濃密な極彩色の岩絵具(いわえのぐ)で、画面いっぱいに動植物を細密に描き、それまでの花鳥画の概念を一変させました。
その画風について、日本美術史家の辻惟雄(つじのぶお)さんは、昭和45(1970)年発行の美術史論『奇想(きそう)の系譜』ですでに取り上げており、ブームの盛り上がりとともに若冲は「奇想の絵師」と呼ばれるようになりました。
若冲の画業を眺めてみると、方眼紙(ほうがんし)のような枡目(ますめ)に丹念に描いた『鳥獣花木図屛風(ちょうじゅうかぼくずびょうぶ)』(出光美術館)やネガポジ反転のような版画『乗興舟(じょうきょうしゅう)』、野菜や果物、虫、小動物だけを描いた絹本の画巻『菜蟲譜(さいちゅうふ)』(佐野市吉澤記念美術館)、点描(てんびょう)風の『石灯籠図(いしどうろうず)屛風』など、着眼点も技法も奇想を極めたものが次から次に。
これだけ自由に実験的な描写をしたことも若冲人気の秘密のようです。
生きとし生けるものへのまなざし
京都・錦市場の青物問屋の惣領(そうりょう)息子でありながら、幼いころより絵を描くことが好きだった若冲は、家業をそっちのけにして、飼われていた鶏の写生に没頭していたといいます。
写生の対象は鶏のみならず、身の回りの動植物へと広がっていき、やがて絵師となるべく家を出て禅宗の相国寺(しょうこくじ)に身を寄せ、『動植綵絵』を完成させています。
若冲の視線は幼いころから一貫して、生きとし生けるすべてのものへ向けられていました。それが『果蔬涅槃図』などに表れており、仏のもとではすべての生き物も衆生(しゅじょう)であるという「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という思想が、絵画にも表れていると考えられています。
若冲にとっては、人間も鶏も、爬虫類も植物もみな同等。奇想の絵には、そんな優しいまなざしが込められているのです。
カリスマ絵師06 伊藤若冲プロフィール
いとう じゃくちゅう
正徳6(1716)年~寛政12(1800)年。京都・錦市場の青物問屋「桝源(ますげん)」の長男として生まれ、家業を弟に託し、40歳から画業に専念。彩色はもとより水墨画にも才を発揮し、安永4(1775)年の『平安人物志 』の画家部門で円山応挙(まるやまおうきょ)に次ぐ2位になるなど、当時から人気絵師のひとりだった。
※本記事は雑誌『和樂(2018年4・5月号)』の転載です。