2023年6月11日(日)まで国立工芸館(金沢市)で開催中の「ポケモン×工芸展——美とわざの大発見——」。日本を代表するさまざまな工芸作家が、ポケモンの世界観をそれぞれの作品に表現しています。
世界に誇る日本の技が、ポケモンたちと起こす「かがく反応」はどのようなものなのでしょうか。そして作家たちはそこに何を表現しようとしたのでしょうか。
出品した20人の作家、72作品の中から、ここでは漆芸家・田口義明さんとその作品を紹介します。
道具としての目的を失いたくない
江戸時代以前、陶器や織物、金工、木工、さらには浮世絵などを手掛けていた日本の職人たちは、今の私たちが考える「アート」としてそれらを制作したわけではありませんでした。
「芸術」という言葉は、明治の近代化の中で「art」の訳語として生み出された語で、西洋からもたらされた当時の新しい考え方でした。この時代、芸術の語と併せて成立したのが「工芸」という概念です。
今では「伝統工芸品」と呼ばれる品々は、西洋における油画や彫刻とは異なり、あくまで「使う」ことを前提としたものです。もし西洋の二つの概念に沿って考えるのであれば、用途を持った日用品・実用品は純粋な「芸術」ではありません。けれども、伝統と技法を受け継いできた日本の職人たちの手による「工芸作品」は、あまりに美しい。日本の工芸が持つ芸術性を、どう捉えるべきなのか——。
「私がつくりたいのは、強いて言えば、芸術品と実用品の間でしょうか。美しくあるけれども、道具としての目的を失いたくはない」
漆芸家・田口義明さんは自身の作品について、そう語ります。田口さんは、漆工芸の代表的な加飾技法の一つ「蒔絵」の重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝である父・善国氏を師に持つ漆芸家。漆の技法「髹漆(きゅうしつ)」は、同じく重要無形文化財保持者である増村益城(ますむらましき)氏について修得しました。
本展のために田口さんが手掛けたのは、乾漆蒔絵螺鈿蓋物「遊」と、蒔絵棗(なつめ)「春を呼ぶ」の2点。前者にはタッツーとその進化形であるシードラ、そしてキングドラが、後者にはファイヤーが描かれています。蓋物とは蓋付きの容器のこと。棗は、茶の湯の席で抹茶を入れるために用いられます。
これらを飾り立てている蒔絵とは、器の表面に細い筆を使って漆で絵を描き、その漆が固まらないうちに上から金や銀の粉を蒔きつけて模様を表す技法のこと。日本独自に発達した漆芸の代表的な技法で、その起源は千年以上前にまでさかのぼります。
この漆の器の表面に、薄く削り出したアワビなどの貝がらをはめこんで装飾としたのが、螺鈿(らでん)です。「螺」には巻き貝、「鈿」は飾るという意味があり、聖武天皇の遺愛の品などから成る正倉院宝物にも、その美しい技法を見ることができます。
こうした螺鈿や蒔絵によって田口さんが描く動植物は、大胆な構図と印象的な色づかいが特徴。その巧みな描写は、キングドラやファイヤーの造形にも見て取ることができます。キングドラへと至る進化をたどるように、タッツーたちとシードラが蓋物をぐるりと回りながら全体として大きなドラゴンを形成する構成も、観る人を楽しませます。
とりわけ、螺鈿によって描かれたキングドラは、背景に蒔かれたアルミ粉が白蝶貝の輝きを一層際立たせ、きらびやかで妖しげな雰囲気をまとっています。
漆が持つ美と実用性
「漆は、さかのぼれば縄文時代から用いられてきた素材なんです」
しっとりとした艶があり、手にも馴染みやすく、丈夫で長持ちする。田口さんが「妖艶さがある」と表現する、まるで吸い込まれていくかのような黒は、塗りムラをなくすために人間の髪の毛でつくった刷毛で漆を塗り、それを研ぎ上げ、磨き込む作業を延々と繰り返すことによって生まれます。美しさとともに、道具としての実用性も兼ね備えた漆器は、日本の人々の暮らしに広く浸透し、長く愛されてきました。
自身の作業場で、制作途中の器を手に取った田口さんは、そうした漆の歴史を説明しながら、実際に表面を研いでいく様子を見せてくれました。
「工程はいくつもの段階がありますが、研ぐときには桐の炭を使い、その後磨き込んでいきます。表面を研いでいくうちに、この炭もまた、器のかたちに削れていく。桐は燃やすための炭としては使いにくいのですが、漆を研ぐには最適な硬さと密度があります。表面を研ぎつつ器のかたちを炭に写し取って、それを『定規』のように使いながら、面を一定にしていくのです」
出展された2点、乾漆蒔絵螺鈿蓋物「遊」と蒔絵棗「春を呼ぶ」は、こうした作業を繰り返すことでまさに「漆黒」を生み出し、さらにそこへきらびやかな貝の小片を繊細な指先の作業によってちりばめていくことによって、かたちづくられていきました。
ポケモンたちの物語に「感動した」
「ポケモンを描いてほしいと言われたときは、はっきり言って驚きましたよ。街で目にしたことはあったと思うけれども、アニメやゲームを見たこともやったこともありませんでしたからね」
それでも勧められるままにゲームを体験したり、資料として送られたポケモン図鑑を眺めてみたり、さらには夫婦でポケモンセンターを訪れたりして、田口さんは「驚いた」と言います。「私が目にした図鑑だけで、約800種類のポケモンが載っていました。それらのすべてに楽しい物語がある。たとえばファイヤーは、雪が降り積もった町に飛んでくることで雪を溶かし、春の訪れを告げるといったように。単なるキャラクターではなく、一つひとつのポケモンに生き生きとしたストーリーがあることに、私はとても感動しました」
火と水の対照的なポケモンを作品のモチーフに選んだ田口さんは、楽しげにそう語りつつも、実際の作品づくりは難しさを感じることが多かったと振り返ります。「特にファイヤーは、炎の部分の濃淡や強弱をどのように付けるかによって、作品の印象が変わるだろうと思いました。羽をどのように配置するか、まずは図案を描きながら、新たな研究もしつつイメージを膨らませました」
肩の部分に丸みを帯び、おおぶりで堂々とした胴のかたちが印象的なこの棗の形状は、父・善国氏が考案し田口さんが受け継いだもので、側面から天に向かってファイヤーが羽を広げる姿、そして金粉によって描かれた緻密な花々に、田口さんは多くの人に春をもたらすというこのポケモンの伝説を表現しています。
挑戦するチャンスを逃したくない
日本独自に発達した漆工の技法は、奈良時代から現代に至るまで、各時代の技術の粋を集めた名品の数々を生み出してきました。
「何千年も前から受け継がれてきた漆器は、それぞれの時代に代表作とも言える作品があります。私はそうした代表作には、どれも革新性があると思うんです。それまでの時代にはできなかったこと、なかった表現をかたちに表している。伝統とは革新性によって築かれていくのだと思う」
そうした考えは、確固たる技術を持ちながら常に異分野との共創にも取り組み続けた父・善国氏の背中から学んだことだと、田口さんは言葉を継ぎます。「今回作品を出品したことは、自分の中の新たな扉を開ける挑戦でした。ポケモンの扉を開いてみることには少し戸惑いもあったけれども、僕にとって大切なことは、挑戦するチャンスを逃さないこと。若手の作家たちともまだまだ戦ってみたいし、まだやったこともない表現を追求していきたい」
用と芸術のはざまにある「遊び心」
そうした挑戦の中で、タッツーやシードラ、キングドラを描いた乾漆蒔絵螺鈿蓋物に「遊」という名前をつけたのは、「自分自身、遊び心を忘れたくないから」だと、田口さんは名前の理由を説明します。「生きるためだけに漆芸をやっていては、自分が苦しくなってしまう。作品には作者の精神性が必ず出るし、苦しみながら作れば苦しみが表に出てしまう。自分が楽しんで作るからこそ、観る人にその楽しさが伝わるのだと思う」
モチーフを描く素材に蓋物という形状を選んだのは、水指にも花生けにもなるかたちだから。「工芸とは、生活に密接したもの。日用品だという意味で、もしかしたら美しさは本来必要ないのかもしれません。けれども、そうした品々にこそ美を求めるのが、日本人なのだと思う」。
毎日使う道具だからこそ、美しく飾りたい。その思いは、日々の暮らしを少しでも豊かにしたいという、有史以来変わらない人間の本質的な願いなのでしょう。
そしてそれは一種の「遊び心」でもあると、田口さんは考えます。飾り気のない単なる日用品でもなく、純粋芸術でもない。両者のはざまで紡がれてきた「遊び」の歴史が、世界に誇る美の数々を生み出してきた日本の漆芸の歴史なのかもしれません。
「遊びは、心にゆとりがなければできません。だから僕は、楽しむことを忘れたくないのです」。
(取材・文=安藤智郎 写真=篠原宏明 | Text by Tomoro Ando, Photo by Hiroaki Shinohara)
ポケモン×工芸展——美とわざの大発見——開催概要
会期 2023年3月21日(火・祝)〜6月11日(日)
場所 国立工芸館(石川県金沢市出羽町3-2)
休館日 月曜日、5月14日(日)
開館時間 午前9時30分-午後5時30分
※入館時間は閉館30分前まで
公式サイト https://kogei.pokemon.co.jp/