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紫式部もほめていた、和泉式部の〝燃える恋〟の歌
馬場:『古今和歌集』(※注17)の伊勢(※注18)も、気の利いた歌がぱっと出てくる人だったわね。
小島:巧いんですね、伊勢は。
馬場:その巧さに男は心を捉えられ、みんなが伊勢を好きになっちゃうの。伊勢ははじめ宇多院の后温子(おんし)に仕えていたの。それが、温子のお兄さんの仲平に想われ、捨てられて、泣く泣く故郷へ帰る。温子に懇望されて宮仕えに戻ると、今度はその弟の時平(ときひら)にも愛され、兄弟に取りっこされる。そのうちに宇多院が競争に加わってきて、結局自分のものにして、宇多院(※注19)の皇子を生むんですよね。
小島:それもまたうらやましい(笑)。
馬場:そうしてさらに、宇多院の皇子、敦慶(あつよし)親王との間に、中務(※注20)が生まれるのね。この人は伊勢の次の時代を牽引した女性歌人。
小島:伊勢には人格の大きさがあって、宇多院の一の后である温子も心を許している。
馬場:村上天皇(※注21)の後宮なんか8人のお后が仲良く暮らしていたの。なぜ、仲良く暮らせたかというと、そこに文学、文化があったから。書や管弦などの交流が慰めになっていたのよ。今の世界とくらべてはいけないわね 。
小島:『源氏物語』の六条院がそうですね。女たちの住まいを季節になぞらえて仕切って。
馬場:王朝時代の典型としては、〝燃える恋〟というものがあります。代表は和泉式部。「あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの逢ふこともがな」など、どうしてあんなに力強い歌が詠めたのかしら。
小島:病気だったからじゃないですか。
馬場:病気で死の間際、もう一度あなたに逢いたいって。命がけだったのね。
小島:もしや仮病だったのかしら(笑)。
馬場:「黒髪の乱れも知らすうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき」(※注22)は、男を待ち続け 、悩みぬいて黒髪もちぢに乱れたまま打ち伏したときに、撫でてくれる温かい男の手があった。この歌は技巧的じゃなく、温かいところがいい。
小島:やはり、直情的ですね。
馬場:しみじみする歌でしょう。技巧を最優先するようになった王朝時代の歌なのに。
小島:王朝和歌でこれほど女の姿が見える歌って、ほかにはないですね。
馬場:藤原定家が本歌取り(※注23)をしています。
小島:「かきやりしその黒髪のすぢごとにうち伏すほどは面影ぞたつ」。まるで返歌みたい。
馬場:実際にやりとりしているような感じがする。定家はそれを通して、自分たちに足りないものが、こういう情だってわかっていたの。
小島:なるほど。それはすごい意見ですね 。
馬場:『新古今和歌集』(※注24)になると、『古今和歌集』時代にあった情がなくなり、つまらなくなっていた。それに気がついていたのよ。
小島:紫式部(※注25)も、和泉式部はいやなヤツだけど、歌はいいと書いていますね(笑)。
馬場:和泉式部は寵(ちょう)を受けた敦道親王(※注26)亡き後、膨大な挽歌を残しています。女の人の肉体感覚は受身でありながら、身ごもる力をもっている。女の挽歌は全部恋の歌になりやすい。
小島:そういえば、だれかを深く愛した女の歌は韻律がとても揉み揉みして(※注27)いますね。愛の情念や、肉体としての声の反映かしら。
馬場:そうね 。彼女はどんな男と会っても満たされなかったの。孤独な魂の飢えを満たしてくれる男がいなかったわけ。美人だったしね。敦道親王が唯一、魂を救ってくれる男だったけれど、あっという問に死んでしまった。
小島:寂しいですよね。和泉式部の「白露も夢もこの世もまぼろしもたとへて言えば久しかりけり」(※注28)って、すごい歌ですね。儚さこそ自分の恋の永遠性そのものであったという、逆転の発想。この人、きっと天才ですね。
王朝時代も後半になると〝忍ぶる恋〟の歌が主流に
馬場:中世が近くなると 、待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)が、「長からむ心もしらす黒髪の乱れてけさは物をこそ思へ」(※注29)と歌っている。黒髪は乱れたまま、男がまた来るかどうかわからない。同じ黒髪でも愛の手が消える。一夜だけの出会いなの。
小島:それが中世という時代の厳しさですね。同時代の待賢門院加賀(※注30)は、笠郎女の〝作品の恋〟の系譜を受け継いでますよね。
馬場:そうそう。まず、失恋の歌ができて、この一首を後世に残すためにはどうしたらいいか。そこで当時の一級の人、左大臣有仁(ありひと)と恋に陥る。一生が保証される立場になったのに、一首と引き換えにその恋を捨てるの。
小島:「かねてより思ひしことぞ伏柴のこるばかりなる歎きせむとは」(※注31)ですね。
馬場:鎌倉時代は戦の足音が近づいてきて、式子内親王(しょくしないしんのう)の〝忍ぶる恋〟が主流となる。
小島:心を隠した恋、我慢の恋。
馬場:「桐の葉も踏み分けがたくなりにけりかならす人を待つとなけれど」(※注32)は現代短歌に繋がる歌のひとつであり、かつ伝統短歌なのよね。
小島:この歌は素晴しい。
馬場:だれかこの桐の葉を踏み分けて来る人はいないか、ジーッと耳を澄ましている。これには式子内親王の技巧的ではない心情がある。
小島:私も好きで、短大の古典の授業で本歌取りをやらせたんです。そしたら、面白い子がいて、「着信も聞き分けがたくなりにけり」って。今の子って携帯電話の着信音をそれぞれ分けているから、着信音を聞けばだれからかわかるの。で、あまりにも長く電話が来ないと、あなたの音がわからなくなるって(笑)。
馬場:それ、面白いわね。
小島:現代の10代の乙女にも十分、その心情がわかるんですね。
馬場:そうね。忍ぶる恋だけれども、温かい肉体感というか、温度のある歌っていいわね。
小島:あと、建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ)の、「月をこそながめ馴れしか星の夜の深き哀れを今宵知りぬる」(※注33)もいいですね。
馬場:星の歌というのは七夕のほかに無く、日本の短歌史上に名を残す歌です。ご存知ないと思うけれど、建礼門院右京大夫と式子内親王は、戦争中の学徒出陣の青年たちが熱愛した歌人なの。あのころは恋愛が禁忌で、女も男も恋愛の歌を詠むことなどできなかった。だから、忍ぶる恋になっていくわけ。男たちは式子内親王の、「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」(※注34)という一首を密かに心の中に繰り返していたの。
小島:告白もせず、〝忍ぶる恋〟に徹して死んでいったんですね。
Profile 馬場あき子
歌人。1928年東京生まれ。学生時代に歌誌『まひる野』同人となり、1978年、歌誌『かりん』を立ち上げる。歌集のほかに、造詣の深い中世文学や能の研究や評論に多くの著作がある。読売文学賞、毎日芸術賞、斎藤茂吉短歌文学賞、朝日賞、日本芸術院賞、紫綬褒章など受賞歴多数。『和樂』にて「和歌で読み解く日本のこころ」連載中。映画『幾春かけて老いゆかん 歌人 馬場あき子の日々』(公式サイト:https://www.ikuharu-movie.com)でも注目を集めている。
Profile 小島ゆかり
歌人。1956年名古屋市生まれ。早稲田大学在学中にコスモス短歌会に入会し、宮柊二に師事。1997年の河野愛子賞を受賞以来、若山牧水賞、迢空賞、芸術選奨文部科学大臣賞、詩歌文学館賞、紫綬褒章など受賞歴多数。青山学院女子短期大学講師。産経新聞、中日新聞などの歌壇選者。全国高校生短歌大会特別審査員。令和5年1月、歌会始の儀で召人。2015年『和歌で楽しむ源氏物語 女はいかに生きたのか』(角川学芸出版)など、わかりやすい短歌の本でも人気。
※本記事は雑誌『和樂(2005年9月号)』の転載です。構成/山本 毅
参考文献/『男うた女うた 女性歌人篇』(中公新書)、『女歌の系譜』(朝日選書) ともに著・馬場あき子