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2024.11.27

激動の時代を駆け抜けた! W年表で知る、白洲次郎と正子の生涯【白洲次郎編】

戦前、戦中、戦後と激動の時代を自らの信念をもって突き進んだ白洲次郎さんと正子さん。 ふたりの人生は、どう交差し、どんな歩みだったのでしょうか。誕生から出会い、 そして夫婦として、個人として生きた軌跡を、時代背景や社会情勢とともに振り返ります。 もう一方の【白洲正子編】と併せてごらんください。

白洲正子編はこちら

白洲次郎の人生と、駆け抜けた時代年表!

<誕生~結婚>

1902(明治35)年 0歳
2月17日、父・白洲文平、母・芳子の次男として兵庫県武庫郡精道村(現・芦屋市)に生まれる。白洲家は元禄時代から歴代儒者役として三田藩九鬼氏に仕えた家柄。祖父・退蔵は三田藩家老として明治維新動乱を乗り越え、三田県大参事、正金銀行副頭取などを歴任。父・文平はハーバード大学を卒業後、ドイツのボンに遊学(このころ白洲正子の父・樺山愛輔と面識を得た)。帰国後、綿貿易で巨万の富を築いた。

5歳のころ。兄とふたりの妹とともに。右端が次郎。のちに9歳年下の妹・三子が誕生。

1910(明治43)年 8歳
◆大逆事件(幸徳事件)。社会主義者や無政府主義者が、明治天皇暗殺計画容疑で逮捕。
1914(大正3)年 12歳
神戸一中(現・兵庫県立神戸高等学校)に入学。同級に作家で初代文化庁長官の今日出海、評論家の河上徹太郎らが。野球部に在籍、乱暴者としてならし、父に買い与えられたアメリカ車ペイジ・グレンブルックを乗り回す。
1919(大正8)年 17歳
神戸一中を卒業。イギリスに渡り、ケンブリッジ大学クレア・カレッジに入学。中世史を専攻。イギリスではベントレー、ブガッティを所有し、レースに熱中。のちの七世ストラッフォード伯爵ロバート・セシル・ビング(愛称ロビン)と終生の友情を結ぶ。

左/17歳のころ。親友であり、欧州旅行をともにしたロビンと。10代からオイリーボーイの片鱗あり! 右/同じく17歳のころ。愛車ブガッティと。当時のレーシング・スーツに身を包んで。

1923(大正12)年 21歳
◆関東大震災。9月1日午前11時58分、マグニチュード7.9の激震が関東南部を襲った。
1925(大正14)年 23歳
ケンブリッジ大学クレア・カレッジ卒業。年末年始の冬休みを利用し、親友ロビンとともにベントレーでジブラルタルを目ざす旅へ。
1927(昭和2)年 25歳
◆3月、昭和金融恐慌。預金の取り付け騒ぎが起き、いくつもの銀行や企業が休業に。

左/1929年、27歳。父から結婚祝いに贈られたイタリア車ランチア・ラムダで新婚旅行へ。右/1931年、29歳。セール・フレーザー商会に転職後、海外渡航が増えた。

1928(昭和3)年 26歳
金融恐慌での十五銀行休業宣言の煽りを受け、父が経営していた「白洲商店」が倒産。大学院に進んでいたが帰国を余儀なくされる。この年、同じく帰国した正子と知り合う。
1929年(昭和4)年 27歳
◆ニューヨークから世界恐慌が始まる。
11月、樺山正子と結婚。京都で結婚式を挙げる。

<帰国~第二次世界大戦終結>

1931(昭和6)年 29歳
2月、赤坂氷川町の家で長男・春正誕生。帰国後は英字新聞社「ジャパン・アドヴァタイザー」に勤務していたが、結婚後、総合商社「セール・フレーザー商会」に転職。この年、取締役に。第二次世界大戦が勃発するまで、2年に3回くらいの割合で海外を訪れていた。
1935(昭和10)年 33歳
10月、父・文平死去(66歳)。

1929年、結婚。次郎27歳、正子19歳。お互いにひと目惚れでした!

1937(昭和12)年 35歳
日本食糧工業(のちのニッスイ)取締役に就任。以降、毎年のようにイギリスへ。ロンドンでは駐英大使の吉田茂とも親交を深める。
1938(昭和13)年 36歳
1月、次男・兼正誕生。
1940(昭和15)年 38歳
6月、小石川水道町の家で長女・桂子誕生。このころから、戦争拡大による食糧難を見越して、東京郊外の田畑のある農家を探し始める。
1941(昭和16)年 39歳
◆真珠湾攻撃。12月8日、日本軍はハワイ・オアフ島パール・ハーバーを奇襲攻撃。太平洋戦争へとつながる。
1942(昭和17)年 40歳
日本水産に辞表を提出。東京郊外の鶴川村の農家を農地付きで購入。

1931年、29歳ごろ。海外出張を繰り返していた1930年代、船上にて。

1943(昭和18)年 41歳
5月、鶴川村へ転居。この家が武蔵国と相模国の国境にあることから、無愛想をもじって「武相荘」と命名。
1945(昭和20)年 43歳
◆8月14日、ポツダム宣言の無条件受諾を決定。翌日、天皇の玉音放送。
敗戦。占領下の12月、吉田茂外相の要請で、終戦連絡中央事務局参与に就任(翌年3月に次長)。GHQ(連合国最高司令官総司令部)と連絡調整する日本側唯一の機関で、サンフランシスコ講和条約の発効まで、GHQとの折衝にあたる。

<終戦後~政財界の一線を退く>

1946(昭和21)年 44歳
◆5月、第一次吉田茂内閣成立。11月、日本国憲法公布。

武相荘にて。次郎と正子。

1946(昭和21)年 44歳
2月13日、GHQ作成の憲法草案が日本政府に手渡されてから、3月6日憲法改正草案要綱の発表にいたるまで、GHQとの交渉に立ち会う。12月、経済安定本部(経済企画庁の前身)次長にも就任。
1947(昭和22)年 45歳
6月、吉田内閣総辞職にともない、終戦連絡中央事務局次長を退任。
1948(昭和23)年 46歳
◆10月、第二次吉田内閣成立。
第二次吉田内閣のもと、マッカーサーからの指名で貿易庁(翌年、通商産業省に統合)長官に就任。在任は2か月半。

1954年、只見川のダム竣工式。臨席される秩父宮妃(助手席)をランドローバーで送迎。

1950(昭和25)年 48歳
◆6月、朝鮮戦争勃発。
吉田茂首相の特使として、池田勇人蔵相らとともに渡米。平和条約締結の交渉に臨む。
1951(昭和26)年 49歳
◆9月、サンフランシスコ講和条約調印。
電力再編に力を注ぎ、東北電力会長に就任。8月、首席全権委員顧問として渡米、サンフランシスコ講和会議に出席。サンフランシスコ講和条約の調印に立ち会う。
1952(昭和27)年 50歳
外務省顧問に就任。軽井沢ゴルフ倶楽部理事に就任。
1953(昭和28)年 51歳
吉田茂首相の特使として欧米を視察。8月、母・芳子死去(79歳)。
1956(昭和31)年 54歳
◆石原慎太郎『太陽の季節』が芥川賞受賞、ベストセラーに。
1959(昭和34)年 57歳
東北電力会長を退任。以後、荒川水力発電会長、大沢商会会長などを歴任。大洋漁業、日本テレビ社外役員なども務めるが、政財界の第一線からは退く。

<軽井沢ゴルフ俱楽部~晩年>

1964(昭和39)年 62歳
◆東京オリンピック。「東洋の魔女」女子バレー決勝戦が盛り上がる。
1976(昭和51)年 74歳
軽井沢ゴルフ倶楽部常務理事に就任。

74歳ごろ。軽井沢ゴルフ倶楽部でメンバーのマナーに目を光らせる。軽井沢には、東京からポルシェ911で赴いていた。

1980(昭和55)年 78歳
次郎にとって最後のイギリス旅行へ。親友ロビンとロンドンで過ごす。
1982(昭和57)年 80歳
軽井沢ゴルフ倶楽部の常務理事制度廃止に伴い、理事長に就任。
1983(昭和58)年 81歳
◆NHK朝の連続テレビ小説「「おしん」大ブーム。
3月、家族ぐるみのつきあいだった小林秀雄死去(80歳)。
1985(昭和60)年 83歳
正子とともに軽井沢、続いて京都を旅行。帰宅して数日後の11月28日死去。

1985年、紅葉の季節、軽井沢旅行を楽しむふたり。

白洲次郎、正子の面影を訪ねることができる「旧白洲邸 武相荘」

住所:東京都町田市能ヶ谷7-3-2
電話:ミュージアム042-735-5732 レストラン042-708-8633 ショップ042-736-6478
開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
休み:月曜(祝休日は開館)、夏季・冬季休館あり
メール:info@buaiso.com
公式サイト:https://buaiso.com/
※レストラン、ショップゾーンは入場無料 ※団体での訪問は、あらかじめ予約のこと

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和樂web編集部


協力/牧山圭男、牧山桂子 写真提供/旧白洲邸 武相壮 構成/田中美保、古里典子(本誌) ※本記事は雑誌『和樂(2024年6・7月号)』の転載です。
出典・参考文献/『プリンシプルのない日本』白洲次郎、『風の男 白洲次郎』青柳恵介、『白洲家の日々 娘婿が見た次郎と正子』牧山圭男、『次郎と正子 娘が語る素顔の白洲家』牧山桂子(以上新潮文庫)、『白洲次郎の流儀』(新潮社)、『白洲次郎』(平凡社)、『白洲次郎 一流の条件』(宝島社)
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