銀座で育まれた新橋演舞場と資生堂の縁
資生堂は、明治5(1872)年に東京・銀座で国内初の民間洋風調剤薬局として誕生したのが始まりです。明治35(1902)年には、その薬局内にソーダ水とアイスクリームを製造販売する「ソーダファウンテン」を設けました。当時まだ珍しかったソーダ水やアイスクリームは、さまざまな文学作品にも登場するほど評判を呼びます。このハイカラな最先端の憩いの場に足繁く通ったのは、意外にも新橋の芸者衆だったそう。三味線のお稽古の合間にソーダ水で一息つく芸者衆のために、三味線置き場を作ったとのエピソードが残っています。
新橋演舞場は、その芸者衆が芸を発表する「東をどり」の場として大正14(1925)年に建てられました。今回の新緞帳の寄贈は、新橋演舞場と東をどりの100年を祝う特別なものです。

社内コンペで採用されたデザイン
新橋演舞場では東をどり開催前に、神職が立ち会う緞帳修祓式が厳かにとり行われました。暗転後に新緞帳にライトが照らされると、会場からどよめきの声が。黒地に鮮やかな赤いラインが際立つデザインは、「舞」のタイトル通り躍動感に溢れていて、飛び出してくるような迫力を感じました。
この緞帳のデザインは、資生堂クリエイティブ株式会社内でコンペが行われ、数々の案の中から選ばれたものです。担当したアートディレクターの佐野りりこさんは、「元々こちらの新橋演舞場の公演によく来ていまして、前回に寄贈した緞帳を見て存在感を感じていました。自分も手がけられたらいいなと、憧れの気持がありましたので、応募しました」と動機を話します。
継承されたアート&サイエンスの精神
佐野さんが憧れを抱いた緞帳は、平成5(1993)年に資生堂から新橋演舞場に寄贈されたものです。当時も今回と同じように、社内コンペで採用されたクリエイティブディレクターの信藤(のぶとう)洋二さんは、「その頃の最先端技術であるコンピューターグラフィックを使って、デザインを仕上げました」と振り返ります。「光彩」のタイトルがつけられた緞帳からバトンを受けた「舞」も、今までにない最新の技を使用。驚いたことに、実際に人が舞う軌跡をモーションキャプチャーという方法で記録し、そのデータを用いてデザインに仕上げているのです。
舞台緞帳は著名な画家の作品を取り入れるものが多いなか、最新技術を使って一からデザインを起こすのは、他に例を見ません。資生堂が創業時から掲げている「アート&サイエンス」の精神が、自然な形で継承されているようです。佐野さんが提案した演者の舞を線で表現するアイデアは、社内で検討を重ねる内に、モーションキャプチャーを使うことに発展。そして尾上流四代家元の尾上菊之丞さんによる振付で、歌舞伎俳優の中村隼人さんが舞うという、贅沢な試みが実現しました。
四季を表現した踊り手の動きが活きる
緞帳のデザイン制作に協力した菊之丞さんは、祖父の代から新橋芸者の舞踊指導、そして東をどりにも携わっています。デザインのための振付とはどのようなものだったのか、お尋ねをしました。「動きによって出てくる軌跡が、コンピューター上で曲線になって現れるのですが、それを確認しながら振付をしました。あ、こういう動きをするとダイナミックになるなぁとか、ちょっとしたブレも、逆に人間らしくていいから残そうとか、ディスカッションしながらやった感じですね」。デザイナーと共に、チームの一員として関わられたそうで、「とても楽しい経験でした」と笑を浮かべます。
水の流れや花が散るさまなど、日本の四季を表す振付を菊之丞さんが行い、その場で中村隼人さんが実際に舞う。そのデザインを川島織物セルコンの職人が手作業で緞帳に仕上げるという、画期的な現場だったようです。「踊りで表した曲線が、緞帳を間近に見ると糸のねじれで複雑に表現されていて感激しました。自分たちの踊りというのは無形のものですが、身体のフォルムはなくても視覚化されているというか、新しいアートを見ている気分ですね」

代々受け継がれた曲線美と職人の技が融合した赤いライン
緞帳の製織(せいしょく)を担当した川島織物セルコンは、緞帳製作を明治26(1893)年から現在まで作り続けています。その製作の手法は、下絵に従って縦糸に5~6本の糸をよって作った横糸を一織ずつ織る、「綴織(つづれおり)」で行われます。
修祓式の後の直会(なおらい)では、川島織物セルコンの山口進会長が製作の苦労を話されました。「大きい動きや小さい動きの躍動感を表す曲線は、縦糸と横糸を交差させて仕上げるので難しかったですね。曲線を織るということは、普段はありませんので。また自社で糸も染めているのですが、曲線の赤い糸は200色使用して、グラデーションを表しました。製作期間は1年ほどですが、実は準備の方に時間をかけるので、足かけ3年ぐらいは携わっています」
「舞」の緞帳の特徴とも言えるラインは、デザイナーとしても苦労があったようです。「頭の中でイメージしていたラインと、実際に舞っていただいた軌跡とは、こんなに回転するんだとか、想像とは違うところもあったので、全体をどう美しく調和させるかを試行錯誤しました。元の大胆さと美しさのイメージを残しながら、実際の踊りの線だけを抽出してデザインとして起こすという感じで。何千本、何万本の軌跡を見ながら、このラインにしようとか、何秒から何秒のこのラインにしようという作業を重ねました」と佐野さん。
暗転の後に目に飛び込んできた緞帳のラインは、斬新でありながらも、どこか伝統を感じるものでした。チーフクリエイティブオフィサーの杉友ジョージ壮さんは、「資生堂クリエイティブに入社したデザイナーは、1年間みっちり資生堂書体を習います。これは100年以上も手書きによって伝承されてきた書体で、資生堂ならではの特色です。毎週課題が出てマスターするので、1年後には曲線が活かされた書体がすっと手書きで書けるようになるんですよ。佐野さんの最初のデザインを見た時に、それが現れていると思いました」
自然と身についた曲線美に、演者のスピリットが吹き込まれ、織物で表現された緞帳。新橋演舞場では、日舞や歌舞伎などの伝統芸能以外にも、現代劇やミュージカルの上演も行われています。どんな催しものとも調和する新緞帳「舞」は、開演前の高揚感と、終演後の満足感を倍増させてくれるものとなりそうです。
▼緞帳のメイキングムービーはこちらです。是非、ご覧ください。

