現在、薩摩琵琶奏者の第一人者として活躍する友吉鶴心(ともよしかくしん)さん。彼は、NHK大河ドラマなどにおける芸能考証も勤められています。古より受け継がれ、一度聴いたら忘れられない不思議な音色を放つ琵琶。その長い歴史と魅力について、じっくりと語っていただきました。
ドラマの中の芸能考証が果たす役割
-芸能考証はいつから担当されているのでしょうか。
友吉:平成14(2002)年の『利家とまつ』で琵琶指導をしたのが最初です。先代の五世野村万之丞(のむらまんのじょう)さんが、大河ドラマの芸能考証という言葉を作った方なんです。すごく親しくさせていただいていて、毎晩、遊びに連れていってもらっては、芸能についてあれこれ語りあっていた仲でした。その時に『利家とまつ』の芸能考証の話をお受けになっていて、琵琶の指導があるから、そこをやらないかと声をかけてくださったんです。それ以降、琵琶指導として入らせてもらいました。
その後、万之丞さんが早くにお亡くなりになられて、他の方が担当されることになったのですが、平成24(2012)年に放送された『平清盛』で、再び芸能指導という形で私が入ることになりました。私自身、万之丞さんが携わっていた芸能考証を受け継ぐのは早いと思っていたのですが、野村萬(のむらまん)先生と万之丞さんの弟である九世野村万蔵(のむらまんぞう)さんに「芸能考証を受け継いでいくのはあなたで良かった」と言ってもらえて。それ以降、芸能考証としてお仕事をさせていただいています。大河ドラマの他にスペシャルドラマ、時代劇等もやらせていただいているので、もう50作品以上になると思います。
-芸能考証という言葉を聞いたことがなかったのですが、そういう流れがあったのですね。でも伝統芸能に携わる方が入られることで、その時代をよりリアルに見ることができ、楽しめるようになったと思います。芸能考証をされていて大変なことってどんなことでしょうか。
友吉:自分が勤めるようになってから、ドラマの中での芸能のシーンがすごく増えたんです。NHK大河ドラマ『光る君へ』にいたっては、本当に身を捧げました(笑)。例えば、出演者が筆で字を書くシーンが出てきましたが、あれも「アフレコではダメです」と言って、全部、本人たちに書いてもらうように提案したんです。それこそ、役者さんたちに練習してもらうために、家にある硯(すずり)や墨を差し上げました。それらの道具は、祖父が収集したものです。祖父は日本美術の研究家である田中親美(たなかしんび)さんと交流があり、田中さんから分けていただいた品々を番組の資料として使っていただきました。家には田中さんが復元された古今和歌集などもあるんですよ。硯も宋や明からの渡り物で、かなり古い名石達を彫って作ったものや、筆も平安時代と同じ蒔き筆というもので、今は滋賀でしか作られていない筆なんですが、それを使ってもらいました。あのシーンは一切、吹き替えなしで撮影されたんです。
-『光る君へ』を見ていて、平安時代の雅な世界に没入できたのは、そういったリアリティの追求が生んだものだったんですね。
友吉:雅楽もそうです。近代の天皇が聞かれた時に使用された楽器や所蔵されていた特別な楽器をお借りして演奏しました。ですからお稽古する時は、必ずお香を焚いて演奏していたんです。そうやって徹底して、時を近づけるようにしました。チーフ演出の中島由貴さんから、楽曲もオリジナルを作ってほしいという依頼があって、ドラマの中で弾いている琵琶の曲、雅楽の曲は、全部私が作曲したものなんです。面白いのは、雅楽の演奏者から「あの曲はなんという曲ですか?」 と、問い合わせがあったそうなんです。プロが聞いてもわからないのかと嬉しくなりました。
「光る君へ」の琵琶シーンはこうして生まれた
-ドラマの中でまひろが琵琶を弾くシーンがとても印象的でした。何か目に見えないものを見つめているというか、楽器というより、何かを思って弾いているように感じたのですが。
友吉:あの琵琶はお母さんの形見、まひろにとってはお母さん自身なんです。お母さんを悲惨な形で、早くに亡くしてしまったまひろにとって、琵琶を弾くことでお母さんを慕っていたんです。
-それで、悲しみや切なさが音に表れていたんですね。一人で物思いに耽るように琵琶を弾いている姿に惹き込まれました。
友吉:あのシーンは、中島さんと脚本家の大石静先生で話され、お母さんを象徴するアイテムとして登場させたんです。まひろが唯一お母さんに寄り添えるものだったんですね。
-琵琶は曲に合わせて調弦するので、初心者には難しいと聞きますが、かなり練習されたのでしょうか。
友吉:あのドラマのシーンに関しては、まひろは琵琶を教わっていないし、どう弾いていたのかもわからない状態でしたから、琵琶をうまく弾く必要はなかったんです。それこそ、調弦の仕方も知らないわけです。それより、まひろがいかに母を思いながら、自分と向き合うかが大切なシーンでした。
-それで音楽というより、一音、一音が響くような弾き方だったんですね。なんかそう思うと、琵琶って楽器だけれど、ただ演奏するだけではないような、人に近しいものを感じます。平家物語の琵琶法師もそうですが、人と一体となって、深い内面を表現する楽器なんですね。
友吉:何かに寄り添っているように感じるのは、やはり弾く人の気持ちがそのまま表れるからなんでしょうね。私自身も自分の気持ちが落ち着かない時に稽古をしても、うまく音が鳴らないんです。音が出ないというのではなくて、自分がそういう感覚に陥ってしまう。どちらかというと精神的なものが出やすい楽器といえるかもしれません。
伝来された琵琶が日本の精神性と結びついた
-いつ頃から琵琶は日本で演奏されるようになったのでしょうか。
友吉:多分、奈良時代以前、仏教伝来と同時期ぐらいですね。ただ資料がそれほど残ってないんですよ。正倉院の御物の中に琵琶が何面かあって、あれが日本に伝わる一番古い琵琶です。日本製の琵琶も何面かはあるんですが、ほとんどは唐の琵琶。最初に唐から伝わった琵琶は宮廷で演奏される華やかな音楽だったようです。お客様を接待するためのバックミュージックのような、季節に合わせたエタテ―テインメント的な要素も含まれていたんですね。その影響から、日本でも貴族たちが公の場で演奏するようになったんです。雅楽というのは、もともと教科書で習う『大宝律令(たいほうりつりょう)』という法律に定められていたんです。この中に奏者の役割や給料までも全部書いてあった。国が雇っていた役職だったんです。そういう中で、上手い、下手があって、得意な人がやるようになったのだと思います。
-琵琶の種類もいろいろありますよね。どのような違いがあるのでしょうか。
友吉:雅楽という音楽の中で演奏されているのが、楽琵琶(がくびわ)という琵琶です。 その後に出てくるのが盲僧琵琶(もうそうびわ)で、目の見えない御坊様が弾かれていた琵琶 です。お経とか呪文とかを歌いながら弾いていました。この楽琵琶と盲僧琵琶を融合させたものが平家琵琶です。 最近の学者では「盲僧琵琶はもっと後に出てきたものではないか」という見解もありますが、定かではないです。平家琵琶は平家の滅亡から百年ぐらい後の13世紀に平家物語の成立と同時に出来たものです。あれはもちろん平家を鎮魂する為に生まれてきた作品でした。
-宮廷音楽から、だんだんと琵琶は精神的なものとして変化してきたんですね。
友吉:芸能というものは、琵琶のみならず、鎮魂であったり、奉納から始まっています。それが日本に入ってから仏教へと結びつき、神道と結びついて、より精神的なものになっていったんだと思います。
-そう思うと、仏教の変化もそうですけれど、やっぱり日本独自に発展していったというか、日本人の感性に深く共鳴して、受け継がれていったんですね。琵琶の全盛期というのはいつの時代なんですか。
友吉:雅楽の琵琶であれば平安時代ですね。雅楽というものがあの時代に集大成されました。その後、天台宗が盛んになってくると盲僧琵琶が盛んになり、 武士の文武両道のたしなみとして、薩摩の島津家が琵琶を奨励するようになり、薩摩琵琶、そこから派生して筑前琵琶が誕生したんです。ただ、薩摩琵琶という名前は明治天皇が命名されたもので、それまではただ琵琶とだけ呼ばれていました。
江戸時代、町の人々の波に押される
-江戸時代、琵琶はどのように親しまれていましたか?
友吉:江戸時代は大衆文化が大きく花開いた時代なので、琵琶はあまり普及しなかったようです。やっぱり江戸時代といえば、三味線が主流の時代ですから。沖縄の三線、奄美の三線が、四国を経て、大阪に流れ着き、そこで、人形浄瑠璃の義太夫節の弾き語りが人気となり、さらに歌舞伎へと広がっていきました。
-天皇や武家に伝わる音楽と庶民が親しむ音楽がはっきり分かれていったのですね。
友吉:薩摩琵琶の場合は、武士が弾いていたため、正しい派として、正派と呼ばれていました。庶民が演奏していたのは三味線音楽です。そこから三味線音楽と武骨な武士が弾いていた琵琶が合体して、ちょっと娯楽感のある柔らかい琵琶も生まれたんです。明治時代に天才と呼ばれた永田錦心(ながたきんしん)が出てきて、艶麗(えんれい)で都会的な錦心流を創始しました。それが一世を風靡して、東京の街中に琵琶が広がったんです。その当時は琵琶屋が36軒もありました。その後、明治27(1894)年に始まった日露戦争では、薩摩琵琶が注目されるんです。戦争に突入すると海軍の方がやっぱり強く、人気があったんですね。 その海軍の大将とか元帥たちは、東郷平八郎など鹿児島や宮崎といった九州出身が多かった。そうすると、みんな琵琶を多少習っているので、海軍と琵琶が結びついて、どんどん琵琶に追い風が吹いて、戦争の犠牲者や悲劇など,多くの琵琶曲が作られ、歌われるようになりました。
―琵琶の音色が悲しい音に聞こえるのは、そういう歴史的な背景もあるんですね。
琵琶奏者は現代のシンガーソングライターだった
-琵琶の曲数ってどのぐらいあるんですか?
友吉:残されていないものも含めたら、ものすごい数がありますよ。ちょっと面白い敵討ちとか、かっこいいことがあると、全部それを弾き語っていたんです。現在のシンガーソングライターに近いものがありますね。それがだんだん廃れて、古くからある『平家物語』など、悲劇のものだけが何十曲も残ったんです。昔は、おとぎ琵琶っていうのもあって、『ぶんぶく茶釜』や『さるかに合戦』とか、子どもたちの楽しめる琵琶曲っていうのもたくさんありました。
ー現在、薩摩琵琶演奏者の方ってどのくらいいらっしゃるのですか。
友吉:演奏できる人ならたくさんいますが、プロとして食べていける人は、ほとんどいないです。需要と供給のバランスで、絶滅危惧種でもあるんです。だって、世の中広しといえど、クラシックのコンサートやポップスやロックや、ジャズのコンサートは1年中やっていますが、琵琶コンサートはやってないでしょ。衰退していく芸能だなって思います。
伝統芸能は受け継ぐものなのかを問う
-今後、友吉さんは、どのように琵琶奏者を育てていこうと思っていらっしゃいますか。
友吉:私にはそんなに大きなことはできないので、師匠から教わったことをきちっと伝えるだけです。あとは次のお弟子さんたちが考えること。日本の文化財とされているものって、火をつけると全部消えちゃうものなんです。琵琶でも掛け軸でも絵や書でも、木や紙でできているから燃えちゃうわけです。お城だって焼失してきた。でも、消滅することによって、新しく生まれる、ルネッサンスが起こるわけです。時代、時代によって新たな形に変化してきた。ただ、そのスピリッツ、精神的なところだけは受け継いでいきたいと思っています。伝統文化や伝統芸能って言葉も私は好きじゃないんですよ。守るものではないって思っているから。本当の継承者はお客様なんです。聞いてくれる人がいて、面白いから行こうよって、1人が言ってくれたら、2人になる。2人が面白いって言ってくれたら3人、4人になる。そうやって聞く人たちがいてくれることが文化を繋いでいくのだと思っています。 
-見る側がいるから、芸術も芸能も成り立つんですものね。
私が尊敬している野村萬先生のお稽古は、プロのお稽古だろうが、素人さんのお稽古だろうが一緒なんです。そういうお姿を拝見して、後に追いつかなきゃいけないなと思いますし、琵琶の鶴田先生もそうでした。やっぱり琵琶に命をかけてきたというか、できることは何でもやってきたし、琵琶の新しい改良とか、常に琵琶のことを考えていた。だから生半可な気持ちじゃできないなと思いながらも、琵琶と向き合って生きていくしかないかなって思うんです。
日本古来の伝統はどこから来て、どこへ向かうのか
友吉: 未来はね、どこにあると思いますか。私は「未来は過去にある」と信じています。父さん、母さん、じいちゃん、ばあちゃん、ひいじいちゃん、その人たちがいないと、私たちだってここにいない。それはそのDNAだとか性格だとか、いろいろなものを受け継いできて、チップのように体に埋め込まれているんだと思うんですよ。それが何百年前の人のチップかもしれないし、百年前の人かもしれない。それが何かのきっかけでぶわっと出てくる。だから琵琶を聞いて、1人でも多くの人が、何かを感じてもらえたら。それは薩摩琵琶だけじゃなく、筑前琵琶であれ、盲僧琵琶であれ、雅楽の琵琶であれ、聴いてもらうことによって、こういう楽器があって、こういう文化が営まれてきたんだという現実に気づいてもらえればいいなと思うんです。
-琵琶奏者として、新たなことにチャレンジされているんですよね。
友吉:先日、Bリーグというバスケットボールの日本一を決める大会で、演奏させていただいたんです。オープニングで、横浜アリーナという空間の中に一人で、1万3000人の方の前で、明治時代に作られた百年以上たっている琵琶の音を聴いてもらった。そうしたら、すごい歓声で興奮してくれて、そのことにこちらもすごく驚き、感動したんです。その後もSNSでずっとツイートされて、1時間で何千件もあって、「琵琶かっこいい」「すごい」と。そうやって知らなかった方たちが聞いてくださって、何か感じてくれたのはすごく嬉しかった。埋め込まれたチップに何かが反応する、古いものでも、ちゃんと伝わっていく。そのぐらいパワーがあるものなんです。何百年も続いてきたものだから。残さなきゃいけないとか、残そうじゃなくても、残っちゃうんですよ、きっとね。そういうことなんじゃないかな。パワーがあって命がけでやってれば、誰かしらはなんか感じてくれているものだと思うんです。
取材を終えて
大河ドラマでまひろが弾く琵琶のシーンに惹き込まれて以来、ずっと琵琶が気になっていましたが、「まひろが自分と向きあって弾いていた」と伺って、琵琶の音色の奥深さを痛感しました。あの低いベースのような音は、私たちの遠い記憶を呼び覚ますスイッチのようなものだったのだなと。また、友吉さんは漆についても学ばれ、現在、琵琶の装飾や修復もご自身でなさっています。楽器でありながら、美しい工芸品としての魅力も感じる琵琶を分身のように大切にされていることが伝わりました。そういった想いの積み重ねがあり、琵琶に囲まれてお話を伺っていると、優雅で穏やかな時間が流れ、とても贅沢な気分に浸れます。「残そうとしなくても、良いものは残ってしまう」。まさに今回の取材で、そのことも強く感じています。私たちの中に眠るDNAが求めてしまうのでしょう。ぜひ、生で琵琶を聞く機会を体感したいと思いました。そして現在の大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』も、次回作の『豊臣兄弟』も芸能考証を勤められる友吉さん。ドラマの中に呼び起こすリアリティをこれからも楽しみにしたいと思います。
友吉鶴心プロフィール
1965 年東京台東区浅草生まれ。薩摩琵琶奏者、日本文化・藝能探究家。幼い頃より様々な伝統芸能を学び、両祖父の偉業である薩摩琵琶の発展を志し、鶴田錦史に師事。祖父の名跡を世襲。文部大臣奨励賞・NHK 会長賞等々受賞。宮家御前演奏の栄を賜わるほか国立劇場主催公演をはじめ国内外で様々なセッションを重ね活躍。『日本文化・芸能を普及する活動』の一環として、NHK 大河ドラマをはじめ数多くの NHK ドラマの文化・芸能を考証し考案・指導する。日本大学芸術学部音楽学科非常勤講師/台東区観光大使/台東区アートアドバイザーなども務める。農林水産省ありが糖大使/一般社団法人日本スイーツ協会理事/NPO ACT.JT理事

