Fashion&きもの

2025.12.26

現代医療と伝統のあわい。「薬としての言葉」とは?【着物家・伊藤仁美+ 医師・稲葉俊郎 対談】前編

京都・両足院に生まれ育った着物家・伊藤仁美さんの連載和を装い、日々を纏う。連載に伴う特別企画として、古来の自然観や価値観を受け継ぐ人々と仁美さんが対談し、日本の美の源泉を探ります。

今回は、医師で作家の稲葉俊郎氏と語り合っていただきました。

撮影協力:星のや軽井沢

伊藤仁美(以下、伊藤) 以前、軽井沢ラーニングフェスティバル(※1)というイベントが開催され、稲葉さんと共に私も登壇させていただきました。そのときごあいさつさせてもらったのが初対面で、その場で私からこの企画での対談をお願いさせていただいたんですよね。

稲葉俊郎(以下、稲葉) ありがとうございました。私は呼吸法の話題で登壇したと思いますが、伊藤さんは着付けのお話をなさったんでしたっけ。

伊藤 私は「纏(まと)う」というテーマで、「大自然を纏う」と題してお話をしました。稲葉先生のお話を聞けなかったのですが、これまでさまざまなインタビュー記事やご著書を拝見していて、ぜひお願いしたいなと。

※軽井沢ラーニングフェスティバル:2018年に始まり、2025年で9回目。白紙のタイムテーブルから始まり、感情や直感と向き合うさまざまなジャンルの体験型ラーニングセッションを、誰でもいつでもどこでも参加したり、開催したりできる〝学びのフェスティバル〟。

医療の場で覚えた違和感

伊藤 私は普段、着物という日本の伝統を扱う場所にいながら、いかにその伝統を現代に寄り添わせていくかをテーマに活動しています。稲葉先生は医療の世界にいながらアートをはじめさまざまなジャンルの方とコラボされていますが、ぜひその活動の源流についてお伺いしたいです。

稲葉 学生時代は東京大学の医学部で西洋医学を学びました。同時に、学生時代から東洋医学やアーユルヴェーダなどの伝統医学にも敬意を感じていたんです。伝統医学には民間医療も含めてさまざまな歴史的文脈がありますが、大学で学ぶ西洋医学はここ100年ほどの浅い歴史で、分子生物学など部分に特化した学問です。医学部では西洋医学が科学的に正しく、それ以外を考えることはあり得ないという世界なんですね。


私はそこに大きな違和感を持ち続けながらも医師免許を取り、その後医療の実践の場にも立ちましたが、やはり自分の中の違和感は消えませんでした。いまの私の中での結論は、茶道や華道、弓道など「道」という世界を学んでいくことで人は成長し、その中で病気が治ることもあるし、治らなくてもその人の生きる道を追求していけばいい、ということです。もちろん現代医学や科学技術を否定するわけではありません。それらと伝統医学や伝統医療をいかにうまく結びつけるかというのが、医療者としての私の役目だと思っています。

「手を当てる」は医療である。

伊藤 名前に「道」と付くものには型がありますよね。同じ型を繰り返していく、あるいは日々鍛錬することが、心と体を健やかにするということでしょうか。

稲葉 そうですね。西洋医学では、医者が患者さんに科学的な知識を教えるというかたちが大前提です。でも私たちそれぞれにだって知恵があるはずですし、体を治す力もある。だから、それらをどう引き出すかが大事だと思うんです。体型や生育歴などの異なる一人ひとりだからこそ、それぞれにそうしたことを発見していくのは〝道の世界〟に近いし、東洋医学はその積み重ねであり、先人たちが培ってきたものに近いと思います。

伊藤 昔の人は日々の生活の中で健康を保つ術を知っていましたよね。季節に応じて旬の物を頂いたり、着物でも紅花(ベニバナ)で染めた着物で体を温めたりしていたと聞きます。

稲葉 本当にその通りです。我々は大自然の中に生きていて、そこからずれると体の歪みや不調として表れてくる。天地自然の理(ことわり)やリズムに調和していくことが、かつての「医療」だったと思います。一方で、私自身も医師として長く勤めましたが、病院というコンクリートの中に入っていると、「眠れない」「痛い」という状況に対してすぐに「睡眠薬を〜」や「痛み止めを〜」という話に終始してしまいます。私には「本当にそれしかないのか?」という違和感が強かった。

伊藤 昔は「手当て」と言って具合の悪い部分にまず手を当てたりしていましたが、実はそうしたことが大事なんだろうなと思います。

稲葉 そう思いますね。繰り返しますが、現代医学を否定するわけではありません。それでもやはり、人間は痛い部分に手を当ててもらうと楽に感じたり、心と心を通わせることで安心して眠ることができることがある、というのも事実です。それを無視するのではなくて、「医療」の枠組みの中で、目に見えない心をどう通わせるかということも考えなければならないと思うのです。

言葉で変わる人間の思考パターン

伊藤 言葉もそうですよね。どういう言葉を自分や周囲に対して投げかけるのか、というのも心の健康という部分には重要だと思います。私が稲葉先生のご著書の中で深く印象に残っていることの一つに、「さようなら」の美しさについての話題がありました。「左様ならば」から来ているこの言葉は、「そうであるならば」ということですよね。別れるのはつらいけれど「別れなければならないのならば」というのが別れの挨拶になっている言語は日本語しかないと。
その背景には「いまの状態を受け入れる」という思想があるという部分に感銘を受けました。

稲葉 ありがとうございます。実は東大在学中、医学部の授業に満足できずに、哲学や宗教学、文化人類学の授業に出ていたのですが、その一つに倫理学者の竹内整一先生の授業がありました。哲学者の和辻哲郎のお弟子さんで、哲学や応用倫理学、宗教を教えていた竹内先生が、「『さようなら』という言葉と『みずからとおのずからのあわい』が私の研究テーマです」と話されたことが衝撃で。

その中で、「『さようなら』という日本語の別れの挨拶は、『左様であるならば』という接続詞から来ていて、世界の別れの言葉の中で唯一の表現である」という主旨のお話があり、私自身感動した記憶があります。細かくは『いのちの居場所』(扶桑社、2022年)の著作の中にも書きました。

伊藤 これまで深く考えたこともなかったけれど、日本人の美意識が凝縮された言葉だと思うようになりました。

稲葉 竹内先生の影響もあって、私自身も言葉そのものに敏感になって、後に本を書くようになりました。「言葉自体が薬」だと思うようになったんですね。たとえば、物事を断定的に言い表すことが適した人もいれば、曖昧な言葉にして濁したほうが、心が安定するという人もいます。日本人には後者のほうが多いかもしれない。そこに日本語という言語の魔術というか、不思議な作用を感じるんです。「言葉によって人間の思考パターンが変わることがある」という点を、医学的な文脈から研究しているところです。

曖昧であるがゆえに薬にも毒にもなる

伊藤 日本語には余白や余韻を残す表現が多くあるので、一つの言葉でいかようにでも解釈できる、みたいなことがよくありますよね。たとえば「よろしく」という言葉も、厳密にどのこと・ものを指して言っているのかわからないということが日本語では普通ですよね(笑)

私はスマホやパソコンを通して「情報が与えられている」という感覚があるんですが、ほんの少し前までは情報は活字から得るもので、本では文字と文字の余白を想像し、それが話をするときにも言葉の奥にある意図や心を読み取ることにつながっていた気もします。何かが失われてしまった感覚があるんです。

稲葉 そうですね。失うことで初めて気づく違和感もあって、そういうところに敏感であることが大切だと思います。むしろ鈍感であるがゆえに、自分で自分を苦しめているという状況もあるんです。

伊藤 誰かに言われて嫌だった言葉を反復したりですか?

稲葉 そうですね。患者さんと接していると、他人の言葉にやられている人が多い印象を受けます。それが自己否定につながったりしている。興味深いことに、そうしたケースでは診察の中でこちらがその人の言葉を引き出そうとしても、「自分の言葉」がなかなか出てこないことがあります。

そういうとき、私は「あなたがいま何を感じて、何を求めているのかを紙に書いて持ってきてください」とお願いしています。すると、「書く」という行為の中でその人の中で気持ちが整理されていくんです。書くという行為自体を一種のセラピー要素として取り入れています。

伊藤 曖昧であるがゆえに、薬にも毒にもなってしまうのが日本語なのかもしれませんよね。

中編に続きます】

(Text by Tomoro Ando/安藤智郎)
(Photos by Nakamura Kazufumi/中村和史)

Profile 伊藤仁美
着物家
京都の禅寺である両足院に生まれ、日本古来の美しさに囲まれて育つ。長年肌で感じてきた稀有な美を、着物を通して未来へ繋ぐため20年に渡り各界の著名人への指導やメディア連載、広告撮影などに携わる。
オリジナルブランド「ensowabi」を展開しながら主宰する「纏う会」では、感性をひらく唯一無二の着付けの世界を展開。その源流はうまれ育った禅寺の教えにある。企業研修や講演、国内外のブランドとのコラボレーションも多数、着物の新たな可能性を追求し続けている。
▼伊藤仁美さんの連載はこちら
和を装い、日々を纏う。

Profile 稲葉俊郎
医学博士/作家
1979年、熊本県生まれ。東京大学医学部付属病院循環器内科助教を経て、軽井沢病院院長に就任。2024年から慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(SDM)特任教授。医療の多様性と調和を目指し、西洋医学に加え伝統医療、補完代替医療、民間医療を広く修めるほか、芸術への造詣も深く、『山形ビエンナーレ2020、2022、2024』では芸術監督を務めた。著書に『ことばのくすりーー感性を磨き、不安を和らげる33篇』(大和書房)、『山のメディスンーー弱さをゆるし、生きる力をつむぐ』(ライフサイエンス出版)、『肯定からあなたの物語は始まるーー視点が変わるヒント』(講談社)など多数。

星のや軽井沢 INFO


浅間山麓の自然に囲まれた「谷の集落に滞在する」がコンセプトの「星のや軽井沢」。趣の異なる2種類の源泉かけ流し温泉や、心身を整えリラクゼーションへと導くスパ——。信州の滋味を味わう食事や「エコツーリズム」を柱としたアクティビティなどさまざまな体験を通して休息の時間を提供しています。

冬に旬を迎える山の幸や発酵食など、棚田の景色を眺めながら味わう、優雅なティータイム「棚田アフタヌーンティー -冬-」提供開始


各施設が独創的なテーマで、圧倒的非日常を提供する「星のや」。その始まりの地である、長野県の「星のや軽井沢」では、2025年12月1日~2026年2月28日の期間、冬に旬を迎える山の幸や発酵食など、棚田の景色を眺めながら味わう、優雅なティータイム「棚田アフタヌーンティー -冬-」を提供します。

星のや軽井沢を象徴する「棚田の情景」をイメージしたアフタヌーンティーで、2年目となる今年は、信州の食文化を織り込んだバターサンドや日本酒チーズフォンデュが新たに加わりました。限定醸造のロゼシードルや飲む伝統工芸と呼ばれる「桜樺茶(さくらかばちゃ)」とともに、優雅なひとときを堪能できます。

所在地:〒389-0194 長野県軽井沢町星野
電話:050-3134-8091(星のや総合予約)
アクセス:JR 軽井沢駅より車で約 15 分、碓氷軽井沢 IC より車で約 40 分
URL:https://hoshinoresorts.com/ja/hotels/hoshinoyakaruizawa/

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伊藤仁美

着物家/伊藤仁美 京都の禅寺である両足院に生まれ、日本古来の美しさに囲まれて育つ。長年肌で感じてきた稀有な美を、着物を通して未来へ繋ぐため20年に渡り各界の著名人への指導やメディア連載、広告撮影などに携わる。 オリジナルブランド「ensowabi」を展開しながら主宰する「纏う会」では、感性をひらく唯一無二の着付けの世界を展開。その源流はうまれ育った禅寺の教えにある。企業研修や講演、国内外のブランドとのコラボレーションも多数、着物の新たな可能性を追求し続けている。
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連載 伊藤仁美

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