人形浄瑠璃で、眼病封じの寺として全国に広まる
近鉄「橿原神宮前(かしはらじんぐうまえ)駅」からタクシーに乗車して20分ほどで、壷阪寺へ到着。標高約300メートルの場所にあり、空気が澄んでいるのが感じられます。南に吉野山を控え、北に大和奈良盆地一望をおさめる壷阪の山に建つお寺です。大宝3(703)年に元興寺(がんごうじ)の僧・弁基上人(べんきしょうにん)がこの山へ修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵におさめ、感得した観音様のお姿を模刻してまつったのが始まりといわれています。
執事の喜多昭真(きたしょうしん)さんと住職の常磐勝範(ときわしょうはん)さんが、織太夫さんを出迎えてくださいました。
喜多さんは「壷阪寺は西国三十三所※1第六番札所なのですが、この『壺坂観音霊験記』の沢市(さわいち)とお里夫婦のような霊験記が残っているのは、この寺だけなのが不思議です」と話されます。「大正時代にはこのストーリーを知らない人がいないぐらい、『壺坂観音霊験記』の浄瑠璃が流行ったんだそうです。持ち歩きができる懐中稽古本も出回っていました。浄瑠璃のなかにも入っているから、西国の六番目は壷阪寺って、皆が知っていたんですよね」と織太夫さん。続けて常磐さんは、「浄瑠璃で壷阪寺を知った人たちが、昔は険しい山道を登ってお参りに来られていたんだと思います」と話します。

『壺坂観音霊験記』とは、このような物語です。
壷阪寺に伝わる霊験譚(れいげんたん)※2を軸に、信心の篤い夫婦の情愛を描いた作品。お里は視力を失った夫・沢市とつましい生活を送っています。時には不遇な身の上から屈折した感情に陥る沢市ですが、それでもお里は献身的に支えます。沢市はお里にある疑いを持ち、そのことを詰め寄り……。疑いが誤解であったとわかりあえた二人は、信仰する観音様の慈悲にすがろうと山深き壷阪寺へ向かうのですが、物語は意外な方向へ展開します。
眼が印象的な観音様にお参り
壷阪寺の本堂である八角円堂には、十一面千手観音菩薩像が安置されています。『壺坂観音霊験記』沢市内より山の段・前を語られている織太夫さんは、公演の成功の気持ちを込めてお参りをされました。

「目の観音様」と呼ばれ、今でも人々は目の健康を願って訪れるそうです。壷阪寺の観音様は大きく目を開いているのが印象的です。人形浄瑠璃の物語のように、温かく迎え入れてくださっているように、感じられました。

闘病中だった師匠への祈願で始めた150霊場御朱印
織太夫さんはお参りの時に御朱印帳を持参されていて、住職に御朱印をお願いされていました。見たことのない厚さに驚いていると、これは「神仏霊場参拝朱印帳」という関西地方を中心とした150か所の神仏の御朱印専用のものだと教えていただきました。「師匠が病に倒れた時に、公演で各地へ移動するため病院へ毎日通うことはできないから、せめて出来ることはないかと思って始めました」。咲太夫師匠は残念ながら令和6(2024)年にお亡くなりになられましたが、供養の思いも込めて、続けておられます。

今年最初の御朱印は、こちらの壷阪寺になりました。カバーと御朱印帳ケース、信玄袋、数珠入れは、龍村美術織物の「高山寺龍文(こうざんじりゅうもん)」の文様で揃えておられます。京都の清課堂で別誂えされた銀製の香筒(こうづつ)に近づいて見てみると、本名の坪井家と鶴澤(つるさわ)家の家紋である中陰蔦(ちゅうかげつた)が入っていました!

哀切を帯びた地歌にスマホのSiriが反応!?
取材の前日に国立文楽劇場で『壺坂観音霊験記』を拝見した時、冒頭で織太夫さんが語る地歌『ままの川』で、別世界へ引き込まれたような気分になりました。「自転車に乗りながら『ままの川』の練習をしていたら、スマホのSiri(シリ)が『どうかされましたか?』って反応したんですよ。設定がオンになっていたからなんですが、びっくりしましたね(笑)」と織太夫さん。もの悲しい語りを、具合が悪くなったのかとSiriも心配になってしまったのでしょうか!?
「語りだしは、目の不自由な沢市の地歌に聞こえないといけないんですよ。この後に『菊の露』という地歌もありますが、音をわざと外して不安定な感じにしていて、このやり方も昔から続いている語り方です」。織太夫さんは興味深い話を教えて下さいました。「沢市の首(かしら 人形の頭)は途中で今の源太(げんだ)※3に変わっているんですよね。祖父師匠の山城少掾(やましろのしょうじょう)の語る沢市だと、従来の「えらい疱瘡(ほうそう)で見る影もない顔形」という本文に合わせた姿とはあわない、ということで変わったようです。源太の首にあった沢市の語りという点にも心を配っています。目が不自由で疱瘡はあるけれども好青年でなくてはいけない、ということですよね」
続けて織太夫さんは、「目をつぶって語る訳ではないけれど、目が見えていない人の詞(ことば 台詞)に聞こえなくてはいけない。ワンクッション置いて語ったり、空気の動きでお里のいる場所を沢市が把握しているのだと表現したり、お客様に芸で伝える必要があります」と説明してくださいました。主人公の境遇を表現する語りに導かれて、物語の世界へ入っていけたのだと合点がいきました。
織太夫さんが語る『壺坂観音霊験記』の歴史
織太夫さんは演目や、過去の名人たちについて、長年研究を重ねておられます。現在まで受け継がれてきた作品の歴史について、詳しく話してくださいました。
ーーー
この作品は明治12(1879)年10月に大阪大江橋席で初演されました。その際の外題は『西國三拾三所 観音霊験記』といって、西国三十三所の各お寺の伝説を一段ずつにまとめた長いお話の中の一つでした。その時から『壺坂寺沢の市住家の段』となっていますので、沢市(沢の市)のお話だったようです。これは、現在の『壺坂』とは少し違ったようです。
その後明治20(1889)年2月彦六座ー今の難波神社の境内にありました。ちなみに文楽座も難波神社の境内が発祥で碑が立っていますーで上演された『三拾三所花野山』『沢市内の段』が現在文楽で上演されている『壺坂』となったものです。この時にこの段を勤めたのが三代目竹本大隅太夫(たけもとおおすみだゆう)と初代豊澤團平(とよざわだんぺい)です。作は團平の妻お千賀(加古千賀)で、五行本(ごぎょうぼん)※4も出版されました。

豊澤團平章と書いてありますが「章」というのは節付け、簡単に言うと作曲ということですね。ちなみに文章を書くのは「句」です。例えば「竹本綱太夫章句」とあれば、どっちもということです。

裏返すと明治24(1891)年の出版だとわかります。初演後から4年後ということになりますね。
右から 初代豊澤團平
著作者 加古千賀
と大きく書いてありますけれど、先ほどご説明した通りで、作が妻の加古千賀ですね。住所も大阪市南区清水町ということで、初代團平が「清水町の師匠」と呼ばれた理由もわかります。ここで大事なのが團平の代数です。
ここは私も声を大にして言いたいんですよ。この清水町の師匠と呼ばれた大團平のことをみなさん二代目と呼ぶわけですよ。確かに、二代目豊澤廣助が豊澤團平を名乗っていたのは事実です。しかし、それはたった半年のことで、豊澤権平から豊澤團平となりまた豊澤言(権)平に戻っています。その名前を三代目廣助の弟子の丑之助が祖父師匠の二代目廣助の幼名をもらい、豊澤團平を名乗ったんだと思いますけれど。以降豊澤の一番上の名跡である廣助を襲名することなく、生涯を豊澤團平で通したわけです。
そこで先ほどご紹介した『壺坂』の五行本を見ていただいても、裏表紙に『初代豊澤團平』と書いてあるわけですから間違いないです。本人が存命中にしかも「校閲」なわけですから初代なんですよ。戦前までは正しく大團平のことを初代だと呼んでいたはずなんですけれども、どこかで二代目豊澤廣助を初代として、大團平を二代目、植畑の團平を三代目となってしまったんですね。非常に悲しいことです。
もっと言うと次の團平である通称植畑と呼ばれる人は、次の豊澤團平を誰が襲名するかとの話し合いを明治40(1907)年6月15日に行われた後に二代目となったと記録が残っています。本人も初代と名乗っていて、次の團平は一門の中で契約書まで取り交わして「二代目」としているわけですから、これ以外に何があるんだと言いたいです。

高野山に初代・二代目の團平のお墓が並んで建っています。ちなみに初代のお墓の左側の花立の「堀江座 座主 木津谷吉兵衛」というのが、織太夫稲荷※5を寄進した四代目竹本織太夫(代数外)です。
これは朝ドラで映像化!?織太夫さんへと繋がる名人たち
さらに、ご自身に繋がるディープな歴史についてお話は続きます。なんだか朝の連続テレビ小説で映像化されそうな、ドラマチックな実話です。
ーーー
もっと言ってしまうと、二代目團平なんですけども、私の親戚でもあるんですよ。というのも、実は幻の二代目鶴澤清六でもあったんですね。清六か團平かという人生も恐ろしいですよね(笑)。初代鶴澤清六の娘鶴澤きくと初代豊澤新左衛門の娘である「おあい」と結婚して、清六家へ婿養子に入ったんです。当時の番付(ばんづけ)をみると鶴澤九市となっていますね。しかし、やっかみだと思うんですけど、清六家に行ってから腕が落ちたと嫌な噂を流されてしまったそうで、清六家を離れて豊澤九市に戻ったそうです。
ちなみに「おあい」さんはこの後三代目竹本大隅太夫と結婚しますし、「おあい」が九市との間に設けた「おとく」という娘の娘(おあいの孫娘)が、私の大伯父である四代目清六と結婚したんですね。結婚というか、九市と一緒で鶴澤きくに三味線の腕を見込まれて婿養子という形で将来の清六を前提に、前名五代目鶴澤徳太郎を襲名したわけなんです。
襲名の際に『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』より「奥庭狐火の段」で、後の天下茶屋の土佐太夫と呼ばれる当時の三代目竹本伊達太夫を弾いています。23歳の大大大大抜擢で、周りの三味線弾きが腹を立てて、誰もツレ弾き※6をしてくれなかったそうなんですね。そこでツレ弾きを買って出たのが、自分にとっては五代目徳太郎が孫婿になる二代目團平(豊澤九市)。当時の近松座の三味線のトップですよ。素晴らしい漢気(おとこぎ)なんですけども、これ実は歴史が繰り返されているのです。豊澤九市も16歳で初代竹本春子太夫(三代目竹本大隅太夫)の『堀川』を弾いたんですけども、「十八歳やそこらが」と思われて、誰もツレ弾きをしてくれない。この時にツレ弾きを初代豊竹新左衛門が弾いてくれたんです。九市にとって新左衛門は、元は義父ですよね。非常に胸が熱くなる逸話ですね。
話が脱線しまくったんですけども『壺坂』に話を戻すと、『三拾三所花野山』には三十段返しと書いてあるので、想像するだけでワクワクします。というわけで、歌舞伎にもなっていますが、『壺坂』は文楽が初演だったんです。
夫婦の複雑な感情を表現する会話劇
『壺坂観音霊験記』の登場人物は沢市と妻のお里だけで、また趣向を凝らした複雑なストーリーではなく、二人の会話劇なので、とてもわかりやすい演目です。沢市から不貞を疑われた時のお里の詞(ことば 台詞)、『三つ違いの兄(あに)さんと』は有名なフレーズなので、聞いたことがある人も多いかもしれません。
観客にとってはわかりやすい内容だけれど、演者にとっては難しい曲なのではないかと、思った箇所がありました。毎晩明け方になるとお里がこっそりと出かけていく訳は、夫の眼が治るよう壷阪寺へ祈願しに通っていたとわかります。沢市がお里に謝って夫婦は仲直りしますが、不穏な空気が漂うのです。それは、「ああ、どうぞ花が咲かしたいな。と言うたところが罪が深いこの身の上。せめて未来を」という沢市の詞からでした。
「『せめて未来を』というのは、沢市が死を覚悟して言っている詞です。自分がいてはお里は幸せにはなれない。そのために自分はいない方が良いと決心をしていて。ここは、とても語り方が難しいですね」。詞の裏に潜む微妙な心理を表現することが、求められる演目なのでしょう。お里は沢市の本心に気づかぬまま、二人一緒に壷阪寺へ参詣に向かいます。「この向かう様子は、『サグリ三重(さんじゅう)』と呼ばれる三味線の技法が使われますが、悲しみや愁いといった不安な気持ちを表しています。語りも手を携えながらさぐりながらの様子を表しているのですが、こういう演奏は中々ないですね」

先にお聞きした貴重な歴史についても、さらに補足して話してくださいました。「『壺坂』は彦六座初演ですから、以降もその当時も御霊神社(ごりょうじんじゃ)の境内にあった文楽座では上演はなかったんですけれども、明治36(1903)年5月に初めて文楽座で上演されました。その際に勤めたのが三代目大隅太夫と、初代團平の後に大隅太夫を弾いていた当時の三代目鶴澤叶(つるさわかのう)、のちの三代目鶴澤清六です。大隅太夫も色々あった中で文楽座で語ることになって『壺坂』を選んだのだと思います。この辺りが気になる方は『芸阿呆』※7を是非聴いてください」
織太夫さんの深い知識からなる解説は続きます。「ですから、三代目大隅太夫・初代團平から三代目静六に伝わって、三代目清六は後に私の祖父師匠である二代目豊竹古靱太夫(とよたけこうつぼだゆう 後の山城少掾)を弾くわけですから、初代團平からの『壺坂』は間違いなく今日まで伝わっているわけですよね。もうひとつ、この初代團平からの『壺坂』が微に入り細に入り記録されているのが、初代鶴澤道八の『道八芸談』です。私の祖父が二代目鶴澤道八で、初代鶴澤道八とは親戚でもあります。読んでもらえればわかるんですが、ものすごいです。このままやれば全部できるんじゃないかってくらい詳細に書いてあります」
『道八芸談』は復刊されていますが、初版(非売品)が国立国会図書館デジタルコレクションで登録なしで、下記のリンクから読めると教えていただきました。(壺坂の話は36コマから)
▼
https://dl.ndl.go.jp/pid/1125452/1/1
文楽には珍しいハッピーエンド
文楽の作品は、悲劇的な結末を迎えることが多いですが、『壺坂観音霊験記』は気持ちが晴れやかになるような終わり方です。「最後は万歳(まんざい)※8も入りますしね。新年が明けてご覧いただくのには、ふさわしい演目だと思います」。壷阪寺へは、文楽の公演を観てから参詣に来られる方も多いようです。夫婦の情愛溢れる物語を文楽で堪能した後に、ゆかりの場所でもう一度振り返るのはいかがでしょうか。

取材・文/瓦谷登貴子 取材協力/南法華寺(壷阪寺)
竹本織太夫さん公演情報
令和8年 初春文楽公演『壺坂観音霊験記』第3部に出演
※第1部は『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』
第2部は『新薄雪物語(しんうすゆきものがたり)』
■期間:2026年1月3日(土)~1月27日(火)
※19日(月)休演
■開演時間:午前第1部 11時開演(午後1時50分終演予定)
第2部 午後2時30分開演(午後5時20分終演予定)
第3部 午後6時開演(午後7時50分終演予定)
■観劇料:第1部、第2部 各6500円(学生4600円)
第3部 6000円(学生4200円)
■会場: 国立文楽劇場(OsakaMetoro・近鉄「日本橋」下車7番出口より徒歩約1分)
公演の詳細な内容:日本芸術文化振興会
https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2025/2026bunraku01/
チケットの申し込み:国立劇場チケットセンター
https://ticket.ntj.jac.go.jp/
壷阪寺基本情報
奈良県高市郡高取町壷阪3番地
開門時間:8:30~17:00 年中無休
入山料:大人800円、小人(高校生以下)200円、幼児(5歳以下)無料
※令和8年3月20日~4月12日迄(桜シーズン期間中)
大人1000円、小人(高校生以下)300円
公式ウェブサイト:https://www.tsubosaka1300.or.jp/

