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2019.09.26

日本刀『流星刀』とは?隕石からできた?あの石川五エ門も使ってる!? 

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ルパン三世のキャラクター石川五エ門は、何かを斬った後にしばしばこんな言葉を呟きます。「また、つまらぬものを斬ってしまった……」と。
石川五エ門は目にも留まらぬ素早さで、ありとあらゆる物を斬ってしまいます。そんな彼の相棒は「斬鉄剣(ざんてつけん)」として有名ですが、一説では隕石でできているとか。
隕石で日本刀ができるなんてフィクションの世界だけと思ってもらっては困ります。あります。隕石でできた日本刀。

榎本の夢見た日本刀

恐竜が絶滅したのは巨大隕石という説があったり、小さくとも民家の屋根から床を突き抜けていくほどの威力を持っていたり、隕石というとどうしても怖いというイメージがあります。しかし信仰の対象として、祀られていることもあり、遥か昔には道具として使われてきた記録もあります。
そんな畏怖を感じさせる隕石で日本刀を作りたいと夢見た男がいました。幕末から明治を生きた男、榎本武揚(えのもとたけあき)です。

明治7年(1874年)から約4年、榎本はロシア全権公使としてサンクトペテルブルグに滞在していました。その際、かつてのロシア皇帝アレクサンドル1世に献上された隕石でできた刀剣を見せてもらってから、隕石での作刀に興味をもつようになりました。
榎本はかねてから隕石はもとより鉱物学と製鉄技術に強い関心を持っていましたので、隕石での日本刀作りへの関心も当然のように思えます。

隕石と日本刀を結ぶ物質、その名は「鉄」

ここで少しばかり理系な話をします。歴史の次は化学かと思われるかもしれませんが、少しお付き合いください。

隕石とひとくちに言っても、大きく分けると3種類「石質隕石」「石鉄隕石」「鉄隕石」があります。この3種類のうち99%が鉄とニッケルでできた「鉄隕石」ではないと刀剣作りはできません。製鉄技術がなかった時代は、この鉄隕石を貴重な金属として道具に使っていたそうです。

日本刀を作るのに必要な素材「玉鋼」は、砂鉄を熱して不純物を取り除き、炭素含有量を1.0%から1.5%まで引き上げた純度の高い鉄の塊。
この玉鋼をトンテンカン、トンテンカンと焼いて叩いて伸ばしてを繰り返して仕上げていったものが日本刀です。
西洋の刀剣とは製法は違えど同じ鉄からできている、ということで榎本は隕石でできた日本刀作りに思いを馳せたのではないでしょうか。

榎本は隕石を手に入れた!

帰国から約17年。ついに榎本は隕石を手に入れることになります。
明治23年(1890年)頃、富山県白萩村(現在の上市町)で何やら重たい石が発見されました。当初はただの鉄の塊であると鑑定されて漬物石として使われてきましたが、明治28年に再度分析する機会に恵まれ、これが鉄隕石であることが判明!
この鉄隕石「白萩隕鉄1号」を榎本はポケットマネーを使って買い取ったのです。入手した時の隕石の重量は約23kg。このうち約4kgを日本刀作りにあてることとなりました。
帰国から15年以上経っても、隕石で日本刀を作ることに対する夢は忘れてはいなかったようです。
「白萩隕鉄1号」は榎本武揚のご子息より寄贈され、現在は国立科学博物館で所蔵、常設展示されています。

「白萩隕鉄1号」(画像提供:国立科学博物館)

いざ、作刀

榎本は刀鍛冶(かたなかじ)の岡吉國宗(おかよしくにむね)に作刀を依頼しました。隕石での日本刀作りなど今まで事例がなく、岡吉もかなり苦労しました。最初はいつものように鉄を熱して叩いて伸ばしてを繰り返して鍛錬してみましたがうまくいきません。
純粋な鉄隕石だけで作るのは難しく、中国地方の砂鉄から作った玉鋼を合わせることとし、配合の分量など試行錯誤を重ね、氷川神社(ひかわじんじゃ)へ祈誓(きせい)して3週間の後、ようやくうまくいく方法を見つけることができました。
そうして長刀2振、短刀3振の『流星刀』が作刀されることとなりました。
完成した刀剣は初めは無地でしたが、研いだ後にはケヤキの木目のような斑紋が現れ、これこそ鉄隕石によるものだと感動したそうです。確かに刀身全体に渡って美しい木目のような斑紋が浮かび上がっていて、普段私たちが目にする刀剣とは少し異なる雰囲気を持っています。

「流星刀」(画像提供:富山市科学博物館)

斬鉄剣ほどじゃないけど切れ味はお墨付き

苦労に苦労を重ねた隕石でできた日本刀『流星刀』。刀というからには切れ味も気になるところです。
刀工の岡吉は、柔らかい隕鉄に対して強度を高めるために玉鋼を合わせています。それだけではなく火加減も注意深く工夫をしています。それも『流星刀』を日本刀たらしめるため。
岡吉は榎本へ宛てた書面で「切味は十分にして又折るること杯は決して無之者と相信し申候」と伝えています。岡吉のお墨付きであるのは間違いないでしょう。

5振の『流星刀』の行方

岡吉が作刀した『流星刀』は、長刀2振、短刀3振。
このうち長刀1振は当時の皇太子、後の大正天皇へ成年の奉祝として献上され、もう1振は榎本が創設した東京農業大学が所蔵しています。
短刀のうち1振は北海道小樽市の龍宮神社に奉納され、もう1振が富山市科学博物館に収蔵されています。残る1振の短刀は戦時中に行方不明になったとされています。

「流星刀」(画像提供:富山市科学博物館)

『流星刀』に会える!

富山市科学博物館では9月14日から10月14日の期間限定で、所蔵している『流星刀』の短刀が展示されます。本物の『流星刀』を見てみたい方は是非足を運んでみてください。

富山市科学博物館 基本情報

住所: 富山市西中野町1-8-31
開館時間: 9時~17時(入館は16時30分まで)
休館日: 年末年始(12月28日~1月4日)(『流星刀』展示期間中の臨時休館日:9月17日~19日)
公式webサイト: http://www.tsm.toyama.toyama.jp

書いた人

刀剣乱舞好きが高じて日本文化の世界に足を踏み入れてしまったオタク。気付けば京都まで刀剣を見に行っていた。文房具好きでそろそろインク沼にハマりそう。執筆のお供は、コーヒーとハワイアン・ミュージック。