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2026.09.29

秀吉が猛烈バックアップ?豊臣家の威信をかけた八幡山城とは

日本最大の面積を持つ湖・琵琶湖周辺は、その雄大な風景や古き良き町並みが人気の観光スポットです。しかし戦国時代には、水陸交通の要衝として、織田信長の安土城や豊臣秀吉の長浜城をはじめ、佐和山城や彦根城などたくさんの城が築かれ、激しい権力争いが繰り広げられていました。信長亡き後は天下統一を目指した秀吉が、新たに築いた八幡山城に注力していきます。豊臣家の繁栄を支えた近江の八幡山城の歴史とその魅力について紹介します。

羽柴(豊臣)秀吉の天下統一を支えた城

天正12(1584)年に起きた羽柴(豊臣)軍対徳川・織田軍による「小牧・長久手の戦い」で、苦戦を強いられた秀吉は、信長の次男である織田信雄(おだのぶかつ)との単独講和にこぎつけ、天下統一への足固めを強化します。そのため、東国(徳川家康・北条氏)への備えとして、近江に防衛・支配の拠点を置く必要がありました。

天正13(1585)年には、羽柴(豊臣)秀長を総大将とし、約3万の兵を率いた四国攻めを敢行。この戦いで武功をあげた甥の羽柴(豊臣)秀次(ひでつぐ)に、秀吉は43万石を与え、安土城跡から約5~6kmの八幡山に八幡山城、麓に城下町を築かせます。この領地は秀長に次ぐ規模と石高といわれ、豊臣家による盤石な体制を敷くための重要な拠点としたかったという意志がうかがえます。

この時、秀次は18歳という若さであったため、周辺の城には宿老を配置。水口(みなくち)岡山城に中村一氏(なかむらかずうじ)、佐和山城に堀尾吉晴(ほりおよしはる)、長浜城に山内一豊(やまうちかずとよ)が入城しました。また、八幡山城においては田中吉政(たなかよしまさ)を補佐役にするなど、秀吉は近江の要所を古参の家臣で固めていきます。この時、秀吉は、織田家の象徴であった信長の城、安土城を廃し、新拠点を置くことで、信長の後継者から天下人へと転換した豊臣家の権威を世に示す意図もあったといわれます。

八幡山の南麓にある八幡公園内に立つ秀次の像。これは、昭和54(1974)年11月に豊臣秀次卿顕彰会(きょうけんしょうかい)により建てられたもの。関白となった秀次の束帯姿は、28歳で人生を終えた悲哀を感じさせる。写真提供:近江八幡観光物産協会

豊臣家の繁栄と秀次の実力を示した八幡山城と城下町

八幡山城は、城下を一望できる山頂に本丸を中心として二の丸、北の丸、西の丸、出丸を放射状に配置しました。現在も晴れた日には、眼下に美しい景観を楽しめるビュースポットとなっています。

山腹部分には、秀次の居館が置かれ、山麓に家臣団屋敷群が設けられました。近年の発掘調査で本丸御殿に相当する建物の礎石(そせき)や金箔瓦が出土したことや、天守台の石垣が大和郡山城と同じ構造になっていることから、秀長の大和郡山城と変わらぬ壮大な城が建てられていたと考えられています。

また、人や物資など、安土城下の町ごと移したともいわれ、信長の開いた楽市を城下で施行するなど、町の経済発展にも力を入れました。このことが江戸時代の近江商人を生み出す礎(いしずえ)にもなり、近江八幡は全国に先駆けた商業都市となっていきます。秀次が後に善政を行った名君として語り継がれる要因でもありました。

八幡山山頂からは壮大な景観が望める。写真提供:近江八幡観光物産協会

秀吉に翻弄された秀次の人生

5年間の八幡山城主を経て、尾張の清洲約100万石に転封(てんぽう)した秀次は、天正20(1592)年に、秀吉より関白の地位を譲り受けます。しかしその後、秀吉の側室で、浅井長政とお市の長女、淀殿(よどどの)に秀頼(ひでより)が誕生。秀頼を後継者にしたい秀吉は、秀次に謀反の疑いを掛け、高野山での切腹を命じます。さらには秀次亡き後、妻や子は、京都・三条河原で公開処刑されるという悲惨な最期を迎えることになったのです。

秀吉により祀り上げられ、秀吉によって地に落とされる、残酷な人生の終焉。この時、近江八幡山城主は、淀殿の妹である初が嫁いだ京極高次(きょうごくたかつぐ)が務めていました。何とも強い因縁を感じてしまいます。その後、高次は秀次の事件により大津城へ転封。城主を失った近江八幡山城は、築城からわずか7年という短い期間で廃城となりました。

秀次が築いた八幡堀を和舟に乗って、約30分の時間をゆったりと楽しめる八幡堀めぐり。春には桜、夏には柳、秋には紅葉、そして冬には雪景色と美しい自然の景色に包まれる。写真提供:近江八幡観光物産協会

歴史と美しい自然を堪能できる名所の数々

琵琶湖の東岸、標高271.9mの見晴らしの良い八幡山は、鶴が羽を広げたような姿を想起させることから鶴翼山(かくよくざん)とも呼ばれています。山頂まではロープウェイで上がることができ、約4分間の空中散歩も楽しめるのが人気。現在、山頂には石垣を残すのみで、本丸跡には京都から移築された秀次の菩提寺、村雲御所瑞龍寺(むらくもごしょずいりゅうじ)が鎮座。当時の栄華を忍び、静かに時を刻んでいるようです。八幡山城 西の丸跡からは琵琶湖や市街を一望でき、遊歩道を歩けば四季折々の美しい景観が楽しめるなど、1年を通して楽しめる観光スポットとなっています。

豊臣秀次の母であり秀吉の姉である瑞龍院日秀尼公が、自害した秀次のために創建した寺で、昭和36年(1961)に現在地に移された。石垣を左右に控えた山門や京都から移して再現した庭園が素晴らしい。写真提供:近江八幡観光物産協会

秀次の時代に、城下を守る惣構(そうがまえ)の一部として整備された八幡堀は、現在、情緒あふれる水郷巡りとして、舟旅も味わえます。お城好きには外せない御城印はロープウェイ乗り場で購入することも!『豊臣兄弟!』もいよいよ佳境を迎え、波乱の展開へと進んでいきます。悲喜こもごもを抱えた戦国の世に思いを馳せながら、近江八幡の史跡巡りと美しい自然に浸ってみてはいかがでしょうか。

写真提供:近江八幡観光物産協会

八幡山ロープウェイ

場所:滋賀県近江八幡市宮内町
営業時間:9:00~17:00(上り最終16:30)
※毎時15分間隔で運行 ※季節、行事により営業時間を随時延長
定休日:年中無休
料金:大人 片道540円、往復950円
小人 片道270円、往復480円
※小人料金は6歳以上、12歳未満となります。
※幼児(1歳以上6歳未満)ひとりは無料でふたり目からは小人料金となり、乳児(1才未満)は無料です。
※団体割引、障がい者割引については、公式サイトでご確認ください。
アクセス
《公共交通機関》
JR琵琶湖線 「近江八幡」下車  近江八幡駅北口6番乗り場より近江バス「長命寺行き」に乗車し、「八幡堀(大杉町)八幡山ロープウェイ口」(約7分)下車 徒歩約5分
《車》
名神高速道路「竜王IC」より12km、「八日市IC」より16km、「彦根IC」より26km
※八幡山ロープウェイ無料駐車場あり

アイキャッチ画像:豊臣秀次像 写真提供:近江八幡観光物産協会

《参考文献》:『秀吉と家臣団の城』 中井均著 角川選書 『近畿の名城を歩く 滋賀・京都・奈良編』 仁木宏・福島克彦著 『吉川弘文羽柴秀吉一門』 黒田基樹編著 戎光出版 『豊臣秀次』 藤田恒春著 吉川弘文館

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黒田直美

旅行業から編集プロダクションへ転職。その後フリーランスとなり、旅、カルチャー、食などをフィールドに。最近では家庭菜園と城巡りにはまっている。寅さんのように旅をしながら生きられたら最高だと思う、根っからの自由人。
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