「白醤油」をご存じですか? 醤油なのに白い?と思われるかもしれませんが、愛知県碧南市発祥の薄い琥珀色をした醤油のことなんです。もともと和食の料理人が使っていたものなのですが、料理の色がきれいに仕上がる、味がまろやかになるなどもあって、フレンチのシェフが注目したり、最近では、一般家庭でも使われるようになったりと、新感覚調味料として話題となっています。
そもそも醤油は大きく分けて5種類あります。関東で使われている「濃口(こいくち)醤油」、関西で使われている「淡口(うすくち)醤油」、主に東海地方で使われている「たまり醤油」、濃口醤油を麹と合わせてもう一度熟成させる「再仕込み醤油」、そして今回紹介する90パーセント以上の小麦を使用して作る「白醤油」となります。濃口と淡口は、醸造期間や塩の分量の違いで濃さが変わります。たまり醤油は、豆味噌(赤味噌)と同じで、ほぼ大豆だけで作るので、真っ黒い色になります。
偶然の産物である白醤油
今から、約200年以上前の明治の初期、小麦麹で作る金山寺味噌を仕込んでいた時に、味噌の上澄みにある黄金色の液体を味見してみたところ、醤油に似た味わいだったことから、新たな調味料として伝えられたのが白醤油だといわれています。
この碧南市で、白醤油の歴史について語ってくれるのは、約90年の歴史を誇る白醤油製造メーカーの日東醸造、4代目蜷川洋一社長です。究極の白醤油といえる調味料「しろたまり」を世に送り出し、醸造の面白さや素晴らしさを伝えるために、講演などで全国を飛び回る、醸造のスペシャリストでもあります。
-愛知といえば、味付けが濃い、甘辛いというイメージがあるので、昔から白醤油があったというのには、とても驚きました。
蜷川:三河地域は、ご存じのように赤味噌(豆味噌)文化の地域で、昔は醤油といえばたまり醤油だったんです。たまり醤油は、「刺身たまり」とも呼ばれるように、刺身に使ったり、煮魚に使ったり、魚の生臭さを消してくれる効果があります。大豆100%で出来ているため、豊富なたんぱく質から分解されたアミノ酸が多いことから、うまみ成分も多く含まれ、濃厚な醤油になります。ですから料理に使えば、濃い味付けとなります。ただし、料理によっては、色が付きすぎてしまうという難点があり、料理人たちは、「たまり醤油」と「白醤油」を、「黒」と「白」と呼んで、使い分けていました。今でも、うどん屋さんでは、黒いつゆと白いつゆの両方を作り、卵とじうどんや天ぷらうどんを頼むと何も言わなくても、白いつゆで出てくるんです。
大量生産の時代を経て、昔ながらの醤油づくりにこだわる
プロの料理人たちに愛されてきた白醤油を、もう一度、昔の味で作りたいという先代社長の思いから始まったという「しろたまり」。今までにない琥珀色のとろりとした調味料は、素材の旨味を引き出し、シンプルな美味しさが際立ちます。今回、蜷川社長にこの「しろたまり」の開発秘話についてお話を伺ってきました。
蜷川:先代である私の父が、昭和の終わりぐらいに、「昔、作っていた白醤油と今の白醤油は全然違う」と言い出したんです。昔から、お米を作っている地域は大豆や小麦も作っていて、ここ碧南市でも地元で原料が調達できた時代でした。まさに地産地消です。それが、しばらくして小麦もアメリカ産になり、お米以外の穀物、大豆なども圧倒的に生産量が少なくなってしまいました。さらに醤油づくりに大切な塩が工業化されてしまった。昔は海水から塩を作っていて、ここ西三河も塩の産地で、三河湾に面した塩田がいくつもあったんです。それが高度経済成長で、工業系の製品づくりに塩化ナトリウムが桁違いに必要となってしまい、塩田では塩の生産が追い付かないことから、1971年に国の政策で、塩田は廃止されてしまいました。
材料をすべて自然のものに戻して、シンプルな白醤油づくりに徹する
塩田で作っていた塩は、塩化ナトリウムの純度が80数%で、残りは海の成分に含まれている「にがり」などです。にがりは、苦みや渋みや甘味を生み出してくれる、白醤油の美味しさの元でもありました。そのため、創業当初に作っていた白醤油の味とは、大きく変わってきてしまったのだとか。このような経緯から、原材料を昔ながらのものに戻し、先代の言う「昔の味のする白醤油」を造ろうという実験が始まったのです。
商品への思い入れが、常識を打ち破り、規制を壊す
蜷川:まず材料は、国産の小麦と、伊豆大島で作っている「塩の精」に決めました。先代はもともと職人なので、モノづくりが大好き。自分で麹を作り、作った麹と塩水を合わせて樽に仕込みました。この時に、白醤油の業界では、麹1に対して塩水2の割合が常識だったんですが、白醤油を見直すにあたり、麹1に対して塩水も1にしてみたら、味が濃くなって美味しくなるはずだと、配合も変えてしまいました。まず小さな桶で試してみると、確かに味は良かった。ただ色が濃くなってしまい、白醤油の意味がなくなってしまった。次に、100パーセント小麦にしてみると、大豆をやめたことで色が薄くなり、それが今までの白醤油よりもずっと美味しかったんです。
「しろたまり」は、大豆を入れないという選択が功を奏す
蜷川:これで、ようやく究極の白醤油ができて、売れると思ったら、農水省から指導が入ったんです。JASの定義には、醤油は大豆を入れることになっているから、JAS法の表示ルールに従って、醤油とうたうなら、大豆は必須原料だと。ただ、出来上がった白醤油の味わいは、今までにないものでしたから、醤油の範疇から外れても、小麦100パーセントでやってみようということになりました。醤油と書けないならと名前も「小麦醸造調味料」としたんです。でも、せっかくの新しい調味料なのだから、何か良い名前はないかと考えたところ、究極の白醤油で味も濃いのだから、たまり醤油の対極の「しろたまり」がいいのでは、ということになりました。
良い醤油を作るなら、美味しい水と空気の良い場所で!
紆余曲折を経て、ようやく商品化にこぎつけた「しろたまり」ですが、いろいろな取引先から、仕込み水のことを聞かれるうちに、こだわりの醤油なら仕込み水にもこだわったほうが良いのでは、という思いに至ったそうです。そこからまた、新たな挑戦が始まりました。
蜷川:昔は仕込み水に、家の井戸水を使っていましたが、今はどこも水道水なんです。でもここまで昔ながらの製法にこだわったのだから、仕込み水も井戸水に変えてはどうだろうと。それで、矢作川の源流で、名水が多いといわれる奥三河に良い井戸水がないか、知り合いに相談したところ、廃校になった小学校にある井戸水が美味しいと勧められました。それで足助の山奥にある廃校を見に行ったら、自然環境が素晴らしく、夏場の気温も高くならず、井戸水もまろやかでおいしい!となり、究極のしろたまりを作るなら、この場所だと思いが固まりました。実際に仕込んでみると、標高700mの涼しい気候が、しろたまりの色を薄く保つこともわかったんです。
廃校の小学校を利用し、木桶を使って、昔ながらの醤油づくりに挑戦
当初、住民が約40名ほどの小さな村で、企業がこんな田舎の廃校を借りて、碧南市から2時間もかかるこの場所で何をやりだすんだと、不信感が渦巻いたのだとか。
蜷川:そこで、実際の醤油造りを見てもらおうとバスをチャーターし、村民の方に碧南の工場に来てもらったんです。廃校にこの醤油の桶を置いて、熟成させるということを理解してもらい、ようやくスタートにこぎつけました。今では、職人が麹を仕込みに行く際など、お昼をご馳走になったり、畑で採れた野菜をいただくなど、お世話になっています。
現在は、この地で、自家製小麦の栽培も始めたそうです。昔ながらの製法を復活したことで、いくつもの手づくりが生み出されていく過程は、まさに温故知新。醤油を仕込む木桶も今は職人不足で、なかなか手に入らないのだとか。全国の酒造メーカーに聞いて、使わなくなった古い木桶を譲っていただいたそうです。いろいろな食の現場で、日本古来のものが失われている現状も目の当たりにしたと蜷川社長は語ってくれました。
蜷川:しろたまりの製造を始めてから、新たな木桶を発注したんです。それにより、若い世代が初めて木桶造りに挑戦することになりました。実際にこの目で出来上がる過程を見ると、いかに優れた技術が結集されているのか、自分自身も知ることになったんです。木桶造りの職人たちとも交流が生まれ、伝統を守っていくことの大切さも改めて感じています。
普段、何気なく使っている調味料ですが、その背景を知ると、たくさんの職人たちの知恵が結集されて、初めて何百年も続く醸造文化を受け継ぐことができるのだということがわかります。日本ならではの調味料「白醤油」は、海外の方たちにも注目されていて、見学に来る外国の方も増えているそうです。
ぜひ、この冬は、おでんや鍋にも「しろたまり」を一さじ加えてみてください。いろいろな人々の思いが伝わって、味わいもより深く感じられます。おせちづくりにも色合いがきれいで、ほんのりした塩味と甘味がいい仕事をしてくれますよ!