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2019.12.17

日本一長い参道!大宮・氷川神社の歴史やパワー、絵馬など多彩な情報を一挙紹介

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受験のとき、恋を成就させたいときなど、実力が大切なことは分かりますが、やはり、あと一歩の力を出すために何かにすがりたいもの。

そんなときに、神社に奉納するものとして思い浮かぶのが「絵馬」ではないでしょうか。

絵馬とは古代より本物の馬を奉納していたものが、さすがに生きた馬では大変だったため、やがて木板を用いたものが使われるようになり、江戸時代に入ると庶民も家内安全などの願いを書いて奉納するようになったそうです。

存外、絵馬の形は自由なようで、現在はおっぱい型(岡山県・軽部神社)やバット型(埼玉県・箭弓稲荷神社)など、ちょっと変わった絵馬も多々見ることができます。

そして、埼玉随一の商業タウン大宮に鎮座する「武蔵一宮 氷川神社」では2019年10月から「ふくろ絵馬」が登場しました。これは、紙に願い事を書いたものを、色とりどりの手のひらサイズのきんちゃく袋に入れて奉納するというもの。美しく“インスタ映え”もするということで、奉納された絵馬の前で写真を撮られる方も多くいます。

それにしても、なぜ、こんな素敵なアイデアが生まれたのか、それにはちょっと意外な理由がありました。

「それは、個人情報の問題です。絵馬には願いごとや名前、住所などが書かれているためこのような配慮をすることになりました」(氷川神社・広報)。

現代らしい理由ではありますが、その結果、こんなきれいな絵馬ができたのです。

絵馬を入れる袋は全部で10色

ところで、この氷川神社は武蔵一宮とされ、宮中の四方拝(元日に宮中行われる儀式)で遥拝(遠い場所から拝むこと)される一社。創建は第5代孝昭天皇の頃だそうで、約2500年の歴史があると伝えられています。明治4年(1871年)には伊勢神宮に次ぐ社格であるところの官幣大社(かんぺいたいしゃ)となった伝統と格式のある神社です。

須佐之男命 (すさのお の みこと)、稲田姫命 (いなだひめ の みこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)を祀り、東国を守り、関東の地に五穀豊穣の恵みをもたらしてきた神社でもあります。

約2kmの参道をてくてく歩いてみた

そんな氷川神社ですが、とても長い参道を持つことでも知られています。

その距離2㎞! しかし、運動不足の散策にほど良い距離だということで歩いてみることにしました。降り立った駅はJRさいたま新都心駅です。

「大宮の氷川神社というくらいだから、JR大宮駅が最寄りじゃないの?」と思われるかもしれませんが、何せ長い長い参道のため、一の鳥居の最寄り駅は大宮駅の1つ隣のさいたま新都心駅となります。

大宮は日本のシルクロードの拠点だった

さいたま新都心東口駅前に広がるコクーンシティ

まず、さいたま新都心に降りると目に飛び込むのが東口の駅前に広がる、ショッピングモールの「コクーンシティ」です。実はここも氷川神社に縁のある場所なんです。

その縁の源流は明治時代に遡ります。当時は富岡製糸場をはじめ、北関東で養蚕業および製糸業が栄えていました。そして、北関東で作られた生糸の集積地となったのが、北関東と東京・横浜の中継点であった大宮。また、大宮自体も良い水に恵まれ、生糸産業に適していたそうで、大きな製糸場が次々登場します。大宮は明治18年(1885年)3月16日に駅が既に開業しており、汽車に乗せられ北関東や大宮でできた上質の生糸は横浜へと運ばれ、そして船でアメリカのシアトルに運ばれました。

その生糸を運んだ船の名前は「氷川丸」。チャップリンも乗船したという貨客船ですが、おや、と思うのはその名前。そう、氷川丸とは氷川神社からとったもの。船内の操舵室には氷川神社の御祭神が祀られ、手すりなどの装飾に氷川神社の神紋である八雲を見ることができます。

つまり、氷川神社は日本からアメリカへのシルクロードの守り神だったのですね。

そんな、大宮の製糸会社のうち、現代でも続いているのが片倉工業。氷川神社の一の鳥居の周辺に広大な土地を所有してきましたが、そこに、平成16年(2004年)に建てたのが「コクーンシティ(当時の名称はコクーン新都心)」です。ちなみに、コクーンとは英語で繭という意味だとか。

参道の脇にはおしゃれなカフェが点在

さて、コクーンシティを過ぎれば見えてくるのが一の鳥居。ここから全長2㎞にもおよぶ参道が続きます。もともとこの参道は中山道と重なっていたそうですが、神域を庶民がやたら横切っては申し訳ないと、中山道を横っちょに移したという経緯があるようです。

一の鳥居。ここがスタート地点

それにしても長い。途中、さいたま市大宮区役所もさいたま市民会館おおみやも通り過ぎます。参道の脇にはおしゃれなカフェや老舗のせんべい店などもあり、歩いていて飽きることはありません。往来も多く、かつての街道筋の賑わいもこんな感じだったのかなと、想像をかきたてられます。

参道の両脇にはカフェや民家などが並んでいます

訪れた頃は秋だったので、紅葉した葉がひらひら舞うのも風情がありました。

近代日本の幕開けにも関わっていた

堂々たる二の鳥居

二の鳥居を抜けると左手に見えてくるのが、明治天皇行幸絵巻を模した掲示板。

こちらは参道に掲示されたもの。原本は社宝として保管されています

これは明治元年(1872年)10月28日に明治天皇が氷川神社に行幸され、御自ら祭儀を執り行われたときのご様子で、維新に伴い明治天皇が江戸城に入城されてからわずか15日後のことで、桓武天皇が平安遷都の折に賀茂神社に行幸されたことに倣われたものでした。明治3年(1875年)にも御親祭をされたそうです。

このように近代日本の幕開けに、氷川神社は大きく関わっていたということですね。ちなみに、明治元年の行幸は600人にもおよんだそうなので、さぞかしきらびやかなものだったのであろうと思いますが、絵巻をよく見るとズボンを履き、鉄砲を持つ一団もいて、幕末から明治にかけての時代というものを感じます。

もちろんパワーもすごいらしい

さて、いよいよ見えてきたのが三の鳥居。一の鳥居から三の鳥居まで、普通に歩けば30分ほどらしいのですが、写真を撮りながら歩いたので、実に1時間以上かかってしまいました。

がんばって歩いてきた分、朱の楼門も砂利が敷き詰められた境内も、何もかもがより一層美しく見えたりもします。そんな境内にはパワースポットも多く、とくに神池が開運に良いと知られています。

赤い神橋は縁結びの橋といわれています

そしていよいよ、ゴール! 手水ですすいで汚れを落とし、神様への感謝と共に2020年の多幸を祈願しました。2500年の時と、江戸時代から現代まで続く中山道筋の賑わい、そして、明治帝の行幸や生糸産業の話に近代日本の歴史を感じる氷川神社の参道は、まさに古と現代をつなぐ道だと、ふと、そんなことを感じる1時間半でした。

氷川神社基本情報

住所:埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407
楼門開閉時間:
3、4、9、10月 5:30~17:30
5~8月 5:00~18:00
1、2、11、12月 6:00~17:00
アクセス:
JR大宮駅東口から徒歩約15分
東武アーバンパークライン「北大宮駅」から西駐車場まで徒歩約10分
公式サイト:http://musashiichinomiya-hikawa.or.jp/

書いた人

埼玉県出身。好きな食べ物は草加せんべい。子供の頃遊びに連れて行ってもらった浅草で食べたカルメラ焼きの味と、買ってもらったしおりの美しさが今も忘れられない。仕事&プライベートで70回以上海外旅行をしつつ、「やっぱり、生まれ育った国のこともっと知らないと」とつくづく思う日々。かつては民謡三味線を習ったこともあったが、今はお休み中。