Culture
2020.01.31

一枚描くのに20時間!番記者がイラストと文章で44の相撲部屋を綴ってわかったこと

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日本で暮らしているひとならば、相撲の取り組みや力士を一度も見たことがないという人は、おそらくいないのではないでしょうか。年6回、東京国技館をはじめ大阪、名古屋、九州と大相撲が開催されて、力士たちは土俵上で熱い取り組みを繰り広げています。勝敗や技の妙というスポーツとしての魅力とともに、遡れば大和朝廷時代へとつながり古(いにしえ)からの伝統や習わしが今も受け継がれている大相撲の世界。そんな世界でしのぎを削る力士の稽古や暮らしを支えるのが部屋という存在です。部屋の根幹をなす稽古場は、どんな場所であり、日々どのような稽古が行われているのか? 1月28日に出版した『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社刊)の著者、日刊スポーツ新聞社の佐々木一郎氏にお話しをうかがいました。

妹尾河童氏を真似た学生時代、“稽古場”は一枚描くのに20時間

相撲ファンにはイチローデスクとしてお馴染みであり、どんな時にも相撲愛あふれた記事を執筆している日刊スポーツ新聞社の佐々木一郎さん。そんな佐々木さんは、月刊誌『相撲』(ベースボール・マガジン社)の連載記事として、一点透視法の精密なイラストと文章で44部屋の稽古場物語を綴ってきました。そんな人気連載を大幅に加筆した『稽古場物語』をこのたび出版。稽古場の描き方から印象に残った部屋話、そして令和の稽古場から見えてきた相撲の魅力などを教えていただきました。

『稽古場物語』の著者である日刊スポーツ新聞社の佐々木一郎さん。ちなみに後ろの写真は、大関豪栄道が全勝優勝した平成28年9月場所。

―2014年~2018年末まで、月刊誌『相撲』で4年間にわたって執筆していた連載に、大幅な加筆修正を加えて1月28日に出版した『稽古場物語』。連載時代から楽しく読んでいましたが、精密な稽古場のイラストがものすごく印象的でした。そもそもこの企画はどのようにしてはじまったのですか?

佐々木さん:私が相撲の番記者となったのが2010年。相撲界にも馴染み取材がしやすくなったころに、デスクへと昇進。すると現場に出ることがめっきり減ってしまった。後進育成のために必要なことではあるんですが、でも現場っておもしろいでしょう(笑)。デスク業務をこなしつつなんとか現場に出るためには、とこの企画を出版社に提案したんです。夕方からは慌ただしいけれども、朝は割と時間が取れたので朝稽古の取材ならばできそうだと。また写真と文章での稽古場を巡る記事は数多くあるけれど、イラストで描いたものはなかったですからね。

―そのイラストですが、もともとお上手だったのですか?一点透視法イラストと言えば、妹尾河童さんが思い浮かびますね。

佐々木さん:妹尾河童さんの著書に部屋の描き方が描かれていて、大学の卒業旅行時に真似て海外の安宿の間取りを描いていました。だから描けるかな?なんて軽く考えていて(笑)。最初のころのイラストは、恥ずかしいぐらい稚拙です。最初の半年分ぐらいは本になるにあたって描きなおしました。これが最初の伊勢ケ濱部屋なんですけどね。

連載当初(左)と書籍にするにあたり描きなおした(右)伊勢ケ濱部屋。「最初の半年分ぐらいは新たに描きました」と佐々木さん。

―ああほんとだ。すごい差がありますね。取材方法や時間はどれぐらいかかっているのですか?

佐々木さん:取材時間そのものは、話を含めて2時間ぐらいですね。朝稽古を見終えて親方に取材をする。取材が終わったら稽古場をスマホで撮影して、歩測をして稽古場の間取りのラフをメモします。最初のころは稽古場すべてを細かく撮影していましたが、イラスト上で陰となる部分は撮影しなくていいんだなと気がついて。描き方がわかってきたことで一気に効率がよくなりました。

大まかなレイアウトや歩測数、気になることをメモした取材ノート。漫画用の原稿用紙に描いている。

―なるほど、どんどんコツをつかんできたんですね。そのことでイラストを描くスピードもあがっていきましたか?

佐々木さん:それがスピードは変わらないんです。稽古場を1枚描くのに20時間はかかります。連載当初は慣れないために時間がかかり、上達してくると描き込みたくなるから、結局20時間(笑)。ひと月にひと部屋が限度でしたね。

―20時間!?もはや仕事の片手間にというレベルではありませんね。

イラストを描くために欠かせない道具たち。製図用シャープペンシル、4種類(0.03、0.05、0.1、0.3)のドローイングペンなど。いろいろ使ってみてこれに落ち着いたとか。「漫画家の琴剣さんに教えてもらったことも」。

稽古場には、剛毅な部屋訓、豪華な風呂場、趣味のいい日本美術、がある

―稽古場を訪ねた際に必ず目がいくのはどのようなものですか?

佐々木さん:部屋の特徴であり、親方の個性や指針がわかる「部屋訓」は必ず見ています。「心・技・体」のような伝統的な教訓から非常にオリジナリティのある言葉まで、当然ながら部屋ごとに違っている。大関・豪栄道の所属する境川部屋では「道に迷ったら故郷や家族を思い出す」や「念ずれば夢は花ひらく」など、境川親方のまっすぐな気質を表すような言葉が綴られています。どの部屋もそこの親方らしい心に響く言葉が掛かっていて、それが興味深くておもしろい。あと稽古場に隣接された風呂場も相撲部屋ならでは。必ず見せていただきます。

境川部屋の稽古場。「部屋訓」だけではなく飾られたものからも男気溢れた雰囲気が伝わってくる。イラスト/『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

―九重部屋の風呂がすごいって書いてありましたが、あの大きな風呂も相撲部屋ならでは!

佐々木さん:先代親方が大横綱である故・千代の富士さんだけあって、九重部屋の稽古場はすごく立派で手が込んでいます。どこも贅沢な造りですが、お風呂がすごい!サイズは大きいし御影石を使っていて、一流ホテルのような豪華さです。どこの稽古場もあるものは変わらないけれど、風呂やキッチンなどの設備は部屋ごとで異なるので、稽古をする土俵以外からも親方の趣味や考えを感じることができます。

風呂はもちろんすべてが立派な造りの九重部屋。そして間取りから見ると風呂と同じぐらい脱衣所が広い!千代丸関もこれならきっと大丈夫!イラスト/『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

―鳴戸部屋(親方はブルガリア出身の元大関・琴欧州)の冷蔵庫にブルガリアヨーグルトが入っているところまでチェックされていますね。ほかに印象に残っている部屋や注目した点はありますか?

佐々木さん:入間川部屋はものすごく掃除が行き届いていたのが印象に残っています。稽古場や玄関などが本当にきれいに整えられている。親方の指導がぴしりと行き届いているのがわかります。境川部屋には本棚があり、親方が関心のある本が並んでいるのがおもしろい。また阿武松部屋は先代親方が日本美術好きだったので、飾られている絵画や壷などどれも趣味がいい。

―趣味のいい美術品が飾ってある阿武松部屋!和樂webとしても一度ぜひご見学させていただきたいです。

埼玉に広々とした稽古場をもつ入間川部屋。玄関や稽古場はいつもきちんと掃除が行き届いているとか。掃除好きとしては応援したくなります♡イラスト/『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

稽古場の環境よりも相性が大事、横綱白鵬関の稽古場とは?

―44部屋を取材してきたわけですが、三役以上(大関、関脇、小結)や横綱を輩出する部屋の共通点はあるものなのでしょうか?

佐々木さん:それはあまり感じないですね。稽古場が広い、所属人数が多い、などと稽古場の環境に恵まれているから強い力士が自然に誕生するわけではない。例えば横綱・白鵬、人気の小兵力士(こひょう*体の小さな力士)・炎鵬が所属する宮城野部屋は、広い稽古場のある部屋ではありません。そのことについて白鵬は「15尺という土俵の大きさは変わらない。だから稽古場が小さくても何も問題はない」と言い、出稽古にも頻繁に出向き、ご存知のように今にいたるまで未曽有の記録を打ち立てています。

横綱・白鵬の所属する宮城野部屋。移転したために新旧で掲載されている。旧稽古場のイラスト脇には書きとめられた白鵬の若かりし頃の稽古の思い出や元兄弟子の優しい言葉にちょっとホロリ。イラスト/『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

―充実した部屋だから強いというわけではないというですね。

佐々木さん:環境ではなく部屋との相性のほうが大事かもしれません。伝統的な部屋があう力士、小さな部屋があう力士など、結局は相性次第。一度入門してしまうと移籍は許されないので、部屋選びはすごく重要です。

宮城野部屋の新稽古場。宮城野部屋力士が行きつけの「カフェのらくろ」情報も。のらくろのイラストがお上手!イラスト/『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

ー絵が上手すぎるためイラストにだけ注目してしまいましたが(笑)、稽古のありようや親方の稽古方針など、佐々木さんが見て感じた稽古場の様子がつぶさに記されています。そこからも親方おのおのの性格や考え方、また稽古中の力士たちの雰囲気が伝わってきますね。

佐々木さん:ありがたいことに多くの方にイラストをおほめいただきますが、魂こめて書いているので文章もじっくりと読んでください(笑)。ここ10年、部屋での”体罰”が大きく注目されたこと、また社会の流れとも相まって、相撲協会をはじめ親方も力によらない指導をと、真摯に変革に取り組みはじめました。今の親方衆は、彼らの親方や先輩から時には殴られて育ってきた世代。ひと昔前の指導がしみ込んでいるため、自分たちの意識を変えるため必死に努力している。時代の変わり目としての稽古場のありよう、そして指導の奥にある親方たちの人間像が本書から伝わればいいですね。

ルールが簡単、子どもから大人まで誰もが楽しめる伝統文化の相撲

ー幕尻(*幕内の最下位番付のこと)の徳勝龍が大関・貴景勝を破って優勝。優勝インタビューで語った正直で真摯な徳勝龍関の言葉にファンになったひとも多いんじゃないでしょうか。当初誰も予想もしなかったし木瀬親方(徳勝龍が所属する部屋の親方)すら「奇跡!」といった優勝ですが、徳勝龍という力士の魅力をあらためて知った初場所でした。さて佐々木さんが感じる相撲の魅力ってなんですか?

佐々木さん:初心者から好角家(こうかくか*相撲好きのこと)まで、老若男女問わず、楽しめるところではないでしょうか。ルールが簡単で勝ち負けがすぐにわかるでしょう。取り組みを見ているなかで、技や力士への興味関心が深くなっていく。そして気がつけば“相撲沼”へハマっている(笑)。また昔ながらの伝統文化に触れることができるのも大きな魅力です。

私のご贔屓、中央区唯一の相撲部屋「荒汐部屋」。部屋の守り猫であるモル親方の席を描いてくれていてうれしい。イラスト/『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)

ー本当にそうでね。子どもから大人まで、楽しめるのが相撲の魅力。ご贔屓力士ができれば、なお楽しくなってくる。ご贔屓の所属する部屋を綴った『稽古場物語』を読めば、より身近にも感じられるはず。本書を読んでいると稽古場を見学したくなります。「部屋別稽古場見学ガイド」つきですが、見学するうえでのお作法はありますか?

佐々木さん:見学中は飲食や私語は慎むなどの、一般的なマナーを守れば大丈夫です。お菓子などの差し入れなどを持っていくと喜ばれます。部屋のホームページなどを確認して、稽古見学が可能日を調べてから訪ねてください。

―佐々木さんが感じている相撲の魅力と同じく、本書も相撲知識の有無にかかわらず楽しめる一冊ですね。力士を目指すひとにとっても部屋選びの参考になりそう。

佐々木さん:ほぼすべての部屋を取材したことで、力士志望のひとたちにかなり的確なアドバイスができる気がしています。「あなたの経験や性格ならば、この部屋があうかも」って(笑)。なんでもそうですが相撲も知れば知るほどおもしろい。『稽古場物語』には奥深い相撲の世界が広がっています。どうぞご覧ください。

44部屋の歴史から隠れた秘話まで綴った『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)。稽古場見学ガイドや稽古場所在地マップ付き。

イベント情報
精密な筆致で描かれた佐々木さんの稽古場物語のイラスト原画を相撲と所縁の深い両国・回向院にて展示。下町散歩の際には、ぜひお立ち寄りを。
イベント名:『稽古場物語』イラスト原画展
日程:2月9日(日)~24日(月・祝)
時間:9:30~16:30
場所:回向院 念仏堂(東京都墨田区両国2-8-10)
休日:2月17日(月)午前中
*回向院催事の際は休日に。臨時の休日は、ベースボール・マガジン社WEBサイトhttps://www.bbm-japan.com/またはツイッター@bbm_hanbaiにて告知。来訪前にご確認を。

参考文献
『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)/佐々木一郎(2,200円税別)
https://www.bbm-japan.com/_stags/稽古場物語

書いた人

和樂江戸部部長(部員数ゼロ?)。江戸な老舗と道具で現代とつなぐ「江戸な日用品」(平凡社)を出版したことがきっかけとなり、老舗や職人、東京の手仕事や道具や菓子などを追求中。相撲、寄席、和菓子、酒場がご贔屓。茶道初心者。著書の台湾版が出たため台湾に留学をしたものの、中国語で江戸愛を語るにはまだ遠い。