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愚かな連中は、迷いにとらわれ、悪の種をまけば悪の報いがあり、善の種をまけば善の報いがあるという原理を信用しない。(日本霊異記)
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愚かな連中は、迷いにとらわれ、悪の種をまけば悪の報いがあり、善の種をまけば善の報いがあるという原理を信用しない。(日本霊異記)

読み物
Culture
2020.02.02

能の演目「翁」の登場人物がかっこいい!イケメンにおじさま、三枚目キャラまで。概要と見どころも紹介

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とうとうたらりたらりら。たらりあがりぃららりとう――

その台詞の意味は理解できずとも、力強く発せられる声と漂う空気の晴れがましさに陶然とさせられる。
能にして能にあらず、と謳われ、能の演目中、別格に据えられる『翁(おきな)』である。

『翁』に囚われ、読めもせぬ謡本(うたいぼん・能の台本のようなもの)3流派分も購入してしまった素人翁ファンがその魅力に迫る、構成成分の半分以上が「好き!」でできた記事である。どなた様も、お怪我召されませぬよう。

能とは?

「能にして能にあらず」の前に、ざっくりと能とは何かについても触れておこう。

能は、だいたい死んでいるか寝ているか狂っているか、ときどき神や精霊なども出てくる世界無形遺産である。――乱暴な説明すぎて、関係者御歴々に叱られそうである。時を戻そう。

能は、室町時代初期・将軍足利義満の時代に、観阿弥・世阿弥親子によって大成された芸能である。かつては猿楽(さるがく)と呼ばれ、主に貴族や武家の保護を受けて発展してきた。戦国武将にも能の愛好家が多く、豊臣秀吉に至っては「太閤能(たいこうのう)」という自分自身の活躍を描いた新作能まで作ってしまっている。

能のストーリーには、神が平和や五穀豊穣などを約束するもの、僧などの夢の中に武将の亡霊が出てきて回向を願うもの、夢の中に出てきた女性の亡霊が生前の恋愛の苦悩を話すもの、何かを思い詰めた女性が心乱れる様子を描いたもの、鬼や龍神、天狗や精霊などが出てきて華やかに舞うものなどがある。

能の登場人物には主役のシテ、脇役のワキ、シテとワキがそれぞれ連れている「ツレ」「ワキツレ」、芝居の途中で出てきて状況のあらましを語ったりする役割の「アイ」がいて、コーラス役の「地謡(じうたい)」、笛・小鼓(こつづみ)・大鼓(おおつづみ)・太鼓の「囃子方(はやしかた)」、シテの補佐をしたりいざという時に代役を勤めたりする「後見(こうけん)」が渋く舞台を支えている。

能には一部の演目を除いて大道具がほとんどなく、「観客が想像する余地」が常に残されている。「あえて語らぬ美学」を存分に楽しめる芸能といえよう。
また、役者の着ている装束(「衣装」ではなく、こう呼ぶ)や、面(めん・おもて)にも由緒や歴史が詰まっており、こうしたものを楽しむこともできる。なお、能は「舞う」、能面は「掛ける」といった言い回しをする。

滑稽な筋書きが多い「狂言」と一緒にプログラムが組まれ、「能」と「狂言」を合わせて「能楽(のうがく)」と呼ぶ。

「能にして能にあらず」って?

さて、そんな「能」でありながら「能ではない」、とは何だろうか。

能の演目は、その内容によって「神(しん)・男(なん)・女(にょ)・狂(きょう)・鬼(き)」の5つに分類されるが、『翁』はこのどこにも属さない。すべての演目中の別格とされ、演劇ではなく神事の色を強く帯びたものであり、演者はその身に神を宿し、天下泰平・国土安穏を願う。

演者は上演前に精進潔斎を行い、『翁』上演中は、通常の能の公演では許されている、上演中の会場への客の出入りも禁じられる。

『翁』は人が楽しむための演目ではなく、平和と豊穣を願う祈りのための神事である。そうしたことが「能にして能にあらず」と呼ばれる所以となっているのだが、生身の人間も存分に楽しめる内容であるから、ぜひとも一度、能楽堂や神社など、生でこの『翁』を観ていただきたい。

『翁』の概要

『翁』は平安時代から続くとされる、能の演目中、最古のものである。古くは『式三番(しきさんば)』と呼ばれ、現在とは少し異なる形式で演じられていた。
祝い事に際して上演されることも多いため、現在ではお正月に最も多く公演が組まれている。

『翁』には物語が存在しない。いわゆる筋書き・ストーリーがなく、儀式が粛々と執り行われる、といった感じである。そのため、さほど人気の高い演目ではないのだが、緩急や動きの華やかさ、この『翁』専用の囃子(通常の能には登場人物や状況を示す、共通のテーマ曲のようなものが使用される)など、見どころ満載である。

『翁』の登場人物

翁の登場人物(「人物」ではないのだろうが)を簡単に紹介していこう。

翁(おきな)

この演目の主役である。

舞台上で面を掛け、翁の神を役者の体に宿らせる。天下泰平、国土安穏を祈念した、緩やかで荘厳な舞を舞う。

千歳(せんざい)

翁の露払い役である。

若年者が務めることも多く、力強く颯爽とした動きが楽しい。

三番叟・三番三(さんばそう)

翁を真似て滑稽な動きをする役どころである。

手にした鈴を振って舞う場面があるが、これは五穀豊穣を祈る舞なのだという。「鈴木」という苗字は稲にまつわるものなのだそうだが、この三番叟の打ち振る鈴の音も、豊作を地にもたらすものとされている。

面箱(めんばこ)

翁が舞台上で掛ける面の入った箱を掲げて持ってくる。先頭を切って舞台に入ってくる、緊張に包まれた役どころである。
流派によっては、1人の役者が千歳とこの役を兼ねることもある。

『翁』の見どころ

見どころはない。全てが見どころである。――というのは演劇ファンや美術ファンが往々にして使うフレーズであるが、『翁』についてもこの定型文を使用したい。どこを取っても美しく荘厳で清々しい。

しかし、あえて挙げるとするなら、その詞書(ことばがき・台詞)だろうか。
冒頭でも紹介した「とうとうたらり……」を始め、全曲に散りばめられた呪文の意味は現在のところ解明されていない。滝の音を模している、仏教の真言などにもなっているサンスクリット語から来ている、日本語に大きな影響を与えたチベット語がもとになっている、囃子の音や声を模している、など、いまだ決着を見ていない、謎の部分である。
個人的には、密教・神道・山岳信仰・儒教・道教・シャーマニズムなどが統合された信仰である修験道的な要素を少なからず感じる演目であること、能などの芸能と修験道が浅からぬ関係にあるとされることから、サンスクリット語説というのを信じたいような気もしている。
また、この箇所は流派によって「とうどうたらり」「どうどうたらり」など多少差異がある。ここを楽しむのも1つだろう。

あきみずが愛してやまないのは、千歳による露払いパートの「鳴るは瀧の水。日は照るとも」と「絶えずとうたり、常にとうたり」である。
何を示しているのかは分からずとも、目のくらむような煌めき、曇りなき気と力強さといったものを強烈に感じる。千歳はその動きも凛々しく、目でも存分に楽しむことができる。

『翁』は萌えの塊

神聖な演目に「萌え」などという言葉を使うと叱られるのかもしれないが、『翁』には紛う方なき「萌え」要素が凝縮されている。
イケメンの千歳、落ち着いた大人の魅力の翁、お笑い芸人のようなコミカルな三番叟、そして「別格」の魅力。

現代の漫画文化にも通じるような要素、その源流が平安時代以前から脈々と受け継がれてきた『翁』にも見て取れるのではと思うと、不思議なような感動するような、妙な感覚に襲われてならないのである。

記事中使用イラスト:能楽イラストレーターkyoran(きょうらん)氏による作品 ※画像の無断転載及び複製等を禁じます
能楽イラスト+++

書いた人

人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。