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2020.02.18

命名「奇妙」!?織田信長ら戦国武将たちの子どもにつけた名前が強烈すぎる

この記事を書いた人

現在1歳になる我が家の息子。彼が生まれたとき、夫婦で悩みに悩んだのが、人生最初のプレゼント……「名前」を何にするか、でした。
「響きがいい名前に」「漢字の意味もよくなくちゃ」「ついでに字画もよくて」と、まったくまとまらない話し合い。
健康に過ごせますように、幸せな人生を送れますように、優しい子になりますように、みんなから好かれますように……それはもうあらゆる願いをこめたくなってしまい、考えすぎて「キラキラ」してしまうのも無理はない、というかんじ。

平和な現代日本に生きる、一般人の私ですらそうなのですから、厳しい戦国の世を生きていた武将たちならなおさらです。彼らもどんなにか子どもの名づけに頭を悩ませたことでしょう。
ましてや当時は、赤ん坊のうちに亡くなってしまう子も少なくなかった時代。強く、たくましく、リーダーにふさわしく、長生きをしてくれる縁起のいい名前で――想像するだけで頭が沸騰してしまいそう!

そこで今回は、おなじみの戦国武将たちが、生まれたばかりの自分の子どもにどんな名前をつけていたのか、調べてみました。

まずはおさらい!武将たちの名づけのルール

平安~江戸時代の貴族や武士の子どもたちが、生まれてすぐにつけられる名前のことを「幼名(ようみょう)」といいます。
同じ名前を生涯名乗りつづける現代とは異なり、幼名は子どもが成人するまでの間しか使いません(※)。
当時の成人(元服)が15歳前後であることを考えると、わずかな期間しか呼ばれない名前だということがわかるでしょう。

元服後は実名(じつみょう)である「諱(いみな)」と「仮名(けみょう)」という2種類の新しい名前が与えられます。

「諱」は、「信長」や「秀吉」のように、現代の「名前」を表す部分のことです。
しかし当時のマナーでは、本人に向かって「信長さま」など、実名で呼びかけることは失礼だとされていました。そこで代わりに、呼び名として使われていたのが「太郎」「次郎」などの「仮名」です。

諱には、
・基本的に漢字2字で構成すること
・一族で代々使っている文字や、主君からたまわった文字を入れること
などの名づけルールがあります。
同じく仮名にも、
・父や祖父から見た生まれ順(長男なら太郎、次男なら次郎など)をつける
というある程度の約束ごとがありました。

つまり、当時の親にとっても、自身の願いをこめたり、創意工夫を働かせたりすることのできる子どもの名前は、最初の一つ。「幼名」だけであったと考えられるのです。

(※男子のみ。女子は大人になっても幼名を名乗りつづけることが多かったそう)

大胆な謀反を起こした光秀の名づけは、案外普通!?

まずは、大河ドラマ『麒麟がくる』でもおなじみの明智光秀から。
光秀の子については、史料によって人数・人物が諸説存在し、誰が本当の子なのかわからない、というのが正直なところ。
ここでは、光秀本人の書状や、『日本史』を記した宣教師フロイスの記録から、「いたのではないか」とされている3人の子どもの名前をご紹介します。

十五郎(じゅうごろう)

光秀の嫡男とされている、明智光慶の幼名。光秀本人の仮名が「十兵衛」だったことから名づけられたと考えられます。
大事な嫡男に、現代でもよくある「父親から一字をもらうパターン」の名づけを行った光秀。最初の子の誕生に「この子は俺の子だ!」という喜びと自己主張を爆発させたのかも……と考えると、ちょっとほほえましく思えませんか?

自然(じねん)

一見、ちょっと変わってる……と思ってしまう名前ですが、実はこれ、「人為の加わらない、物事のあるがままの姿」という意味の仏教用語。
単に自分の好きな言葉を名前にしただけ、という可能性もありますが、もしかしたら「厳しい戦の世の中でも、自分らしく生きてほしい」という、光秀の親心がこめられているのかもしれません。

あるがままの美しさよ……。

玉(たま)

細川忠興の妻としても有名な、細川ガラシャの幼名です。
「玉のような女の子」という形容があるように、当時の言葉で「玉」といえば、美しい宝石のこと。
けれど、玉のように美しく、大切にされますように……という願いもむなしく、ガラシャは悲劇的な最期を遂げました。

次男の名前は魚の名前!極端すぎる家康の名づけ

徳川家の幼名には、イレギュラーなルールがあります。それは、「嫡男には『竹千代』という幼名をつける」というもの。最初に決められた名前をつけておくことで、後の跡継ぎ争いを防ぐ目的があったそうです。
家康の父も、家康自身の幼名も「竹千代」。その後もこの幼名は、徳川将軍家に受け継がれていくことになりました。
では、嫡男以外の名前はどうだったのでしょうか。

長松(ながまつ)
福松(ふくまつ)

長松は、徳川二代将軍秀忠の幼名。福松は、家康の四男にあたる松平忠吉の幼名です。
どちらも、縁起のいい植物「松」と、長寿の「長」、幸福の「福」というめでたい字の組み合わせ。無事に生まれた息子たちへの祝福の言葉が聞こえてきそうな名前ですね。

ちなみに、家康の嫡男はもともと長男の信康でしたが、信康が織田信長の命により切腹させられたことで、三男の秀忠となりました。その際、幼名も「長松」から「竹千代」へと改名されています。
では、次男はどうしたのかというと……。

於義伊(おぎい)

びっくりするくらい弟たちと異なる名前!
次男が生まれたとき、家康はその顔を見てひと言「まるでギギのような子だ」と言ったそう。ギギとは、ナマズによく似た淡水魚。そしてその感想を、そのまま「於義伊」と名前にしてしまったのです!
家康は次男が本当に自分の子なのかどうか訝しんだうえ、彼が3歳になるまで対面を許さなかったといいます。その後、於義伊は秀吉の養子(人質)となり、秀康という諱を名乗るようになりました。
顔さえかわいければ、彼は違った名前を与えられ、違った人生を歩んでいたのかもしれません。

迷信を全力で信じた、秀吉の名づけとは?

天下人として君臨した豊臣秀吉。
千利休に造らせた「黄金の茶室」など、派手なものを好んだ彼のこと。自分の子どもにも、さぞ豪華絢爛な名前をつけたのではないかと調べてみると……まったく正反対な名前が飛び出してきました。

棄(すて)
拾(ひろい)

子どもの名前に「棄てる」「拾う」って、いったいどういうこと!?
実はこれ、当時あった「捨て子はよく育つ」という民間信仰を由来につけられた名前なんです。
側室・茶々が生んだ最初の子、棄(その後「鶴松」に改名)は、わずか3歳という幼さで病死してしまいます。しかし秀吉は自分の考え方を曲げず、次に生まれた子(後の豊臣秀頼)に、今度は「拾い子」という意味で、拾という名をつけたのでした。

もしも秀吉が現代にいたら、名づけのとき、一番気にしていたのは姓名判断でしょう。「字画」にこだわりまくった、風変わりな名前をつけていたかもしれませんね。

ザ・キラキラネームメーカー!信長がつけたテキトーな名前

西洋文化を好んだり、鉄砲をいち早く取り入れたりする柔軟性と、楽市楽座、兵農分離など、これまでにない政策を考え出す発想力を持った織田信長。彼の名づけはいったいどのようなものだったのでしょうか?
調べてみると、出るわ出るわ、「適当につけました」と言わんばかりの超大胆なネーミング! それでは一気にいってみましょう!

奇妙(きみょう)

長男である信忠の幼名。生まれたときに奇妙な顔をしていたから(赤ちゃんはみんなそうです!)と、そのまま命名。

茶筅(ちゃせん)

次男である信雄(のぶかつ)の幼名。茶筅とは茶道で用いる道具のこと。信長が茶道に興味を持っていたときに生まれたのか、はたまた顔のパーツが茶筅に似ていたのか……。

これが茶筅。これに似てる顔……あるか?

於次(おつぎ)

四男であり、秀吉の養子となった羽柴秀勝の幼名。三男(幼名不明)の次に生まれたから、お次?

於坊(おぼう)

五男である織田勝長の幼名。坊は当時「男の子」という意味で使われていた言葉なので、つまりは生まれた男子に「男子」とつけたことになります(ややこしい!)。

大洞(おほぼら)
小洞(こぼら)

六男である織田信秀、七男である織田信高の幼名。「洞」は「穴」の意味。なぜかこの二人だけセットの名前をつけられました。
ちなみに、プロフィギュアスケーターの織田信成さんは、信高の子孫であるといわれているそうです。

酌(しゃく)

八男である織田信吉の幼名。とうとう酒にまつわる名前がつけられた!と思ったら、母・お鍋の方に由来してつけられた名前とのこと。意外とまとも(?)な名づけでした。

人(ひと)

九男である織田信貞の幼名。信長さま、そろそろ名づけに飽きてきましたか……?

良好(りょうこう)

十男である織田信好の幼名。「本日のご機嫌はいかがでしょうか?」「良好だ。じゃあ、良好にしようか」……なんて妄想をしてみましたが、案外この通りだったりして。

縁(えん)

十一男である織田信次の幼名。一周回って、いい名前をつけられていると思うのですが、皆さまいかがでしょうか。

自分が信長の子を産んだ妻ならば、「この大うつけ者!」と怒鳴りつけたくなってしまうような名前も多々見受けられます。
合理主義の信長にとって、名前など単なる記号。特に、戦に出られるようになる前にしか使われない幼名など、本当にどうでもよいものだったのかもしれません。

「いいな!」と思う名前はありましたか? もしも気に入った名前があれば、子どもの名づけに使ってみては……いや、ないか(笑)。
皆さんも、お子さんの名前はじっくり考えてあげてくださいね!

<参考文献>
『苗字と名前を知る事典』奥富敬之著 東京堂出版 2007年1月
『苗字と名前の歴史』坂田聡著 吉川弘文館 2006年4月
『明智光秀 浪人出身の外様大名の実像』谷口研語著 洋泉社 2014年5月
『知識ゼロからの戦国武将入門』小和田哲男著 幻冬舎 2007年12月
『徳川秀忠とお江』星亮一著 学習研究社 2010年10月

書いた人

東京生まれ東京育ち。茶道の授業があるような幼稚園に通い、自然と日本文化に親しむ。塾講師のアルバイトで季語を教えた際、「すすき」を知らない生徒がいてびっくり。現在1児の母。日本の伝統を次世代に伝えるために試行錯誤の日々。