Culture
2020.02.27

イチロー、朝青龍…12の引退会見名言集。アスリートたちの人生哲学が込められた言葉とは?

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仕事や家事、育児で疲れている時や「最近いいことないな~」なんて時でも、アスリートの活躍はいつでも私たちを元気にしてくれますよね。
今年・2020年は東京オリンピックがあり更なるスポーツ選手の活躍が期待されていますが、現役の選手が多くいる一方で去っていく選手も少なくありません。
今回は、日本スポーツ界の発展を支えた元選手たちに敬意を込めて、引退会見の名シーンや名言を集めてみました。

野球界

長嶋茂雄「我が巨人軍は永久に不滅です」

1974年に現役を引退した長嶋茂雄氏は、数々の名言や逸話を残したことで有名ですが、中でも「我が巨人軍は永久に不滅です」は現在でも色あせない名言としてたくさんの人たちの記憶に残っています。
その言葉が生まれたのは、10月14日の引退試合後のセレモニーでのこと。
支えてくれたファンへの感謝の気持ちを述べたあと「私は、今日引退をいたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です!」の言葉が発せられました。
また、セレモニー前の12日に開かれた引退会見では「僕はボロボロになれるまでやれて幸せだった。最後まで試合に出ますよ。」と、残りの中日戦2試合に出場することを公言。
自身の不調を嘆きながらも、野球人として生きてきた長嶋氏の誇り高い姿を垣間見ることができました。

イチロー「後悔などあろうはずがありません」

メジャーリーガーとしても活躍したイチロー氏は、2019年3月21日に引退会見を行いました。
そこで記者から「その決断(引退)に後悔や思い残したことは」ないかと問われたイチロー氏は、迷わず「あんなもの見せられたら後悔などあろうはずがありません。」と回答。
「あんなもの」とは、その日の引退試合にて終始イチロー氏に対して送られた観客たちの大歓声。
また、その言葉の後に続けた「結果を残すために自分なりに重ねてきたこと、他人より頑張ったということはとても言えないですけど、自分なりに頑張ってきたとははっきりと言えるので。」という言葉には、ストイックに野球を追求してきたイチロー氏の姿を知っているファンたちは涙しました。

野村謙二郎「今日集まっている子供たち、野球はいいもんだぞ。野球は楽しいぞ!」

広島東洋カープで1989年~2005年まで選手として活躍し、2010年~2014年は監督も務めた野村謙二郎氏。
カープ一筋の野球人生を送ってきた野村氏の2005年の引退会見での「今日集まっている子供たち、野球はいいもんだぞ。野球は楽しいぞ!」という言葉は、全国の野球少年の胸を熱くさせました。

新庄剛志「これからも俺らしくいくばいっ!」

人々を魅了するキャラクターで現役当時からタレント性もあった新庄剛志氏が引退を表明したのは2006年。
シリーズ始まってすぐの引退決意表明に、球界・マスコミ・ファンはとても驚かされました。
引退セレモニーではスピーチをしませんでしたが、ユニフォームを脱いだアンダーシャツにプリントされた「今日、この日、この瞬間を心のアルバムに刻んで、これからも俺らしくいくばいっ!」という言葉は、彼らしさが全面に出ておりファンたちの涙を誘いました。

相撲界(角界)

豪栄道「気力のない相撲を皆さんの前で取るわけにはいかない」

2020年初場所にて現役引退を表明した元大関・豪栄道豪太郎。
2016年の全勝優勝以降は苦戦を強いられており、2020年初場所にて大関からの陥落が決まった際に、潔く引退を決意しました。
引退会見で発した「気力のない相撲を皆さんの前で取るわけにはいかないと思います」という言葉は、大関昇進時に誓った「大和魂を貫く」という初志を曲げずに相撲に人生を捧げた豪栄道らしさがにじみ出た言葉でした。

豪風「『お疲れさん』と言ってもらいたい一心」

「地元である秋田県に愛された力士と言えば?」と聞かれたら、相撲好きなら真っ先に答えられるであろう元関脇・豪風旭。
豪風は2019年初場所で引退を表明し、2020年に引退相撲と断髪式を執り行いました。
長男との最後の取組みをした後に断髪式に臨み、秋田県から後援会はじめたくさんの人が駆けつけたことに感謝の意を述べました。
そして最後に両親の遺影を手に土俵へ上がり「入門時も大反対した、お父さん、お母さんに引退した姿を見てもらいたかった。『お疲れさん』と言ってもらいたい一心で17年間、現役でやってきました」と叶わぬ夢を口にし、ファンたちも一緒に涙しました。

朝青龍「私の中には二つの心臓があります」

圧倒的な強さで25回もの幕内優勝を成し遂げた第68代横綱・朝青龍明徳は、自身が起こした暴行事件をきっかけに2010年2月に日本相撲協会から引退勧告を受け、現役引退を余儀なくされました。
会見では「けじめをつけるのは自分」と語り、まだまだ相撲界で活躍したい想いを隠し切れないながらも責任を取ることを表明。
2010年10月の断髪式では「私の身体の中には二つの心臓があります。生んでくれたモンゴルと、育ててくれた日本」という言葉を残し、土俵にキスをして去りました。

競泳界

北島康介「僕が僕らしく、一番興奮できる場所」

「なんも言えねえ」「超気持ちいい!」といった名言を残してきた、日本競泳界のカリスマ・北島康介氏。
2016年の引退会見では「幸せな選手生活を送らせていただきました」と恩師や仲間たちに感謝を述べました。
また、オリンピックを「僕が僕らしく、一番興奮できる場所」と表現し、オリンピックという大舞台で世界新記録まで打ち出した北島氏らしいメンタルの強さを感じさせました。

松田丈志「コーチの喜んでいる顔を見たいという思いでやっていました」

日本代表として4度オリンピックに出場した経験をもつ松田丈志氏は、幼少期から指導にあたってくれていた久世由美子コーチと共に、2016年に引退会見を開催。
引退については「一点の悔いもない」と明るい表情で語りました。
貴社から恩師の久世コーチとの間柄を問われると「本当に長い時間を共有してきたので(中略)コーチの喜んでいる顔を見たいという思いでやっていました」と述べ、絆の深さに感動した人も少なくありませんでした。

その他

吉田沙保里「レスリングは人生の一つ」

世界大会16連覇を果たして「霊長類最強の女子」とまで言われた吉田沙保里氏の2019年の引退会見は、清々しさを感じさせる自然体の会見となりました。
そこで私の印象に残ったのは、記者から「レスリングとは」と問われた時の、吉田氏の「人生の一つですね。」という返答。
「人生の全て」ではなく「一つ」と表現したことは、レスリングを通してさまざまな繋がりや経験をしてきた彼女にしか出せない言葉と感じました。

福原愛「今日ここにいらっしゃるみなさまと記念に写真を撮ってもいいですか」

幼少期から卓球の天才少女としてメディアに報道され続けた福原愛氏。
「泣き虫愛ちゃん」と言われていた少女時代を経て、2012年には史上初の全日本グランドスラム達成と日本卓球史上初のオリンピック銀メダル獲得を果たしました。
そんな福原氏が引退を表明したのは2018年。
引退会見では、卓球についての想いやファンへのお礼などを語った後で、異例の「報道陣への感謝」を述べたことで話題になりました。
そして最後には「ひとつ私からお願いなのですが、今日ここにいらっしゃるみなさまと写真を撮ってもいいですか?」との申し出。
幼い頃からメディアに注目され続けてきた彼女だからこそ、報道陣と共に歩んできた想い出があるのでしょう。
撮影された記念写真はとても素敵なもので、カメラを片手にカメラに収まる記者たちはみんな笑顔でした。

ミラノコレクションA.T.「第二の人生もハヤブサさんから始まるみたいです」

複合極技・ジャベのさまざまな技を開発したことでも知られる元プロレスラーのミラノコレクションA.T.。
目のケガがきっかけとなり引退を考え始め、もともと興味のあった東洋医学の道へ進むことを決め、2010年に引退を決意。
トリコロールカラーの紙テープが投げ込まれる華々しい引退セレモニーだったが、最後に「第二の人生もハヤブサさんから始まるみたいです。俺は8年間、車イス生活だったハヤブサさんを絶対治してみせます!第二の人生の一発目のイタリア革命は、ハヤブサさんを車イス生活から離すことです」と力強く語りました。
この「ハヤブサ」という人物はFMW時代にミラノコレクションA.T.が付き人をしていたプロレスラーで、2001年に頸髄損傷をしてからリハビリ生活を送っていました。
師弟の絆を感じさせるマイクパフォーマンスに多くのプロレスファンが涙した引退セレモニーとして伝説に残っています。

【まとめ】元気と勇気をくれるアスリートたちにリスペクト!

元気のない時でも、その活躍を見ると元気や勇気を与えてもらえるスポーツ選手たち。
今回記事を書いていて、希望や感動を与えてくれた元アスリートたちにリスペクトが溢れてきました。
それまでの選手人生での血のにじむような努力や挫折にも負けない強い気持ちから、アスリート一人ひとりがそれぞれの人生哲学を築いてきたことで、引退会見という最後の大舞台での彼らの言葉は重みがあり感動を呼ぶのでしょう。
これから東京オリンピックが開催されるので、日本アスリートたちの活躍がとても楽しみですね。

書いた人

東北で生まれ育ち、現在は東京在住。3児の母として、縁のある土地の郷土料理を食卓に出したり、日本の伝統的な遊びを子どもたちと一緒にしたりしています。着付けを習ったりアンティーク着物を集めたりする趣味がある一方で、相撲やプロレス観戦も大好き。ペットの犬1匹・猫2匹を溺愛しています。