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2020.04.24

藤原道長も食した古代の乳製品作りに2時間チャレンジ!今こそtake it 蘇!蘇!

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古代から中世にかけて日本で食べられていた乳製品「蘇」。それが約1000年の時を越えたこの令和時代に、注目が集まりました。

その原因は、新型コロナウィルスです。3月に全国的に小中学校が休校となり、給食用の牛乳が余ることを危惧する声があがりました。

そこで、SNSでは牛乳を消費する運動がおこり、その過程で牛乳を煮詰めて作る蘇が紹介されます。牛乳以外に特別な材料もいらず、「この時代に蘇!?」という面白さからか、我も我もと作る人が続出したのです。

日本文化ライターとしては試さずにいられず、今回はその正体に迫りつつ、作ってみた&食べてみたレポートをお届けいたします。

「ただ牛乳を煮詰めるだけ」と聞くと簡単に思えるかもしれませんが、意外と覚悟やしっかりした準備が必要です。その詳細はぜひ、記事後半の作る過程や検証結果をご覧ください!

そもそも「蘇」って?

バター、ヨーグルト、生クリーム、チーズ、アイスクリーム……この現代で流通している主な乳製品を見れば、日本における乳製品は明治維新と前後して入ってきた西洋のものというイメージが強いのではないでしょうか。

しかし、実は古代や中世の日本人も乳製品を食べていました。そのひとつが「蘇」です。とはいえ、日本の牛乳文化が途中で廃れてしまったこともあり、実態はよくわかっていません。

10世紀に編纂された法令集『延喜式』によれば、蘇の製法として「作蘇之法。乳大一斗。煎得蘇大一升(牛乳を一斗煮詰めれば、一升分の蘇が得られる)」とだけ記されています。※一斗=18リットル、一升=1.8リットル

また、3~4世紀ごろに成立したと言われる仏典『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』には「牛より乳を出し、乳より酪(らく)を出し、酪より生酥(しょうそ、なまそ)を出し、生酥より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐(だいご)を出す。醍醐は最上のものであり、もしもこれを呑んだら全ての病を除くことができる」と書いてあります。

ここで出てくる「酥」と「蘇」が同じものかどうか、見解が分かれているうえに、生酥と熟酥についても謎が多いのです。ちなみに、最上の味とされている「醍醐」ですが、これが「醍醐味」の語源のようです。

藤原道長も食した!古代からの牛乳の歴史

上に登場した『延喜式』が編纂されたのは平安時代ですが、いったい日本人はいつから乳製品を口にするようになったのでしょうか?

古代、孝徳天皇の時代(645年~654年)に渡来人が牛乳を献上した記録があり、これが日本で最初に牛乳が飲用された例とされています。その後、宮廷には乳牛院が設置され、各地から一定量の牛乳が献上されるようになりました。

平安時代の正月の大饗(おおあえ、だいきょう/内裏や大臣の邸宅で催される宴)では、献立に蘇が用いられていました。また、大臣が催す大饗では、「蘇甘栗使(そあまぐりのつかい)」という使者によって蘇と甘栗が宮中からわざわざ届けられていました。かの藤原道長も、蘇と甘栗を賜り、食したとのことです。

こうして見ると、一般的とは言えなくてもそれなりに牛乳文化が築かれている気もしますが、仏教が浸透して動物性の食材を避ける風潮になる、武士の力が強くなるにつれて牛の代わりに馬の飼育が盛んになるなど、時代の変化と共に少しずつ牛乳を飲む習慣は廃れていきました。

その後一気に明治維新ごろに飛ぶ……と思いきや、実は江戸時代にも牛乳は登場します。

かつて貿易を許され、長崎県の出島にあったオランダ商館では、牛や山羊が飼われており、搾乳してバターが作られていました。また、徳川幕府8代将軍吉宗の時代には、現在の千葉県にあたる安房国の嶺岡(みねおか)でも牛が育てられていました。というのも、オランダ商館の獣医に「馬の医療用に乳製品が必要だ」と進言されたからです。そこで1728年、馬と共に輸入されたインド産の白牛が、江戸幕府が管理する馬の放牧地、嶺岡牧場にやってきたのです。

牛乳からは「酪酥」が採られ、これを「白牛酪」と言いました。その作り方は、先述の『延喜式』にあったように牛乳を煮詰めるという方法で、肺結核の薬として珍重されていたようです。最初は将軍家や大名が食べていた白牛酪ですが、嶺岡牧場の牛が増えた1792年ごろ、飼育されていた牛の一部が江戸城近くに移されてからは庶民にも販売されるようになりました。

当時の将軍は第11代の徳川家斉。この将軍、光源氏が可愛く思えるほど精力的で、50人以上の子供をもうけた猛者でした。徳川将軍の中でも特に健康だった彼は、毎晩のように晩酌をしたとか、生姜が大好物で年がら年中食べていたとか、精力増強のためオットセイの陰茎を粉末にしたものを飲んでいた(このせいか、あだ名は「オットセイ将軍」)とか、飲食にまつわる逸話が残されています。

関連記事:精力大将軍徳川家斉見参!55歳まで53人の子作りをした「精活」にびっくりぽん!

そんな家斉も注目していたのが、白牛酪でした。幕府の侍医である桃井源寅(もものい みなもとのいん)に『白牛酪考』という本を書かせ、白牛酪の効果を広く喧伝しました。もっとも、販売されていた白牛酪はかなりの高値なので、庶民の中でも手に入れられる人は限られた人々だったようです。

実は『白牛酪考』、インターネットで読めます。(画像は『国会図書館デジタルコレクション』より)

結局、牛乳が日本全国に普及するようになったのは、開国で牛乳の需要が高まってからになります。

我が家の厨にて乳を煎じて蘇を得んとする

さて、本題の蘇チャレンジです。
3月某日。なんの変哲もない我が家の台所で、蘇の精製がスタート。

今回は、成分無調整で低温殺菌の牛乳のほうが「らしい」だろうという理由で、この牛乳を選びました。

高さのある鍋よりもフライパンがいいという情報を得たので、我が家で一番大きなフライパンに1リットル注いでみます。

既に作った人の話では「2リットルで2時間かかった」とあり、「それなら1リットルだと1時間でできるかなー」と雑な計算をしつつ、フライパンに1リットルの牛乳を投入して、加熱開始。

写真の時計だとわかりづらいですが、11時20分スタートでした。

火を通しすぎて失敗したくなかったので、ひたすら弱~中火で煮込みながら、木べらで混ぜていきます。

「ひ~ひっひっひ」と笑い声を出してみると、なんとなく魔女になれた気がしました。何せ、春麗らかな休日に台所で液体を煮詰めながら笑っている大人はちょっと怪しいですから。

混ぜるのをサボると、膜ができます。この時点で30分以上経過していますが、あまり変化はありません。あと30分で蘇になるという希望は早めに捨てました。こういうときは潔い諦めが大事です。

1時間経過。おかしい。どう見ても、まだまだ牛乳。水分は多少減ってはいるし、端にカスのようなものはできているけど、全然固形物の気配がしません。本当にこれは蘇になるのか。かすかな不安が立ち込めてきます。

1時間30分経過。少し煮詰まってきたのがわかるでしょうか? わからない? まあ、その程度の変化です。

ものぐさな私はそろそろ辛くなってきたし、さらにはケチでもあるのでガス代も心配になってきます。

よし、強火にしよう。古代にガスはないし、きっと火加減も一定じゃなかっただろうから許されるよね。ファイヤー!

写真では伝わりにくいですが、地獄の釜のように大きな泡が生まれています。

ひぃ! ボコボコしだした!

焦げが怖かったので、慌てて火を弱めて、おとなしく煮詰まるのを待ちました。

ガスもフライパンもなかったであろう1000年以上前の日本人は、もっと大変だったことでしょう。現代人って恵まれているんだろうなと思いながら、引き続き木べらを動かし続けます。

開始から1時間45分経過すると、目に見えた変化が起きました。

あんなにしぶとく液状だったのに、さも「私、最初から固体でしたが?」のような見た目で、いつの間にか蘇らしきものがフライパンに現れ始めたのです。

油断せず、水分が飛びきるまで、ここからさらに煮詰めていきます。

1時間55分経過。「蘇」っぽい感じがしてきました。

せっかくなので、ここまで来たらキリよく2時間きっちり煮詰めてみようと決意して加熱を続けます。

そして煎じ始めてから2時間経過。水分を飛ばしすぎた後悔がじわじわと湧き上がってきますが、過ぎたことはどうもできないので、引き上げます。

せいぜい100g程度だと予想していましたが、意外といっぱいできました。

今回、牛乳1リットルから取れた蘇は199g。フライパンや木べらにこびりついた分、途中で私がうっかり勢いよく混ぜてフライパンの外へ飛んでいった分を考えると、200gくらいになるでしょうか。

見かけや固さは、焼く前のクッキー生地が近いです。このままでも食べられますが、扱いやすいようにラップでまとめて冷やしてから実食に移ります。

なりゆきまかせの実食レポート

プレーン(要はそのまま)

完成直後の味見では「THE 乳」としか言えない味でしたが、冷やしてみるとクセが減ってやわらかな味わいとなりました。

良く言えば優しい味。いろいろな贅沢に慣れた舌を持つ現代人からすると、物足りないと思う人もいるかもしれません。

ミルクセーキに近いという前評判を聞いたのですが、確かにそれっぽいです。他の一般的な乳製品とは違って主張は強くないものの、乳製品らしいコクが舌に残ります。

時間を置いたからかしっとりとしてますが、やっぱりパサパサ感がまだあります。明らかに水分不足です。1時間55分時点でやめておくべきだったのか……たった5分で蘇の運命は決まるみたいです。

ハチミツ

先に作った人たちの間ではやたらと評判のいいハチミツ。確かにおいしく、ダントツでおすすめです。甘さが足されたうえに、蜜のとろとろ感に包まれ、プレーンのときに感じていた物足りなさが補われていました。

これは日常的なおやつにしても良さそうです。ただし、かけすぎると蘇の味が打ち消されてわからなくなるので、加減が大事。

甘いのを試したなら次はしょっぱいのを、ということで塩をセレクト。

ハチミツでは隠れてしまった蘇の味が、こっちは引き立っているような気がしました。蘇らしさを残したまま、おいしく食べたい人向けです。

オリーブオイル+ブラックペッパー

蘇は古代の食品でも、私は現代人なので現代らしい味も追及することにします。そこで、オリーブオイルとブラックペッパーを試してみました。

オイルをかけすぎると蘇の風味がわからなくなるのはハチミツと一緒でしたが、これもおいしかったです。バルサミコ酢があったらまた違ったかもしれないけれど、そんな小洒落たものを事前に用意できなかったのが残念。

砂糖

ハチミツ→塩→オリーブオイルときて、思いついた砂糖がけ。個人的にはハチミツのほうが好きですが、蘇の素朴な風味と甘さのバランスがいいです。

ハチミツのような濃厚な風味がない分、甘くてもあっさりしています。甘くしたいけど、ハチミツの強さが得意でない人は、まずこちらから試してみるのはいかがでしょうか。

ドライフルーツ

私が作った蘇はパサパサ気味だったせいか、食感的には「一体感がある」と感じるほどの相性のよさでした。ただし、蘇自体の風味はハチミツやオリーブオイルと同様、フルーツの味にやや負けていました。

作った時点では手ごろなものを入手できなかったのですが、さらに日本らしさを味わいたいなら、栗や干し柿など古くから好まれていた果実と組み合わせるのがいいでしょう。

生ハム

オリーブオイル+ブラックペッパーのように、チーズみたいな食べ方に再び挑戦。

正直、これまでの傾向から「ハムの味に消されるだろうな」と思っていましたが、意外や意外。生ハムにくるんで食べる方式にしたせいか、いい感じに蘇の味が残って、生ハムと寄り添っていました。お酒のおつまみにいいかもしれません。

チーズ

『貞子vs伽椰子』的な発想で、似ていると言われている、蘇とチーズを直接対決させてみました。

やっぱり、チーズにはチーズの、蘇には蘇の味がそれぞれあるので、同じ乳製品とはいえ好き嫌いが分かれそうな組み合わせでした。あえて言えば、チーズの比率を多めにしたほうがバランスがよかったです。

検証結果!

・必要なのは、ガス代と時間、そして根気。
・煮詰まり始めたら一気に水分がなくなるから油断してはいけない。
・現代人の舌に合うかどうかは微妙なところだけど、薬として珍重されていたのも納得の滋味はある。
・醤油や味噌との相性を試さなかったことを後から気づいて悔やんだので、調味料は多めに用意するべし。
・蘇の味わいは結構繊細なので、調味料の量はほどほどに!

私のおすすめフレーバーは、甘い系ならハチミツ、しょっぱい系なら生ハムです。

少し忍耐力が試されますが、特別な道具も技術も必要なく、簡単に作れて、遥か昔の日本に思いを馳せることができます。自宅でまったりする時間がある人はぜひ、蘇づくりに挑戦してみてください。

主な参考文献

『新版 牛乳と日本人』吉田豊著 新宿書房 2000年
『地域食材大百科 第11巻 乳製品、卵製品』一般社団法人農山漁村文化協会編 2013年
『大般涅槃経 : 新訳』原田霊道訳著 大洋社 1937年
『延喜式 第4』藤原時平ほか著 正宗敦夫編 日本古典全集刊行会 1929年

書いた人

日本文化や美術を中心に、興味があちこちにありすぎたため、何者にもなれなかった代わりに行動力だけはある。展示施設にて来館者への解説に励んだり、ゲームのシナリオを書いたりと落ち着かない動きを取るが、本人は「より大勢の人と楽しいことを共有したいだけだ」と主張する。