奈良時代から奇跡的な保存状態で現存する『正倉院宝物』。教科書でもお馴染みだが、その再現模造(物事が再び現れ本物に似せてつくること)と聞いて、どのようなイメージを持っているだろうか?
SNSでは、「あぁ、レプリカね」「しょせん偽物」「本物とは価値が違う」などと呟く人を見かけることもある。もし、あなたもそう思っていたとしたら、そのイメージを思いっきり覆して欲しい。
「本物の正倉院宝物をもうひとつ造る」という驚くべき意気込みで、宮内庁正倉院事務所が、人間国宝ら伝統技術保持者と共に総力を挙げ制作した再現模造の数々。一体どこがどれほどすごいのか?宮内庁正倉院事務所・西川明彦所長にその存在意義や魅力について伺った。
(本記事は、全国巡回展中の御大典記念特別展『よみがえる正倉院宝物 再現模造にみる天平の技』を取材)
その前に、そもそも『正倉院宝物』って?
正倉院正倉 外観
そもそも正倉院宝物や正倉とは何なのか、まずは思い出してみよう。「正倉院正倉」は、奈良の東大寺にある校倉造(あぜくらづくり)※の倉のこと。そう、社会科の資料集や教科書に載っていたあの建物だ。
そして、正倉院宝物は、そこに納められた聖武天皇(大宝元年(701)~天平勝宝8年 (756))の遺愛品や大仏開眼会などで使用された約9000点におよぶ品々のこと。天皇の死後、妻の光明皇后により、東大寺の盧舎那仏(るしゃなぶつ/大仏)に献納され、約1300年もの間、守り伝えられてきた。一口に正倉院宝物といっても、楽器・調度品・染織品・遊戯具・仏具・武具・文書など種類は様々で、なかにはシルクロードを通じ西域や唐からもたらされた異国情緒あふれる品々も。
※木材を井桁に組んで積み上げた外壁が特徴の伝統的な建築様式
実は、模造も時代によって色々
正倉院宝物の模造は、時代ごとにざっくり4パターンある。冒頭で紹介した「本物の正倉院宝物をもうひとつ造る」意気込みで制作された「再現模造」は、昭和47年以降のものを指す。時代ごとの模造制作の理念(目的)は下記の通りだ。
明治期の修復に伴う模造『螺鈿槽箜篌(らでんそうのくご)』。オリジナルは残欠のため、当初のものを再現している(箜篌は失われた古代楽器)
【1】明治8年の奈良博覧会など殖産興業政策における模造
【2】明治25~37年の大規模な宝物の修理に伴う模造
【3】関東大震災からの復興や昭和天皇のご即位が契機、危機管理目的の模造
【4】昭和47年以降、宮内庁正倉院事務所による再現模造
「再現模造」は一体なぜ造られたの?
宮内庁正倉院事務所・西川明彦所長
昭和47年(1972)以降の模造事業は、万が一に備えての危機管理や技術の継承を目的に始まった。最新の科学技術による調査・研究結果と名工の熟練の技が融合し、原宝物と同じ材料・技法・構造で忠実に当初の姿を再現したという点が、それまで(【1】【2】【3】)とは大きく異なる。
これまでは「復元模造」という言葉が使われてきたが、他の時代の模造と差別化を図るため、この度、新たに「再現模造」という表現が提唱された。
「約1300年も経っているから、オリジナルの正倉院宝物はきわめて脆弱。そして、ゆっくりですが確実に劣化が進行している。それを何とか食い止め保存しているのが我々」と所長。そして、「(宝物に万が一の事があった時を想定し)再現模造は1300年後の正倉院宝物を目指しています」と力を込める。
では、いかにすごいか、再現模造『螺鈿紫檀五絃琵琶』(らでんしたんのごげんびわ)を例に見てみよう。
造るなら人気ナンバーワンの宝物を!『平成の再現模造プロジェクト』
模造 螺鈿紫檀五絃琵琶 表 正倉院事務所 ※こちらは平成に造られた再現模造
夜光貝の螺鈿(らでん)や玳瑁(たいまい/べっ甲)の華やかな装飾で人気があり、正倉院を代表する宝物として知られる『螺鈿紫檀五絃琵琶』。聖武天皇の遺愛品で、世界で唯一現存する五弦の琵琶だ。すでに失われてしまった異国の古代楽器が現存している点も正倉院宝物が奇跡と言われるゆえんでもある。
20年前、「どうせ造るんやったら人気ナンバーワン(宝物)を」「(再現模造の中で)センター的なものを造りたい」「楽器を再現するからには、音はどんなやろう?そもそも鳴るのだろうか?」という構想から、再現模造『螺鈿紫檀五絃琵琶』の「平成の再現模造プロジェクト」はスタートした。
この琵琶は、8年がかりと言われることが多いが、事前調査、材料の調達、試作品制作期間などを含めると、実のところ、完成までに17年以上かかっているという。ちなみに、明治32年に修理に伴って制作されたと考えられる模造『螺鈿紫檀五絃琵琶』(東京国立博物館所蔵)もあるので、ややこしいが混同しないよう注意が必要だ。
螺鈿紫檀五絃琵琶 裏 模造 正倉院事務所 ※こちらは平成に造られた再現模造
材料の調達が困難
まず、制作しようにも、そもそもの材料が入手困難だった。華やかな装飾部材のひとつである玳瑁は、ウミガメの甲羅だ。しかし、ワシントン条約により取引が禁止されており、海外から新たに調達することができない。さらに、琵琶本体の木材、紫檀(したん)も産出国による輸出制限が設けられるほど稀少だった。そんな状況の中、どちらも数少ない国内に残るもので対応ができたというのだから、再現模造がいかに貴重なのかが分かる。
科学調査で判明、技術が淘汰される前のことを匠に伝えるおもしろさ
伝統工芸技術者と協働で再現模造制作を行うにあたり、研究者が感じている魅力はどこにあるのだろうか?
西川所長は、「現代の伝統工芸は江戸時代くらいまでしか遡れない。奈良時代の工芸品には技術が淘汰される前の色々なものが乱立している」と説明した上で、「現代の匠の中には、そんなもの造れないという人もいるが、それを研究者である我々が文献を読み下し、科学調査で分かった事を通訳して伝えるおもしろさがある」とその魅力について語る。
再現模造制作の魅力を語る西川明彦所長
皇室がまもり伝えてきた至宝である正倉院宝物の内部を分解して確認することは絶対にできない。そのため、科学調査から判明した情報に基づいて、限りなく同じ素材で、多くの匠の手により同じ技法、構造で再現され、保存・管理方法まで同じにしているのだ。
例えば、「伏彩色(ふせざいしき)」※で描かれた原宝物の玳瑁は、約1300年も経っているため模様が見えにくいが、科学分析により顔料が特定され、拡大画像で描写や配色の調査が行われた。再現模造では、その情報に基づき詳細に描かれた模様をハッキリと目にすることができる。
※裏面に彩色文様を施して表から透かして見せる技法
模造 螺鈿紫檀五絃琵琶の螺鈿に線彫りを施している様子
膨大な時間をかけた緻密な作業
華やかな装飾からも分かるように、形や文様が複雑なので、文様図制作や約600点にも及ぶ夜光貝と玳瑁の加工にもかなりの時間がかかっている。象嵌(一つの素材に異なる素材をはめ込む工芸技法)の彫り込みには、当時と同じような加工痕が残る道具を使用するこだわり。また、漆芸家・北村繁さんは、夜光貝表面の毛彫り※を忠実に再現するのに苦心したという。写真を見ても分かる通り、気が遠くなるような細かい作業の数々を伝統工芸技術者たちは行ったのだ。
※刃物で線が描かれている
X線等の科学調査で楽器の機能があったと判明
その他、科学調査で新たに分かったこととして、所長は「絃の振動を槽(琵琶の胴)に直に伝えて共鳴させる虹(にじ)という部材が内部に入れられていることが確認され、当初から楽器として弾くことができた」と話す。
そのため、実際に演奏可能な楽器として再現。もしかしたら原宝物の琵琶は、聖武天皇が自ら弾いていたのかもしれない。
上皇后陛下が育てた蚕『小石丸』の糸で実際に演奏できる
日本固有種で古代の繭に近いといわれている小石丸の絹糸は、一般的なものより白い
そして、琵琶の絃(げん)も限りなく当時を再現している。皇居内「紅葉山御養蚕所」で上皇后陛下がお育てになった日本固有種の蚕『小石丸』の繭から造られているのだ。
「実際に造って弾いてみて、小石丸には粘弾性や耐久性があって楽器に向いていたことが分かった」
再現模造によって、当時の姿形だけでなく、聖武天皇が耳にしたであろう天平の音色までも私達は楽しむことができるのだ。この小石丸の絹糸は、『讃岐国調白絁』(さぬきのくにのちょうのあしぎぬ)など、その他の再現模造にも使用されている。
古代の技術力の高さに驚嘆、所長がおススメする再現模造とは?
現代科学と伝統工芸の粋を集め制作された再現模造。その中でも、特に西川所長がおススメするものはどれなのか伺ってみた。
これだ
模造 黄銅合子(おうどうのごうす) 正倉院事務所蔵
『黄銅合子』(おうどうのごうす)は、仏前で香合(こうごう)※として使われたと考えられる金属製の入れ物。黄銅とは真鍮(銅と亜鉛を混ぜ合わせた合金)のことだ。注目すべき点は、古代の技術力の高さ。試作の段階で、テーパーピン※の技術が使われていることが分かったのだという。
蓋(ふた)には数多くの部材があるので、接合部を固くとめると相輪※などが回転してしまって押さえ込むことができない。そのため、蓋はパイプ状の芯棒を貫通させて先端にテーパーピン状の鋲(びょう)が打ち込まれている。
「装飾性だけでなく、1200年以上も前に、今に通じる技術があったことにも注目してもらえたら。ちょっとマニアックかな」と笑う。
※香を入れる容器
※先端方向に向かうにつれて細くなっているピン。軸をボス(軸の取り付けを補強するための円筒形の軸心)に固定する際の位置決めなどに使われる
※仏塔の屋根から天に向かって突き出た金属製の部分の総称
日本人のリボーンの価値観「新たに造ったものにも価値がある」
「模造と聞くとオリジナルの代替品のようなイメージを持たれるが、再現模造はそれを払拭するもの」。新たに造るという意味では、金閣寺(鹿苑寺)は昭和に焼失し再建され、京都御所も近世で焼失と再建を繰り返している。だが、価値あるものとして認識している人は多いだろう。
「新しいから価値が無いとは決めつけられない。20年に一度、お宮を新たに建て替える伊勢神宮の式年遷宮でも分かるように、『再生(リボーン)』の価値観を我々日本人は重んじている。それと(再現模造を)重ね合わせると分かりやすい。新しいものでも価値は生まれる」
所長は力強く語ってくれた。
参考文献
『御大典記念 よみがえる正倉院宝物 -再現模造にみる天平の技―』図録
『御即位記念特別展 正倉院の世界 -皇室がまもり伝えた美―』図録