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2020.09.09

浮世絵は江戸時代の後も作られていた!?特別展「明治錦絵×大正新版画-世界が愛した近代の木版画」レポート

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「えっ、浮世絵って江戸時代の後にも作られていたの?!」

そう驚きの声を挙げたのは、浮世絵展にいまだ足を運んだことがない僕の妻。どうやら、北斎亡き後、浮世絵は終わったと勘違いしていたようです。

そんな僕も妻をバカにできません。脱サラしたことがきっかけで本格的に浮世絵展に通うようになった5年前までは、自分もほぼ同様に考えていました。浮世絵は北斎や広重亡き後、後継者不足によって廃れてしまった伝統工芸(?)なのだと。しかしそれは大きな誤解でした。

江戸時代以降、教科書に載るような超大物こそ輩出されなかったものの、明治~大正~昭和と優れた浮世絵は作られ続けました。嬉しいことに近年では、こうした明治・大正期の浮世絵を特集する展覧会も徐々に増加。江戸時代以降の浮世絵を味わえる機会は着実に増えてきているのです。

特に2020年度は、オリンピックイヤーを意識してなのか、各館で「浮世絵」をテーマにした展覧会が増加。そこで、今回は8月25日から神奈川県立歴史博物館で始まった特別展「明治錦絵×大正新版画-世界が愛した近代の木版画」の取材成果を通して、明治・大正の浮世絵の面白さ、魅力を初心者にもわかるように詳しく紹介してみたいと思います。

それでは、早速明治時代の浮世絵から見ていきましょう。

明治時代、浮世絵のレベルはむしろ向上していた!

木版技術が最高潮に達していた明治時代

大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖 画帖四 揚州周延「雪月花の内 桜花遊覧」

浮世絵は、一般的には江戸時代に最も栄えた日本美術の一分野だと思われていますよね。その理解自体は正しいです。ですが、浮世絵を支えた「彫り」や「摺り」といった木版画の技術水準は、明治時代に最高レベルに達しているんです。

それはなぜなのでしょうか。本展を企画・監修し、取材にご対応いただいた角田拓朗(つのだたくろう)主任学芸員に早速お聞きしてみました。

角田:「明治時代に入ると、モネやゴッホなど近代西洋美術の巨匠をはじめ、日本の浮世絵が西洋で大きく注目されましたよね。実際、ゴッホは歌川広重の『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』や 『名所江戸百景 亀戸梅屋敷』などを模写したりしてもいます。でもこれらの作品が西洋に受け入れられたのはいつだったのでしょうか?」

僕:「……え、江戸時代、、、じゃなくて、、、あっ、そうか!明治時代ですね!!」

角田:「そう。浮世絵が西洋社会で受容されていったのはまさに明治時代だったんです。そして、彼らのコレクションの中には、江戸時代の浮世絵だけでなく、明治時代に制作された浮世絵も多数ありました。」

僕:「ということは……ひょっとして、陶磁器や漆工芸作品と同様に、浮世絵も外貨獲得のための重要な輸出品の一つであったといえるのでしょうか?」

角田:「そうです。実際、彼らのコレクションには本展でご紹介している明治時代を代表する版元・大倉孫兵衛(おおくらまごべえ)の摺物があったりするんですよ。」

ん?!大倉孫兵衛……。どこかで聞いたような。

…………

思い出しました!

大倉孫兵衛は、日本の陶磁器産業発展史を語る上で欠かせない、超重要な人物なのです。ノリタケカンパニーリミテドやTOTO、INAX、日本ガイシといった、一流企業の創業に連なる人物であり、高級洋食器の老舗ブランド・大倉陶園の創始者でもあります。

大倉孫兵衛の系譜に連なる窯業の会社群。日本を代表するような上場企業ばかりでびっくりですよね?!

しかし、実は彼が輸出用陶磁器の分野で活躍し、壺や菓子鉢などを制作する製陶メーカーの経営者へと転身する以前は、江戸時代以来の家業として浮世絵の版元を営んでいたのです。

明治20年前後の大倉書店。表通りの大店といった雰囲気からは、江戸時代の名残がまだ色濃く感じられます。

その家業が順調に拡大し、ひとつの頂点に達したのが明治時代の中期でした。特別展「明治錦絵×大正新版画-世界が愛した近代の木版画」第1部では、まさに孫兵衛が浮世絵の版元時代に手元に秘蔵した超高品質なプライベートコレクションが展示されているのです。

明治時代の知られざる版元・大倉孫兵衛とは?!

ということで、まずご覧頂きたいのはこちらの展示室の偉容です。

出ました!神奈川歴博おなじみの超高密度展示!!

これが神奈川県立歴史博物館名物の超高密度展示!展示ケースの端から端まで一直線に高密度で並んだ錦絵軍団がお出迎えです!!

これでもか!と言わんばかりに、右も左も山のように浮世絵が並んでいるではありませんかっ。そうそう!そうこなくっちゃ!

展覧会マニアの血が俄然騒ぎ出します。

角田:「ぶっちゃけ、明治版画の第1部だけで、通常の浮世絵展で出品される分量はゆうにあると思います(苦笑)。」

ここに展示されている錦絵の画帖群は、すべて大倉孫兵衛が版元として活動していた時代に手掛け、個人的に保管していた秘蔵のコレクション。つい最近、現所蔵者のもとから発見されるまで、長らく誰の目に触れることなく眠っていたのだそうです。平成30年に一部初公開され、今回が待望の2度目の展示となります。

「錦絵 第壱函」と題簽が貼付された、大倉孫兵衛秘蔵の7冊の画帖が入っていた大きな木箱。この頑丈な箱の中で100年以上じっと保管されていたため、ほとんど劣化せず奇跡的な状態の良さが保たれていたのでしょう。

だから、作られて100年以上経過しているのに、画帖に綴られた錦絵はどれもたった今摺り上がったばかりのような凄まじい状態の良さ。マニア感涙の超絶クオリティでした。

取材後、「はやく皆様にこの興奮を伝えたい!!」と、我慢できずすぐにツイートも投下。写真だとどうしてもその凄さが伝わりづらいのですが、この圧倒的な状態の凄さ、伝わりますかね?!

本展では、これら大蔵孫兵衛秘蔵の画帖コレクション全7冊を、約1ヶ月かけて全点一気に公開。毎週場面替え、展示替えが行われるので、当然ながらマニアは毎週来なければなりません。(展示替えのペースが早いので学芸員さんも大変なのだとか……!)

明治時代、浮世絵は外貨獲得のための重要な輸出品だった!

明治維新後、列強に伍するために富国強兵を目指した明治政府は、殖産興業のための原資として外貨を獲得するために美術工芸品の輸出強化に乗り出します。ここまでは、歴史の教科書にも載っているような、わりと有名な話ですよね。

しかし、明治浮世絵は、これら輸出品の中に含まれていたのでしょうか。

確かに、江戸時代の広重や北斎の作品は、欧米のコレクターたちによって買い集められ、あっという間に名作がどんどん海外流出してしまった、、、というのはよく聞く話です。ですが、明治時代に新しく作られていた浮世絵についてはどうだったのでしょうか。それらは、ちゃんと欧米のコレクターに評価されていたのでしょうか?

実はそこが結構長年個人的に謎でモヤモヤしていたところでした。なぜなら、明治時代の浮世絵を特集した書籍や資料を見ても、「写楽や歌麿らオールドマスター同様に、明治時代に作られた浮世絵もまた、西洋向けの輸出用美術工芸品として制作されていた」という記述がクリアに書かれていないのですよね。

しかし、本展でそれがはっきりしました。これを見て下さい。

大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖 表紙見返

これは、大倉孫兵衛が自ら画帖の冒頭に記した書き付けです。この中で、ハッキリと「アメリカへの輸出用に仕立てた掛物で莫大な利益を得た。」と書かれていました。 そして、この利益を原資として孫兵衛が次に乗り出した事業こそが、彼が後半生すべてを賭けて打ち込んだ陶磁器の生産・輸出事業だったのです。

また、実際に作品の細部に着目してみると、孫兵衛の言う通り、これらが最初から輸出用を意図して制作されていたと思しき確かな痕跡を認めることができました。

大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖 画帖一「潮干狩」

たとえば、孫兵衛が「掛物」(かけもの)と呼んだ、一種の描表装(かきびょうそう)のような仕立てで描かれた極彩色の錦絵群には、絵師の名前を記した落款類が一切見当たりません。角田学芸員によると「漢字を読めず、絵師名をブランドとして認識しない西洋人にとっては、落款等は無意味ものでしかなかったので、不要なものとして省かれたのでしょう。」とのこと。落款は絵師のプライドとも言える部分ですから、思い切った措置ですよね。
大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖 画帖一「牡丹に鶴」

さらに、錦絵の背景が全て「赤」で塗りつぶされるなど、極限まで派手さが強調された画面にも注目。後述するように、明治時代の錦絵は「赤」や「紫」が多用され、総じて派手でケバケバしい雰囲気がありますが、この掛物は特にスゴい。目が痛くなりそうなほどの極彩色で彩られています。伝統的な和風建築の床の間には、まず絶対に合わないでしょう……。

角田学芸員にお聞きした、明治時代の浮世絵の3つの鑑賞の切り口

さて、展示室の圧倒的な展示点数にひるんでいる場合ではありません。どうにかしてここはより良き鑑賞の糸口を掴まねば……。ということで、本展第1部の目玉展示「大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖」を見ながら、角田学芸員に明治時代の浮世絵の鑑賞の切り口をお伺いしてみました。

注目点1:毒々しいほどに鮮やか?!明治時代の新色「赤」と「紫」に注目!

大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖 画帖四(表)揚州周延「今様歌舞上覧図」

まず明治期の錦絵をザーッと見ていくとすぐに気付くのが、江戸時代までの浮世絵ではあまり見られない鮮やかな「赤」と「紫」が非常に多用されていること。これらは、明治時代に入って欧米から輸入された「アニリン染料」という新種の化学合成顔料なのです。発色が良く安価なため、物珍しさも手伝って浮世絵師たちは一斉に新色に飛びつきました。

展示室を見回してみましょう。どの作品でも徹底的に「赤」と「紫」の2色が多用されていることがわかりますよね。

それにしても賑やかな色使いだな……と放心したように見ていたところ、角田さんが今回特別にライトを当てて解説してくださいました。

大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖 画帖五 落合芳幾・武田畿丸「源氏五十四帖」/赤と紫が非常に賑やかな作品。後述するように、作品を囲う源氏香の「枠」のデザインも見どころです。

角田:「浮世絵の展示室は、作品保護の観点からどうしても照明を落とさなければならないのですが、こうやってライトを少し当ててみると、すごく美しく摺られていることがわかりますよね。絵の具の濃さや摺りの技術レベルが実感できるかと思います。」

ライトがあたっているところを見てください。女性の着物が、ゆるやかに濃淡のグラデーションがつけられ、鮮やかな紫で摺られていますよね。本当に凄い。普段、僕たちが美術館で江戸の浮世絵を鑑賞する時は、退色が進み、くすんでしまった色合いの錦絵を見ることも多いですよね。でも本当に刷りたて、できたての作品は、当時の人々にこんなふうに鮮やかに見えていたのでしょうね。

注目点2:役者絵は「目」に注目!

大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖 画帖三(表) 豊原国周「都京花 國周萬画 一 河原崎三升 和藤内」

本展では、明治時代に役者絵の第一人者だった豊原国周(とよはらくにちか)を筆頭に、二代歌川国輝(うたがわくにてる)、歌川国明(うたがわくにあき)など、当時の人気絵師が手掛け、濃彩で彩られた極上クオリティの役者絵を堪能することができます。

ここで角田学芸員からオススメいただいたのが、役者絵の「顔」に注目する鑑賞法。

初心者にとって、浮世絵が何となくとっつきにくく感じてしまう理由の一つが「どの顔も同じようにしか見えない!」という悩みです。

確かに、江戸時代、美人画の名手として名を馳せた鳥居清長(とりいきよなが)や喜多川歌麿(きたがわうたまろ)などが描いた美人たちは、どの顔も同じに見えますよね。「清長美人」「歌麿美人」などと呼ばれ、絵師ごとに作風は異なるものの、一人の作家が描く女性の顔つきは割り切って類型化されています。ほとんど同じ顔をしていると言ってよいでしょう。上杉達也(タッチ)だろうが国見比呂(H2)だろうが、あだち充の描く主人公の顔が極度にパターン化しているのと同じ理屈ですね。

ですが、役者絵は、意外と遠くからでも顔の個性が際立って見えるんです。

大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖 画帖三(表)豊原国周「新板狂言外題畫」

角田:「役者絵の顔は、よーく見るとみんな一人ひとり顔立ちが違うんですよ。鼻筋や目つきなどは特に顕著ですよね。特に、市川團十郎や中村芝翫などスター役者は特に似顔が丁寧に描かれています。

また、「見栄を切る」といいますが、舞台の核心部分で決めポーズを取っている場面での顔つきでは、より目になっていたり、ちょっと目がずれていたり、場合によっては目玉が飛び出してしまっていたり。どれも個性を際立たせる工夫なのでしょうね。」

そうか……。歌舞伎の演目にはそれほど詳しくないと、役者絵自体よくわからないな……と思ってしまいがちですが、ひとりひとりの顔の表情に注目してみると、描かれた役者の人間性なども透けて見えてきそうで、鑑賞がぐぐっと面白くなってくるかもしれませんね。

注目点3:浮世絵の「枠」にも注目?!意外にかわいいデザイン性

大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖 画帖一/枠の部分に竜が絡みついた非常に凝ったデザイン。

これは明治時代の浮世絵……というより、大倉孫兵衛が輸出専用作品として制作していた摺物の特徴になるのかもしれませんが、作品の「枠」に着目した鑑賞が意外にも面白いのです。

角田:「特に掛物の枠には是非注目してみて下さい。どれも非常にかわいいんです。」

僕:「かわいい……?!といいますと?」

角田:「どの枠も、精緻で写実的な感じではなくて、妙に力が抜けているんです。ゆるかわいいデザインに仕上がっているんです。」

大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖 画帖一/枠のデザインだけ丹念に観ていっても面白いですよ!

確かに。花や鳥、源氏香などいろんな枠で彩られています。あえて絵の部分を減らしても「枠」にこだわったのは、外国人がよりジャポニズムの香りを感じられたからなのでしょうか。面白いです。

「楳嶺花鳥画譜 春三 海棠孔雀」/ヘビなのか魚なのか、謎の生き物が装飾文様でかたどられたゆるかわいい枠。幸野楳嶺が原画を担当した一連の作品群に描かれた花鳥画は、その後陶磁器のデザインにも転用されました。

浮世絵は不滅?!大正時代に復興した「新版画」

第2部の展示風景。第一部ほどではありませんが、見渡す限り新版画尽くし。やはり凄い点数が並んでいます。

明治時代後半に入ると、「彫り」「摺り」など木版画の制作技術は最高潮に達します。しかし、他分野でも伝統的手工業が、機械化が進んだ近代工場に負けて次々と廃業していったように、コスト・スピード面で木版画はどうしても機械印刷に太刀打ちできず、少しずつ衰退していきました。

そんな中、時代とともに静かに消えゆく運命にあった木版画を、もう一度世の中に送り出そうとした男がいました。

それが、「最後の版元」とも言われた渡邊庄三郎(わたなべしょうざぶろう)です。

彼は、新聞挿絵や木版口絵など、それまで一過性の消耗品として扱われがちだった木版画に新たに付加価値をつけ、美術品として売り出すことで浮世絵を復興しようと企図します。絵師・彫師・摺師の伝統的な分業体制を維持しながら、クオリティを飛躍的に高めた作品群を『新版画』という名前で世の中に送り出しました。

渡邉の目論見は大成功。

彼の構想に賛同した画家の中から、橋口五葉(はしぐちごよう)、吉田博(よしだひろし)、川瀬巴水(かわせはすい)、名取春仙(なとりしゅんせん)、山村耕花(やまむらこうか)ら売れっ子絵師が次々に輩出され、海外でも「Shin-hanga」というブランド名が定着。その後、新版画は1930年代を頂点として、戦後の1960年代まで約3000作品が制作されたといいます。

もちろん、こうなると他の版元も黙っていません。酒井好古堂、芸艸堂、アダチ版画など他の版元も競って新版画のプロデュースをはじめ、全盛期は全国各地に約20もの新興版元が出現しました。

そんな背景があるので、新版画に関連した展覧会が開催されると、たいていは最も有力な版元であった渡邉版画店の作品を中心に紹介されることが多くなります。ですが、本展は少しひねりが効いています。今回、角田学芸員が着目したのは渡邉版画店ではなく、新興版元である土井版画店と、この版元が主力作家としてプロデュースした作家たちでした。

新版画の版元・土井版画店を代表する3名の凄腕作家

館内には3名のプロフィールも解説パネルで紹介されています。作品を早く見たいと気が焦るところですが、これをしっかり読み込んでから作品に向き合うと、3名の絵師それぞれの個性がより深く理解できますよ。

特別展「明治錦絵×大正新版画-世界が愛した近代の木版画」では、前述した土井版画店がプロデュースした絵師3名を大きくクローズアップして特集。それでは、順番に紹介していきましょう。

新版画の代名詞的存在!川瀬巴水

全て川瀬巴水、土井利一コレクション。左から「五月雨(荒川)」、「春雨(護国寺)」、「暮るる雪(江戸川)」/川瀬巴水作品の中では貴重な、土井版画店から出版された作品群です。

新版画を代表する作家として、最も有名な作家の一人として知られるのが「昭和の広重」との異名を持つ川瀬巴水。彼の手掛ける独特の澄み切った青は「巴水ブルー」とも呼ばれ、新版画ファンから絶大な人気を誇ります。Apple創業者のスティーヴ・ジョブズも巴水を愛したように、海外でも大人気です。

巴水は、基本的に渡邉版画店の仕事を中心に手掛けていました。しかし一時期経済的な理由から、土井版画店からも作品を発表していた時期があったのです。本展では、土井版画店から出版された作品と、渡邉版画店から出版された代表作「東京二十景」の両方が出品されていますので、版元による作風の違いなどを見比べながら楽しむことができます。

還暦を過ぎて人生大逆転!超遅咲きの土屋光逸

すべて土屋光逸、土井利一コレクション。左から「根津神社」「湯島天神」「二見ヶ浦」/約80年前の風景。三社とも、今でもどことなく絵の中に描かれたような、往時の雰囲気が残っていますよね。

土井版画店のエースとして活躍したのが、超遅咲きの絵師・土屋光逸(つちやこういつ)です。

彼は、「光線画」で有名な、明治時代を代表する浮世絵師・小林清親(こばやしきよちか)の元で浮世絵師を目指して修行を重ねていました。内弟子生活は、実に20年以上の長きにわたったといいます。

土屋光逸「征清軍隊奉迎之図」土井利一コレクション/「浮世絵師」としての土屋光逸の最初期の激レア作品。

しかし、彼にとっての誤算は、活動を開始した時期が決定的に悪かったことでした。彼が浮世絵師としてデビューした日清戦争頃を境として、浮世絵は徐々に衰退期に入っていくのです。結局光逸が制作した浮世絵は、現在では日清戦争関連でわずかに数作の戦争画が残されたのみ。浮世絵が冬の時代に突入して以来、光逸は小林清親の身の回りの世話をしつつ、石版画制作や中国向けに輸出する「絹絵」を描くなどして糊口をしのいでいたといいます。

実際、このようにして忘れられていった浮世絵師や日本画家は履いて捨てるほどいるのでしょう。

ところが!!

光逸にはまだツキが残っていました。なんと、60歳を過ぎてから新版画でブレイクしたのです!

当時、すっかり埋もれてしまっていた光逸を発掘したのが、新興版元として新たな絵師を探していた土井版画店の店主・土井貞一(どいさだいち)でした。貞一は、光逸の詩情あふれる作風を高く評価。以降、太平洋戦争で制作が中断するまでの約10年間、光逸と二人三脚で約80作品を制作することになります。

すべて土屋光逸、土井利一コレクション。左から「東京風景 四ツ谷荒木横町」「東京風景 根津神社」「東京風景 柳橋」/これぞ土屋光逸の真骨頂!闇夜に浮かぶ温かい乳白色の灯りが、人の温もりを感じさせます。心に染み渡るような傑作!!

そういえば、光逸の師匠・小林清親は、闇夜や荒天を叙情的に表現する名手でした。その忠実な弟子だった光逸もまた、師匠同様に、雨や雪、夕暮れや月夜などを好んでモチーフに選んでいます。

派手さを抑え、変わりゆく東京や日本各地の名所をノスタルジックに描いた情趣あふれる作品群は絶品。他の展覧会では、まずこれだけ大量の光逸作品を一度に鑑賞できる機会は今後もほとんどないでしょう。新版画ファン必見です。

線描の味わいが絶品!ノエル・ヌエット

全てノエル・ヌエット、クリスチャン・ポラックコレクション。左から「東京風景 御茶の水」「東京風景 浅草寺」「東京風景 池上本門寺」/一番左の御茶ノ水を描いた作品は、ヌエットらしい近代土木建築と自然の絶妙のコラボレーションが美しい。神田川に夕日が映える中、御茶の水橋の向こう側にアールデコ様式の近代建築やニコライ堂などが見えています。

新版画の一つの特徴として挙げられるのが、外国人作家の参入が目立つこと。ポール・ジャクレーや、エミール・オルリク、ヘレン・ハイド、エリザベス・キースといった、日本の浮世絵文化に傾倒した外国人作家が、新版画の作品を多数残しています。

土井版画店も、一人外国人作家を手掛けました。それが、フランス人作家のノエル・ヌエットです。「フランスの広重」または「広重四世」との異名を取るヌエットですが、彼の本業はフランス語の教師、または詩人としての活動でした。これらに加えて、彼には抜群の絵の才能も備わっていました。

1930年、2度目に来日すると、彼はあこがれていた広重のように、東京の風景を精力的にスケッチして回ります。それを見た土井貞一が、ヌエットの才能を高く評価したことで、1936年から版画「東京百景」シリーズの刊行がスタート。かくして、ヌエットはあこがれの「広重」に大きく近づいたのでした。

全てノエル・ヌエット、明治大学図書館蔵。左から「東京風景 御茶の水」「東京風景 両国橋」

特に着目したいのがヌエットの描く線描の絶妙の美しさ。銅版画特有の細くシャープな線と違い、木版画特有の温かみがノスタルジックな風景美に味わいを加えていますよね。彼は近代的な土木建築物もモチーフに積極的に取り入れているので、本展で出品されている3名の風景画の中では、一番現代の風景に近い情景を描いていると言っても良いでしょう。

日本橋や両国橋など、ヌエットが画面の中で描いたものがそっくりそのまま残っているケースも珍しくありません。2020年現在の実景を思い浮かべながら鑑賞するのも面白いですよ。

ノエル・ヌエット「東京風景 両国橋」(部分拡大図)明治大学図書館蔵/自身のスケッチを元に、彫師・摺師が忠実に再現されたヌエットの線描の豊かな味わいも見どころの一つです。

新版画はここに着目して鑑賞してみよう!!3つの注目点!

新版画の支配色は「青」!抑制の効いた落ち着きのあるブルーを堪能しよう

土屋光逸「東京風景 日比谷の月」土井利一コレクション/夕闇と水面のダークグレーに挟まれた白銀の世界が印象的。温暖化の進む東京都心で、果たして光逸が描いたような情趣あふれる雪景色を今後見られる機会は訪れるのでしょうか……。

展示室を巡ると、明治時代の「赤絵」から一転して抑制の効いた「青」や「藍色」の世界に移り変わることが体感できるでしょう。まず新版画で味わって頂きたいのは、江戸の浮世絵時代とは比べ物にならないほど技術レベルが向上し、手数をかけることによって飛躍的に高まった色の表現力。闇夜を表現するダークブルーから、水面を描く透き通るような薄い水色まで、「空」と「水」に代表される青色の豊かな階調をぜひ堪能してみて下さい。

写実的で美しい水辺の名所風景

全て土屋光逸、土井利一コレクション。左から「夜の熱海」「雪晴の松島」「水郷潮来」/すべて水のある風景。水面には全て舟が描かれていますが、どれもちゃんと形が違っています。しっかりと描き分ける丁寧な仕事ぶりはさすが!

新版画と江戸浮世絵の違いは、写実性です。それには絵師が現地へと実際に足を運んで取材したかどうかということも大きく影響するでしょう。広重や北斎は、様々な名勝地を描く時、必ずしも現地を見ることができたわけではありません。様々な種本から着想上のヒントを得て、想像力も働かせながら各地の名所絵を完成させたと言われています。

しかし、巴水や光逸が活躍した大正~昭和初期には交通事情が大幅に改善。彼らはテーマとなるリゾート地へと赴き、その実景を自分の目で見ることができました。こうして、現地で描いたスケッチや撮影した写真をベースとして、西洋絵画の技法を取り入れた写実的でリアルな新版画ができあがっていったのです。

展示風景。土屋光逸の描いた数々の名勝地。ほとんど全ての作品に「水」が充満しています。

面白いことに、日本各地どこに行っても、なぜか彼らは「水」のある風景を無意識に画題として選び取ってしまうのですね。特に、光逸の名所絵シリーズは、安芸の宮島、天橋立、富士山麓など、どれも水辺の風景を描いた作品が目立っています。

川瀬巴水「夜の池畔(不忍池)」土井利一コレクション/土井版画店の元で制作された巴水の作品は、澄んだ明るい色調よりも、抑制の利いた落ち着いたトーンで整えられています。

角田学芸員にお聞きしてみました。「もともと、江戸の街並み自体が水の都と呼ばれるように、風景画を描こうとした時、重要な主題には全部「水」があったんです。江戸時代以来の伝統を受け継ぎ、風景版画として成り立とうとした新版画は、どうしても水辺=江戸の記憶を引きずっていたのでしょう。だから、全国へと取材に行っても大体水場を無意識にモチーフとして選んでしまっていたのでしょうね。」

雨の音を聞き分けろ!脳内で再生してみよう

ノエル・ヌエット「東京風景 赤坂見附」クリスチャン・ポラックコレクション/お花見の季節に到来した春の嵐でしょうか?大振りな雨粒が黒い線で表現されています。あなたなら、これを見てどんな「音」を思い浮かべますか?

角田学芸員が新版画の作品で着目したのが、各作家が工夫を凝らした「雨」の表現です。展示室では、霞んだような霧雨から、バケツを引っくり返したような大嵐まで、実にバラエティに富んだ多彩な表現が楽しめます。

この雨を見る時、角田学芸員がとっておきのオススメの鑑賞法を教えて下さいました。

角田:「各作家の雨の表現には作品毎にこだわりが感じられます。それぞれの雨の表現をフルに楽しむのであれば、鑑賞する時に「音」で考えてみるとすごくよくわかります。たとえば大雨なら「ザザーッ」という音だったり、通り雨なら「ボツッポツッ」と聞こえてくるでしょう。あるいは、唐傘が風に煽られた「バタバタバタ」という音が聞こえてきたり……。」

なるほど、これは面白い!僕も早速やってみたところ、より明確に絵が描かれた雨の情景を頭の中で再現することができました!

すべて土屋光逸、土井利一コレクション。左から「奈良興福寺」「奈良 猿沢の池」/土屋光逸をはじめ、会場内には雨を描いた作品が多数。「音」を頭の中で浮かべながら鑑賞すると、同じ「雨」でも非常にバラエティに富んだ表現があることに気付かされます。

角田:「これは大学の美術の授業でもよくディスカッションしました。人によって感じ方がそれぞれ微妙に違っています。特に外国人だと、日本人とは全然感じ方が違いますね。また、雨だけでなく雪が降っている作品でもやってみると面白いですよ。雪のほうがより感じ方に大きな違いが出てきますから。」

土屋光逸「日光二荒山」土井利一コレクション/傘も役に立たなそうなくらいの、バケツを引っくり返したような土砂降り。空が暗いので、黒い実践ではなく、灰白色の少し霞んだ太い線で雨が表現されていますね。水たまりだらけの地面は、印象派のような「筆触分割」で表現されています。上手い……!

特に、本展で出品されている土屋光逸の作品は雨と雪のシーンが非常に多いので、この「音に変換して楽しむ」鑑賞法は非常に有効だと思います!是非やってみてくださいね。

三密対策はバッチリだけど、展示は密すぎる凄い特別展!

川瀬巴水「東京二十景 新大橋」土井利一コレクション/こちらは、1974年まで現役だった先代の新大橋。広重の「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」へのオマージュなのか、土砂降りの中、橋の上を傘を差して歩く人などが描かれています。

豊富な所蔵点数で知られる、日本有数のミュージアム・神奈川県立歴史博物館。特に1Fの企画展示スペースで開催される特別展や企画展は、毎度毎度鑑賞者に嬉しい悲鳴を上げさせる圧倒的な展示物量で有名ですが、今回も展示室を入った瞬間にクラクラするような凄い点数の浮世絵がお待ちかねです。

大倉孫兵衛秘蔵の驚異的な品質の明治錦絵コレクションで楽しめる赤と紫の極彩色、そこから一転して静寂と詩情が支配する大正新版画の青の世界と、特別展「明治錦絵×大正新版画-世界が愛した近代の木版画」では、まさに対照的な2つの時代の木版画が楽しめます。

一般的に江戸時代で終わってしまったかのような印象を持たれている浮世絵ですが、本展を見ると、まさしく明治時代~大正時代にも様々に形を変えながら木版画の伝統は受け継がれているのだな、ということが実感できました。最後に、角田学芸員に締めくくって頂きましょう。

角田:「現代でも、私達日本人はみんな小学校で図工の授業を通して木版画に触れますよね。今や、木版画は当たり前のように日常レベルで普及していますが、その背景には大正時代の「新版画」で木版画が見直されたことがあるんです。殖産興業の一翼を担った明治時代、美術品として価値が見直された大正時代など、ぜひ展示を通して木版画の歴史を体感してみるのも面白いですね。」

コロナ禍の影響で、一時期は中止が危ぶまれた本展。会期を移動させて短縮日程となりましたが、予定されていた全点が新日程で無事公開されています。貴重な明治・大正期の浮世絵や新版画をじっくり見られる良い機会です。ぜひ、知られざる近代の浮世絵の世界を楽しんでみてくださいね。

展覧会基本情報

大倉陶園「ブルーローズティーセット」/最後の展示室では、大倉陶園のティーセットや花鳥画をあしらわれた上品なお皿も展示されています。見どころは、1928年の創業以来、コバルトで絵付けして1460度で焼成する定番のロングセラー「ブルーローズティーセット」です。めちゃくちゃお値段が張るのかな?!と思って検索してみると、庶民にもなんとか手が届くお手頃価格でした!

展覧会名:特別展「明治錦絵×大正新版画-世界が愛した近代の木版画」
会期:2020年8月25日(火)~9月22日(火・祝)
休館日:月曜日(9月21日は開館)、9月1日(火)、15日(火)
会場:神奈川県立歴史博物館(〒231-0006 横浜市中区南仲通5-60)
公式HP:http://ch.kanagawa-museum.jp/hanga/

【入場方法について】
○3密(密閉、密集、密接)回避のため、本展では、会場内の観覧者が40人に達した時点で、入場制限を行います。
○入場制限開始後、観覧を希望される方には、整理券をお渡しするとともに、入場待機列へご案内します。
○入場している観覧者が会場内から退場された時点で、整理券の番号順に入場のご案内をさせていただきます。
※本展では、時間指定予約制等は実施いたしませんので、ご承知おきください。

書いた人

サラリーマン生活に疲れ、40歳で突如会社を退職。日々の始末書提出で鍛えた長文作成能力を活かし、ブログ一本で生活をしてみようと思い立って3年。主夫業をこなす傍ら、美術館・博物館の面白さにハマり、子供と共に全国の展覧会に出没しては10000字オーバーの長文まとめ記事を嬉々として書き散らしている。