大正時代から戦後すぐにかけての短い間、「新版画」というブランド名で美術品として復興された浮世絵の作品群があったことをご存知でしょうか?
新版画は、1960年代に有力な絵師や版元がなくなると下火になり、長らく完全に忘れ去られた芸術分野となっていました。
しかし、2010年代になると再ブレイク。
スティーブ・ジョブズがこよなく愛した川瀬巴水、ダイアナ妃が寝室で毎日眺めた吉田博、花鳥画の数々がSNSで「かわいい」と評判になった小原古邨など、今や次々と新版画を手掛けた絵師が注目されるようになってきているのです。
そうなると、次は誰が復権するのか?と考えてしまうのがアートマニアの性というもの。
色々と情報を集めていったところ、2021年初春に「笠松紫浪」という聞き慣れない作家の回顧展が太田記念美術館で開催されることを突き止めました。
あれ?!この作家さん…。そういえば、以前酷暑の中、日本一の凄い版木蔵があるというので京都まで遥々訪ねて行った「芸艸堂」様で製作をしていた絵師じゃなかったっけ…。
★過去記事:京都の出版社「芸艸堂」の凄すぎる版木蔵を訪ねてみた!
https://intojapanwaraku.com/art/37146/
そこで芸艸堂様のHPで詳しく調べてみると、確かに笠松紫浪は芸艸堂から約100作品を発表しています。そこで、今回は芸艸堂(うんそうどう)様に再び取材を依頼。早速、笠松紫浪の人物像や版画制作について、同社顧問・本田正明さんからガッツリお話をお聞きすることができました!
笠松紫浪って誰なの?!
「最後の浮世絵師」「最後の新版画絵師」と呼ばれることもある笠松紫浪(かさまつしろう)は、昭和日本画の大家・鏑木清方(かぶらききよかた)の弟子だった日本画家。同門からは、現在新版画では不動の人気No.1を誇る川瀬巴水(かわせはすい)や、美人画の巨匠・伊東深水(いとうしんすい)などが輩出されています。
笠松紫浪は、元々日本画家としてキャリアをスタートさせましたが、兄弟子達に倣い新版画を手掛けるようになります。日本画ではもう一つパッとしなかった笠松ですが、新版画作品でブレイク。晩年は自分で彫り・摺りもこなす創作版画へと活動領域を移しました。児童書の挿絵なども担当しており、ひょっとしたら、あなたの町の図書館でも笠松が挿絵を担当した古い児童書が蔵書されているかも。
笠松が新版画を手掛けたのは、主に1930年代~1960年代の約30数年間でした。彼が「最後の浮世絵師」と呼ばれるのは、新版画家としての活動時期が新版画の衰退がハッキリした1950年代中盤に重なっていることもあるでしょう。
それにしても鏑木清方一門の弟子の名前には、みんな「水」に関係する漢字が含まれていて風流ですよね。笠松紫浪も例外ではなく、ちゃんと「浪」という字を清方先生からもらっています。
さて、それではここからは芸艸堂の生き字引・本田正明さんからお聞きした内容を元に、芸艸堂での制作活動に焦点を当てて笠松作品を紹介していきたいと思います!
敗戦後、焼け野原からのスタート。木版画への夢をのせて芸艸堂が探し当てた笠松紫浪
芸艸堂の発祥の地は京都の寺町二条です。しかし業績拡大に伴い、大正時代には東京にも進出。東京店は、当時の万世橋駅(※JR秋葉原駅とJR御茶ノ水駅の間にかつて存在した廃駅)からほど近い、神田川沿いの好立地にありました。以降、京都の本店・東京店の2店舗で木版を中心とする出版事業を営んでいくことになります。
太平洋戦争の末期、大空襲で東京都心は焼け野原に。東京店は、建物をはじめ、版木や出版物などお店の全てを戦災で失ってしまいます。でも、幸いなことに彫師・摺師など優秀な技術を持った職人は無事でした。
何とかもう一度お店を復興させたい、そのために何をやろうか…と考えた時に出てきたのが「新版画を作ろう」というプロジェクト。
そこで、芸艸堂では新版画の制作を担える、実力ある作家をリサーチします。当時、芸艸堂と光村印刷は文展(現・日展)の図録や絵葉書を数多く手掛けており、創業者光村利藻氏の次男、光村利男氏から紹介されたのが笠松紫浪だったのでした。昭和27年のことでした。
温泉旅行で心をつかめ!芸艸堂での処女作はこうして生まれた!
本田正明さんから聞いた当時の様子によると、その依頼の仕方が非常に面白いのです。
制作してもらう画題や取材先、段取りなどの詳細は一切決めず、「これで東北へ行って原画描いて来てください」と、まず取材費用一式をポンと笠松に渡したそうです。
一瞬、「うーん、芸艸堂太っ腹だな!」と思っちゃいますよね?!
ですが、全面的にフォローしますので、どうぞご自由にご取材なさってくださいと出版社から頼まれたら、きっと笠松も「やってやるか」と奮起したに違いありません。
真面目な笠松は、芸艸堂からもらった軍資金で変に豪遊することもなく、ちゃんと東北地方へ取材を兼ねた温泉旅行へと出かけます。
そして、1週間強の東北旅行を終えて出来上がってきた芸艸堂処女作となる笠松の新版画が、こちらの「日光の四季」という4枚の作品でした。
左から「日光陽明門の雪」「日光華厳の瀧」「日光神橋」「日光中禅寺湖」
いや、これは傑作です。4枚一気に並べてみると、広重の風景画が現代に蘇ったような深い叙情性と、木版ならではの鮮やかで温かみのある色彩は、息をのむような美しさです。
華やかな春の中禅寺湖、涼し気な二荒山神社の夏の神橋、ダイナミックな華厳の滝をバックに描かれた秋の紅葉、雪化粧した厳かな冬の日光東照宮陽明門と、四季折々の詩情がびんびん感じられます。
もちろん、本田さんも摺師から摺りたての出来上がった作品を渡された時、非常に感動したそうです。本田さんのお気に入りは、特に冬の日光を描いた「日光陽明門の雪」。今にも木の枝からこぼれ落ちそうな雪の柔らかい質感からは、芸艸堂が当時最高レベルの彫師・摺師を抱えていたことを伺わせました。
「日光陽明門の雪」(部分拡大)/多量の水分を含み、今にも屋根からこぼれ落ちそうな重量感のある湿雪の表現は見事。
これ以後も、笠松は芸艸堂とタッグを組んで旺盛に制作活動を続け、松島や作並温泉、鳴子温泉といった東北地方の名勝地を題材にした風景画作品を次々と発表。結局、笠松紫浪が芸艸堂の元で新版画の制作に携わったの7年間(昭和27年~昭和34年)で、制作した作品数は100を超えていました。
真骨頂は「雨」「雪」「夜」の深遠な表現力!
左から「あてら沢」「吉野梅郷」「夕暮れの灯 上州水上」/「夜」や「雪」が絶妙の色彩感覚で表現された技術的に難易度の高い作品群。静けさの中、窓から漏れ出る金色の光が人肌のぬくもりを感じさせます。
では、笠松紫浪の新版画作品の注目点は、いったいどのあたりにあるのでしょうか。
本田さんは、ずばり「雨」「雪」「夜」の表現に注目してほしい、といいます。
浮世絵や新版画では、よく晴れた昼の情景よりも、風雨や雪など微妙に天気が悪かったり、早朝や夕暮れ、闇夜といった、少しひねりの効いた天候条件の元で描かれる作品を数多く見かけます。
なぜなら、こうした気象条件こそが、絵の中に詩的な叙情性を生み出し、鑑賞者に共感してもらうためのベースになる大事な要素を生み出すからです。たとえば歌川広重は月夜や風雨を描く名手でしたし、西洋絵画を見てもモネやシスレー、ピサロといった印象派だって「雨」や「雪」の表現には特別力を入れていますからね。
もう一つ、こうした「雨」「雪」「夜」の表現に目を凝らしてみたい理由は、こうしたイレギュラーな天候条件の描写に、彫師や摺師の優れた力量がより強く反映されるからなんです。
実際、木版画の中では、「雨」「雪」「夜」の3つは特に難易度が高い表現技術が必要とされます。
「夜」に代表される暗いトーンの作品は、遠近感の出し方や微妙な色調の調整が難しいですし、「雨」の表現は非常にバリエーション豊かな表現手法が発達しています。板を抜く(摺らない)のか、黒い線で摺るのか、あるいは別の色や形で表現するのか…等々、絵師・彫師・摺師の絶妙な連携が必要となります。そして難しいからこそ、腕の良い職人はそこにアイデアと情熱を注いで工夫を重ねるようになるわけです。
「羽前赤倉」(部分拡大)/難易度の高い「夜」と「雨」の両方の要素が入った、彫り・摺りの難易度が高い作品。ここでは、強弱や角度変えた白い線で雨が繊細に表現されています。
ぜひ、笠松紫浪の作品を見かけたら、ぐぐっと作品に近づいて「雨」「雪」「夜」の表現を堪能してみてください!
美人画と風景画のハイブリッド?!芸艸堂オリジナルの笠松紫浪作品とは
川瀬巴水や伊東深水、土屋光逸(つちやこういつ)など、新版画の売れっ子作家は、複数の版元から作品が売り出されることもよくありました。笠松紫浪もまた、芸艸堂で出版を始める以前から、業界最大手の渡邊木版美術画舗などでも作品を手掛けています。
版元が違えば、作家性も版元ごとに微妙に変化するのが新版画の面白いところ。なぜなら、版元のプロデューサーが好む作風や、そこのお抱え彫師や摺師が違うからです。
では、笠松紫浪の場合はどうだったのでしょうか?
本田さんにお聞きしてみたら、ありました。笠松紫浪の「芸艸堂バージョン」とも言える作風が。
それが、風景画と美人画の中間的なハイブリッド的なスタイルの作風です。
左から「福浦(浜の娘)」「奥信濃(山の娘)」「潮来(水郷の娘)」
たとえば、こちらの作品群を見てください。景勝地などを背景に、様々な服装・髪型の美人が登場します。「福浦(浜の娘)」「奥信濃(山の娘)」「潮来(水郷の娘)」といった一連のシリーズは、風景画でありながら、美人画としても楽しめます。
これには彼の2人の偉大な兄弟子への対抗意識も働いていたようです。
当時、新版画業界のトップランナーであった兄弟子・川瀬巴水は、ひたすら風景を描いて成功しました。一方、もうひとりの兄弟子・伊東深水は、もっぱら上半身をクローズアップさせた「大首絵」タイプの美人画が好評を博していました。
芸艸堂とタッグを組み始めた直後は、川瀬巴水のような叙情的な風景画作品を手掛けていた笠松でした。しかし、ここで笠松は自らの新境地を開拓。
「私にも美人をちゃんと描けるというところをお見せしよう」
ということで、彼は芸艸堂に対して新たに「人物」をクローズアップさせた風景画を提案。こうして、芸艸堂オリジナルの笠松作品が誕生することになったのです。
他にもいくつか見せていただいたのですが、特に印象的だったのが、入浴する女性たちを描いた作品群。
いや、僕もいい年したオッサンなのでこうした作品にはついついついつい・・・惹かれて・・・しまうわけです(笑)。笠松いい仕事してるなと。
「鳴子温泉」
「作並の湯」
それにしても、笠松は温泉に入る裸婦を描いているわけですが、これはひょっとして、女子風呂へ忍びこんで・・・?!!
・・・
・・・
・・・というわけではなかったようです(笑)。本田さん曰く「当然、ある程度の想像も入りながらの制作だったようです。」とのこと。そりゃそうですよね。
彫師と摺師を全面的に信頼したアジャイルな制作スタイル
さて、芸艸堂の手厚い信頼とバックアップ体制に支えられ、笠松は東北地方を中心とした温泉旅行でスケッチ帳にたくさんの画題を発見してくるわけですが、それらは一体どのようにして作品(原画)へと落とし込まれていったのでしょうか。
実は、意外なことに笠松が残した原画はそれほどきっちりしていないんです。これには、太田記念美術館で展示を担当される日野原学芸員も非常に驚かれていました。
まずこちらを見てください。
「東京駅」原画
これは、「東京駅」というタイトルの「原画」にあたるものです。
水彩画できちんと彩色もそれなりにしっかりしていますので、単なるスケッチ帳レベルではありません。ですが「下絵」といえるほどはっきりした感じでもなく、ラフな部分もところどころに残っていますよね。
本田さんはこれを「覚書のようなもの」と呼んでいます。
なぜ、せっかく手間暇をかけて遠方へと足を運んで取材しているにもかかわらず、笠松は原画を”スケッチ以上、下絵未満”で敢えてとどめていたのでしょうか。
その一つの理由には、彫師・摺師を全面的に信頼していたから、ということがあるようです。原画を元に、作家が版下絵を起こし、彫師・摺師が自らの裁量で作り込める部分を敢えて残すことによって、職人達のやる気や技術力を最大限引き出す。そういった狙いがあったようなのです。
では、出来上がった木版画と見比べてみましょう。
左:「東京駅」右:「東京駅」原画
こうして実際に見比べてみると、原画からかなり構図やモチーフが変更されていますよね。
例えば、原画では木の幹に隠れていた車が、真ん中へど移動していたり、空の色が水色で塗られていたり、木の幹がより細くなっていたり…。元々の絵のコンセプトは変わりませんが、随所で細かく調整・修正が図られていることがわかります。
例えば、木の枝を2本から5本に増やす…といった詳細な修正・調整は、笠松が版下絵を起こす時変更したものです。そして、色の指示や校正摺の段階では笠松が彫師や摺師に指示を出していたそうです。
新版画の版木。伐採してから数年が経過して硬く引き締まった桜の木を使っています。
ちなみに、笠松紫浪の新版画に使われた版木はかなり少なく、1作品あたり平均5枚程度で済んでいたそうです。
たとえば、芸艸堂が同時期に手掛けたある有名な日本画家の巨匠の代表作を複製版画にする仕事では、1作品を起こすために実に約40枚近くの版木が使われることもありました。大変そうです。それに比べると、笠松作品は浮世絵版画のコンセプトを昭和に活かした新版画だったと言えそうです。芸艸堂で活動した約7年間で約100作品と量産できた理由の一つに、作業工程の短さも寄与していたことでしょう。
でも、出来上がった作品を見ると、とてもたった5枚程度の版木で摺られているようには見えないですよね。板数を少なくした上で、いかに色数を多数使っているかのように見せられるか。それが、摺師・彫師の腕の振るいどころでもあったのです。
渾身のラスト作品!レトロな雰囲気の東京タワー
左:「東京タワー」右:「日本橋」
笠松は、温泉にばかり行っていたわけではありません。江戸浮世絵からの伝統の定番画題である、隅田川や日本橋川といった水辺の景色だって多数手掛けています。
往年の建物や土木構造物の姿を楽しむことができるのは、笠松が描く東京の風景画の特徴の一つです。たとえば上記写真右の作品「日本橋」では、太い輪郭線で日本橋の橋の構造やデザインなどを正確に写し取っていますよね。まだ首都高の高架道路が建設される前の貴重な風景が楽しめます。
土木構造物への笠松の興味が渾身の作品へと転化したのが、最後に紹介させて頂く「東京タワー」(上記写真左)です。こちらは、笠松紫浪の芸艸堂での最後の新版画作品。昭和34年、東京タワーが出来上がったばかりの頃に制作されました。これを最後に、笠松紫浪は原画だけでなく彫り・摺りも自ら手掛ける自刻自摺スタイルの創作版画へと進んでいきました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。2月2日の展覧会が待ちきれないため、直接版元にお伺いして貴重な作品群や原画をたっぷり拝見させていただきました。展示室内ではなく、比較的明るい場所で至近距離から新版画作品を詳しく見たのは初めてだったので、本当に良い経験となりました。
笠松紫浪の作品と出会うには、太田記念美術館に行く方法もありますし、芸艸堂の各店舗へ足を運んで、至近距離で作品を手にとって見せてもらうことも可能です。浅野竹二(あさのたけじ)、岡田行一(おかだこういち)、河原崎将堂(かわらざきしょうどう)など、笠松紫浪以外にも、芸艸堂ならではの実力派絵師達の作品があなたの訪問を待っています!
「芸艸堂」基本情報
京都店
住所: | 京都府京都市中京区寺町通二条南入妙満寺前町459番地 |
電話: | 075(231)3613 |
アクセス: | 地下鉄(東西線)「京都市役所駅前」より徒歩5分 |
営業時間: | 9:00~17:30 |
店休日: | 土・日・祝祭日 |
東京店
住所: | 東京都文京区湯島1-3-6 |
電話: | 03(3818)3811 |
アクセス: | JR・地下鉄千代田線、丸の内線「御茶ノ水駅」聖橋口より徒歩5分 |
営業時間: | 9:00~17:30 ※新型コロナウイルス感染拡大防止対策のため、当面の間9:00~16:30に となります。詳しくは公式サイトやTwitterアカウントをご確認下さい。 |
店休日: | 土・日・祝祭日 |
公式サイト:https://www.hanga.co.jp/
問合せ先 :info★unsodo.net (★の部分を@に変更して下さい)
「笠松紫浪展」展覧会情報
展覧会名:「没後30年記念 笠松紫浪-最後の新版画」
会期:2021年2月2日(火)~3月28日(日)
休館日:月曜日、2月26日~3月1日まで(展示替えのため)
会場:太田記念美術館(〒150-0001 東京都渋谷区神宮前1-10-10)
公式HP:http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/