ゆったりと羽を休める青い蝶。その鉄板は束の間の宿に過ぎず、やがてその羽と同じ色の空へと優雅に舞い上がっていく――。
そう言われたら信じて疑わなくなりそうな、1枚の鉄板を目にしたのが始まりだった。
「錆びるとは鉄にとって自然なことです」。
可憐という言葉が似合う、しかし信念に満ちた強い眼差しで語る女性。それがこの青い蝶に魂を吹き込んだ作家、YASUKA.Mさんだ。
作品の放つ眩いばかりのエネルギーと同時に、「金属の大敵たる錆」を鉄そのものとともに愛する彼女に強く惹かれ、個展会場で初めて会って即座に取材を申し込んだ。
このご時世とあって、オンラインでの取材となったが、快く応じてくれた。
錆を除去するのではなく、積極的に取り入れることで「鉄と対話する」というYASUKA.Mさん。巫女やシャーマンにも似たその発想の裏側にある思いとは、いったいどのようなものなのだろうか。
まずは作品を拝見
さっそくYASUKA.Mさんの作品をご紹介しよう。そして、まずは説明なしでその世界に浸ってみてほしい。
実物と相対しなければ感じられない、説明しようのない「何か」は画面越しでは伝わらないものの、魅力の一端はお伝えできるだろうか。
驚くべきは、これらすべて、錆のみで描かれた作品なのである。
山より生まれ、山に還るもの
作品の素材として選び取ったのが、なぜ、錆だったのか。なぜ、鉄だったのか。そんな疑問を抱きながら、YASUKA.Mさんにお話を伺った。
ー 鉄錆で色鮮やかな作品を創っておられますが、他にあまり例を見ない技法のように思います。通常は除去する対象と考えてしまう錆を使って鉄に絵を描く、という発想は、小さい頃からの興味などによるものでしょうか?
YASUKA.Mさん(以下、敬称略):大学で彫刻を学んだ際に鉄で初めて作品を創りました。実はその時に抱いた印象は、正直苦手だなという気持ちでした。鉄の造形には溶接技術が必要なのですが、高温のガスで作業するので、少しでも操作を誤れば教室が吹き飛ぶ、なんて言われたこともあって、怖いな、と。爆音が出るので、一時的な難聴にもなりますし、何よりその時には無機質で面白味を感じませんでした。
ー そうなのですか。これは意外です。
YASUKA.M:幼い頃から木など自然が大好きだったので、大学時代は迷わず木彫(もくちょう)を選びました。作品を創るために材木を選びに行った際、丸太に苔が生えていたり、切られた部分を補おうとして樹液が出たりと、素材が「まだ生きている」という感覚を強く覚えたのです。そこに宿る生命と完璧な美を感じ取った時、ここに私が手を加える必要など無いのではないかと思いました。もしも手を加えるならば、その素材に対する知識やリスペクトが必要だと強く感じました。
ー 素材に手を加えていい理由、ですか。
YASUKA.M:はい。人間の一方的な想いだけで素材に触れてはいけないと思いました。
ー 触れたことのない発想で、とても興味深いです。では、そうした感情が変化して、鉄に興味を抱くようになったのには、大きなきっかけがあったのでしょうか?
YASUKA.M:ある時から、木と鉄を融合させた作品を創りたいと思うようになったのですが、その理由はよく分からないのです。直感としか言いようがないでしょうか。素材からのアクションというか。
素材に寄り添った作品を創るため、木と鉄の関係性について調べていたところ、辿り着いたのが踏鞴(たたら)製鉄でした。この製鉄法で創られる鉄は山から採る多くの木々と砂鉄を原料としています。そのため、誕生した鉄はまるで山が小さく圧縮した姿の様だと思いました。
人の手によって創られた鉄はやがて時が経つと錆びて朽ちていきますが、この錆びた状態こそが鉄の自然界での本来の姿であり、再び山に還っていく鉄の姿です。循環していく自然の輪、輪廻転生(りんねてんしょう)として鉄錆を捉えたきっかけは、そこだったように思います。そして木と鉄を組み合わせた彫刻作品を創り始めました。
ー 錆こそが鉄の自然の姿。非常に月並みな表現ですが、目からうろこです。
巡りゆく縁(えにし)、そして青へ
ー 現在制作しておられるような平面の鉄錆作品には、その後どのようにたどり着いたのでしょう?
YASUKA.M:NYで個展を開きませんかと誘われた時のことなのですが、彫刻作品ではなく壁面に飾れる作品を創ってほしいと言われました。そこで、今まで培ってきた彫刻の知識とスキルを活かした平面作品を創ろうとしたことがきっかけです。
ー 少し話の流れから外れてしまうのですが、YASUKA.Mさんのお話を伺っていると、非常に仏教的なものを感じます。前向きな姿勢での諦めというか、自然の摂理を悟って受け入れるというか。なにか仏教の教えを学ばれたことはあったのでしょうか?
YASUKA.M:世界中の様々な思想を勉強しています。素材の成り立ちを調べていくうちに、哲学や宗教なども……という流れで広がって学んでいるので、特定の宗教だけに強い影響を受けた訳ではありません。
ですが、仏教とのご縁もありまして、親しくさせていただいているお寺のご住職からの依頼で黒錆龍の天井画を制作しました。制作期間中の1年間はお肉などを食べずに精進料理を食べていました。
この時、今まで以上に悟りや素材と向き合うことに対しての深みが増したと思います。
ー ものすごい迫力です。腹の底から地響きがしてきそうです。
YASUKA.M:この作品を仕上げた直後に、青い酸化被膜(青錆)を用いた作品が生まれます。この作品を生み出すきっかけとなったのもまた、たたら製鉄でした。
ある時、玉鋼製品のデザイン募集があり、刃のデザインを応募したところ採用していただき奥出雲に招待されました。そこで実際にたたら製鉄で創られた鉄「玉鋼(たまはがね)」を拝見したのですが、様々な色彩が鉄の表面に現れていて大変驚き、感動しました。そして、私にもこの色彩を鉄の表面に生み出すことができると思い、そこから研究を重ねていきました。
ー YASUKA.Mさん作品の代名詞「青の錆」、誕生の瞬間ですね。
YASUKA.M::初めて青の錬成に成功した時は本当にびっくりしました! いくら研究するにしても、もともと科学に疎いので今までの作品はほとんどが直感で動いてできた結果です。メカニズムというか理論というか、そういったものは実はよく分かっておりません。
ー 意外です。完全に青色の錆を知り尽くしているような作品たちですから。
YASUKA.M:でも、知識がないというのは、この場合には強みでもありました。限界が分からないから自由自在に動ける、あるはずの限界を知らずに突破できる、というようなことですね。
ー よく、イメージトレーニングということが言われますが、イメージできないがゆえにどこまでも行ける、という、逆転の発想のようにも思えます。
この国に在(あ)ること
ー この作品を拝見して水墨画をイメージしたのですが、他にお盆やお月見といった題材でも創られていますし、意識的に日本の伝統技法を取り入れる、といったことはされているのでしょうか?
YASUKA.M:日本で生まれ育ったからこそ伝えたい、創りたいものを大切にしています。
意識的に取り入れた例として、海外のかたが Instagram を見てくださることが多いので、グローバル発信といった意味合いから、意識的にジャパニーズイベントという、日本文化紹介のページを設けています。
あとは盆栽や庭師さんの仕事などに感銘を受けています。盆栽は、無理に歪めて形にするのではなく、エネルギーを阻害しないように木の意図を読みながら形創っていくといいますし、庭を創るときには、植える植物の特性をしっかり理解し、ケアしながら大事に育てます。人と植物が共に寄り添って創られる造形、素材と対話しながら、相手を尊重しながら創り上げていく、という部分に大変感銘を受けます。
ー 特定の思想に傾倒しているわけではない、とおっしゃったように、YASUKA.Mさんの作品からは、日本的なものと同時に少しフランス的な香りも感じられるような気がします。
YASUKA.M:「わびさび」に、海外だとノスタルジーやサウダージにも似た感覚なのでしょうか、しんみりくる懐かしさや郷愁を覚えます。
幼少の頃から海外のアーティストの芸術作品を好んで見て育ったため、日本以外の情景や風習でも懐かしいと感じることが多々あります。
具体的な例としてごく一部なのですが、ジュゼッペ・ペノーネさんの作品には強い影響を受けました。素材への敬意・慈しみといった部分に、非常に感動しました。アニメーションだとフレデリック・バックさんの作品を幼い頃に観ることができたのは本当に宝だと思っています。
このように、今の私があるのは日本のみならず、様々な国の方達の記憶や想い、メッセージを受け取ってきたからだと思います。制作する時は国境の隔たりなどが無い、繋がった世界の中で作品を創っている感じがしますし、作品を通じて世界が1つになるような境地を目指したいです。
去りゆくものへの賛歌
ー 「生と死」をテーマにした作品を多数創られていますが、羽がぼろぼろになった蝶・羽が抜けたセミの作品など、特に印象的でした。こうしたことをテーマにされる、特別な思い入れはありますか?
YASUKA.M:もともと輪廻というコンセプトで鉄錆の作品を創り始めましたが、朽ちた虫の作品は少しそれとは異なった意味合いを持っています。
少し前に高齢のペットを介護していたのですが、その姿を間近に見ていて感じたことがありました。老いる、というと、どうしてもマイナスの印象があると思いますが、決してそんなことはないのではないか、と。作品のモチーフとなった昆虫に対しても同じように思いました。
道端で、森の中で、ひっそりと消えていく命。
そのまま忘れ去られるだけの命。
こういった亡骸は、例えば高値がつけられ標本になるような亡骸とは違い、「美としての価値は無い存在」ですが、欠損のある姿は生き抜いた証であり、その姿こそが美しいと思いました。彼等の姿を誇りに思い、慈しみと感謝を込めて、消えることのない美しさを描きました。
朽ちるのは美しい、錆びるのは美しい、という方向へシフトしていったのが、このシリーズです。
ー 朽ちていく、錆びていくのは美しい、という視点に、生と死への深い愛情を感じます。
YASUKA.M:錆は劣等・劣化の象徴とされていますが、私はそうは思いません。愛情を注げば注ぐ程、互いに向き合った時の流れが美しい錆となって現れます。錆=悪いもの、というイメージを覆したいと思いながら創っています。
鉄と、錆と交わす、魂の対話
作品の制作過程についても、お話しいただいた。詳細は企業秘密だそうだが、鉄と錆に注がれる、どこまでも温かな眼差しがとても印象的だった。
ー 鉄錆アーティストのYASUKA.Mさんですが、鉄錆アートとは具体的にどういったものなのでしょうか?
YASUKA.M:鉄に化学反応を起こし、錆の濃淡を用いて絵を描いています。画面に絵の具などを足すのではなく、作品の媒体となる鉄そのものが物質変化して表情が表れてくる作品です。鉄と私と、お互いの力で創っているので、「対話している」という印象が強いです。
ー そうすると、思いがけない表情が出る、といったこともあるのでしょうか?
YASUKA.M:あります。赤錆の作品は特に鉄錆にお任せです。私がこうしたい、と思う変化が起きない時は無理強いせずに素材の表現に委ねます。そうすると結果的に良い仕上がりになります。
ー 対話だ、とおっしゃる意味がとてもよく分かる気がします。
YASUKA.M:錆に委ねる部分がとても多くて、私と錆は 4:6 か 3:7 くらいでしょうか。良い錆ができるように環境を整えるのが私の仕事と思っているので、サポート役に徹しています。
ー なんだか「木にすでに存在する仏を、ただ彫り出しているだけだ」といった仏師の言葉を思い出します。
YASUKA.M:はっきり「こうしたい」と思う時もあるにはあるのですが、その場合でも何が何でもではなく、鉄錆の表情を潰さない、ということをとても大事にしています。さらに言うと、思うようにできない、となったとき、鉄錆に任せていると、むしろ思っていた以上のものが現れることがよくあります。目的地にたどり着くルートはただ1つではなくて、予定していた場所が通れずに迂回しても、最後には望む場所に辿り着く、というような。
ー 人生訓を聞いているようです。
YASUKA.M:先程仰っていただいた「木にすでに存在する仏を、ただ彫り出しているだけだ」という言葉はまさにその通りだなと思います。
私は作品を創る時、例えば景色・映画・本などを見た時に受けた感動を人に伝えるような気持ちで制作しています。既に存在しているけれど目で見ることができない姿を、人の目に映る形に造形してシェアするのが私の役目だと思っています。故に、作品の表面にはサインを書かず、必ず裏面に書きます。
ー 作り手と鑑賞者の間の、魂(この表現が適しているかどうか分かりませんが)のやり取りですね。
YASUKA.M::今年(2020 年)11 月の個展は『錆びついた記憶』というタイトルだったのですが、これも記憶が具現化したらこんな感じだろう、という、いわば心象風景を描いたものです。展示に合わせて様々な蝶の作品を創りましたが、タイトルには蝶の種類を書くのではなく、「その形のなかに宿っている魂」を表したいという思いから、感じ取った想いをそれぞれ名前にして授けました。
ー 「一番大切なものは、目に見えないんだよ」という、サン・テグジュペリ作『星の王子さま』の一文を思い出します。丁寧な対話で創り上げられた作品の数々、制作にはどのくらいの時間がかかるのでしょうか?
YASUKA.M:所要時間は個々の作品によって全く違い、一定ではありません。あっという間に完成する作品もあれば、ゆっくりと時間をかけてじわじわ錆を育てて創り上げる作品もあります。素材と対話して、素材から出た声を丁寧にすくい上げて創っています。
錆は本当にすごいです。正直、ここまで綺麗になると思っていませんでした。向き合うと、どんどん壁を突破していって、新しい世界を見せてくれる。これからも錆の中に秘められた力と美しさを伝えていきたいと思っています。
ー なんだか今日はお坊さんの説法を拝聴していたような気分でした。鉄錆アートのみならず、無機物を含めた生きとし生けるものに共通する普遍的なテーマがYASUKA.Mさんの作品には込められているのではないかと、強く感じました。
YASUKA.Mさんの情報
公式サイト:https://www.yasuka-m.net/
Faceboook:https://www.facebook.com/YASUKA.Martworks
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