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国芳名画

ART

国芳のスゴさが一目瞭然! 世界を魅了する名作大集合

「奇想の浮世絵師」や「江戸のポップアーティスト」など多様な異名で称される歌川国芳(うたがわくによし)。いったい何がスゴいのか? 役者絵や美人画をはじめ、武者絵、風景画、戯画など幅広いジャンルを手がけた国芳の作品を「技」「発想」「ユーモア」の3つの切り口から紹介。時代を超え、世界を席巻する魅力をひもときます。

国芳作品が人々を魅了する理由がココに!

「技」がすごい! 誰にも真似できない圧倒的な画力

国芳名画歌川国芳「大山石尊良辧瀧之図」文政2(1819)年ごろ 大判錦絵三枚続 ギャラリー紅屋

葛飾北斎や歌川広重といった、世界に名だたる浮世絵師と同時代を生きた国芳。師事した初代歌川豊国門下の兄弟弟子だけでなく、江戸にいた数多の浮世絵師の中で後世まで名を残すことができたのは、まぎれもない画力の確かさと彼にしか描けないオリジナリティがあったからです。豪快なモチーフと構図を得意とした国芳ですが、実は、大勢の群衆など緻密な描写にも画技がほとばしります。

国芳名画歌川国芳「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」嘉永4〜5(1851〜1852)年ごろ 大判錦絵三枚続 ボストン美術館

国芳の性格そのもののような、思い切りのいい明るい色づかいも人気の理由であったと思われます。たとえば水が描かれた作品では、多彩な青の色で水の質感を表現しました。青の色彩には、古くは植物由来の露草や藍が使われてきましたが、文政年間(1818〜1830)になると西洋で生まれた「ベロ藍」(プルシャンブルー)という化学顔料が流通するようになります。新しい絵具を使用した青の表現は、国芳の作品の中にも見ることができます。

「発想」にびっくり! 紙の使い方が画期的

国芳名画歌川国芳「相馬の古内裏に将門の姫君瀧夜叉妖術を以て味方を集むる大宅太郎光国妖怪を試さんと爰に来り竟に是を亡ぼす」弘化元(1844)年ごろ 大判錦絵三枚続 ボストン美術館

ダイナミズムを追求した結果でしょうか、大判錦絵三枚をひとつの画面に見立て、はみ出しそうなくらいに大きくモチーフを描く構図は、国芳以降、多くの絵師たちが追随し、新しい錦絵表現になりました。それまでは大判錦絵の続きものといえば、一枚ずつでも鑑賞できるように描かれるのが通例でしたが、国芳は既成概念を壊して、大胆な発想で新境地を切り拓いたのでした。

さらには、横三枚ではなく、縦に三枚使って高さを表現した「吉野山合戦」などの作品も発表。

国芳名画歌川国芳「近江の国の勇婦於兼」天保初期 横大判 ギャラリー紅屋

奇抜なアイディアは、見る者を驚かせたい、楽しませたいと思う国芳のサービス精神の表れでした。

国芳名画歌川国芳「吉野山合戦」

また、興味深いことに、国芳は西洋画(主に銅版画)を数百枚蒐集していたといわれ、自分の作品の中にも西洋のモチーフを取り入れました。日本と西洋が融合した不可思議な世界観は、国芳の進取の精神の象徴ともいえます。

その「ユーモア」に江戸っ子たちも大喝采!

国芳名画歌川国芳「欠留人物更紗 十四人のからだにて三十五人にミゆる」天保13(1842)年ごろ 大判錦絵 ギャラリー紅屋

粋で洒脱な笑いが大好きだった江戸っ子たちは、浮世絵の中にもユーモアを求めました。思わず笑いを誘う戯画や風刺画は、国芳の真骨頂。猫や雀、野菜などを擬人化したり、動物の体を組み合わせて文字をつくったり、奇想天外な発想で人々を驚かせ、笑わせました。

国芳名画歌川国芳「荷宝蔵壁のむだ書」(黄腰壁)弘化5(1848)年ごろ 大判錦絵 ボストン美術館

天保の改革では浮世絵の出版にも禁令が敷かれましたが、国芳は弾圧を創作のエネルギーに変えて「荷宝蔵壁のむだ書」のような皮肉な傑作も生み出します。

国芳名画歌川国芳「おぼろ月猫の盛」弘化期 団扇絵判 錦絵 ギャラリー紅屋

幕府の締め付けによって遊女や役者を描くことはできなくなりましたが、動物や妖怪に思いを託してウィットに飛んだ風刺画や戯画を描き、人々はそこに仕掛けられたカラクリを解いて大いに笑いました。また、描けるものが限られたからこそ「子ども」という新たな主題も生まれました。“かわいい”絵が次々と発表されるようになったのもこのころです。

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