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北斎AtoZ
N=【肉筆】死ぬ間際まで肉筆画に取り組んだ

浮世絵というと和紙に摺(す)った多色摺版画〝錦絵〟が真っ先に思い浮かびますが、版画ではなく、筆で紙や絹に描いた〝肉筆画〟も浮世絵には含まれます。肉筆画は量産型の版画とは違って、同じものがふたつとない一点物の貴重な作品です。
そんな肉筆画を、北斎は数多く手がけていました。
絵師デビュー当時から肉筆画はお手の物!

左は美術館の資料の制作年から21歳ごろの作品と思われますが、左下の署名は「北斎辰政(ほくさいときまさ)」と書かれています。絵師として独立した当時から、北斎は素晴らしい才を発揮。右の作品の右下には「北斎宗理画」の署名があり、31歳ごろの宗理期の作とわかります。
キャリア70年の北斎の画歴は6つに分けられます。
1【春朗期 しゅんろうき】(20歳~35歳ごろ)=さまざまな作品に才を発揮した駆け出しのころ。
2【宗理期 そうりき】(~45歳ごろ)=勝川派を去り、美人画や狂歌絵本などに腕をふるう。
3【葛飾北斎期 かつしかほくさいき】(~51歳ごろ)=絵本の挿絵を中心にした躍進期。
4【戴斗期 たいとき】(~60歳ごろ)=弟子も増え、『北斎漫画』をはじめとした絵手本に注力。
5【為一期 いいつき】(~74歳ごろ)=『冨嶽三十六景』などの錦絵の風景画シリーズを次々に制作。
6【画狂老人卍期 がきょうろうじんまんじき】(~90歳ごろ)老いてなお新しい画風を追い続けた晩年。
以上のいずれの時期にも肉筆画を手がけているのですが、特に顕著なのが40代後半ごろの文化年間初期。宗理期から葛飾北斎期にかけて、美人画や戯画をたくさん残しています。
80歳ごろから、細かい作業を要する肉筆画に没頭

その後、浮世絵を代表する人気絵師となり、版元のオーダーに応じて作画に追われる日々が一段落した画狂老人卍期、80歳を前にしたころから北斎は再び肉筆画に熱中。
中国や日本の故事と古典に基づく作品や自然を主題にした作品に専心。90歳で亡くなる間際まで、肉筆を追求し続けていました。
浮世絵版画の制作工程は、まず絵師が絵を描き、その絵の細かい線まで彫師(ほりし)が版木として仕上げ、その版木に摺師(すりし)が絵の具を塗り、一色ごとに何回も摺りを重ねて出来上がります。
それに対して肉筆浮世絵は、絵師ひとりで完成することができ、それだけ自由がきいて、自分好みの表現も可能です。
北斎は、大仕事や注文仕事が一段落した後は肉筆画に没頭していたように感じられます。
肉筆画は、自由気ままを好んだ北斎が、自らの絵心をいかんなく発揮できる場だったのかもしれません。
北斎の肉筆画派はまさに「老いてなお盛ん」


