太宰治の小説『津軽』の冒頭に、「津軽の雪 こな雪 つぶ雪 わた雪 みず雪 かた雪 ざらめ雪 こほり雪」という一文がある。
太宰が子どものときから目にしてきた雪は、たくさんの種類がある。粉のようにさらさらと降る雪、粒状に固まった雪、綿のようにはらはらと舞い落ちてくる雪、水気の多い雪、固く降り積もった雪、お砂糖のざらめのように結晶化した雪、氷のように固くなった雪。言葉だけで雪の様子を想像できる。雪という自然現象に、これだけたくさんの名前を与えていく日本語の奥深さを改めて感じるし、津軽の人たちが厳しくも様々に表情を変える雪の姿を大切に慈しんできた様子がうかがえる。
英語にも、様々な雪の表現があるけれど、heavy snow(大雪)、powder snow(粉雪)、large snowflakes(ぼたん雪)など、snowと別の言葉を組み合わせているものがほとんど。日本語のようにその単語だけで、どのような雪なのか表現できる言語というのはなかなかに稀有なのではないだろうか。言葉数が多いというのは、それだけ雪という事象を日本人が大切にしてきた証。そんな言葉が日本語にはたくさんある。
唯一無二の言葉「日本語」
以前ある人に、「自国の言葉で高等教育が受けられるのは日本くらいだ」という話を聞いたことがある。今は高度な研究を続けようと思ったら、英語圏の大学などに行かなければならないような風潮がある。でも実は、日本の研究機関のレベルは世界的に見てもとても高い。
日本では、明治期に様々な専門用語が外国から入ってきたとき、当時の研究者たちが必死にその言葉を翻訳し、新しい日本語を作っていった。「美術」「社会」「経済」「自然」「憲法」などがその一端である。こういった言葉が増えたことによって、飛躍的に日本語の語彙は広がっていき、高度な研究を自国語で行うことが可能になったのである。ノーベル物理学賞を受賞された益川敏英先生は、海外の大学で教育を受けられたことはなく、ノーベル賞の授賞式のスピーチも「英語は苦手」と日本語で講演された。英語ができなくても、日本語のみでノーベル賞が取れるレベルの研究ができるというのは、本当にすごいことなのである。
クレヨン、タバコ、ミシンなど、日本語として今では普通に使っているけれど、元々は英語、フランス語、ポルトガル語、中国語など、様々な外国語に由来する日本語も多い。そんな昔ながらの経緯もあるからか、最近は「そのクライアントとのアポはリスケしてもらえますか?」とか「エビデンスはマストで出してください」など、英語をそのまま日本語のように使うのが、特にビジネスの世界では当たり前になっているような気がする。それが一概に悪いとは思わないけれど、せっかく先人たちが苦労して生み出してくれた日本語というすばらしい言語があるのだから、「その取引先との約束は変更してもらえますか?」「根拠は必ず出してください」と言った方が、同じ日本人同士伝わりやすいと思うのは私だけだろうか。
「正しい日本語」の概念は、時代によって変わるし、言葉は生き物なので、次々と変容していく。「正しい日本語」を話すのは難しいことだと思うけれど、私はこの唯一無二の言葉に誇りを持ち、「美しい日本語」を大切に使い続けていきたいと思っている。
「いただく」の由来と心
私が美しい言葉だと思う日本語に「いただく」がある。元々は「山頂に雪をいただく富士山」などのように、「頭の上に載せる」という意味であったが、身分の高い人から物をもらうときなどに、頭上に高く捧げて持つことから、「もらう」意味の謙譲表現として使われるようになり、そのもらったものを飲食することから、「殿からのお酒をいただく」など、謹んで飲食するという意味になり、「このパンを頂きましょうか」など、飲食することの丁寧な言い方としても使われるようになっていった。
私は、一人で食事をするときでも必ず「いただきます」と「ごちそうさまでした」を言っている。これはご飯を作ってくれた人への感謝の気持ち、そして、何かの命を奪わなければ生きていけない人間が、その命をくれた生き物に対する感謝の気持ちを表す言葉だと私は思う。
以前私は、ある神職の方に「神道とは何でしょうか」という問いを投げかけたことがある。その方は一筋の迷いもなく、一言、「今ここに生かされていることを神様に感謝することです」と答えてくださった。神様、そして神様が宿られる自然、そして生というものに対して感謝すること、それが神道の心そのものなのだろう。仏教をはじめとする一神教は、主に個人の安心や魂の救済、国家の繁栄・鎮護のために信仰されるという場合が多い。でも、神道の場合、何かの見返りを求めて信仰するわけではない。豊穣の恵みをもたらしてくださったことを神様に感謝する。日照りや地震などの天災が起こったり、疫病が流行ったりしたときは、神様が怒っておられると考え、自分の不徳を詫び、神様に怒りを鎮めていただくために祈る。生に対する感謝を昔の人たちは決して忘れなかった。
感謝の心は人の気持ちを豊かにし、幸せにする。日常生活の中で自然の恵みへの感謝を忘れないこと、それは神様への感謝の気持ちを示すことへとつながっている。毎日3回の「いただきます」をこれからも忘れないようにしたい。
アイキャッチ画像:『川瀬巴水版画集』2,渡辺画版店,昭和10. 国立国会図書館デジタルコレクション
本文1枚目:川合玉堂《朝雪(雪)》東京富士美術館蔵
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