約70年にわたって活躍した浮世絵師・葛飾北斎。ただひたすら絵を描くことに執着し続けた北斎の人生は、波乱万丈にして奇想天外! 破天荒な絵師・北斎の人生をAからZの26の単語でご紹介します。今回はX=【X線】!
シリーズ一覧はこちら
北斎AtoZ
X=【X線】科学が証明! 北斎がベロ藍を使用した時期
ベロ藍(あい)についてはすでに「北斎AtoZ」の「B」 でご紹介していますが、改めて説明すると、ドイツのベルリンで偶然発見された青色絵具プルシャン・ブルーが江戸時代に日本にもたらされ、ベルリンの藍から略して〝ベロ藍〟と呼ばれるようになりました。
この最新の絵具によって、浮世絵の青は色鮮やかになり、全体の色調はも躍的に美しくなりました。
ベロ藍の最初の使用例は北斎だったのか・・・
『冨嶽三十六景 山下白雨(ふがくさんじゅうろっけい さんかはくう)』葛飾北斎 1830~1833年ごろ シカゴ美術館 The Art Institute of Chicago, Clarence Buckingham Collection
ただし、いつから使用されるようになったのか、科学的な根拠に基づく確証は長らく得られていませんでした。
それを解明したのが、蛍光X線分析による吉備(きび)国際大学名誉教授・下山進さんと礫川(こいしかわ)浮世絵美術館館長の故・松井英男の共同研究でした。
海の深い色あいも自在に表現できるように
『千絵の海 総州銚子(ちえのうみ そうしゅうちょうし)』葛飾北斎 1833~1834年 シカゴ美術館 The Art Institute of Chicago, Kate S. Buckingham Endowment
研究の初期の段階では、『歌舞伎番付』のように制作年代が特定できる役者絵に摺られていた青の部分から、プルシャン・ブルーの主成分元素である鉄元素が検出されるか否かの分析が重ねられました。
その結果、天保元(1830)年の後半以後に制作された役者絵の青から鉄元素が検出され、ベロ藍が浮世絵版画に登場した時期が特定されたのです。
透明感ある海に潜る海女の姿が瑞々しい
『百人一首姥かゑとき 参議篁(ひゃくにんいっしゅうばがえとき さんぎのたかむら)』葛飾北斎 1835~1836年 シカゴ美術館 The Art Institute of Chicago, Clarence Buckingham Collection
そして、ベロ藍の美しさで有名な『冨嶽三十六景』シリーズの青を同じように分析。
その結果、天保元年後半に登場したベロ藍が最も早く用いられていた例であることがわかり、以後の浮世絵版画における風景画というジャンルを確立した北斎が、色彩においても革新的な変化をもたらしていたことが証明されたのです。
『鷽 埀櫻(うそ しだれざくら)』葛飾北斎 1834年 シカゴ美術館 The Art Institute of Chicago, Frederick W. Gookin Collection
アイキャッチ画像/『冨嶽三十六景 相州梅澤左(そうしゅううめざわのひだり)』葛飾北斎 1830~1833年 シカゴ美術館 The Art Institute of Chicago, Clarence Buckingham Collection
Share
構成/山本 毅 ※本記事は雑誌『和樂(2017年10・11月号)』の転載・再編集です。
アルファベットに用いた葛飾北斎の絵は、『戯作者考補遺』(部分) 木村黙老著 国本出版社 1935 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1874790 (参照 2025-06-04)