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2023.09.29

「北斎の赤富士」をアップデート! 巨匠・杉本博司の「本歌取り」に見る、日本文化の真髄【松濤美術館】

美しい自然を愛で、移ろう季節に想いを託し、日本人の心を詠んだ和歌。古から受け継がれた歌に、自らの感情や事象を重ね、新たな歌を詠むことを「本歌取り」といいます。1000年以上の歴史の中で繰り返し行われてきた和歌の技法の一つである「本歌取り」は、日本人ならではの感性の伝授といえるのではないでしょうか。

時空を超え、かつての表現者と対峙した杉本博司の本歌取り

写真家、現代美術作家、建築家、書家など多彩な肩書を持つ杉本博司が、この「本歌取り」をコンセプトに、様々な対象にイマジネーションを膨らませ、新たな視点によって、オリジナリティ溢れる作品へと転化させました。2022年、姫路市立美術館で「杉本博司 本歌取り―日本文化の継承と飛翔」を開催。そして1年後、新たな作品による「杉本博司 本歌取り 東下り」展が、現在、渋谷区立松濤美術館で開催されています。

作品を前に解説する杉本博司氏

日本人の心に深く刻まれた「北斎の赤富士」

会場内に入り、まず真っ先に目に飛び込んでくるのが、誰もがその美しさに心揺さぶられる富士の風景です。私は実在の山以上に、過去に描かれてきた富士の景色に郷愁や共感を覚えてしまうのですが、中でも、葛飾北斎の描いた《冨嶽三十六景 凱風快晴》は、日本を代表する風景として国内外問わず人気を得ています。富士の雄大さを大胆なフォルムで描いた北斎の浮世絵は、見る者の胸に迫り、強く脳にインプットされます。

葛飾北斎 冨嶽三十六景 凱風快晴 江戸時代・19世紀 東京国立博物館 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

「今回、北斎の浮世絵を本歌とし、それを現代のデジタル技術により仕上げた写真を屏風という装飾に転化しました。」と杉本氏。六曲一双、十二面の屏風が山々の連なりと重なり、稜線を際立たせているようにも感じられます。

杉本博司 富士山図屏風 2023 年 六曲一双 ピグメントプリント 作家蔵

山梨県側の三つ峠から撮影されたもので、雲海が広がる中、美しい富士と周りの山々が写し出されています。デジタルカメラを拒否してきたという杉本氏ですが、今回はあえてその技術を駆使し、山の勾配も北斎の絵に合わせたそうです。裾野に建つ高速道路や民家はデジタル処理で消し、江戸時代に北斎が見た山脈を再現。まさに本歌取りであり、朝焼けの美しい色彩が脳内にアップデートされた瞬間でした。

廃棄されるはずの印画紙が新たな素材として再生

壁一面に展示された書は「いろは歌」です。かつては、手習いの始めに仮名四十七文字を七五調の和歌になぞらえて、学んでいました。成立は平安末期とされ、現存する「いろは歌」の中で最古のものは『金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ)』に記載された万葉仮名によるものと伝えられています。

色は匂(にほ)へど 散りぬるを 我世誰(わがよたれ)ぞ 常(つね)ならむ 有為(うい)の奥山(おくやま) 今日(けふ)越(こ)えて 浅(あさ)き夢見(ゆめみ)じ 酔(ゑ)ひもせず

「いろは歌は、歌に意味があって、『無常観』『空』がコンセプトになっています。文明史上において、表音文字がこのように哲学的な意味を持つことは類をみない。日本文化の素晴らしさの象徴です。アルファベットにもアラビア文字にも、文字そのものには意味はありませんから」と杉本氏はこれぞ日本の文化の真髄だと語ります。

杉本博司  Brush Impression いろは歌(四十七文字)2023 年 銀塩写真 作家蔵

「3年間ニューヨークの仕事場に帰らなかったので、その間に印画紙が期限切れになっていました。これを1点ものとして、筆に現像液を浸して、暗室の中で『いろは』を書いてみたら、この形になって現れた。期限切れになった紙も、白さがちょっと黄色がかり、黒が柔らかい色になって、それが逆に良くて味が出たんです」。発想の転換から生みだされた作品は、まさに杉本流「本歌取り」です。また、コロナ禍の3年間に、書を始めたという杉本氏は、NHK大河ドラマ『青天を衝け』の題字を書き、書家デビューも果たしました。新たなエネルギーを吹き込まれた文字は力強く、その一つ一つが強烈な個性を放っています。

絵から誕生した文字。文字の歴史を遡れば「絵」に辿りつく

「現像液で書かれた『書』が美しい文字となって現れるなら、定着液に浸した筆で書いてみたらどうなるか、と実証実験を行ったんです。その結果、漆黒の下地に文字が白く浮かび上がった」と杉本氏は語ります。

杉本博司 本歌取り 東下り 展示風景

薄暗い暗室の中、見えない文字を想像して大胆に筆を祓う。その曲線は文字というよりデザインとしての美しさを表現しているようです。

「文字の歴史を考えてみたら、文字を書き始める前の人間というのは、象形文字として絵にしていた。絵が先だったんですよね。その絵の先には意識があって、人間が意識をもって意味を持たせることから言語が始まる。言語からコミュニケーションが生まれ、言語が記憶されるために文字が必要となっていく。絵から意識、言語、文字、そういう流れの中で生まれる文字は、抽象的であった。土とか、石とか水とか、単純なものをイメージとして絵画から文字化していったわけです。だから水をイメージしながら、その文字を考えついた人に思いを馳せていく。これらを『Brush Impression(ブラッシュ インプレッション)』というタイトルをつけてみました」と杉本氏。カメラを片手に広い世界を駆け回ってきた杉本氏が、再び、小さな暗室から生み出す世界観は、新たな人生の第一歩を感じさせてくれます。

杉本博司 Brush Impression 0905 「月」 2023 年 銀塩写真 作家蔵(左)杉本博司 Brush Impression 0906 「水」 2023 年 銀塩写真 作家蔵(右)

文字を知らずとも、神との交信で綴られた

この書が教育を受けることができず、文字の読み書きができなかった女性が書いた書とは、誰が想像できるでしょうか。天保七(1837)年に丹波に生まれた出口なおさんは、辛い人生を送る中で、ある日突然、神憑り状態となったのだとか。それが56歳。当時でいえば、高齢です。

出口なお お筆先 大正 4(1915)年 紙本墨書 杉本表具 小田原文化財団蔵

(前略)放火犯の嫌疑をかけられた後、自宅の座敷牢に四十日間幽閉されることになった。この間も神憑りは続いたが、なおが気狂婆と呼ばれることをやめさせてほしいと懇願したところ「ならば、筆を執り、神の言葉を書くがよい」とお告げを受けた。なおは無学で文盲であることを告げると、神が教えるから書けと命じられた。そこでなおは落ちていた釘を拾い牢の柱に神の言葉を書きつけ始めたのだ(後略)――図録『杉本博司 本歌取り 東下り』より(原文ママ)

人が持つ力が人智を超えることがあることを私たちは心の奥底で感じています。時にそれは天から降りてきたもの、神との交信から生まれたもの、というように目に見えない力によるものだということも。しかし普段の生活ではなかなかそのことに目を向けることはありません。杉本氏が表具し、日常に飾る掛け軸としたこの書は、文字が誕生する前の人間の意識へと目を向けさせてくれます。

時間は私たちが生み出した錯覚?時空を超える作品と対峙してみる

写真でも骨董でも、古いものに触れると脳内の記憶は、何十年も遡ってその時代へと瞬時に移動できる気がします。そしてこの能力はある意味、AIにさえ及ばないのでは?と思う時があります。そしてその記憶は実に多彩です。杉本氏が1976年にニューヨークで電気時計を分解し、文字盤に描いたシャガール風の絵。見ているだけで不思議な空想の世界へと誘われます。この時計が葛籠(つづら)にしまわれ、ニューヨークのスタジオの地下室に長い間しまわれていたこと、さらに2012年のニューヨークがハリケーンに襲われた時に地下室が水没したことで発見されたことなど、これらの時間経過にさえ何か理由を感じてしまいます。

「この災難はこの時計に古色の味を付け、さらに時間経過の痕跡も残していた。この時計を逆行時計に改修し、2022年に発見された南北朝時代の春日厨子に入れてみた。厨子の側面には鏡を嵌め込み、過去へと遡っていく逆行時計の針は、鏡に映されると未来へと続く巡行時計として見える」と杉本氏は語ります。

杉本博司 時間の間(はざま)2023 年 ミクストメディア:時計、厨子、鏡、ガラス 作家蔵

およそ700年前に作られた春日厨子と50年前に作られた時計が重なることで、脳内は時空を入ったり来たりしながら、私たちはその時間の間(はざま)に生きているということを体感します。これは過去の時間をも本歌取りした作品といえるのではないでしょうか。

地球を脱出し、海景は2023年、宙景へと進化した

1980年に始まった杉本氏の代表作といえる「海景」の撮影は、遠い祖先の「血の記憶」を辿る旅だと杉本氏は語ります。その海景を本歌取りししたのが、今回の壮大なテーマ「宙景」、宇宙の海です。

「地球の写真は、ソニー、JAXA、東京大学で人工衛星を開発して、ソニー製のカメラを搭載し、撮影したものです。これをアーティストに使ってもらおうというプロジェクトの第一号になりました。この写真を表具した掛け軸の下には、本物の隕石が置いてあります。全体を通して、宇宙空間を飛んでいる感じを表現。隕石が乗せてある板は東大寺の天平古材という、いろいろと観念的な仕掛けもしています」

丸い地球が水平線を通して描くと直線になる。その矛盾は人間だけに与えられた視覚が作り出す世界。宙景は丸い地球が宇宙の波間に浮かんでいるようにも見えます。目の前にある海と見たこともない海が一つに繋がったような不思議な感覚に捉われました。

 

杉本博司 《宙景 001》 ピグリメントプリント 杉本表具 作家蔵(2023)ギベオン隕石 1838 年発見 ナミビア、グレートナマランド ギベオン 鉄隕石、オクタヘドライト鉄、ニッケル小田原文化財団蔵

杉本氏にとって古代から現代へと続く時間はどのようなものなのか。「古いもの」と「新しいもの」、そこに流れる意識とはどのようなものなのかを尋ねてみると「古いものこそ新しいものであり、忘れていた人類の記憶を辿るようなもの」と語ってくれました。

人類の意識の本歌とは何かという、より大きなスケールでの考察を試してみようと思う。人の生命のDNAは両親からの本歌取りであるというように、人の意識も人の原初の意識からの本歌取りの繰り返しの中に今の人類の文化状況が生まれていると、私は考えるようになった――図録『杉本博司 本歌取り 東下り』より抜粋

杉本氏の本歌取りは、人類史を振り返りながら、新たな未来への想像へと繋がっているようです。ぜひ、多くの作品を生で感じ、時空の旅を楽しんでみてください。

杉本博司 本歌取り 東下り

場所:渋谷区立松濤美術館(東京都渋谷区松濤2-14-14)
期間:2023年9月16日(土)~2023年11月12日(日)
前期:9月16日(土)~10月15日(日) 
後期:10月17日(火)~11月12日(日)
※会期中、一部展示替えあり
入館料:一般1,000円(800円)、大学生800円(640円)、高校生・60歳以上500円(400円)、
小中学生100円(80円)※土・日曜日、祝休日は小中学生無料
※毎週金曜日は渋谷区民無料 
※障がい者及び付添の方1名は無料
※入館料のお支払いは現金のみと。
休館日:月曜日(ただし、9月18日、10月9日は開館)、9月19日(火)、10月10日(火)
特別協力:公益財団法人小田原文化財団
協力:東急株式会社
公式ホームページ 

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黒田直美

旅行業から編集プロダクションへ転職。その後フリーランスとなり、旅、カルチャー、食などをフィールドに。最近では家庭菜園と城巡りにはまっている。寅さんのように旅をしながら生きられたら最高だと思う、根っからの自由人。
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