約70年にわたって活躍した浮世絵師・葛飾北斎。ただひたすら絵を描くことに執着し続けた北斎の人生は、波乱万丈にして奇想天外! みずからトライしてあらゆるジャンルの絵画を身につけ、描き上げた作品のかずかずが日本のみならず世界に衝撃を与え、老いてなお向上を目ざした・・・。破天荒な絵師・北斎の人生をAからZの26の単語でご紹介します。今回は、B=【ベロ藍】!
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北斎AtoZ
B=【ベロ藍】色鮮やかな風景画の秘密は、舶来の顔料!
江戸時代後期の文政末期から天保年間(1818~1844年)にかけて、浮世絵の色合いは以前よりも鮮やかに美しくなりました。
その理由は、西洋から人工顔料がもたらされたからです。
なかでも、藍色の絵の具「プルシャン・ブルー」は、ベルリンで発見されたことから、日本では「ベロ藍」と呼ばれていました。
『冨嶽三十六景』の海と空の青の絵の具はベロ藍!
「夕陽見」というタイトルだが、画面の色は夕焼けが終わった後の静かな青い世界を描いているのか。 本作をはじめ、『冨嶽三十六景』シリーズにはベロ藍が多く用いられた。『冨嶽三十六景・御厩川岸より両国橋夕陽見(ふがくさんじゅうろっけい・おんまやがしよりりょうごくばしゆうひみ)』葛飾北斎 江戸時代・19世紀 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
ベロ藍が初めて浮世絵に用いられたのは天保元(1830)年のこととされます。
当時、北斎は天保2 (1831)に刊行される『冨嶽三十六景』に使用。ベロ藍を使用した錦絵を次々に発表し、以後の風景画の連作などに多用しています。
空のグラデーションがさわやか!
『冨嶽三十六景 五百らかん寺さざゐどう(ごひゃくらかんじさざえどう)』葛飾北斎 江戸時代・19世紀 メトロポリタン美術館 The Metropolitan Museum of Art, Rogers Fund, 1922
それまで浮世絵で青い色を出すのに用いられていたのは、ツユクサや本藍からつくった絵の具。しかし、ツユクサは退色しやすく、本藍は古い藍染めの布から抽出するために、扱い難いという弱点がありました。
そこに海外からもたらされたまったく新しい絵の具のベロ藍は、取り扱いやすく発色が美しいのはもちろんのこと、濃淡のぼかし摺りもきれいに表現できることから、絵師たちの間で大評判になりました。
このベロ藍の導入によって、浮世絵の色彩は一変したのです。
ベロ藍のおかげで抜けるような青空だぁ~!
『冨嶽三十六景』の成功後に刊行した日本各地の橋をテーマにした11枚の揃物でも、北斎はベロ藍を効果的に使用。 透明感のある青の色彩で、風景画家としての地位を確立した。『諸国名橋奇覧 飛越の堺つりはし(しょこくめいきょうきらん ひえつのさかいつりはし)』葛飾北斎 天保4~5(1833~1834)年ごろ メトロポリタン美術館 The Metropolitan Museum of Art, Rogers Fund, 1922
北斎の傑作『冨嶽三十六景』をはじめとした風景画のシリーズの連作は、創意工夫を重ねたユニークな構図とともに、色遣いの美しさがヒットにつながったと言ってもいいでしょう。
ライバル広重もベロ藍を使いまくった!
左/『名所江戸百景・ミつまたわかれの渕(めいしょえどひゃっけい・みつまたわかれのふち)』歌川広重 安政4(1857)年・右/『名所江戸百景・浅草川首尾の松御厩河岸(めいしょえどひゃっけい・あさくさがわしゅびのまつおんまやがし)』歌川広重 安政3(1856)年 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)
同時期に、風景画で名をあげていたのが、北斎より年若い歌川広重でした。
広重もまた、ベロ藍を多用した美しい風景画シリーズ『東海道五拾三次』や『名所江戸百景』で人気を博しました。いずれの作品も、今日まで色あせて見えないのは、ベロ藍の効果があったことも見逃せません。
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構成/山本 毅 ※本記事は雑誌『和樂(2017年10・11月号)』の転載・再編集です。
アルファベットに用いた葛飾北斎の絵は、『戯作者考補遺』(部分) 木村黙老著 国本出版社 1935 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1874790 (参照 2025-06-04)