CATEGORY

最新号紹介

4,5月号2026.02.28発売

美の都・京都で出合う うるわし、工藝

閉じる

Art

2026.04.10

水墨画で月を描く ―外隈、膠液―

油絵のように絵の具を重ねて線を消すことはできない──。 水墨画では、筆を走らせた一瞬が、そのまま作品に刻まれます。 このシリーズでは、水墨画家・鮫島圭代の手元を写した、ライブ・パフォーマンスさながらの映像をお届けします。 迷いのない素早い筆運び、墨と水が織り成す滲みや掠れ。 そのとき限りの意図と自然から生まれる “墨の表情”を、ぜひご覧ください。

「月」

※絵の中央の▷を押すと動画が再生されます。
※音楽が再生されるため、音量にご注意下さい。

昨秋、銀座で小さな個展をした。
会場は、レトロなビルの最上階で、エレベーターはなく、階段を5階分上ると、大都会からひと足飛びに高原に来たかのような解放感に満たされる。
緑に囲まれたオープンテラスが広がり、さらに鉄の梯子を上ると小さな屋上があるのだ。
頭上には遮る物もなく空が広がり、夜には星が瞬いて月が昇る。

この場所を初めて訪れたとき、大空とつながっているこの空間に鳥を放ちたいと思い、水墨画で鳥の絵をいくつも描いた。
鶯、鳶、鶏、雀、烏――。その周囲を花や木、雲や月で彩った。

鮫島圭代 《月に梅》 《月に烏》 いずれも紙本墨画 2025年

梅の背後に浮かぶ月は、塗り残して周囲を墨で囲み、外側に向かって次第に薄くする「外隈(そとくま)」の技法で描いた。
一方、烏の背後に浮かぶ月には、膠液(にかわえき)を使った。
膠とは、動物の皮や骨から抽出したコラーゲンで、接着剤、定着剤の機能を持ち、固形の墨も煤と膠を練り固めて作られている。
膠を液体状にしたものが、透明の膠液として販売されている。
この烏の絵では、まず膠液で丸い月を描いてから、和紙を裏返し、全体に薄い墨を引いた。すると、膠液を塗った部分には墨があまり染みこまないので、月が丸く浮かび上がるのだ。

蘆雪の月、梅逸の月

長沢蘆雪 《月夜山水図》1794–95年 絹本墨画 メトロポリタン美術館 Public domain

江戸時代に描かれた月の絵をじっくり鑑賞しよう。まずは長沢蘆雪(ながさわろせつ)作と伝わる、詩情豊かな《月夜山水図》だ。

湿り気を帯びた大気のなか、輪郭がにじんで空と溶け合う幻想的な満月。春の季語、朧月だろうか。その優しい光に、思わず視線が吸い込まれる。
穏やかな闇が辺りを包むなか、丸みのある山の端は月の逆光を受け、悠然と枝を伸ばす松の姿がくっきりと浮かび上がる。
空を横切る黒雲は、まるで月に向かって空を泳ぐ龍のようだ。

満月と、空の上下には墨が塗られていない。
この絵は絹に描かれており、絹地ならではの深みのある色がそのまま生かされている。
絹地はそのまま使うと、墨が繊維に沿って滲んでしまうため、描く前に程よく滲み止めが施されており、描くとまろやかな風合いになる。

空、雲、山、松と、さまざまな濃淡の墨色が折り重なり、心地よいハーモニーを奏でている。

左上に描き込まれた落款には「平安 蘆雪写」とある。「平安」とは「京都」のことで、「写」は「描いた」という意味だ。

長沢蘆雪は、江戸時代中期に丹波国の武家に生まれ、京都に出て「写生派の祖」といわれる円山応挙(まるやまおうきょ)に学び、実物のごとくありありと描く画技を身につけた。ダイナミックで奥深い禅画、心のうちを表現する文人画、くだけたタッチの南画にも影響を受け、やがて、卓越した技術で、可愛らしくユーモラスかつ大胆な独自の作風を打ち立てた。

応挙に学んだ迫真的な描写力を、ご覧のような情緒豊かな作品にも発揮している。古来、日本の人々は自然の美しさを愛で、文学や絵に表してきたが、こうした日本ならではの湿潤な大気を描き出すことは難しく、応挙や蘆雪はそれをついに成し遂げたのだ。淡い光と影が交錯する叙情豊かな風景を見事にとらえている。

山本梅逸 《月下波頭図》 19世紀初頭 絹本墨画 フィラデルフィア美術館 Public domain

打って変わって、躍動感溢れる本作は、山本梅逸(やまもとばいいつ)の筆と伝わる《月下波頭図》である。

荒波の向こうに、穏やかな満月が浮かぶ。月は、絹地のままに塗り残すことで表現しており、周囲の淡い墨色は雲や霧を思わせる。
流れるような筆致で激しく描かれ、ひときわ高く打ち上がる波は、まるで満月を支えているかのようだ。横長の画面が水面の広がりを感じさせる。

山本梅逸は、江戸時代後期に名古屋に生まれ、彫刻師の父、和歌をよく詠んだ母のもと、貧しいながらも教養豊かに育ったという。幼少期から絵を好み、やがて中国絵画を学んで、文人画に魅了された。文人画とは、プロの画家ではない文人(知識人)が描いた絵のことで、自由な精神のもと、自らの内面や思想を表現したものだ。梅逸はやがて、京都に出て文人たちと交流し、気品と艶を湛える画風で人気を博した。

なお、上記2作品は、筆者が和訳を担当した、Webサイト〈江戸絵画の世界〉に掲載されている。このサイトは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校と早稲田大学の連携事業の一環で制作されたもので、技法やモチーフなどの絞り込み検索を使って、世界各地の美術館所蔵の216点の絵画から好みの作品画像に出会える。さらに、その多くは無料でダウンロードして活用することも可能だ。
Webサイト「江戸絵画の世界」

美術館へ、月を探しに

水墨画の月の描写には、絵師それぞれの技と感性が発揮されている。美術館で古今の月の絵に出会ったら、どのように描かれたのか、絵師の筆の動きを想像するのも楽しいだろう。

画像出典
アイキャッチ画像: 鮫島圭代 《雪山に月》 紙本墨画 2019年
Share

鮫島圭代

美術ライター、翻訳家、水墨画家。学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展、美術書、雑誌・Web記事の執筆・翻訳を手がける。著書に「正解のない絵画図鑑」(幻冬舎)、「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)、「男性のいない美術史 女性芸術家たちが描くもうひとつの物語」(PIE International)ほか多数。https://www.tamayosamejima.com/
おすすめの記事

水墨画で鶏を描く| 若冲から感じる“気韻生動”の美

鮫島圭代

せ、雪舟の水墨画を折っちゃった!あの名画が現代アートに化けるとどうなる?【千葉市美術館 福田美蘭展】

浮世離れマスターズ つあお&まいこ

水墨画で馬を描く|2026年の干支・午と水墨画の技法「省筆」とは

鮫島圭代

俵屋宗達の水墨画 5つの秘密、墨一色なのに子犬がほわほわなのはなぜ?

和樂web編集部

人気記事ランキング

最新号紹介

4,5月号2026.02.28発売

美の都・京都で出合う うるわし、工藝

※『和樂』2026年4・5月号 美術展カレンダーに誤りがありました。P.224で紹介しました、福岡県・久留米市美術館で開催中の「美の新地平ー石橋財団アーティゾン美術館のいま」の入館料は、正しくは一般1,500円となります。お詫びして訂正いたします。
※和樂本誌ならびに和樂webに関するお問い合わせはこちら
※小学館が雑誌『和樂』およびWEBサイト『和樂web』にて運営しているInstagramの公式アカウントは「@warakumagazine」のみになります。
和樂webのロゴや名称、公式アカウントの投稿を無断使用しプレゼント企画などを行っている類似アカウントがございますが、弊社とは一切関係ないのでご注意ください。
類似アカウントから不審なDM(プレゼント当選告知)などを受け取った際は、記載されたURLにはアクセスせずDM自体を削除していただくようお願いいたします。
また被害防止のため、同アカウントのブロックをお願いいたします。

関連メディア