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2020.03.23

江戸時代の意外な名所が楽しめる!「浮世絵に見る名所と美人」展(たばこと塩の博物館)【展覧会レポート】

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東京スカイツリーを眼前に、住宅街と工業地区が入り混じった墨田区の下町にある穴場的なミュージアムとして知られる「たばこと塩の博物館」。年に数回実施される特別展では「たばこ」と「塩」の文化を特集した企画を中心に、世界中の珍しい美術工芸をハイレベルなキュレーションで楽しませてくれています。

中でもとりわけ人気が高いのが、開館以来、ざっくり年に1回くらいのペースで不定期に開催される「浮世絵」に関する特別展です。行くたびに毎度感嘆させられるのは、展示アイテムの非常にハイレベルなクオリティ。保存状態の良好な美品を中心に、レアな摺物(すりもの)や揃物(そろいもの)などが大量に並んだ展示室は圧巻。目の肥えた浮世絵マニアでも納得の展示が待っています。

現在、同館で開催中の浮世絵展が、特別展「隅田川に育まれた文化 浮世絵に見る名所と美人」です。主に文化・文政期以降(19世紀前半)に制作された浮世絵の中に頻繁に登場するようになった隅田川沿いの名所や、幕末期以降に活躍した歌川国貞(うたがわくにさだ)・歌川国芳(うたがわくによし)といった巨匠の高品質な美人画や役者絵の揃物など、200点以上の作品が集結。ハイレベルな浮世絵を通して、江戸の名所巡りをたっぷり味わえる展覧会になりました!

それでは、早速見ていきましょう!

今とは全く違っていた?江戸時代の意外な「名所」とは?

溪斎英泉「江戸八景 隅田川の落雁」個人蔵/隅田川の水面に走るキラキラした光や、版木の木目を活かした水面の表情が美しい作品。画面右下の石鳥居は三囲神社。

現代の我々が「東京名所」としてパッと思い浮かぶランドマークと言えば、東京スカイツリーや東京タワー、お台場や銀座といった外国人ツアー客にも人気の観光スポットかもしれませんね。同様に、約200年前の江戸時代においても、当時ならではの有名な観光スポットや景勝地がちゃんとありました。特に、隅田川沿いは水辺の風景が広がる絶好の景勝地でした。人々は、船を使って隅田川両岸を自由に行き来して、川沿いに広がる観光スポットを楽しんでいました。

もちろん、流行り物にめざとい浮世絵師たちがこうした江戸名所を見逃すはずがありません。彼らは、作品の中で「役者」や「美人」とセットにして、様々な隅田川沿いの名所を実景として描きこむようになっていきました。

本展では、特に隅田川の両岸に広がる当時の名スポットを紹介。幕末に活躍した、広重、国貞、国芳といった歌川派の主力絵師たちが、美人や役者を織り交ぜて描いた隅田川沿いの「名所」がたっぷり展示されています。

そして、そこで取り上げられた名所のラインナップが面白いのです。なぜなら、現代の私達の感覚では、大して気にも留めないような「意外」なものが、浮世絵では数多く取り上げられているからなんです。そこで、まずは展覧会で取り上げられた向島や隅田川ゆかりの意外な江戸名所を、僕の感じた”意外度”順に見ていくことにしましょう。

隅田川沿いの名所1:「桜」(意外度ゼロ)

歌川芳藤「東都花くらべ 向島のさくら」個人蔵

お花見と言えばまず最初に「桜」を思い浮かべるのは現代の日本人だけではありません。江戸時代の庶民にとっても、お花見の主役は桜でした。現在でも、墨田区・台東区エリアの隅田川両岸には桜を楽しめる絶景ポイントが多数ありますが、江戸時代の浮世絵でも、隅田川の土手沿いに広がるお花見の名所が多数描かれていました。屋形船で楽しむお花見、本当に贅沢ですよね。

歌川国芳「当盛春景色」個人蔵/桜が満開の隅田川をバックに女性達が描かれた三枚続の美人画。真ん中の1枚の水面をよく見てみると、何か不思議なモノが水面に漂っているようですが・・・

ところで、本展で展示されていた「お花見」をテーマとした錦絵の中で、特に面白かったのが歌川国芳のこの作品。お花見を楽しむ美しく着飾ったお姉さん達が描かれた三枚続のゴージャスな作品ですが、真ん中の作品に要注目です。

歌川国芳「当盛春景色」個人蔵(部分)/懐紙を口に含んだ女性のすぐ右横に描かれている謎の生き物の正体は「ウナギを捕らえた水鳥」の姿でした!国芳ならではのちょっとした遊び心が面白いですね。

じーっと見ていると、なんだか水面に不思議な黒い物体が描かれていることに気づきませんか?

実はこの黒い物体は、隅田川の水面近くで回遊するウナギを捕まえる水鳥のシルエットだったんです。まさに、今ではほぼ幻の希少種となってしまった「江戸前の天然うなぎ」です。当時は普通に隅田川抱負に生息していたのですね。この絵を見ていると、なんだかお腹が空いてしまいました。(笑)

小林清親「向島桜」個人蔵

こちらは小林清親が制作した明治初期のお花見の様子を描いた作品。満開の桜の大木の下で、お花見を楽しむ人々の様子が描かれています。ウキウキとした楽しそうな情景が非常に印象的でした。ぼんぼりのついた特設テントや、まだしっかり雪をかぶった富士山も遠見に描かれていますよね。リアルな臨場感が伝わってくる作品でした。

隅田川沿いの名所2:「橋」(意外度★)

展示風景「歌川国貞 東都五大橋シリーズ」

タワーマンションや巨大ビル、高架道路など、巨大建造物が生活風景に溢れている現代の東京都心では、「橋」はもうそれほど注目度の高い観光スポットではないかもしれません。しかし、巨大な人工建造物がまだ少なかった江戸時代では、もっと注目度が高い人気スポットでした。実際、葛飾北斎なども「諸国名橋奇覧」(しょこくめいきょうきらん)という全国各地の「橋」がある奇観を特集した揃物を出版していますよね。

江戸時代、隅田川にかかっていた橋は、全部で5つありました。下流から順番に、「永代橋」(えいたいばし)、「新大橋」(しんおおはし)、「両国橋」(りょうごくばし)、「吾妻橋」(あずまばし)、「千住大橋」(せんじゅおおはし)の5橋で、今でも全て現存しています。(※新大橋などは架橋位置が変更されています)こうした橋の周囲には料亭が立ち並び、春はお花見、夏は花火見物などと人々が押しかけ、屋形船や屋台も出て大いに賑わったとされます。

本展では、歌川国貞による江戸の五大橋を題材とした美人画の揃物「東都五大橋」シリーズ全点が勢揃い。

歌川国貞(三代歌川豊国)「東都五大橋 新大橋」個人蔵

しかしこの作品、「橋」を描いた作品というよりは完全に女性たちが主役となっていますよね。どこに「橋」が描かれているんだろう?と思って凝視してみたら、各作品上部に設けられた窓のような枠内に描かれた「コマ絵」の中にちょこっと描かれているんですね。そう、本作は、「橋」そのものを描いているというよりも、隅田川に架けられた5本の橋からイメージされる女性の全身像を描いているんです。

ちょっと現代の例で強引に当てはめてみると、たとえば、巨大戦艦が美少女として擬人化した人気のゲーム/アニメ「艦隊これくしょん」みたいなものでしょうか?

歌川国貞(三代歌川豊国)「東都五大橋 新大橋」個人蔵/コマ絵の中を覗き込むと、橋の様子が描かれています。当時、新大橋右岸近辺にあった幕府の御船蔵もしっかりと描きこまれています。

隅田川沿いの名所3:「百花園」(意外度★)

「向島梅屋敷の図」個人蔵

現在でも都営庭園として国の史跡・名勝に指定されている「百花園」(ひゃっかえん)が向島にできたのは1804年。骨董商だった佐原菊塢(さはらきくう)が梅や秋の七草などを植えて鑑賞できるように造園した庭園で、当時亀戸にすでに存在した「亀戸梅屋舗」に対して、「新梅屋敷」「向島梅屋敷」とも呼ばれることがありました。

左:歌川豊国「隅田川花屋敷 桃の図」(個人蔵)/右:歌川豊国「隅田川花屋敷 梅の図」(個人蔵)共に歌川豊国、個人蔵/創設者の佐原鞠塢は、骨董商になる前は芝居小屋で働いていた時があったそうで、その時の縁もあって人気役者が登場する百花園を描いた浮世絵が多数残っているそうです。

19世紀初頭にできたばかりの百花園は、浮世絵師を起用した「広告絵」などの派手な宣伝効果もあって、すぐに人気の花名所になりました。園芸趣味が武士から庶民まで幅広く流行していた江戸において、季節の草花が楽しめる百花園は、ちょっとしたテーマパークみたいなものだったのでしょうか?

展示風景「隅田川焼」

創設者の佐原鞠塢はやり手のプロデューサーだったと見えて、百花園オリジナルのおみやげ品を開発しています。それが、本展に展示されているクリーム色の陶器「隅田川焼」(すみだがわやき)です。園内に窯を設置し、地元の土を使って鞠塢自らが焼き上げたと言われています。ユルめの絵柄で絵付けが施された、柔らかい肌色の素朴な陶器はなかなかに味わい深いものがありました。


展示風景「隅田川焼」

ちなみに、この隅田川焼で人気のモチーフの一つだったのが、隅田川名物とされていた「都鳥」です。伊勢物語の9段「東下り・隅田川」で、在原業平(ありわらのなりひら)が「この鳥は何だ」と聞いたら「都鳥という名です」と答えたという有名なエピソードにちなんで、都鳥は隅田川を表すシンボルでもありました。そこで、鞠塢は信楽焼のたぬきのように、都鳥を隅田川焼の一種のイメージキャラとして活用したのですね。

佐原鞠塢「都鳥考」すみだ郷土文化資料館蔵

また、浮世絵でもしばしば名所絵の中に描かれたり、美人画のコマ絵として、隅田川とセットでさりげなく描かれていることがあります。Wikipediaなどで実物を見て、浮世絵の中の都鳥と見比べて楽しむのも面白いですね。

歌川国芳「本朝景色美人図会 防州岩国錦帯橋之景」個人蔵/まるまると太ったユルかわな都鳥のおもちゃが描かれています。

隅田川沿いの名所4:「高級料亭」(意外度★★)

上:歌川広重「江戸高名会亭尽 三囲之景 出羽屋」個人蔵/下:「江戸高名会亭尽 両国 青柳」個人蔵/料亭の出入り口に横付けされた屋形船に乗り込む芸者が描かれた、涼し気な風景が見どころ。昔の江戸はヴェネツィアみたいな水郷都市でもあったのですね。

江戸時代、隅田川沿いには高級料亭も多数営業していました。隅田川で採れたばかりの新鮮な海鮮料理が楽しめたそうです。それだけでなく、お風呂があったり、宿泊もできる料亭もありました。こうなるともう、ほとんどホテルみたいなものですよね。浮世絵師達は、そんな川沿いの高級料亭を題材に作品を多数描き残しています。

歌川広重「江戸高名会亭尽 本所小梅 小倉庵」たばこと塩の博物館蔵

中でも本展で特に注目したいのが、横川と源森川がクロスする絶好のロケーションにあった江戸屈指の高級料亭「小倉庵」(おぐらあん)が描かれた作品です。広重、国貞をはじめ、多数の浮世絵師がこの「小倉庵」をモチーフにした浮世絵を残しており、展覧会ではちょっとしたコーナーもできています。

小倉庵は、19世紀の初め頃にできたとされ、明治時代まで存続したことが確認されています。「小倉」という名前にちなんだのか、おしるこが名物でした。そのためか、当時大変女性にも人気があったようです。運河がぶつかる好立地にあったこともあり、遠出の際の待ち合わせ場所としても良く活用されていたのだとか。

三代歌川豊国・歌川広重「東都高名会席尽 小梅 小倉庵」個人蔵

この小倉庵を巡っては、幕末の慶応年間に当主の息子・長次郎が、幕府の旗本・青木弥太郎(あおきやたろう)と一緒に強盗事件を起こしてしまうなど、強烈なエピソードも残されています。

隅田川沿いの名所5:「役者の別荘」(意外度★★)

歌川国貞(三代歌川豊国)「深川永木 坂東秀佳別荘雪の景」個人蔵

現在でも、観光地などでは海辺や湖などの水辺の景色が楽しめる場所にホテルや別荘が林立している風景を目にすることがありますが、江戸時代でも隅田川の周囲には豪商や歌舞伎役者、幕府の役人などが建てた別荘が点在していました。

もちろん、こうした別荘なども浮世絵師の格好の取材対象になっていきます。特に、庶民達の興味が役者の別荘にも及んだ時期がありました。そこで、役者絵のバリエーションとして、彼らの別荘の邸宅内の様子を背景に、多数の人気役者が登場する三枚続などの作品も人気を集めたのです。

描かれている風景は、役者達が邸宅内の風光明媚な庭園内を闊歩する様子や、邸宅内で宴会を楽しんでいる様子です。当時流行していた最先端のファッションや、江戸の人々が楽しんでいた高級食材などに注目です。

歌川国貞(三代歌川豊国)「寺島松隠居 梅幸別荘雪の景」個人蔵

隅田川沿いの名所6:「三囲神社」(意外度★★★)

溪斎英泉「江都三囲稲荷之前提之景」個人蔵/このように、ハッキリと鳥居が描かれている作品は結構少ない。

隅田川周辺にある有名なお寺や神社としては、浅草寺を筆頭に牛島神社(うしじまじんじゃ)、待乳山聖天(まつちやましょうでん)などが挙げられますが、中でも江戸時代に非常に人気があった観光名所だったのが、隅田川の堤防沿いにあった三囲稲荷(みめぐりいなり)[または三囲神社(みめぐりじんじゃ)]です。

三囲稲荷は、14世紀半ばに三井寺(みいでら)の源慶(げんけい)が再興したと伝えられ、源慶が当時荒廃していた神社跡から白い狐に乗った老人の像を掘り出した際に、白い狐が現れてそのまわりを3回回ったという言い伝えから、三囲稲荷と名付けられたとされます。

実はこの三囲神社、隅田川の対岸側から見ると、川の土手越しに石鳥居の上部だけが顔を覗かせるという面白い見え方をしていました。そのため、江戸時代の人々は絵の中に「土手越しの鳥居の上部」が描かれているのを見ると、三囲神社だとすぐに認識できたそうです。

歌川国貞(三代歌川豊国)「江戸八景ノ内 三廻」個人蔵

たとえば、この作品を見てみましょう。タイトルに「江戸八景」とありますが、パッと見ても普通の美人画にしか見えませんよね。そういう時、忘れずチェックしたいのが画面上部に窓のように描かれた「コマ絵」です。

歌川国貞(三代歌川豊国)「江戸八景ノ内 三廻」個人蔵 部分拡大図

もうわかりますよね。土手越しに、石鳥居の頭の部分だけがちょこんと見えています。ここから「三囲神社」をテーマに描いているんだなということが解読できるんですね。当時の風景が残されていない現代に生きる我々としては、なかなか難易度の高い鑑賞体験です(笑)

歌川国貞(三代歌川豊国)「当世江戸寿々女」個人蔵

もう一つ、本作も同様に美人画上部の「コマ絵」をチェックしてみましょう。こちらはもっと分かりづらい!石鳥居の上部どころか、右端のかけらしか描かれていません(笑)でも、当時の人々にはこれで十分だったというわけなんですね。浮世絵、なかなか奥が深いです!

天保の改革で大きく変化した美人画と役者絵

江戸の名所をテーマとした浮世絵がずらりと並んだ前半からうってかわって、展示後半で楽しめるのは、幕末の過渡期に描かれたひねりの利いた美人画や役者絵の数々です。

中学・高校の日本史の授業で、「●●の改革」と呼ばれる江戸幕府による幕政改革について習ったのを覚えていますか?飢饉や政治腐敗といった世の中の混乱を収めるため、政治や経済の体制引き締めを狙って行われた一連の政治改革です。

こうした幕政改革では、たびたび風紀の取締が厳しく行われ、浮世絵師たちの表現の自由も奪われてしまいます。たとえば、松平定信(まつだいらさだのぶ)による「寛政の改革」では、高額商品や非売品向けに使われていたゴージャスな厚手の奉書紙(ほうしょし)が禁じられ、浮世絵師はペラペラの安い紙しか使えなくなったり、町娘をモデルにした美人画にその町娘の名前を入れることが禁じられたりしました。

本展では、老中・水野忠邦(みずのただくに)が主導した「天保の改革」による影響を、その直後に出版された一連の浮世絵作品を通して見ていくことができます。天保の改革では、浮世絵の二大ジャンルだった「美人画」「役者絵」において、具体的なモデルを使った作品が制作できなくなるという大きな規制が入ってしまいます。また、庶民生活にも細かい規制が加えられ、衣食住から贅沢品が追放されてしまいました。

当時、美人画と役者絵は浮世絵の中でも特に売れ筋の人気ジャンルだったので、厳しい規制によって作品が売れなくなると食べていけません。浮世絵師達も必死です。彼らは許されたルールの範囲ギリギリの線を狙って、魅力的な作品を生み出そうと試みました。本展では、天保の改革以降、浮世絵師たちが工夫を凝らして送り出したユニークな美人画と役者絵を楽しむことができました。

苦肉の策①:子供に見立てて役者を描く

歌川国芳「子供踊尽 宗定 関兵衛 小町姫」個人蔵

役者絵については、実物の役者をモデルにした似顔絵を描くことが禁止されてしまいます。誰とわかるように描いてはいけないのですね。
そこで、まず浮世絵師がひねり出した苦肉の策の第1弾が、舞台で活躍する役者達を子供の顔に描き換えた芝居絵でした。まさに規制の抜け穴を突いた趣向ですよね。しかし、まもなく幕府は後追いで子供に仮託した作品も禁止してしまいます。

苦肉の策②:似すぎないように役者を描く

展示風景「絵鏡台見立三十木花撰」シリーズ

そこで次に浮世絵師が編み出したのが、そこそこ似ているけれど、わざと少しだけ崩して似すぎないようにした「役者風」の作品です。本展では、歌川国芳が手掛けた「絵鏡台見立三十木花撰」シリーズが、「似すぎない」役者絵シリーズに当たるのですが、現在の我々が見ても普通の役者絵とあんまり変わらないような気もしますよね。でも、当時の江戸庶民にとっては一目瞭然だったのだそうです。

歌川国芳「絵鏡台見立三十木花撰 安部の保名 くずの葉」個人蔵/似すぎないように役者を描いたとされる作品。確かにどことなく人物の着ている服なども地味な気がしますね。隠れた鑑賞ポイントは、丁寧に描かれた鏡の枠やその周囲に描かれた植物。陰影表現なども細かく表現されています。

歌川国芳「絵鏡台見立三十木花撰 石川五右衛門」個人蔵

この「絵鏡台見立三十木花撰」をザーッと見て行く中で「あれっ、この役者絵だけはちょっと個性が立っているな」と感じたのがこの1枚。学芸員さんの解説によると、実際にこの1枚に関しては、8代目市川團十郎をモデルに似顔絵として制作されているそうです。なぜこの8代目だけハッキリ描かれたかと言うと、彼は母親や兄弟の面倒見も良く、家族思いの品行方正な人物として有名だったからです。実際、弘化2年(1845年)には、放蕩三昧を理由に江戸払いになっていた七代目市川團十郎に代わって、親孝行者として幕府から表彰されているんですね。そのあたりのさじ加減も面白いですよね。

苦肉の策③:歴史上の人物を引っ張り出して美人画を描く

歌川国芳「縞揃女弁慶 鬼若鯉退治」個人蔵/この時期の美人画や役者絵の背景には高額な「藍」ではなく、それより安価な「緑」のぼかしが多く使われていたことも隠れた鑑賞のポイントです。

美人画に関しても、町娘や花魁など同時代の実物をモデルにして描くことが禁じられたので、歴史上の人物に見立てて美人を描くという技が編み出されました。この歌川国芳の10枚セットの揃物「縞揃女弁慶」(しまぞろえおんなべんけい)シリーズでは、牛若丸(源義経)の家来として活躍した弁慶の逸話が、女性の風俗に結びつけて描かれました。

本作は弁慶がまだ「鬼若丸」と呼ばれて比叡山に住んでいた幼少の頃に、古池に潜んでいた八尺(約250cm)もの巨大な鯉を短刀一本で退治してしまったという「鬼若丸伝説」にちなんで描かれました。だから、作品内でも鯉のデザインの懐中鏡入れを持った少女が描かれていますよね。

また、この揃物で描かれている美人は、衣装が「弁慶縞(格子)」(べんけいじま〔ごうし〕)というギンガムチェックの格子柄で統一されています。庶民の衣料に関しても厳しく規制されていた当時、江戸で大流行したファッションの一つでした。本シリーズは、国芳が弁慶格子の装いに身を包んだ美人を描こうと構想して刊行されたシリーズだったのです。ストレートな表現がダメなら、ファッションと古典文学を組み合わせて、ひねりの利いた知的な「見立て」で楽しもうよ、という趣向でした。

明治時代になっても「名所」と「美人」の組み合わせは健在!

本展のラストを飾るのは、明治時代の浮世絵です。葛飾北斎や歌川派の絵師たちに比べると知名度では一歩劣るものの、製作技術や顔料の進歩によって、より肉筆風の自然な表現が可能になった明治時代の浮世絵は、独特の面白さ・味わいがあります。

そしてやっぱり時代が大きく変わっても、浮世絵では「名所」と「美人」の組み合わせはまさに”鉄板”なのだな、と思わされました。ここでは、会場で見て特に僕が気に入った作品をいくつか紹介しておきますね。

楊斎延一「向しま百花園秋の花露の染分」東京都江戸東京博物館蔵

本作は、戦後の洋風衣裳から伝統的な花魁まで、華やかな美人画で明治初期~中期の浮世絵界で活躍した楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)の弟子だった楊斎延一(ようさいのぶかず)が得意とした三枚続の美人画。女性たちの髪型や服装が江戸時代から微妙に変化しているのがわかりますよね。また、着物の要所要所に差し色として使われている強烈な「朱」は、いかにも明治期の浮世絵ならではといった趣がありますね。

尾竹国一「東京十二月之内二月 亀井戸天神 亀井戸梅林」個人蔵

こちらの尾竹国一(おたけくにかず)は、浮世絵だけでなく新聞挿絵や木版口絵といった挿絵画家としても活躍した作家です。楊斎延一同様、現代ではほぼ埋もれてしまった最後の浮世絵師の中の一人なんです。滅多に展覧会で作品を目にする機会がないので、本展で美麗な作品を見ることができてラッキーでした。

本作は四角い枠と丸い窓で表現された2つのコマ絵の中にそれぞれ亀戸の名所が描かれているユニークな構図が特徴。この丸い窓のようなコマ絵は、明治中期以降の木版口絵で多く見られる新しい表現ですね。物思いにふけるような表情の女性の頭の中を覗き込んでいるような効果があって面白いです。「春になったら天神さまにお参りして、梅を見に行こうかな・・・」とお出かけについてうきうきしている様子が見て取れる、心温まる作品でした。

高橋松亭「すみ田川」個人蔵

展覧会のラストを飾るのは、浮世絵末期から新版画まで、情趣に富んだ風景画で息の長い活躍をした高橋松亭(たかはししょうてい)の渋い作品です。春の冷たい雨が降りしきる中、茶屋でひとり、雨宿りをしながら静かに川沿いに咲く満開の桜をながめている美女が描かれています。絵になるシーンですね。ちょっと物寂しい、叙情的な表現に引き込まれました。

「名所」の多彩な表現方法が楽しい、掘り出し物的展覧会です!

いかがでしたでしょうか?本展では、19世紀前半~幕末頃までに制作された浮世絵の名品を通して、隅田川沿いに花開いた当時の様々な庶民文化や風俗を楽しむことができる面白い展示となりました。展覧会中には、大規模な展示替えが行われ、そこでは作品がほぼ総入れ替えとなるので、ぜひ前後期合わせて楽しんでみてくださいね。初心者からマニアまで幅広く楽しめるハイクオリティな作品群が待っています。

また、浮世絵の中に描かれた様々な名所は、その多くが今でも訪れることができたりします。展覧会場で気になった場所があれば、後日実際に「聖地巡礼」のような気分で訪問してみるのも面白いですよね。僕も、本展訪問後に早速三囲神社に行ってきましたよ!

展覧会基本情報

展覧会名:特別展「隅田川に育まれた文化 浮世絵に見る名所と美人」
会期:2020年6月2日(火)〜6月28日(日)
会場:たばこと塩の博物館(〒130-0003 東京都墨田区横川1丁目16−3)
展覧会公式HP:https://www.jti.co.jp/Culture/museum/index.html

書いた人

サラリーマン生活に疲れ、40歳で突如会社を退職。日々の始末書提出で鍛えた長文作成能力を活かし、ブログ一本で生活をしてみようと思い立って3年。主夫業をこなす傍ら、美術館・博物館の面白さにハマり、子供と共に全国の展覧会に出没しては10000字オーバーの長文まとめ記事を嬉々として書き散らしている。