2011年、どのような決意や信念をもって、フランソワ・ルサージュ氏から「ルサージュ」を引き継いだのでしょうか? コルセットデザイナーとして活躍するなど、 すでに確立されたキャリアがあるなかで、なぜこの道を選ばれたのか、その理由も教えてください。また、 メゾンに加わってみて、最初の印象はどのようなものでしたか?
バレールさん:最初にお話しすると、この話があったころ、フランソワ・ルサージュ氏は「シャネル」とともに自身のメゾンの継承者を探していました。何人かの候補者のなかで、私に白羽の矢が立ったのです。私はかなり驚きましたし、正直にいうと、このような展開はまったく予想していませんでした。
ルサージュ氏は刺繍の巨匠であり、模範ともいうべき存在。そして、私の親しい友人でもありました。彼の下で働いたことも、一緒に仕事をしたこともありませんでしたが、私は学生時代に彼に出会い、助けてもらったのです。それ以来、私たちは誠実な友情を築いてきました。
この挑戦が持ちかけられたころ、ルサージュ氏は病気で、メゾンの未来を案じていました。当時の私は自分自身のブランドでコルセットや舞台衣装の創作を手がけ、刺繍の仕事にも携わっており、このような提案を受ける準備ができていませんでした。このオファーはとても素晴らしく、断るのが難しいものでしたが、私は自身のブランドの仕事をしていたので、「自分には向いていない」と思ったのです。しかし、「ほかのことをしているのはむしろよいことだ。あなたが多くのクリエイティブな活動をしているほど、私たちのためにももっとクリエイティブになれる」という言葉をかけられました。それがあったからこそ、私はほかの仕事も続けながら、この役目を引き受けることができたのです。最終的に、私は「はい」と答えました。皆、私が来ることを望んでくれていましたから。そして今、その答えに後悔はありません。
ルサージュはまさに刺繡を体現するメゾンです。それはフランソワ・ルサージュ氏の功績であり、メゾンの歴史と創造性、刺繍職人たちのおかげでもあります。本当に、特別なメゾンなのです。
私がこのメゾンに入ったとき、思い浮かんだのはふたつの言葉でした。「リファレンス(模範)」と「イレヴェランス(挑戦/不遜さ)」です。「リファレンス」とは、メゾンのスタイルの継承者として歩むこと。ただし、単なる「敬意」に留まらないことを心がけました。ファッションにおいて、敬意にこだわりすぎるのはよくありません。敬いすぎると前進できず、変化も生まれませんから。何も変わらないまま、化石のように固まってしまいます。
一方で「イレヴェランス」は、既存の枠組みを揺るがすこと。物事を少し突き動かすことで新しさが生まれます。だから、私はこのふたつの間でバランスがとれるよう努めました。ルサージュのタイムレスな刺繍の美しさを守りつつ、新たな息吹を吹き込むことの両方を目指したのです。自分がそれを成し遂げられたかはわかりませんが、少なくともそれが私の原動力となっています。
この特別なメゾンに忠実でありながらも、現代性をもたらすことが私の使命。そして、ここで見つけた一番の宝は、刺繍職人たちです。彼らは本当に素晴らしい人たちであり、私がこのメゾンの保存、継承、発展、そして輝きを守るという使命を果たすうえで、大きな支えとなってくれました。
メゾンのなかでのあなたの役割は、具体的にどのようなものなのでしょうか?
バレールさん:このメゾンの中心で私がすべきことは何かというと、結局のところたくさんあって、役割は自分の想像以上でした。単に刺繍をするだけではなく、「創造」をすること。それがもっとも大きなことです。また、創造の息吹を吹き込む必要もあります。メゾンで働く人々の「創造したい」という気持ちを引き出すのです。
そして、私が役割を果たす場所はふたつあります。ひとつはメゾンの内部、もうひとつはメゾンの外です。
メゾンの内部では、私はクリエイティブチーム、つまり刺繍職人やデザイナー、素材を探す人々とともにあり、私は一種のカナリザトゥール(導管)のような役割を果たします。推進力を発揮し、やる気を起こさせながら創造へと導くのです。
シャネルだけでも年間10のコレクションがあります。私はデザインもしますが、基本的には方向性を示すことが役目。つまり、私が正しいと信じる道へと、両方のヴィジョンをつなぎながら、刺繍の未来にも挑戦しています。私は刺繍の専門家として提案をしますが、決して押しつけることはしません。この仕事はとても幅広く、情熱的ですが、真の力は舞台裏にあり、必ずしも表からは見えません。年月を重ねるなかで、私の視点も変わり、世界とのつながりも進化してきました。今では「賢い年長者」を目指しています。
あとは、たとえば今のように、あなたと話すことです。メゾンを代表し、具現化し、ジャーナリストやメディアなど外部の人々とコミュニケーションをとること。私はこれまで自身の仕事でもそうした経験がありますが、今ではこうしてたくさんお話しする機会をいただいています。それが、とても面白い。私は、ルサージュの刺繍というこの唯一無二の遺産を伝え、発信することが大好きです。
それから外での役割としては、仕事の依頼主とメゾンをつなぐ架け橋になることです。だから、私はいくつもの帽子(役割)をかぶっています。たとえば、デザイナーとのコレクションの打ち合わせは、会話からスタートします。
カール・ラガーフェルド氏もそうでした。まず話すことから始まるのです。次のショーの場所だったり、浮かんだイメージだったり、ひらめきだったり…。「ムードボード」と呼ばれる資料や写真が送られてくることもあります。この過程で大切なのは、デザイナーの話に耳を傾けることです。
カール・ラガーフェルド氏は「刺繍は世界中に存在し、その形も価格もさまざまだが、唯一無二なのはパリの刺繍だ」と語っていました。この言葉をどのように解釈されますか? また、パリの刺繍がほかと違うのはどのような点でしょうか?
バレールさん:ルサージュの刺繍はいってみれば、パリの刺繍のひとつの表れです。パリの刺繍の象徴ともいえる存在で、その理由はパリで最も知られている刺繍だからです。そして今や、ファッション界において世界で最も有名な刺繍にもなっています。
フランス刺繍というのは、非常に特有のものです。刺繍の芸術の歴史を振り返ると、その起源は古代にまでさかのぼります。たとえば、中国の戦国時代(紀元前5~3世紀)には、金属の糸をわずかに使った刺繍がすでにありました。金糸とは限らないと思いますが…。
さらに刺繍の歴史をたどると、金糸の刺繍が登場するのは5世紀ごろのウズベキスタン、現在のペルシャのあたりです。ヨーロッパでは白い糸による刺繍、いわゆる白糸刺繍が盛んでした。コットンやウールの糸で刺繍されていたのです。
その後、十字軍の遠征によって刺繍はさらに豊かになっていきます。十字軍は、ウズベキスタンやペルシャからやって来る商隊と出会い、金糸や金のスパンコールを目にしました。当時のヨーロッパでは、繊維装飾としての金はあまり一般的ではなく、ジュエリーには使われていても、織物の装飾にはそれほど用いられていませんでした。
ヨーロッパへやってくる商隊は、多くが強大な力を誇っていたヴェネツィアやフランスを経由していました。というのも、当時のフランスはヨーロッパの強国だったのです。14世紀のフランスは、テンプル騎士団解散後から強固な中央集権体制を保っていました。経済的にも人口的にも大国であり、当然ながらフランスでは文化や芸術が重んじられていました。そして、地理的にもフランスは、まさに交易と文化の中心地に位置していました。あらゆる文化が交差する場所です。交易や文化的な交流が盛んになり、今でいう「ハブ」の役割を果たしていました。刺繍もその恩恵を受けて、発展していったのです。中世のフランス刺繍は「第一の芸術」とされ、絵画よりも重んじられることもありました。刺繍は極めて重要な芸術であり、王や貴族たちの権力を象徴するものでした。
そして、この物語はまだ終わっていません。マルコ・ポーロは中国へ旅した際、絹の繭を持ち帰りました。それがヨーロッパにもたらされ、フランスの刺繍がさらに豊かになったのです。ルネサンス期、フランソワ1世の時代には、フランス刺繍は非常に発展し、フランスはヨーロッパの中心になりました。ルイ14世は職人たちをコルポラシオン(組合)として組織し、刺繍を含むメティエダールを行政的に管理しました。王はフランスの豊かさと技術力を内外に示す「広報」の手段として、メティエダールを活用したのです。刺繍はそのなかでも重要な役割を果たしました。
その後、チャールズ・フレデリック・ウォルトが19世紀にオートクチュールを確立しますが、それ以前にもマリー・アントワネットとローズ・ベルタンが非常に大きな影響力を持っていました。ロシアのエカテリーナ2世もフランスのファッションに夢中で、そのことが外交問題にまで発展したこともありました。
こうして考えると、パリの刺繍というのは地理的にも文化的にもさまざまな影響を受けてきたことがわかります。フランスは「多様性」の国であり、刺繍もまたその象徴です。中国刺繍、インド刺繍、イタリア刺繍、それぞれに特徴がありますが、フランス刺繍はそれらを融合し、そこに〝批評精神〟を加えるのです。フランス人はよく批判的だと言われますが、それは物事に満足せず、常にその先を求める姿勢でもあります。たとえば、アジアでは師匠を敬い、忠実に模倣することが大切ですが、フランスは少し違います。師匠を驚かせ、超えようとするのです。それはファッションの面白さと重なります。ファッションは変化そのものです。刺繍は必ずしもそうではありませんが、多様性と時代性を持ち合わせています。そういった意味でも、パリの刺繍は唯一無二なのです。
最近では、「Louvre Couture」展のキュレーターであるオリヴィエ・ガベ氏がラジオで、「ルサージュはオートクチュールのなかのオートクチュールだ」と語っていました。ルサージュの刺繍はパリ刺繍の象徴であり、パリで最も認知され、今では世界のファッションシーンで最も有名な刺繍となっています。
ルサージュは7万5000点以上のアーカイブを保有していると聞いています。過去の作品と現代の刺繍に、特筆すべき変化や技術の進歩はあるのでしょうか?
バレールさん:〝美的進化〟というものは、常に続いているものです。たとえば19世紀末の刺繍を見ると、いかにも「マダム」といった感じがします。フランス流にいうと少し古めかしいデザインですね。1920年代のアールデコ期になると、よりモダンで素材もぐっと減ります。1980年代になると、1点のサンプルに50種類もの素材が使われることもありました。こうしたことは、まさに「時代の空気」なのです。
刺繍は時代の空気に寄り添うものですが、私はむしろ先取りするべきだと思います。私の考えでは、刺繍はそのサヴォアフェールと卓越性によって、トレンドを再定義し、ファッションを牽引する力を持っています。流行を追う必要はありません。それが、私が仕事の中で大切にしている精神です。ガブリエル・シャネルが「5分だけ先をいく」といっていたように。アトリエのなかで語り継がれているエピソードがあります。ガブリエル・シャネルとある記者との間で交わされたやりとりです。
「マドモアゼル、今年の流行はどんなものになりますか?」
「さあ、わかりませんね」
「えっ、どうしてわからないのですか?」
「まだコレクションが完成していないのですよ。1週間後に仕上がる予定です」
「そうなんですか?」
「ええ、まだ途中です」
「なぜ仕上げないのですか?」
「今、完成させたら、それはもう時代遅れになってしまいますから」
なんて素晴らしい言葉でしょう!
「では今、完成したものを振り返ってみるとどうでしょう?」
「今こうしてあなたに聞かれてみると、おそらく今ならこうはしなかったでしょうね。古くなったとはいいませんが、きっと違うものになっていたと思います」
私はこうした「時間の意識」が大好きです。刺繍もまさにそのようなものです。
ルサージュの存続のために、必要なことは何でしょうか? そして、もっと広く考えたとき、メティエダールが世代を超えて受け継がれていくには、どうしたらよいと考えますか?
バレールさん:重要なのは、伝承(継承)と革新の精密なバランスです。そのためには、さまざまな分野やレベルで、時代の流れに常に歩調を合わせていかなければなりません。
技術面において、私たちは常に伝統と革新のバランスを大切にしています。刺繍は何よりもまず、世代から世代へと受け継がれるサヴォアフェールの伝承です。いまだに中世の技法を使っているのは、保存のためというより、それ以上の技術が存在しないからです。たとえば、先ほどご覧いただいた「ポンセット」という道具。クリュニー美術館に行けば、昔の刺繍職人がポンセットで図案を写している古い版画を見ることができます。刺繍枠もほとんど変わらず、基本的な原理は今も同じです。振り返ってみると、唯一の大きな技術革新は1870年ごろに発明されたリュネヴィルのかぎ針でしょう。これによって刺繍のスピードが劇的に上がり、産業革命期の「より早く、より安価に」という時代の要請に応えました。かぎ針の習得は難しいですが、慣れると針よりもはるかに速く刺繍ができます。
ルサージュは常にイノベーションの最前線に立ち、周囲の世界に好奇心を持ち続けています。新しいテクノロジーは刺繍を置き換えるのではなく、今までできなかったことを可能にしてくれます。それでも本質は何千年も続く「人の手の動き」、すなわち人間の手の技です。AIがこれに取って代わることはできません。
もうひとつ重要なのは、世界への敬意、すなわちエコ・リスポンシビリティ(環境責任)です。私はこれが本当に実践されているか常に気を配っています。10年前はこうした話題はほとんどありませんでした。当時は創造性、革新性、クオリティ、卓越性、歴史、ステータスが重視されていました。現在は倫理やエコ・リスポンシビリティが重視される時代です。私たちの業界が世界のファッション市場のわずか5~10%であっても、模範を示さなければなりません。刺繍はごく小さな分野ですが、ルールを定め、周囲から倫理的に認められ、尊敬される仕事にする必要があります。そして皆がこの動きに参加することが大切です。
最後に、もっとも重要なポイントが「伝承」です。これは多層的に存在します。内部ではデザイナーや職人同士の伝承──アトリエの核となるのは、集団的知性です。
また、外部に対しても、私は参加型アトリエに来てくださる多くの方々にいつも感銘を受けています。好奇心から来る人もいれば、自分で刺繍に挑戦する人もいます。年齢やバックグラウンドもさまざまです。「こんな仕事があるなんて!」と驚く人も多く、これは大きな一歩です。長い間、私たちの仕事は「隠された存在」でしたが、今では一般の人々にも刺繍や羽根細工、手づくりのジュエリーの存在が知られるようになりました。私たちの仕事が「認知」され、ますます多くの若者がアトリエに加わるようになっています。
この情熱の伝承はルサージュのDNAに刻まれており、それゆえフランソワ・ルサージュ氏は1992年にルサージュ学校を設立しました。以来、世界中から4千人の生徒がこの卓越したサヴォアフェールに触れています。アトリエではこの伝承への情熱と「時代精神」を組み合わせ、特に若くて新しいメンバーには自分自身の視点や創造性を発揮することを奨励しています。 刺繍は身体を使う仕事で、職人同士が物理的にも近い距離で働きます。だからこそ、私たちはこれほどまでにこの仕事に夢中になれるのかもしれません。
le19Mのプロジェクトについて初めて耳にされたとき、どのようなご感想を持たれましたか? そして現在、le19Mはメゾンやメティエダールにとって重要な役割を果たしていると思われますか?
バレールさん:本当に素晴らしいプロジェクトだと思いました。le19M の話を最初に聞いた瞬間から、これは素晴らしい取り組みになると確信しました。なぜなら、建築家 ルディ・リチョッティ氏による設計で、職人である私たちのためだけの場所がつくられるのですから。「私たちのためだけ」というと、傲慢に聞こえるかもしれませんが、ここでいう「私たち」とは職人のことです。従来のアトリエはパリの小さなスペースに分散していましたが、ここは本当に機能的でモダン、洗練されています。
それに皆が一堂に会することは、クチュールの世界ではとても重要です。この環境は素晴らしい! ともに働くこともあれば、それぞれに別々の仕事をしつつ多くの交流が生まれることもあります。私はここで、多くのクリエイティブディレクターたちと出会いました。羽根飾り職人、ジュエリー職人、皆と直接会って話をします。ただの雑談ではなく、同じ創造の時間を共有し、一緒に呼吸するということです。ときにはともに仕事をすることもあります。
このプロジェクトは一貫性があり、力強く、明快でありながら、私たちに幸福感をもたらしてくれるプロジェクトです。皆でここに集まれることは、本当に喜びです。また、この場所があるおかげで、ギャラリーでの展示や一般のお客様を迎えることもできるようになりました。
今や、le19Mは広く知られるようになり、それはコミュニケーションの観点から見てもとても大きな成果といえます。メティエダールにとってはトレンドのインキュベーターとしても申し分ない存在です。さらに、クチュールの世界で働く人々は私たちと仕事をしたいと思ったとき、ここに来れば1日で複数の職人と面会できるのです。よいことしかありませんね。
これまでに手がけられたすべての作品の中で、最も印象に残っているものは何ですか?
その理由も教えてください。
バレールさん:いつも同じ答えになってしまうのですが(笑)、あえてふたつ挙げさせていただきますね。まずひとつ目は、「まだつくっていない作品」。これが一番です。なぜなら、私が興味をもっているのは常に「次の作品」なのですから。過去のことは、もう終わったことなのです。
ただ、これまでで「これは本当にクレイジーだった」と思うのは、やはり3Dプリンターを使ったシャネルのスーツですね。2015年のことです。シャネルのスーツを完全に3Dプリンターで作り、そのうえですべてを手刺繍で仕上げるというものでした。1年がかりのプロジェクトで、通常は1か月で仕上げるコレクションに、それだけ時間をかけて取り組みました。ファッション業界の人たちだけでなく、飛行機や列車の部品を作っているような工業系の人たちまで巻き込んで…。これこそが、これまでにない冒険でした。ガブリエル・シャネルの時代には想像もできなかったことがしたい、と考えたのです。ファッションは常に何かにインスピレーションを受けています。でも私は、「新しいテクノロジーで何かできないか」と思いました。なぜなら、シャネルの時代にはそういったテクノロジーが存在しなかったからです。そこで、オートクチュールのスーツを「縫い目なし」で作るという提案をしました。すべてを3Dプリンターで作り、シャネルらしいマトラッセ(キルティング模様)をデザインし、そこにスパンコールや機械織りのツイードを刺繍で装飾しました。とても大変な仕事でしたが、2着のスーツをつくり上げました。とても楽しかったですね。何より大きな挑戦でしたから。
とはいえ、正直に申し上げると、やはり私がいちばん好きなのは「これから作る作品」です。なぜなら、もし新しい挑戦やワクワクするような企画がなくなってしまったら、私はやめてしまうでしょう。
le19Mの設立以降、若者たちのメティエダールへの関心が高まっています。「ルサージュ」にも若い職人が増えているのでしょうか? 彼らにどのようなことを期待していますか? また、どんな願いを持っていらっしゃいますか?
バレールさん:私が彼らに期待するのは、「厳しさ」です。これはなかなか難しいのですが…。なぜならメティエダールとは「卓越性」を追求するものだからです。ですから、常に厳しさが求められます。決して手を抜かないこと。最初から最後まで、一貫してクオリティの高さ、非凡なクオリティに集中していなければなりません。もちろん、創造的であることも求められます。でも、それと同時に、非常に集中力を持って臨んでほしい。
さらに私が彼らに期待しているのは、彼ら自身の「ヴィジョン」です。彼らは若い世代です。私たちは同じ世界に生きていますが、見ているものや感じ方は違います。クリエイションの世界では、世代を超えた交流がとても重要です。日々感じることですが、本当に面白いと思うのは、刺繍のテーマを決定したときです。私は最初に大まかな方向性だけを提示します。たとえばひとつのデッサンを渡すのですが、それはどちらかと言えば「骨組み」、つまり指針のようなものです。その上にどう刺繍していくかは、皆に任せるのです。若い人たちのアプローチは、私自身や40代の職人が取るであろう方法とはまったく異なります。これがとても興味深いのです。もちろん、すべてが素晴らしいというわけではありません。そこで私の役割は、船の航海士のように舵を取ることです。私は予想もしなかったような新しいアイデアにたくさん出合い、よい意味で驚かされ続けています。それこそが、私が彼らに期待する「みずみずしさ」や「新しい視点」です。それがしっかりと育まれれば、未来はきっと明るいものになります。
私がいなくなるのは45年後くらいでしょうが(笑)。そのときにどうなっているか。でも、ルサージュは19世紀末から続いてきたのです。そして、これから何世紀も続いていくでしょう。私自身はいつか今の役割を終えますが、メゾンは若い世代のフレッシュな感性とともに歩み続けるのです。それが本当に素晴らしいことだと思っています。
Hubert Barrère
「ルサージュ」アーティスティック ディレクター

