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Culture
2022.05.01

子どもたちの心に多くのよき日本文化の記憶の種を蒔きたい【彬子女王殿下と知る日本文化入門】

この記事を書いた人

「日本の伝統文化が生き続けることができる土壌を形成したい」という、彬子女王殿下の思いに共鳴した有志一同で設立した心游舎。連載「彬子女王殿下と知る日本文化入門」、今回はその思いの出発点と、現在の心境について寄稿くださりました。

今でも鮮烈に脳裏に焼きついている、歌舞伎の体験

文・彬子女王
「子どもたちの心に日本文化の記憶の種を蒔く」

心游舎の原点は、私の初等科4年生頃の体験にある。今は亡き中村勘三郎さんと勘九郎くん(当時は勘九郎と勘太郎)の連獅子を見に行き、その迫力に圧倒されたのだ。歌舞伎とは何かも、物語の筋もわからない子どもだったけれど、あの赤と白の髪がぐるんぐるん回る映像は今でも鮮烈に脳裏に焼き付いている。そして、終演後に汗だくの勘三郎さんと勘九郎くんの姿を見たとき、子どもながらに、私は今すごいものを見てしまった、と思った。

本物の力は何もわからない子どもにも伝わる。だから私は、子どもたちにできるだけたくさんの本物の日本文化に触れる機会を提供して、子どもたちの心に多くのよき日本文化の記憶の種を蒔きたい。私が歌舞伎好きになったのも、初めての連獅子を見たときに蒔かれた記憶の種が芽を出したからである。私の連獅子と同じような経験を、たくさんの子どもたちにも経験してもらい、日本文化を大切に思うきっかけ作りをしたい。そんな思いで、私は心游舎を設立した。

親から子に伝えると言うこと。文化を継承すると言うこと。

そんな心游舎の活動も、令和4年4月1日で10周年を迎え、記念事業として、太宰府天満宮で二日間の平成中村座特別奉納公演とワークショップを主催することができた。演目は、中村七之助くんの藤娘と、中村勘九郎くんと中村鶴松くんの連獅子である。幼い私の心に種を蒔いてくれた、仔獅子だった勘九郎くんが、今度は親獅子となって舞ってくれる。私にとってこれ以上の幸せはなかった。

一調一管の演奏で場の空気が整うと、少しずつ日が暮れていく中で、藤娘が始まった。大きな藤の花のセットが開くと、藤色の衣装をまとった艶やかな七之助くんが現れた。ため息が出るくらい美しく、大きな歓声と拍手に交じって、「きれいだねぇ」とつぶやいている小さな子どもの声がどこかから聞こえた。本物の力は伝わっている。そう思えた瞬間だった。

二日とも、暮れなずんでいく空に白鷺が舞った。七之助くんの優雅な舞に誘われて、出てきたのかもしれない。終わってから、「あれは演出?」と聞かれたくらい、風の音も葉擦れの音も鳥のさえずりも、高い空から聞こえる飛行機の音さえも、すべてが自然に調和した美しいひとときだった。

そして、いよいよ連獅子である。藤の花のセットが静かに開くと、ライトアップされた楼門の前に囃子方の皆さんがずらりと並んでいた。ああ、平成中村座だ…と思った瞬間、涙が出そうになった。揚幕が上がり、狂言師右近と左近が登場。何十回見た演目かわからないけれど、いつも変わらずこの瞬間は胸が高鳴る。大きな拍手を送る中で、出てきた鶴松くんの表情がこわばっているのが少し気になった。緊張しているのだと思うけれど、一つ一つの動きがなんとなく固い。後シテの毛振りの場面では、完全に勘九郎くんに置いていかれてしまっていた。でも、勘九郎くんの「ここまで絶対に上がって来いよ」という熱い思いのこもった圧倒的で見事な毛振りと、鶴松くんのそれでもなんとか食らいつこうとする姿に、親子の愛と絆を感じたのだった。

そして翌日。歌舞伎好きの私も、一か月の興行中、「もう一度見たい!」と同じ演目を二度三度見に行った経験はあるけれど、二日連続で同じ演目を見るのは初めてだった。ここで私は驚きの光景を目の当たりにする。鶴松くんの仔獅子がたった一日で見事な成長を遂げていたのである。

出てきたときに、鶴松くんが前日よりも落ち着いているように見えて、ほっとした。すっかり身内気分で見ている自分に気付いて笑ってしまう。そして、前シテの見せ場でもある、親獅子が仔獅子を谷に突き落とす場面がやってきた。一瞬のためらいの表情の後に険しい顔で、仔獅子を蹴り落とす親獅子。ごろごろと谷底に転がり落ちていく仔獅子。「あっ!」と声が出そうになった。二人の間に、前日は見えなかった崖が見えたのである。心配そうな表情で崖下を見る親獅子、そして水面に映った父の姿を見て奮い立った仔獅子は、一気に崖を駆け上がる。迎える親獅子の慈愛に満ちた表情も、心なしか前日よりうれしそうだ。二人が立っているのは舞台であることをいつしか忘れているくらい、切り立った崖がそこにはあった。それは背筋がぞくぞくするような体験だった。

後シテでも、まだまだ荒削りではあるけれど、息の合った毛振りを見せてくれた二人に、会場の拍手はいつまでも鳴りやまなかった。久しぶりの心を揺さぶられる体験に、ぼんやりしたまま退場すると、目の前に汗だくの勘九郎くんと鶴松くんが現れた。舞台袖で、私が出て来るのを待っていてくれたのである。二人の顔を見た瞬間、初めて連獅子を見たときの勘三郎さんと勘九郎くんの顔がフラッシュバックして、二人の顔に重なった。そこから30年のいろいろなことが甦ってきて、鶴松くんの顔を見ながら、「一日で仔獅子の成長を見られて、感動したよ~!」と言って泣いていた。

『石橋図(しゃっきょうず)』 曾我蕭白 メトロポリタン美術館 親らしき獅子が子を心配そうに見守る

親から子に伝えると言うこと。文化を継承すると言うこと。二人の連獅子にそのすべてが詰まっていた。心游舎の思いをそのまま具現化したような、軌跡であり、奇跡のような2日間だった。

舞台を見てくれた子どもたちが、毎日連獅子の絵を描いているとか、とことこ歩き回っていたのに、舞台が始まった瞬間から口を開けたままおとなしく見ていたとか、家で毛振りの真似をしているとか、多くの声が届いている。子どもたちの心に、中村屋の皆さんが記憶の種をしっかりと蒔いてくれた。いつ芽が出るか、もしかしたら一生芽を出さない種かもしれないけれど、この記憶の種を蒔く作業を、私はこれからも心游舎の活動を通して続けていきたいと思っている。この奇跡をカタチにしてくれたすべての方たちに、心からの感謝を込めて。

心游舎提供

一般社団法人心游舎

※アイキャッチの画像は心游舎提供

書いた人

1981年12月20日寛仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。

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