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和歌で読み解く日本のこころ
馬場あき子さんに聞く和歌入門
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現代人にも響く『源氏物語』の恋模様
おふたりはお話のなかで、それは歴然とした男性中心の社会の中で、女性にとって歌だけが自分の思いの丈を託すことができた唯一の手段であったことをあげています。そして、どんな社会状況であっても、恋の想いには変わることがない普遍の感情が表されていたことがわかってきます。五、七、五、七、七、たったの31文字の歌に込められた、ときに穏やかに、ときに熱烈な感情は、まさに日本の女性歌人たちが残した恋文であったのです。
そんな観点で語られる、歴史に名を残す女性たちの恋の歌についてお話を読むと、難しいと感じられる和歌がぐっと身近なものに感じられるようになります。
古来、女性にとって和歌とはどんなものだったのでしょうか
小島ゆかり(以下、小島):日本の女性の歌を振り返ってみたとき、私は恋の歌というのが非常に大きなウェイトを占めていると思うのですが、馬場さんはどう思われますか?
馬場あき子(以下、馬場):私は、恋という感情には変化などなく、昔も今もまったく同じだと思うの。そんな恋の歌をどう読んでいけば面白いのか。それは、それぞれに異なっている場面に注目するのが重要だと思います。
小島:一首の場面もあれば、平安時代の周防内侍(すおうのないし)の「手枕の歌」(※注1)や右大将道綱母(※注2)の『蛸蛉(かげろう)日記』、『源氏物語』など、物語との関連もありますよね。それぞれの時代性や場面を踏まえて読むと、歌が引き立ってくる。
馬場:それぞれの場面が、非常に具体的だから、情感が湧いてくるんですよ。
小島:そうですね。周防内侍の「手枕の歌」は、簾(みす)ごしに腕枕をしようとしているわけでしょう。それをやるには相当長い腕じゃないといけない・・・。
馬場:別に直接腕を枕にしなくてもいいのよ(笑)。簾の向こうに直衣(※注3)の豊かな袖がちょっぴり見えてさえいれば。
小島:あ、とんでもない思い違いをしていました。てっきりマッチョな長い腕がにゅっと差し出されたのかと(笑)。直衣なら情緒がありますね。
馬場:そう錯覚させるからこそ、その歌は今読んでも生きてるんじゃないかしら。
小島:そうですね。でも、あれは歌の贈答における、言葉遊びですよね。一方で、たとえば、文学博士の中西進さんは、古典和歌の愛を英語で言うと「I love you」ではなくて「I miss you」だと言われます。相手の不在に対する感情。それが恋の歌に連綿と続いている。
馬場:女って恥ずかしげもなく歌えるのよ。面白いことに、歌人の佐佐木幸綱(ゆきつな)さんが書いた、『男うた、女うた ― 男性歌人篇』に恋の歌は三首だけ。男は恋の歌が下手。女は閉ざされていて、簾の中から見るしかありませんでした。男の人に会うチャンスがなく、すごく思い込んでいたから、恋の歌も上手くなったのよ。
小島:女の歌は、恋の歌で磨かれてきたんですね。現代でも、いい歌ができるのは、苦しみの中で何かを断念して抜けたとき。天から言葉が降ってくるような・・・。
馬場:歌ってそういうもの。満ち足りているときには、あまりいい歌ができません。
Profile 馬場あき子
歌人。1928年東京生まれ。学生時代に歌誌『まひる野』同人となり、1978年、歌誌『かりん』を立ち上げる。歌集のほかに、造詣の深い中世文学や能の研究や評論に多くの著作がある。読売文学賞、毎日芸術賞、斎藤茂吉短歌文学賞、朝日賞、日本芸術院賞、紫綬褒章など受賞歴多数。『和樂』にて「和歌で読み解く日本のこころ」連載中。映画『幾春かけて老いゆかん 歌人 馬場あき子の日々』(公式サイト:ikuharu-movie.com)
Profile 小島ゆかり
歌人。1956年名古屋市生まれ。早稲田大学在学中にコスモス短歌会に入会し、宮柊二に師事。1997年の河野愛子賞を受賞以来、若山牧水賞、迢空賞、芸術選奨文部科学大臣賞、詩歌文学館賞、紫綬褒章など受賞。青山学院女子短期大学講師。産経新聞、中日新聞などの歌壇選者。全国高校生短歌大会特別審査員。令和5年1月、歌会始の儀で召人。2015年『和歌で楽しむ源氏物語 女はいかに生きたのか』(角川学芸出版)など、わかりやすい短歌の本でも人気。
※本記事は雑誌『和樂(2005年9月号)』の転載です。構成/山本 毅
参考文献/『男うた女うた 女性歌人篇』(中公新書)、『女歌の系譜』(朝日選書) ともに著・馬場あき子