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大人だけが知っている!「静寂の京都」

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Culture

2024.08.01

伝統を未来に繋ぐ。「お祭り」を大切にする町の力【彬子女王殿下が次世代に伝えたい日本文化】

夏祭りの季節になった。年々暑さは厳しくなっているような気がするけれど、花火大会や夏祭りのために、浴衣を着ている人たちを見かけると、さわやかな風が一瞬吹き通ったような気持ちになる。

子どもの頃は、夏祭りの屋台でわたあめやかき氷、りんご飴を買うのが楽しみだった。ピンクや水色の大きなわたあめは、絶対食べきれずにしぼんで固くなってしまうのがわかっているのに、なぜかいつも食べたかった。お祭りでしか食べられない食べ物だったからだろうか。手や口はベタベタになるし、舌は真っピンクや真っ青に染まる。今思えば、なんと体に悪そうなものを喜んで食べていたものかと思うけれど、昼間の暑さがじんわりと残る宵闇の空気と、たれやソースの焦げる匂い、甘い砂糖や油の匂いが入り混じった「お祭りの匂い」と共に、忘れえぬ夏の記憶として、今も深く心に刻まれている。

「祭」といえば夏を想像するのはなぜ?

古来「祭」といえば、上賀茂神社と下鴨神社の一番大きなお祭りである賀茂祭(葵祭)のことを指した。でも今「祭」といえば、夏祭りの印象を持つ人が多いのではないだろうか。春祭りや秋祭りは、農作物の豊穣を祈り、感謝するお祭りだけれど、夏祭りは農作物の風水害除けや疫病退散を祈るものが多い。日本のお祭りは、稲作、つまり農事暦と密接に関わっているけれど、冬にお祭りがあまりないのは、冬場は農作業が一段落しているということがあるのだろう。対して夏は、草取りなどの作業も多く、虫や病気の害なども起こりやすい。暑い中の作業で疲労もたまる。暑さや湿気などで病気も流行りやすい。夏祭りは、お盆や七夕などの年中行事と関わっているものが多いけれど、御神輿が出たり、行列を組んだりと、大掛かりなものが多いのは、大勢で大騒ぎをして、日々の疲れや悲しみを発散させるという役割があるのではないだろうか。

『賀茂祭草紙(模本)』狩野晴川院養信摸 colbaseより
5月15日に行われる賀茂祭(葵祭)。古くは旧暦4月中の酉の日に行われていた。

元気な町には、お祭りがある

日本全国様々なお祭りに参加してきたけれど、お祭りがにぎやかに行われるところは、町が元気である。京都の祇園祭、福岡の博多祇園山笠、青森のねぶた祭、大阪の天神祭など、町の方たちがお祭りに誇りを持っておられ、各々が情熱的にお祭りの魅力を語ってくださる。お祭りの時期は、町全体が熱に浮かされたようで、不思議な高揚感に満ちる。当事者でなくても、その熱が伝染し、いつの間にか共鳴して心が浮き立つ。毎年お祭りの時期が近づくとそわそわし始め、お祭りが始まると仕事もそっちのけでお祭りに全力投球。大人があんなに真剣に、夢中になれるものがあるというのは、とてもうらやましいといつも思う。

その大人の熱量は子どもにも自然と伝わっていく。小さなころから稚児の役をしたり、お囃子をしたり、踊りに参加したり。夏の時期にはお祭りに参加するのは当たり前だと思っている。お兄ちゃんが行列や踊りで重要なお役を任されるのを見て、「大きくなったら自分もやる!」と、心に誓う弟くんも多い。お祭りでは、こういった伝統の継承というものがとても自然に行われている。その様子はとても美しく、清々しい。

震災後も途切れることなく続く、山田祭

以前、岩手県の山田町で斎行される、山田八幡宮神幸祭と大杉神社神幸祭からなる山田祭に伺ったことがある。山田町は東日本大震災で壊滅的な被害を受け、大杉神社は鳥居一つを残し、御社殿は御神輿も郷土芸能の道具もすべて津波で流されてしまった。山田町では、盆暮れ正月は帰らなくても、9月に行われる山田祭には必ず帰省するという人が多いのだという。お母さんのお腹にいるときから祭囃子を聞き、大人が意気揚々と御神輿を担ぐ姿を見て育っているので、山田祭がDNAに刻まれているのだと宮司様は話されていた。

山田八幡宮神幸祭で鳥居をくぐる御神輿

2011年9月。東日本大震災から半年、復興もまだまだ道半ばという中で、境内の中のみで復興祈願例大祭が山田八幡宮で斎行された。きっかけは、町内のお不動さんのお祭り。多くの町民の方たちが避難所や仮設住宅での生活を余儀なくされている頃であったけれど、そのお祭りで子どもたちが本当に楽しそうな表情を見せていたのだという。子どもが楽しそうだと、親やおじいちゃんおばあちゃんもうれしくなる。「神輿がないなら、ないなりの祭りの形がある」と感じられた宮司様による決断。1年でも間が空くことで、子どもたちに引き継いでいくべき郷土芸能も途絶えてしまう可能性もある。復興、そして継承のためにお祭りを行うことを決められたのだそうだ。結果として震災以来、お囃子の音色は一度も途切れることなく、9月の山田町に響き続けている。

心游舎では、震災で命を失われた方々の御霊が安からんことを願って、山田八幡宮で匂い袋作りのワークショップを開催したことがある。神社に着くと、地元の皆さんが郷土芸能である大神楽と虎舞で、我々を歓迎してくださった。発災から6年がたつ頃だったので、子どもたちの中には震災の記憶がないという子も多くいた。でも、皆が立派な踊りを披露してくれ、「今年もお祭りが楽しみ!」と口々に話してくれた。お祭りが地域と人、そして人と人をつなぐ役割を果たすと共に、復興の原動力となっていることを実感し、胸が熱くなった。

お祭りを大事にしておられる地域は、町全体にエネルギーがある。逆に地域のお祭りが様々な事情でなくなると、急激に人同士の結びつきが薄れ、様々な文化が廃れていってしまっているような気がする。地域の人たちがその地域を好きになり、誇りに思うことが、文化を守り、伝えていく第一歩なのだろう。記憶と伝統の伝承装置としてのお祭りを大切にしていかなければと改めて思った。

山田八幡宮で行われた心游舎ワークショップで、氏子さんと共に餅つきに参加される彬子女王殿下

撮影:永田忠彦

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彬子女王殿下

1981年12月20日寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。
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