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Culture

2024.10.01

心を込めて作る紙のお花。石清水八幡宮の「御花神饌」【彬子女王殿下が次世代に伝えたい日本文化】

今から10年以上も前のこと。仕事の打ち合わせで、京都市伏見区にある植物染の工房、染司よしおかを訪ねた。今は亡き先代の吉岡幸雄先生に連れられて染め場に向かうと、紫と白の縞に染め分けられた不思議な和紙が干してあった。「これは何ですか?」と伺うと、「あぁ、これ石清水八幡宮のオハナシンセンやねん」と先生。オハナシンセンが脳内で漢字変換できず、完全に固まる私。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。「オハナシンセンって何ですか?」と伺うと、9月15日に石清水八幡宮で行われる勅祭石清水祭でご神前にお供えされる12台の四季を表す造花を「御花神饌」と言うことを教えてくださった。

紫と白の和紙は杜若(かきつばた)の花になるという。御花神饌は供花神饌とも言い、石清水八幡宮にお祀りされている三柱の御祭神御一方ずつに、春夏秋冬1台ずつのお花をお供えするのだと教えてくださった。竹、梅、桜、紅葉、菊など、色とりどりの美しい植物、そしてそれぞれに鳳凰、鶯、蝶、鹿、鶴などの動物を合わせて配する。これは石清水祭が、旧暦8月15日、御祭神である八幡大神(はちまんおおかみ)が男山の裾を流れる放生川に魚鳥を放ち、生きとし生けるものの平安と幸福を願う祭儀として始められた放生会(ほうじょうえ)に由来するからなのだそうだ。

神饌を通じてつながる、石清水八幡宮の成り立ち

神饌(しんせん)と言うと、その字の通り神様にお供えするお酒や食べ物などを指すけれど、紙のお花をお供えするというのはあまり聞いたことがない。「神仏習合やったころの名残なんやろなぁ。ほら、東大寺のお水取りや薬師寺の花会式(はなえしき)とかであるやろ?」と先生。石清水八幡宮の供花神饌には、蓮の花が含まれていたが、神仏分離の後、仏教的な要素が強いということで、夏椿に変更されたのだという。

その話を聞いて、子どもの頃、確か大河ドラマで源頼朝が「南無八幡大菩薩」と唱えて馬で駆け出すシーンがあったことを思い出した。源頼朝の父、義家は石清水八幡宮で元服し、八幡太郎義家と名乗ったことはよく知られている。石清水八幡宮は源氏の氏神神社として篤く信仰を集め、頼朝も参拝した記録が残っている。その頃は全く疑問に思わなかったけれど、八幡とは八幡大神のこと。八幡大神に仏教の称号を奉ったのが八幡大菩薩。神様と仏様が合わさったお名前だったことと、蓮の花の話がつながり、石清水八幡宮の成り立ちをようやく理解できたような気がした。

第14代将軍・徳川家茂の上洛を描いた、『東海道名所之内 石清水』
歌川広重/国立国会図書館デジタルコレクションより

神様に手作りの花をお供えする喜び

このとき、吉岡先生が「彬子さんも作ってみるか?」とお声がけくださり、供花神饌作りをお手伝いさせていただいた。パーツに分けられた和紙の花びら、しべ、葉、茎を、ご飯をつぶして作った糊で丁寧に貼り付け、組み立てていく。芯にする針金以外は、すべて自然由来の素材で作る。なるべく旧来のものに近い形で作りたいという先生の思いの表れである。不器用ではあるが、細かい作業を一心不乱にするのは大好きである。上手にできたとは言えないけれど、心を込めて作った庚申薔薇(こうしんばら)を後日工房にお届けした。

9月15日。午前2時ころより始まる石清水祭に参列させていただいた。三基の御鳳輦(ごほうれん)に乗られた神様が、ご本殿から山麓の頓宮(とんぐう)にお下りになる。儀式が進み、夜が白々と明けるころ、頓宮のご神前に供花神饌が奉られる。石清水祭の時以外使われない木造で色味のない頓宮が、輝きを帯びる瞬間である。参列者の眠気がピークに差し掛かる時間帯ではあるが、私の眠気は一気に吹き飛ぶ。それほどまでに、ご神前に並ぶ供花神饌は神々しく、きらめいて見えるのである。

祭儀が終わり、久しぶりに再会した私の庚申薔薇は、神様のお花になっていた。自分の手元にあったときは、紙で作られた花としか思えなかったけれど、ご神前で仰ぎ見たそれは、手で触れるのもはばかられるような崇高な空気をまとっていた。神様が喜んでくださったのだと心から感じ、とてもありがたい気持ちになった。

供花神饌の記憶を次世代へ

この喜びを子どもたちにも味わってほしいと思い、心游舎は創設時から供花神饌作りのワークショップを行っている。当初は子どもたちを対象にしていたけれど、最近は神職の資格を取れる過程のある國學院大学と皇學館大学で毎年交互に開催している。将来神社でご奉仕するであろう学生さんたちが、どのようにご神饌が作られているかを知るのはとても有意義ではないかと思ったからである。実際は神道学科ばかりでなく、様々な学部学科の学生さんが参加してくれており、「こんなことがない限り、供花神饌について知ることはなかった」などと言いながら手を動かしてくれるのを、いつもありがたく見つめている。

2018年「心游舎」供花神饌ワークショップにて

作り方は染司よしおかの皆さんが説明してくれるのだが、気付くと一つの班で流れ作業の仕組みができていたり、手の分厚い男子学生の子が意外と器用だったり、先生が悪戦苦闘しておられたり、それぞれの性格がじわりと表れていて興味深い。「上手に作ろうと思わなくていいので、神様がご覧になるお花だということを思いながら、心を込めて作ってください」とお願いする。終わった後は皆一様に誇らしげな顔をしているのは、神様のお花を作ることができたという気持ちに満ちているからなのではないだろうか。

ただ、その学生さんたちに神様のお花を目にしてもらえることはあまりない。何しろ石清水祭は、夜中の2時から朝9時ころまで続く過酷なお祭りのため、心游舎理事でもなかなか参加表明をしてくれないのである。でも、将来石清水八幡宮と聞いたときに、あの荘厳なお祭りでお供えされるお花を作ったことの記憶は呼び覚まされるだろうと信じている。

撮影/永田忠彦

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彬子女王殿下

1981年12月20日寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。
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