勤務先の京都産業大学文化学部で、私は京都文化特殊演習という授業を受け持っている。学生さんたちに、心游舎のワークショップを企画・運営・実施してもらうという半年間かけて行う授業である。毎年私がワークショップをしていただく講師を選び、授業の前半で講師にお話しをしていただき、学生さんたちにその京都文化について理解を深めてもらう。その知識を踏まえて、子どもたちが参加して面白いと思うワークショップのアイディアを出し合い、講師や会場となる上賀茂神社の方との調整を学生主導で行いながら、参加者募集、広報活動を続け、ワークショップ当日を迎えるというものである。
即位の礼にむけた、ワークショップの開催
毎回の授業で話し合う内容を決めるのも、授業中の司会や書記、会計や広報を担当するのも学生さん。学生というよりは、社会人の卵として求めることが大きいので、本当に大変だと思うし、時には厳しいことを言うこともある。それでも学生さんたちは、毎年必ず食らいついてくる。一様に成長した姿を見せてくれるし、ワークショップが無事終了した時の達成感に満ちた顔が並んでいるのを見ると、この授業をやってよかったといつも思う。これを最後に巣立っていく学生さんがほとんどだけれど、社会人になったときに、この授業での経験が生きる日がくるといいなと願っている。
檜皮葺、和菓子、日本舞踊、お出汁など、様々なテーマで開催してきたが、「今年はこれ以外ない」ということで決定したのが、2018年度の「ようこそ装束の世界へ~即位の礼にむけて~」というワークショップだった。翌年に迫った即位の礼で皇族方が身に着けられる古式ゆかしい装束をテレビなどで見た時に、子どもたちに少しでも身近に思ってほしいということで、準備を進めた。子どもたちが実際に装束を着てみたり、装束に関するクイズや襲色目のかるたをしたり、貝合わせ体験をしたり。平安貴族になりきっての写真撮影会は大いに盛り上がった。
ワークショップ中、一際大きな歓声が上がったのが、「もぬけのから」の実演だった。唐衣(からぎぬ)・裳(も)から成る女性の正装である、いわゆる十二単は一本の紐で止まっている。上に衣を重ねて紐で結んだら、下の紐を抜き取るので、最後に残るのは一番上に結んだ紐のみになる。そのため、紐を解いて、小袖と袴の状態で一歩前に出ると、重ねた装束だけが後に残る。これが「裳脱け(もぬけ)の殻(中身が空っぽ)の状態です」とモデルになっていた学生さんがやって見せると、「おお~!」と会場中から大きな拍手が響いた。普段何気なく使っている言葉の意味を実際に目の前で見るというのは、なかなかない経験だったのではないだろうか。
一世一代の儀式「令和の御大礼」の参列
このワークショップから半年以上の時を経て、私はこの装束を身に着ける機会に恵まれた。令和の御大礼に参列するためである。実は女性皇族がまとわれる装束は、同じように見えるけれど微妙に異なっている。御年嵩の妃殿下は濃い目、お若い妃殿下は薄目の襲色目になる。そのため、平成の御大礼の際に三笠宮妃殿下がお召しになった装束を高円宮妃殿下が、高円宮妃殿下がお召しになったものを承子女王殿下というように、御年齢に応じてスライドさせる形で令和の御大礼ではお召しになった。私は常陸宮妃殿下がお召しになったものを着せていただいた。既婚の女性は緋色の袴、未婚の女性は黒みがかった紫色である濃色(こきいろ)の袴となる。平成の御大礼では、未婚の女性皇族は紀宮殿下だけだったので、濃色の袴は令和の御大礼に合わせて数腰新調されたはずである。
本番前に装束の着装の習礼(しゅらい)が何度か行われる。初めて着たときは、その重さにとにかく驚いた。大垂髪(おすべらかし)の鬘が5キロ、装束が12キロあるのである。小袖と長袴の上に単(ひとえ)を羽織り、五衣(いつつぎぬ)を重ねた瞬間に肩にずしりと重みがかかる。五枚の袿を重ねたもの(襟元と袖口のみで、実際に五枚重なっているわけではない)なので、一連の装束の中では一番重い。私はこの肩にかかる重みに、伝統と皇統の重みを強く感じた。これが重みを背負うということなのか、と。1000年以上前の衣装を守り、伝え、現代で着る。そんな国は世界広しと言えども、日本だけなのではあるまいか。一世一代の最も重要な儀式に参列させていただけるという責任と重圧を、この重さが感じさせてくれているような気がした。
この装束の着装を続けるうちに、気付いたことがある。装束は、重いし、何枚も重なっていてごわごわするので、意識しなければ手は横に開いてしまう。適切な表現かわからないけれど、クリオネのような状態と言えばわかりやすいだろうか。宮殿の休所での待ち時間、同じお部屋だった承子女王殿下と写真を撮り、後日送っていただいた写真に写っていた自分の姿を見て思った。「英照皇太后のお写真のポーズと同じだ」と。
孝明天皇の女御である英照皇太后と伝わる十二単のお姿のお写真を見たことがあるのだが、お体の前で檜扇をお持ちにならず、右膝の上に置かれて若干傾いていらっしゃる。「お側の方は何も申し上げなかったのかしら?」と、畏れながら思っていたのだが、これが一番お楽な姿勢だったのだということに、自分が着てみて初めて気づいた。今は一瞬でカメラのシャッターは切れるけれど、当時は同じポーズのまま数分間動かずにいなければならず、重い装束姿ではあれが最適の姿勢であったのだろうと心の底から納得した。
歴史や文学などを学ぶとき、当時の時代背景や状況、生活などを想像しながら読まないと、正しく理解できない、とよく学生さんには言うのだけれど、脳内ですべての点がピピピとつながって線になる、研究者としても、皇族としても、この上なく幸せな体験だった。
連載【彬子女王殿下が次世代に伝えたい日本文化】は、本記事で最終回となります。新連載は5月より掲載予定です。お楽しみに。