『国宝』鑑賞をきっかけに、実際に歌舞伎を観劇しに行く人も随分と増えたようです。そんな今だからこそ、「歌舞伎のアレコレをその道の方から教えていただきたい!」と思い、今回は歌舞伎役者であり“立師”※1である市川猿四郎さんにお話を伺いました。
日本舞踊を習ったことが歌舞伎との出会いに繋がった
猿四郎さんが伝統芸能の世界に足を踏み入れたのは、芸事を始めると上達しやすいと言い伝えられている、数え年で6歳になる6月6日。お祖母様の勧めで日本舞踊を始められました。稽古に励むうちに、日本舞踊を好きになり、それがきっかけで歌舞伎を観にいったそうです。そこで衝撃を受けたことが、猿四郎さんの人生を大きく動かしました。その時舞台上で演じていたのが、後に猿四郎さんの師匠となる三代目市川猿之助(現・猿翁)さんだったそうです。

「『義経千本桜』の四の切(『川連法眼館』の段”の略称)※2を観た時に、かっこいい、こんな人がいるんだとビックリして、自分も同じ舞台に出て、同じ空気を吸いたいと思いました」と猿四郎さん。
その後、国立劇場養成所※3の歌舞伎俳優研修の門を叩き、2年間たっぷりと歌舞伎のイロハを学んだそうです。朝から夕方まで、週休2日で行われる研修は、お芝居だけでなく三味線や鼓、お化粧など……多岐に渡るカリキュラムを習得します。そんな学び溢れる2年間を経て、師匠の門下へと入った猿四郎さんは、そこからいよいよ歌舞伎役者としての歩みをスタートさせます。
このように歌舞伎の家柄に生まれなくとも、歌舞伎役者を目指せることを初めて知った僕は、養成所のシステムがあることが素晴らしく、伝統を未来へ繋ぐ大切なファクターであるとも感じました。

毎日が本番という日常を生きるプロ集団
かねてから歌舞伎は本番に向けての稽古日数が非常に少ないという噂を耳にしていたので、それについて猿四郎さんに尋ねてみました。すると驚くべきことに、なんと最低3日間の稽古があれば、本番に臨めるとのこと。僕がこれまで出演させていただいた舞台作品では、最低でも一ヶ月程度の稽古期間があった事を考えると、そのスピード感にびっくり仰天しました!

3日間の内容とは、まずは囃子方(はやしかた)※4さん立ち会いのもと、全体の流れをさらい、必要であれば途中で止めながら確認・調整を行う附立(つけたて)※5をし、次に総ざらいという通しリハーサルを行います。そして最後は公演会場にて本番さながらに行う舞台上での稽古となるそうです。それにしても、何故こんなにも短い稽古期間で本番に臨めるのでしょうか。
「それぞれが自分の役に対してしっかり準備をしてきたうえで集まり、『よーいドン』で稽古合わせをします。初めて挑戦する役であれば、準備段階で経験者の先輩に教わることもあります。歌舞伎は約25日間舞台に出させていただくので、毎日が日々鍛錬です。また月が変わればすぐに次の演目が始まることも多いので、そういう時は公演に出ながら、次の演目の準備も同時に始めていきます」と猿四郎さん。
このような短い稽古期間で成立するのは、各自が準備を怠らないというプロ意識と、強い責任感が根幹にあるからなのでしょう。もちろんその下地には、研鑽を積んだ高い技能があるからこそ、短時間で完成度の高い舞台ができるのだと思いました。
さらに、猿四郎さんがおっしゃるのは、“舞台に立てる喜び”が大きいからなのだとか。稽古期間が短く、本番の期間が長い歌舞伎だからこそ、毎日の舞台に立てることが役者として何よりの喜びであると、幸せを噛み締めるように語る姿からは、芸事に生きる人の根源的な情熱がひしひしと伝わってきました。
歴史に育まれた古典を宝に、新たな芸能へチャレンジ
猿四郎さんは歌舞伎役者であり、立師でもあります。歌舞伎の魅力的な要素は挙げたらキリがありませんが、その中でも立廻りは重要な見せ場です。猿四郎さんが担当されたのは、記憶に新しい演目でいうと、歌舞伎版『ルパン三世』である『流白浪燦星』※6の立廻りです。実際に舞台での動きを作る際には、どういった事を大切になさっているのでしょうか。
「歌舞伎は舞台監督、演出がいません。主役を中心に舞台を作り上げていきます。長い歴史の中で研究され、あらゆるパターンが生み出されてきたからこそ、僕は古典は宝物だと思っています。そこにはいろいろなヒントが散りばめられているので、それらを現代の映像や照明、あるいはアクションと組み合わせるとどうなるか、という風に考えていきます。だから僕が作る立廻りの根本は、やっぱり古典がベースなんです。歌舞伎はその名の通り、音楽・舞踊・演技の3要素であり、それを壊さないように作れば、現代風にしても歌舞伎になるんじゃないかと思っています」。

受け継がれてきたものを大切に守り、それを宝物と表現し、作品の中に活かしていく。その営みは、まさに過去と未来を繋ぐことでもあるように感じました。古典からヒントを得て、新作の歌舞伎が構築される。そして今の新作が遠い未来には、古典の一つとなり、また次なる作品の礎になる。そんな遥かな時間を超えていく繋がりに、胸が熱くなってしまうのは僕だけでしょうか。
ちなみに台本の指示はザックリしていることも多いようで、“立廻り、よろしくあって”や“面白き立廻り、存分にあって”などといったト書きしかなかったりするそうです。だからこそ立師の手腕がキラリと光るのでしょう。今後はより一層注目して観劇したいと思います。
実際に立ち廻りの稽古を体験。そのスピード感に圧倒される
そんな立廻りを今回は少しだけですが、猿四郎さんに手ほどきいただきました。主役を引き立てる役が使う“搦み(からみ)”と言われる棒の使い方を、懇切丁寧にレクチャーいただいたのですが、棒を手足同然に使えるようになるまでの道のりの遠さを実感。シンプルながら、奥深い技術に気付けば汗だくになりました。

「立廻りの動きにはそれぞれ名前が付いていて、『千鳥』※7で、『山形』※8で入れ替わって、『からうす』※9して、回って『トンボ』※10みたいな口頭の説明でも理解できるんですよ。みんなプロなので、言葉の指示だけで動きを合わせていけるんです」と猿四郎さん。先述の通り歌舞伎は稽古日数が少ない中でやるべきことが多くあるからこそ、立廻りはコンパクトに確認をしていくだけなのだそうです。もちろん入念に合わせる必要がある場合は、しっかり時間を使うわけですが、そういった臨機応変なスタイルも、役者さん達のプロとしての心と技、そして共通言語を用いての体系化といったピースが揃っているからこそできることなのでしょう。流石(さすが)という他ありません。

ちなみに舞台稽古に入るまで刀は使わず、代わりに扇子を刀に見立てて稽古をするそうです。長さも重さもまるで違うけれど、イメージで補って十分に本番レベルまで持っていけてしまう。うーん、これまた唸るばかりの僕です。実際には役者さん同士入り乱れる中で刀や棒を振り回すわけですから、さらに神経も使うのだろうな……などと想像し、またまた歌舞伎役者さんの凄みを感じるエピソードとなりました。

未知なる筋肉が悲鳴を上げた見得切り
今回はもう一つ、猿四郎さんにご指導いただきました。それが見得(みえ)。歌舞伎の象徴的なアクションです。ここぞという重要な場面で、印象的なポージングからのストップモーション。舞台では映像のようにズームアップができないからこそ編み出された、客席の目線と意識を一気に引き寄せるため技法です。

まず第一に感じたことは、猿四郎さんのお手本があまりにもかっこいい! 何といっても体の芯がビシッと通っていて、力強さとキレがあるだけでなく、色気をも感じさせる洗練された動きです。僕も何とか食らいつこうと頑張ってみますが、鏡を見て猿四郎さんの姿に近付こうとすればするほど、今まで感じたことのない筋肉の負担と稼働を感じます。猿四郎さんが事もなげに見せてくださる動きは、想像よりもずっとハード。足を大きく開く、膝を外に向ける、肘を張る、骨盤を立てる……。しんどさの要因は色々ありますが、これらのどれか一つでもサボってしまうと、一気に格好悪くなるのです。歌舞伎の格好良さの源は、そのハードな身体操作ひとつひとつにも宿っているということがよくわかりました。
普段から体を鍛えている僕ですが、歌舞伎用の筋肉はまるで備わっていないことを実感。無念です……!

歌舞伎に宿るエンタメ精神!
ここまで歌舞伎のアレコレを綴ってきて、その重厚な魅力や、プロ集団としての矜持の部分は、皆さんにも大いに感じていただけていると思います。しかし歌舞伎はそういった凄みの部分だけが魅力ではありません。伝統芸能はハードルが高く、なかなか踏み込めないという人には特に意外に思えるかもしれませんが、歌舞伎は柔軟なアイデアで進化を遂げてきた“ザ・エンターテイメント”なのです。
「たとえばセリ(舞台の床の一部をくり抜いて施す昇降の機構)や廻り舞台(舞台の床を円形に切り抜き、回転させられる機構)は歌舞伎が発祥と言われています。宙乗り(ワイヤーアクション)もそうですね。今はどれも電動ですけど、元々は人力でやっていたんですよ」と猿四郎さん。
今や当たり前のように様々な形のエンターテイメントで使われている舞台装置の数々が、歌舞伎から生まれたということに驚きと感動を抱きました。何をしたら面白いだろうか、喜ばれるだろうか、という飽くなき探究心こそ、まさにエンタメ精神。その心は今も受け継がれ、古典作品を大切に演じ続けているのと同時に、先述の“ルパン歌舞伎”のような斬新な取り組みも行われています。硬軟併せ持つ伝統芸能、それが歌舞伎であると言えそうです。

取材を終えて
「映画をきっかけに歌舞伎を観にきてくださる方にも、ああ面白い、もう一回観たいと思っていただけるように、みんなでしっかりやっていかなければと思います」と語る猿四郎さん。
『国宝』フィーバーの中においても、観客を楽しませることへの真摯な思いにブレはありません。芸への情熱と、エンタメへの創意工夫の精神。それらが“古き良き”を守るのと同時に、さらなる進化を作っていくことを、僕もさらに熱く応援していきたいと思います!
取材・構成/黒田直美 Photo/松井なおみ 撮影協力/一般社団法人 西川会
市川猿四郎プロフィール
1966年生まれ。88年国立劇場第9期歌舞伎俳優研修修了。4月歌舞伎座『仮名手本忠臣蔵』の中間ほかで田村俊晴の名で初舞台。同年7月三代目市川猿之助(現・猿翁)に入門し、歌舞伎座『義経千本桜』堀川御所・鳥居前の軍兵ほかで二代目市川猿四郎を名のる。2000年7月歌舞伎座『鎌髭』の馬子畑右衛門実は坂田橘次晴時ほかで名題昇進。無骨な武士から町人、百姓まで幅広い役でその人物らしさを体現。動きにキレがあり、『華果西遊記』の沙悟浄の軽妙な味わいや、『毛抜』の万兵衛や『一本刀土俵入』の船戸弥八など一癖ある人物、『博奕十王』の獄卒など、舞踊でも安定した演技を見せている。立師(たてし)としては、スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』をはじめ、さまざまな立廻りを考案して活躍している。1997年第三回日本俳優協会賞奨励賞ほか。2006年3月『當世流小栗判官(とうりゅうおぐりはんがん)』の奴三千助で国立劇場奨励賞。18年重要無形文化財(総合認定)に認定され、伝統歌舞伎保存会会員となる。
本田剛文 お知らせ
<舞台情報>
名古屋をどりNEO傾奇者(第78回名古屋をどり)
2025年10月11,12日 岡谷鋼機名古屋公会堂 大ホール
①11時開演、②17時開演(合計4回公演)
入場料(全指定席)
SS席(1,2F) ¥11.000 S席(1,2F)¥ 8.800A席(3F) ¥5,500
note 名古屋をどりNEO傾奇者
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