「よろしくお願いします」をよく言う方だと思う。京都の家を出るときに、玄関で待っている京都府警さんに「よろしくお願いします」、タクシーに乗るときに運転手さんに「よろしくお願いします」、レジで商品を出すときに「よろしくお願いします」…数え出したら切りがないくらい、一日の中でよろしくお願いしますを言っているような気がする。でも、英国に行ったときに困った。英語で「よろしくお願いします」にあたるふさわしい言葉がないのである。
直訳すると、Please take good care of me.とかPlease do it properly.といった感じになるのだと思うが、そんなことを言ったらおかしな顔をされる。結局、HiとかThank youなどとごにょごにょ言ってお茶を濁すことになる。日本には、英語にはない便利な言葉がたくさんあるなあと改めて実感したのだった。
よろしくは、形容詞の「よろし」の連用形として使われていた言葉。元々は「よし」と同じ意味だったが、平安時代からそれよりやや程度が下がった「悪くはない」と言った意味で使われるようになったようだ。「よろしきところに下りて」であれば、適当な場所にと言う意味だし、「よろしう詠みたる歌」であれば、悪くはなく詠んだという意味である。「いいね!」ではなく、「まあ、いいんじゃない」というようなニュアンスだろうか。
歌舞伎の台本には、「両人よろしく有って」とか、「いづれも宜敷(よろしく)」などと書かれていることがある。その場にふさわしい演技をするように、という意味で、どのような演技をするかは役者の裁量に任されている。歌舞伎は演出家がいないので、役者自身が演出家となる。具体的な演出を細かくされなくても、それぞれの役者が考えて、適切な演技をすることが求められるのである。だから同じ演目でも、役者さんによって少し解釈が違い、表情が一つ違うだけで見終わったときに全く別物の芝居のように感じることもあるし、何度同じ演目を見ていても何か新鮮に感じるのだろう。相手への信頼があるからこそ任せられることなのだろうが、「こうでなければならぬ」ではなく、「うまいことやってね」というおおらかさと柔軟さのあるとても良い言葉だと思う。

「どのように解釈してもいい」からこそ
思えば、よろしくと言う言葉には、歌舞伎の台本のように「そちらにお任せします」という意味が込められている。「社長によろしくお伝えください」であれば、社長にどのように伝えるかは、伝える人の裁量に任されているし、伝えられた社長はその「よろしく」を単なる社交辞令と受け取ることもあるだろうが、「あ、あの件を進めて欲しいという意味だな」と察することもあるだろう。タクシーでも、レジでも、「よろしくお願いします」というときは、相手がこれから行う行為を信頼し、「そちらがよろしいように便宜を図ってくださいね」とお任せしていることになる。たった四文字なのに、なんと大きな意味を内包してしまう言葉だろうか。直接的な表現をする英語では、とても翻訳しきれない言葉であろう。
以前、和歌のワークショップをしたときに、学校での鬼ごっこについて詠んだ子がいたのだが、聞いた参加者と詠んだ本人とでは、解釈が全く異なっていて、驚いたことがあった。たった一文字違うだけで、印象ががらりと変わる。読む人の裁量を試されているようで、思わずうなってしまったのだった。
この時指導して下さった歌人の永田和宏先生は、和歌は詞書(説明)がないものがほとんどなので、歌人が当時どのような気持ちで、どのような状況でその歌を詠んだかはわからない。だからこそ、その三十一文字をどのように解釈するかは、それに触れた人次第なので、どのように感じても、どのように解釈してもいいのだと教えてくださった。
クラーク博士が伝えたかったことは
百人一首などに残っている名歌でも、本人が「そんなに深い意味はなくて、ただ景色を詠んだだけなのに!」とか「その人のことじゃないんだけど…」と思っている解釈もあるのかもしれない。でも、後世の人たちがそれぞれの気持ちに従って「よろしく」解釈して、大切に伝え続けてきたわけで、それは日本文化の特徴そのものであるように思うのである。
そこで私がいつも連想してしまうのが、かの有名なウィリアム・スミス・クラーク博士の「少年よ、大志を抱け」と言う言葉。札幌農学校で教鞭をとったクラーク博士が帰国する折、見送った学生たちに対して馬上から”Boys, be ambitious!”と言われた言葉とされているけれど、別れ際にそんなに大層なことは言わないだろうと私は思う。英語的には、私はせいぜい「ちゃんとやれよ!」とか「積極的に努力しろよ!」くらいの意味であろうと思うのだが、それを日本人らしく「よろしく」解釈した結果が「少年よ、大志を抱け」なのだろう。
クラーク博士は、「いやいや、そんなつもりじゃ…」と思われているかもしれないが、この言葉のおかげでクラーク博士の功績はしっかりと歴史に刻まれ、日本人の記憶に残ることとなった。弟子たちからクラーク博士への感謝の思いが込められた言葉であるのかもしれない。弟子たちの「よろしく」を、クラーク博士が「よろしく」解釈してくれていることを願いたい。

