幼いころ、雲に乗るのが夢だった。もちろん、かの有名なスイスの少女のアニメの影響である。ふわふわの雲に埋もれてお昼寝がしてみたかったし、ゆらゆらと揺れる雲に乗って気ままにあちらこちらに行ってみたかった。でも、初等科のときの理科の授業で、雲は、水蒸気が冷えて水滴や氷の粒になり、かたまりになって浮かんでいるもので、乗ったらそのまま下に落ちるということを知ったとき、その後の話が全く耳に入らないくらいショックを受けたことをよく覚えている。
想像の翼を広げる空の旅
ただ、その夢の影響で、というわけではないと思うが、空を見上げるのは未だに好きである。昼でも夜でも、外に出ると必ず空を見てしまう。気象の知識は全くないので、天気予報もできなければ、雲の特徴もわからないけれど、一日として同じ姿がない空の様子は、いつ見ても見飽きることはない。今でも、飛行機に乗って雲を眼下に見ると、あの夢がまた心の中で顔をもたげてくる。特に、上空で真っ白な雲がカーペットのように広がり、青と白の世界になっているのを見ると、いつも思う。「歩けるのではないか」と。麦わら帽子の海賊の一味が訪れた空島は、こんな場所であったに違いない。そんなことを考えていると、いつもあっという間に空の旅は終わってしまう。私にとって空は、想像の翼を広げてくれるものなのかもしれない。
夏の入道雲の“入道”とは?
夏の少し白の混ざった青い空に真っ白でモクモクした入道雲が浮かんでいるのを見ると、なんだかうれしくなって、暑さでぐったりしていた自分を一瞬だけ忘れる。夏の空が元気だなと感じるのは、やはり入道雲のせいだろうか。入道雲は、むくむくと空高くわき上がっていく様子が坊主頭の大男と似ていることから名付けられたと考えられている。まさに言い得て妙であり、最初に言い出した人を称えたい気持ちになる。
「入道」とは、言葉の通り、仏道に入って修行している人を言い、『源氏物語』の明石の入道や、坊主頭の化け物「大入道」や「タコ入道」などがよく知られているだろうか。でも、私が入道雲を見た時にいつもイメージしてしまうのが、平清盛である。清盛は、太政大臣を辞した後に出家したことから、「六波羅の入道」「入道相国」などと呼ばれていた。当然会ったことも見たこともない人だけれど、大柄の坊主頭で僧衣をまとい、数珠をかけた威圧感のある風貌は、大河ドラマなどでよく描かれており、勝手に頭の中に出てきてしまう。あれは豪快にお酒を飲みながら笑っている清盛入道、あちらは家臣を怒鳴りつけている清盛入道…と重ね合わせて見るのも楽しい。
松尾芭蕉が詠んだ「雲の峰」
その入道雲のことを、「雲の峰」ともいう。東晋の画家である顧愷之(こがいし)の「神情詩」にある「夏雲(かうん)奇峰(きほう)多し」という一節から生まれた表現だと言われている。夏の雲は、珍しい峰の形のようであるという。言われてみれば、入道雲は中国の山水画に描かれているような、ごつごつとした山が連なっているようにも見える。夏のお茶室のお軸にこの言葉がかかっていたのを初めて見たとき、「なるほど!」と手を打ちたくなってしまった。同じもくもくとした雲を、日本では丸い坊主頭のやわらかい(筋肉質かもしれないが)ものに例え、中国では切り立った岩肌の固いものに例えているのがおもしろい。海を隔てただけで、感覚が随分と違うものだと思う。
ただ、雲を詠んだ和歌は多々あれど、夏の入道雲を詠んだ和歌はほとんど見当たらない。平安貴族たちにとって、武骨な入道雲は、雅な和歌の題材にならなかったということなのか、クーラーもない都の暑い夏、入道雲に「もののあはれ」を重ねる和歌を作る気になれなかったのか…「夏雲奇峰多し」という言葉は、きっと平安時代には日本に届いていると思うけれど、彼らの心には留まらなかったのだろうか。彼らは夏の雲に何を思っていたのだろう。
入道雲が「雲の峰」として登場するのは、松尾芭蕉以後のことであるらしい。『奥の細道』に「雲の峰いくつ崩れて月の山」という名句がある。出羽三山を訪れた芭蕉が、峰のような雲がわいては消えを繰り返したのち、いつしか空には月がかかり、月山がすっくと不動の姿で立っている様子を詠みあげたもの。見るたびにその姿を変える雲の峰と、どっしりと立ったまま姿を変えることのない月山との対比が見事な句だと思う。
長く伝えられてきた古い漢詩から、新しい日本の言葉が生まれた瞬間。「奇峰」という漢詩ならではの固い表現から、「雲の峰」というなんともやわらかな言葉を生み出し、夏の雲に重ねる。平安貴族たちが歌に詠まなかった夏の雲を俳諧に詠む。その鮮烈な表現に虚を衝かれた俳人たちは多かったのではあるまいか。以来「雲の峰」は夏の季語として、多くの俳人に使われるようになり、現在に至っている。俳諧の世界に革新の風を吹かせた松尾芭蕉は、言葉の魔術師のような人だったのかもしれないと、夏まだき空を見上げながら思っていた。
今年の夏、青空にわき上がる真っ白の雲の形は、坊主頭の大男に見えるだろうか、はたまた変わった形の山々に見えるだろうか。想像の翼を広げながら、夏雲の到来を心待ちにしたい。