せっかち(?)な江戸の松の内
竹工芸家の友人の工房兼自宅に、年末に伺ったときだっただろうか。玄関に見たこともないような立派な門松が飾られていた。「すごい気合入ってますね」と声をかけると、「僕が作ったんです」と、とても得意げな顔で教えてくれた。代々竹籠を作る家に生まれた彼は、毎年年末になると山に青竹を切りに行く。その竹をスパンと切って三本束ね、新年を寿ぐ松や南天、葉牡丹などを合わせて飾り付け、門松を自作するのである。「門松作ると、今年も終わるって感じしますね」と、感慨深そうに門松を眺めながら、過ぎ去ろうとしている年に二人で思いを馳せた。様々なものを作れる友人が私の周りにはたくさんいるけれど、門松を作れる友人は彼一人だけである。
この門松を立てておく期間のことを、松の内と言う。門松は、お正月に各家にやってこられる年神様の依り代(よりしろ)と考えられており、お雑煮をお供えしたり、「お松様」と敬称で呼び、手を合わせたりする地方もあるという。お正月準備を始める事始めの日である12月13日、山に松や竹を取りに行き、立てるまでは家の中の清浄な場所に保管されるのが習わしだったそうだ。ただ、門松を取り去る時期、松の内は地域によって違いがある。三が日のみ、7日まで、15日までとばらつきがあり、関西は15日までのところが多いだろうか。取り去った門松や正月飾りは、小正月の1月14日か15日(6日か7日の地方もある)に行われる左義長(さぎちょう)やとんど焼きと言われる行事で焼いて、年神様をお送りし、お正月の行事は終幕することになる。
なぜ関東と関西で松の内の期間が違うのか、不思議に思って調べてみると、面白い記事を発見した。江戸時代後期に書かれた風俗誌『守貞謾稿(もりさだまんこう)』に「江戸も昔は、十六日に門松・注連縄などを除き納む。寛文二年より、七日にこれを除くべきの府命あり。今に至りて、七日これを除く。これ火災しばしばなる故なり。京坂は、今も十六日にこれを除く」とある。つまり、寛文2(1662)年に、幕府が松の内は7日までと定めたと言うのである。
「喧嘩と火事は江戸の花」とはよく言われるものだけれど、江戸の町では火事が多く、しばしば大火が起こっては大きな被害となっていた。少しでも早く燃えやすい正月飾りを片付けさせて、火事を防ごうとしたのだろう。つまり、幕府の都合で年中行事の日程を強制的に変えたということになる。かつて元服の儀を行う日であった小正月の1月15日を成人の日としていたのを、政府が1月の第二月曜日と変更したのと同じようなことが江戸時代にもあったということになる。
15日までのんびりできたはずの年神様は、江戸では急に7日に追い立てられるように帰されることになり、「聞いてないよ~」とはならなかっただろうか。その決断を受け入れて定着させたのも、せっかちな江戸っ子らしいのかもしれない。正月気分は早めに切り替えて、仕事仕事!と、当時の人たちは動き出していたのだろうか。江戸の家々にやってくる年神様は、せっかちな江戸っ子気質を理解してくださっていると信じたい。

京都の正月——「根引き松」の由来
京都では、門松ではなく、「根引き松」という根の付いたままの松の若木一対を入り口に飾られている家やお店が多い。向かって右に雄松(黒松)、左に雌松(赤松)、それぞれ茎の部分が白い和紙で包まれ、紅白や金銀の水引でくくられており、派手さはないけれど、とても品があって、京都の街によくなじむ。根引き松がそこここの家に飾られているのを見ると、京都のお正月だなあと実感する。
根引き松は、正月の子(ね)の日の小松引きに由来するもの。平安時代、貴族たちは初子の日に野山に出かけ、根の付いた松を引き抜いて、延命を願うという行事があった。「子の日(ねのひ)」と「根延(ねのび)」をかけて、長寿を願って松を持ち帰り、飾るようになったのだそうだ。この日に小松引きと若菜摘みを行い、若菜を年長者に贈り、羹(あつもの)という汁物にして長寿を祝ったのが、七草粥の始まりである。今の1月7日はまだ冬本番という感じだけれど、旧暦では寒さがかすかに緩みだす頃。貴族たちにとっては、春の訪れを先駆けて感じられるとても気持ちの良い行事だったのではないだろうか。でも、野山に分け入り、平安装束が泥だらけになってしまったら、ちゃんと洗えるのだろうかと下世話なことを考えてしまったりもする。
根引き松ではなく、門松を立てる文化は、京都でも平安時代後期には生まれているが、藤原行家の『新撰六帖』に「今朝はみなしづが門松たてなべて」とか、冷泉為尹の『為尹卿千首和歌』に「ちひろのみしめしづか門松」などとある通り、宮中や公家の家では門松は飾らず、民家で飾られるものだった。現在京都の人たちが根引き松を飾るのは、公家文化への憧れの表れなのかもしれない。室町時代には、武家にも門松の文化が広まり、現代のような門松の形が定着していったようだ。
高松宮妃殿下が、門松を飾らない宮家に嫁いでもう何年も経ったというお歌を詠まれたことがあったと以前伺ったことがある。宮中で門松を飾らないのは意味があったのだと改めて実感する。門松がない家だけれど、松の内は年神様を急き立てずにおもてなししたいと思っている。東京だけれど、しっかり15日まで。


