Culture
2020.02.25

銀座はミツバチの暮らしやすい街!?静かにbuzzってる「都市養蜂」の現場に潜入してみた!

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古くは日本書紀の時代から、日本人に愛されてきたハチミツ。養蜂も江戸時代からの長い歴史を持っていますが、近年では環境の変化からミツバチが減少し、世界的な問題になっています。そんな中、ビルの屋上など、都会の真ん中でミツバチを育てる「都市養蜂」が、ここ10年ほどの間に、日本全国に静かに広がっています。今、なぜあえて都会の真ん中でミツバチを育てるのでしょうか。都市養蜂のパイオニア、「銀座ミツバチプロジェクト」代表の田中淳夫さんと、名古屋のビルの屋上で養蜂に取り組む「マルハチ・プロジェクト」代表の松良宗夫さんにお話を聞きました。

ビルの屋上で、なぜミツバチ?

―さっそくですが、今日、一番お聞きしたかった質問から聞かせてください。なぜ、わざわざ都会のビルの屋上でミツバチを育てているんですか?

田中さん(以下、敬称略):それが…最初はまったくそんなつもりではなかったのですが、気がついたら、このビル(銀座の紙パルプ会館)の屋上でミツバチを飼うことになっていたんです。

―えっ。そうなんですか?

田中:もちろんきっかけはありました。2006年、岩手の養蜂家、藤原誠太さんから、都内でミツバチを飼うことができる屋上を探しているという話を聞いたんです。てっきり養蜂家さんが世話をしてくれるものだと思って、「銀座で美味しいハチミツが採れたらおもしろいよね」なんて友人と話していたら、「何言ってるんですか。あなた方が飼うんですよ」と養蜂家の方に言われて。

それから養蜂を学び、仲間も集まってくれて、今では花の季節になると約50万匹のミツバチから、およそ1.3tのハチミツが採れるようになりました。銀座のハチミツで作った商品は銀座で味わってもらおうということで、銀座の企業やお店と協力し、お菓子やカクテル、化粧品までさまざまな商品を開発しています。どの商品も大人気で、1t以上あってもハチミツが足りないくらいです。

銀座ミツバチプロジェクトのミツバチ

―ビルの屋上で1.3tとは驚きです! 名古屋でも、中心街でミツバチを飼っているんですよね?

松良さん(以下、敬称略):はい。県庁や名古屋城からほど近い、都市部の丸の内でおよそ8万匹のミツバチを飼っています。私たちは、田中さんの著書(『銀座ミツバチ物語』時事通信社刊)を読んで、2010年から養蜂を始めたんです。今年で10周年になります。名古屋にはこのほかにも、多くの養蜂プロジェクトが動いていて、高校生たちが校舎の屋上でミツバチを育てる取り組みもあるんですよ。

名古屋市街地での養蜂プロジェクト(長者町ハニカム計画)

―銀座と名古屋だけでなく、今、日本のあちこちで、ビルの屋上など都市部での養蜂が広がっていると聞きました。

田中:そうですね。北海道から沖縄まで、日本全国で、都市養蜂のプロジェクトが100ヶ所くらいはあると思います。最近では、ソウルでもミツバチプロジェクトが誕生しました。もちろん、さまざまな事情から、休止になってしまうケースもありますが。

春のミツバチは「人間にかまっている暇はない」

―でも、ミツバチは人を刺しますよね? 繁華街で飼っていて、危険はないんですか?

田中:私も、最初はそう思ったんです。1日に約40万人が行き交う銀座という街で、針のある生き物を飼っていいのかって。実際にミツバチを飼ってみてわかったのですが、ミツバチは一度人を刺すと、腹部がちぎれて死んでしまうんです。もちろん、刺される可能性がゼロとは言えませんが、よっぽどのことがなければミツバチは人を刺しません。

松良:ニュースなどで「ハチが人を刺した」と報道されているのは、もっと攻撃的なスズメバチの場合が多いと思います。それにミツバチは、活動期である花の季節は蜜を集めるのに忙しいので、人間にかまっている暇はないんです。

田中:専門家の指導は欠かせませんし、一般の方におすすめはしませんが、手の甲で直接そっと触ると、ミツバチは温かくてふわっとしているんですよ。

―ミツバチを飼い始めるとき、街の人から反対の声は出なかったんですか?

田中:銀座という街には、昔から、西洋の新しいものを取り入れてきた歴史があります。プロジェクトを始めるにあたり、街の皆さんに相談しました。当初は心配もあったかと思いますが、快く受け入れていただけました。

銀座ミツバチプロジェクトの皆さん 2019年、ハチミツの収穫量が1tを超えた喜びを人文字で表現

松良:都市部では、人と人とのつながりが希薄になっていると言われます。ミツバチを飼うことで、地域の中で交流が生まれたり、生物の多様性や環境について子どもたちと一緒に考えるきっかけになったりと、ミツバチを中心に新しいつながりが生まれているんですよ。名古屋でもあちらこちらの商店街で養蜂を通して地域交流をしています。

マルハチ・プロジェクトの出前授業

都会はミツバチにとって「住みやすい場所」

―ミツバチの立場からも質問をさせてください。森も野原もない都会は、正直ミツバチにとって暮らしやすい場所とは思えないのですが… 
そもそも都市のミツバチは、一体どこから蜜を集めてくるんですか?

田中:意外に思われるかもしれませんが、銀座周辺は、多くの花が咲き誇る地域だったんです。銀座のミツバチが主に蜜源としているのは、築地周辺の桜、浜離宮の菜の花、皇居内堀通りのユリノキ、霞が関の街路樹として植えられているトチノキなどです。皇居周辺や都心の公園では、環境への配慮から、農薬を使わずに植物を育てていることが多いので、ミツバチにとっては逆に住みやすい環境だったんです。

浜離宮のキバナコスモス ©Naoko Yamamoto

―そうなのですね! 都会の植物が農薬の使用を控えてさまざまな花を咲かせているというのは盲点でした。ミツバチの減少が世界的な問題になっていますが、欧米では、農薬の使用がその一因ではないかという指摘もあるようですね。

松良:ミツバチは環境指標生物といって、安全な環境でなければ生きることができないんです。ミツバチが元気に飛び回っているということは、人間にとっても、安心して暮らせる環境ということなんです。

―ミツバチが都心の自然を再発見させてくれるというのは、とても興味深いです。名古屋でも、やはり都心に蜜源があるのですか?

松良:そうですね。官庁街の並木や名古屋城の外濠に、ユリノキなどの蜜源があります。

名古屋市街地の貴重な蜜源(しでこぶしの花)

ミツバチのいる街にはツバメがやってくる

―ミツバチを飼うことで、周辺の生態系に変化はありましたか?

田中:東京の都市部では、近年減少傾向にあったツバメが、2015年の調査で増加の兆しが見られているそうです。長期の調査結果を見なければわかりませんが、一説には「都内でミツバチを飼う団体が増えたことによるエサの増加が要因ではないか」と言われています。銀座のツバメはミツバチを食べるんです。また、ミツバチの受粉により木々が実をつけることでも、食べ物が増えます。銀座の街でも、アクロバット飛行で狩りをするツバメの姿が見られるようになりました。

ミツバチを追いかける銀座のツバメ ©Nobutoshi Sato

―なんと! ミツバチのいる街では、ツバメが増えるんですね。しかし、ミツバチが食べられてしまうのは残念ですね…

松良:名古屋でも、ミツバチを飼い始めてから、街中でツバメを見かけることが増えました。大切に育てたミツバチが食べられてしまうので悔しかったのですが、ツバメは針のないオスのミツバチを好んで食べると聞いて少し安心しています。ミツバチのオスの役割は生殖だけで、ハチミツを集める仕事はメスに任せきりなんです。

―ミツバチのオスは元祖「ヒモ」だったわけですね…

田中:実は、ツバメが子育てをするときの天敵はカラスなんです。ミツバチは黒くて光るものを追い払う習性があるので、飛び回ってカラスを寄せつけません。ミツバチの巣の周りはツバメにとって、安心して子育てができる上に豊富な食糧がある、理想的な環境なんです。最近ではツバメだけでなく、通常都心では見かけないイソヒヨドリを含む多くの野鳥たちが、銀座で見られるようになりました。

―ミツバチの存在が、都市の生態系も確実に変えているんですね。

田中:植物は、ミツバチに花の蜜をプレゼントする代わりに、花粉を受粉してもらっています。植物が受粉すれば果実になって、それを食べるために鳥が集まってきます。そういった命のつながりを、銀座の真ん中で、ミツバチの存在を通じて実感しています。

シロツメグサとセイヨウミツバチ 撮影:スタジオワーク

在来種のニホンミツバチとセイヨウミツバチは共生できる?

―銀座でも、名古屋でも、現在主に飼っているのはセイヨウミツバチですよね。日本では、「蜜蜂」の記述が最初に出てくる日本書紀の時代から、明治時代にセイヨウミツバチが輸入され本格的に養蜂が始まるまで、ミツバチといえば在来種のニホンミツバチのことだったと思います。ニホンミツバチは、やはり都市で飼うのは難しいのでしょうか。

松良:そうですね。名古屋でも、一時期ニホンミツバチを飼っていたことがありますが、セイヨウミツバチに比べて巣が弱いので、熱で巣が落ちてしまい、思うようにいきませんでした。銀座では、ニホンミツバチのレスキューなどもしていますよね?

田中:はい。街中にミツバチが現れると私の携帯電話に連絡が入って、救出に出かけます。ニホンミツバチも、巣箱を使えば巣が落ちる心配はありませんが、セイヨウミツバチよりも小型で繊細な性格ですから、養蜂のノウハウがまだあまり世の中に広がっていません。近い将来、街の中でのニホンミツバチの飼い方を学ぶ場所を作ることが、私の夢のひとつでもあります。

花粉を抱いたニホンミツバチ 撮影:スタジオワーク

―ニホンミツバチとセイヨウミツバチは、同じ場所で飼うと、やはりケンカしてしまうものなんですか?

田中:花が咲いて食糧が豊富な春先は争ったりしないのですが、花の季節を過ぎると、体の大きいセイヨウミツバチが、体の小さいニホンミツバチの匂いを嗅ぎつけて、襲ってしまうこともあります。

―なるほど。共生は簡単ではないのですね。

私たちは知らないところでミツバチの恩恵を受けている

―ハチミツは近年、栄養価の高さや抗菌作用、化粧品の原料としても注目されていますが、ミツバチが巣の材料として分泌するミツロウ(ビーワックス)も、リップクリームやハンドクリームなどに使われるなど、優れものなんですよね。

田中:はい。銀座ミツバチのミツロウは、銀座教会のロウソクの原料として使われています。ミツロウには水を弾く性質があるので、西洋では昔から、馬具を縫うための糸にミツロウを塗っていたそうです。銀座でも、鞄屋さんがランドセルを縫うための糸に、銀座ミツバチのミツロウを使っているんですよ。そのほか、雅楽の楽器である「笙」のリードの固定にも、昔からミツロウが使われているんです。

銀座ミツバチのミツロウから作られたキャンドル(松屋銀座)

―私たちは本当にいろいろなところでミツバチに助けられているんですね! お二人のお話をうかがって、怖い生き物だと思っていたミツバチが、何だか可愛らしく感じられるようになりました。

松良:地球上の農作物の6割以上は、昆虫の受粉によって実をつけているんです。たとえハチミツを食べなくても、人間は知らないところでミツバチの恩恵を受けています。都市でミツバチを飼うことによって、生態系のこと、生物多様性のことに思いを馳せる人が増えていってほしいですね。

田中:人間も、ミツバチと同じようにひとりでは生きられないものだということを、私たちはミツバチから学びました。今、銀座では、ミツバチの蜜源のためにビルの屋上で花や野菜を育てたり、全国の生産者との交流が生まれたりと、ミツバチをきっかけに新しい活動がどんどん広がっているんです。これからもミツバチと一緒に、都市と自然の共生を発信していきたいと思っています。

銀座の街でサツマイモを育て、芋焼酎を作るプロジェクトもスタートしている。

プロフィール

田中淳夫


1957年東京生まれ。特定非営利活動法人銀座ミツバチプロジェクト理事長。(株)紙パルプ会館専務取締役。
2006年3月、「銀座ミツバチプロジェクト」を高安和夫氏と共同で立ち上げる。2007年に特定非営利活動法人の認証を受け、2010年には農業生産法人を立ち上げた。全国から養蜂や地域おこしについての相談が後をたたず、講演や交流会など各地を飛び回って活動の輪を広げている。

松良宗夫

1957年生まれ。マルハチ・プロジェクト発起人。㈳愛知ジビエ振興協議会代表理事。広告代理店に勤務していた2010年、名古屋の中心街にある自社ビルの屋上で養蜂を始め、今年で10周年を迎える。2020年3月8日には、やはり屋上養蜂に取り組み10周年を迎える名古屋学院大学の水野晶夫教授や長者町の佐藤敦氏らとともに、銀座ミツバチの田中氏を招いた講演会を開催予定。

書いた人

北海道生まれ、図書館育ち。「言編み人」として、文章を読んだり書いたり編んだりするのがライフワーク。ひょんなことから茶道に出会い、和の文化の奥深さに引き込まれる。好きな歌集は万葉集。お気に入りの和菓子は舟和のあんこ玉。マイブームは巨木めぐりと御朱印集め。